407.魔王の憂鬱


 二代目魔王、ゴルドギアス=オルギ。


 その武勇は誉れ高く、槍の腕前は魔王国に比肩する者なし、機知に富み心身ともに精強、まさに最強の名をほしいままにする男は――


「陛下、こちらの嘆願書なのですが――」

「陛下! アノイトス族とザルコーン族の抗争が――」

「陛下、練兵場でオーガ兵がゴブリン兵を虐殺した件で――」


 今日も今日とて、執務室で政務に忙殺されていた。


 最初の嘆願書は、とある部族が別の部族に金を貸したが、期限を過ぎても返済されない。ちゃんと念書も書かせてあったので、それを根拠に早急に返すよう求めたところ、『そんな紙切れに何の意味がある』『返してほしければ力づくでやってみせろ』と無茶苦茶なことを言われ、それどころか『槍勝負を仕掛けてくるでもなく、紙切れに頼るとは惰弱な奴』とまで挑発されて困っている、という内容だった。


「うぬぅ……」


 蛮族がよ……というのが魔王の正直な感想だった。


 金を貸した側の部族も、好き好んで貸したわけではなく、領地を接する格上の部族に無理にせびられて仕方なく貸したようだ。ただ、何とか念書だけは書かせて証拠としておいた――


 そして借りた側は最初から踏み倒す気満々で、かつ念書のことなど馬鹿にしきっていたので、気前よく書いてやった、と。


 ――弱者は強者に従うのみ、という主張はこの世の真理だとは思うが、円滑な国家運営のためにはそれだけじゃダメだ。


 今回の件に関しては、返済を約束した念書を書いてあったという時点で、借りた側に弁解の余地はない。ただ、『約束事はちゃんと守ろうね』と魔王が注意するだけでは、「力よりも決まりごとを重視するとはそれでも魔王か」などと無駄に舐められる可能性があるので――まあ舐めてきたらブチ殺すだけなのだが、こんな些事で死者を出したくはないので――魔王は、力を重んじながら道理も重視した裁定を下した。


 いわく、


『債務側は速やかに返済するべきである。』

『なぜならば部族の誇りと始祖の名にかけて返済を約束したからである。』

『返済が行われぬ限り、当該部族を誇りなき一族として扱うものとする。』

『誇りなき一族など貴族の資格なし、ゆえに叙爵や陞爵しょうしゃくも認めない。』

『この魔王の裁定に不服がある場合、槍勝負による直談判を認めるため登城せよ。』


 要は『部族の誇りにかけて約束したんだからそれ守れよ、守らねーならお前のこと誇りのないカスとして扱うからな。もちろん貴族としての特権もこれ以上認めねえ。文句があるならかかってこいや』という内容だ。


「フン、これでいいだろう。弱者は強者に従えという、連中好みの裁定だ」


 書状にサインしながら、魔王は鼻を鳴らした。魔王(最強)がこう言ってるんだから、つべこべ言わずに従えという話だ。


「この一件は、特に弱小部族に伝え広めておくように。念書がなければこうはいかなかった」

「かしこまりました」


 魔王の命を受け、山羊頭の悪魔執事・ステグノスが恭しく一礼した。



 次の、アノイトス族とザルコーン族の抗争は――いつものやつだ。というか前にも見た。確か、家畜泥棒を発端にしてやったやらないの水掛け論に発展し、グダグダと今日まで争いが続いていたやつ。


 死者も出ているし、魔王も何度か仲裁したのだが、止まらない上にどっちもどっちで両者ともに悪い部分があり、もはや道理もクソもなく、もう勝手に殺し合ってろと魔王も見限っていた。報告書をゴミ箱に放り込む。



 オーガ兵がゴブリン兵を虐殺した件は――なんともきな臭い。正直下等種がいくら死のうとどうでもいいのだが、それが種族間の派閥抗争の様相を呈しているとなれば話は別だ。


 表面的な調査では、この頃、魔王軍における『ゴブリン・オーガ不要論』により、立場が悪化しつつあるゴブリンとオーガは、それぞれの地位向上のために手を組んで動いていたが、何とか立ち位置を確保できそうなオーガに対し、マジで不要な存在と化しつつあるゴブリンが不満を抱き、両者の関係が悪化しつつあるという。


 その延長線上で、仲違いを起こしたオーガ兵がゴブリン兵を殴り殺した――という筋書きのようだが、件のオーガ兵が取り調べを受ける前に変死しており、これが毒殺ではないかと問題になっている。


 ゴブリンには毒を扱う知識がないので、外部の手引があったとしか思えないが、毒の専門家たる夜エルフの仕業にしてはやり口が杜撰すぎる。『ゴブリン・オーガ不要論』にかこつけて、魔王国の役人のポストから追い落とされそうになっているホブゴブリンたちが、夜エルフに濡れ衣を着せるためにやったのではないか? という意見もあるのだ。


 ただ逆に、そんな策略をホブゴブリンたちが巡らせた、と汚名を被せるために夜エルフがやった可能性もあるし、そのさらに裏をかいてホブゴブリンが毒を盛った可能性も否定できない。


 はたまた、ゴブリンの中に毒を扱える知恵者がいて、策略とは何の関係もなく復讐のためにオーガ兵を毒殺した可能性もある。


 繰り返すが、魔王は下等種がいくら死のうとマジでどうでもいい。しかし彼らがいないと国が回らないのも事実なのだ。特に夜エルフとホブゴブリンは役人として国家運営にも関わっているため、無下には扱えない。


 これは慎重な調査が必要になるな――と、魔王は現時点での判断は保留し、より詳しい報告が上がってくるまで待つことにした。



「……そろそろ休憩にしよう」

「はっ。お茶をお持ち致します」


 案件をちぎっては投げちぎっては投げ――流石に精神的疲労を覚えた魔王は、列をなす役人や陳情者たちを追い出して、しばしの休息を取ることにした。


「……今日は、何の日だったか」


 壁にかけた魔王国の地図を見やりながら、茶を口に運んで独り言。


「月の日にございます」


 ステグノスの返答に、「…………そうか」と目を伏せる魔王。



 ――毎週はじめの月の日は、子どもたちとの食事会があるはず



 しかしエメルギアスが死に、ジルバギアスが追放され、この習慣は自然消滅してしまった。


 なぜか? 雰囲気が最悪だったからだ。アイオギアスとルビーフィアはあからさまにギクシャクしていたし、唯一こういった空気を中和できそうなダイアギアスは、何を血迷ったか代官になってしまい、エヴァロティから帰ってこない。


 魔王、アイオギアス、ルビーフィア、スピネズィアにトパーズィア――


 たった5名に対し、あの円卓は広すぎた。最初の頃、それこそエメルギアスまでしか生まれていなかった時代は、もっと小さな円卓だったのだが。


 いろいろあって粉砕されてしまったため、今の二代目円卓は、より大きめのものになっている。


 それが――却って、がらんどうに見えてしまって。


 魔王にとって、唯一の癒やしの場であった食事会は、むしろ苦痛を増すようになってしまい。


 魔王が欠席したのをきっかけに、アイオギアスとルビーフィア(とトパーズィア)も来なくなり、スピネズィアだけが美食を貪り食う場と化しているらしい。


 今では魔王も、仕事に没頭しすぎて、今日が何の日なのか言われるまでわからないような有様だった――


(これでは……惰弱のそしりは免れんな)


 茶を飲みながら、自嘲する魔王。


 自分の死後、魔王子や大公たちが魔王位を巡って争うは必然。血で血を洗う戦いになることはわかりきっていたのに、それが少し早く訪れてしまっただけで、自分でも驚くほど衝撃を受けてしまった。


(ボン=デージがなければ、政務に支障を来すところであったわ)


 腰の、獅子の頭の剥製を撫でて、ついでに腹筋の割れた腹をさする。政務に忙殺され、癒やしの場を失い、この頃はやたら胃のあたりが重く感じられる魔王だった。


 ボン=デージの疲労軽減のエンチャントがなければ、寝込んでいたかもしれない。当然、心身ともに壮健でなければならない魔王には、そんな惰弱な真似は許されないわけだが。


 それほどまでに、骨肉の争いが、本当は心底嫌いなのだろう。


 この、ゴルドギアス=オルギという男は――。苛烈な魔王位継承戦を制し、血塗れの魔神の槍を手に魔王の座についたが、その経験は、ゴルドギアスの心に暗い影を落としていた……


 だからこそ食事会などを催して、家族ごっこを続けていたわけだ。エメルギアスの暴発とネフラディアの暴挙で、完膚なきまでに崩壊してしまったが……。




(ジルバギアス……お前は今、どうしている?)


 大陸の地図を眺めながら、胸の内でひとりごちる魔王。


 ジルバギアスが魔王国を出てから、1ヶ月が過ぎようとしている。


 同盟圏では今、ネフラディアがビラをばら撒いたせいで、闇の輩狩りが活発化しているそうだ。夜エルフたちが悲鳴を上げていた――諜報網は壊滅し、前線のほとんどで、潜入工作員たちと連絡が取れなくなっているらしい。


 そんな中、かつて生還した例のない追放刑に処されたジルバギアス――


 もちろん、ドラゴンの機動力に加え、経験豊富な諜報員のお供、さらに人化の魔法まで使えるジルバギアスは、これまで追放されてきた魔族とは一線を画した存在で、全く事情が異なるわけだが。


(お前の能力は、魔王国に必要だ……)


 その明晰な頭脳、類まれなる武勇に、死霊術の知識。


 魔王としては、後継ぎの本命はアイオギアスなのだが、今の魔王のやり口をそのまま踏襲することしかできないアイオギアスに対し、ジルバギアスは、何か変革をもたらす傑物ではないか、と感じていた。


 できれば、アイオギアスの補佐についてほしいところだが……プラティフィアの方針からして難しいか。


 本人も、『魔王の座には興味はないが、魔王ちちうえを超えたい』と言っていたし。


 それはつまり、魔王になるということだ。


(ジルバギアス――無事に帰ってこい)


 唇を引き結び、目に力を込める魔王。


(プラティを悲しませないためにも……)


 ことん、とソーサーにティーカップを置く魔王。


「おかわりはいかがですか、陛下」

「いや、もういい。仕事に戻ろう」


 ぽん、と腹を叩いてから、次なる書類に手を伸ばす。


 本当に、ボン=デージのお陰ですこぶる調子はいい――今となっては、家族のことであれこれ思い悩まずに済む政務は、ある意味で救いだった。


 ペンを走らせ、魔王は政務に没頭していく。


 腹の奥底に溜まった淀みを忘れ去るために。


 そんなことで思い悩む余裕を、己から削り取るために。

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