406.門出と珍客


 ――トリトス公国、公都トドマール大聖堂。


「エドガー、大司教様がお呼びだぞ」

「ええ? このクソ忙しいときに……」


 部屋で、旅行鞄に入り切らない荷物を前に頭を抱えていた青年は、訪ねてきた同僚の言葉に顔をしかめる。


 青年の名を、エドガー=ワコナンという――上級司祭だ。


 諸々の事情で長い旅に出ることになったエドガーは、もともとの任地だった隣国の聖教会で事務手続きに追われ、トドマールに舞い戻ってからは旅支度――移動手段や滞在先の確保、予算計上とそれに伴う書類仕事等――をこなし、今になってようやく自分の荷造りが始まったところだ。


 ちなみに、明日の朝が出発なので、もうマジで時間がない。


「なんでも、客人だそうだぞ」

「客? 誰が?」

「森エルフっぽかったが、詳しくは俺も知らないんだ。すまんな」

「そうか……いや、ありがとう」


 心当たりが無いなぁ、と首を傾げつつ、急ぎ足で応接室へと向かう。


「エドガーです。お呼びと聞いて伺いました」


 ドアを開けると、森エルフ3名と大司教が、テーブルを挟んで談笑していた。


「おお、よく来てくれたエドガー。こちらのご客人が、どうしても当事者から詳しく話を聞きたいとのことでな」

「当事者……ですか」


 目をぱちぱちと瞬きながら、森エルフ組に視線を向ける。


 当事者――だ? 心当たりが一気に増えてわからなくなってしまった。しかし森エルフと関わりのあるトラブルなんてあっただろうか。こっちがうっかり忘れてしまった数年前の出来事でも、森エルフからすればつい昨日みたいなものなので、今さらやってきたという可能性もあるだけにたちが悪い。



 さらなるヒントを拾うために、サッと三人組を観察する。男ひとり、女ふたり。



 右端に座っているのは、ちょっとアンニュイな雰囲気を漂わせる、こんがりと日焼けした女エルフだ。


 人族で言うなら20代ほどの若々しい姿だが、森エルフの年齢を見た目だけで判断するのは難しい。ポイントとなるのは表情――若いエルフほど感情が表に出がちだ。そしてこの女エルフは、森を出たばかりの世間知らずなひよっことは違い、年季を窺わせる落ち着きある表情をしている。


 腕を組みスンッとした真顔を保っているが、真面目というより、どこか白けた心境を誤魔化しているような印象を受ける。腕の筋肉の付き方から、弓をかなり使い込んでいるらしいこともわかった。それでいて魔力もかなり強い。


 優れた術師にして、恐るべき射手――『この件』に関してそれほど興味があるわけではないが、必要があったため同席した。そんなところだろうか。付き添いか、残り2名の護衛である可能性が高い。



 続いて真ん中。驚くべきことに、森エルフでは稀に見る、しわだらけの年老いた男エルフだ。先ほど、見た目で年齢が判断できないと思ったばかりだが、これはこれで『いったいどれほど高齢なのか』見当もつかない。


 長寿と若々しさに定評のある森エルフで、これだけしわくちゃに老いているとなると……少なくとも、ワコナン家の家系図よりも、彼の略歴の方がはるかに長くなるであろうことは想像に難くなかった。


 老エルフは穏やかな表情で、こちらを見つめ返してきている。その澄んだ青い瞳はまるで凪いだ湖のよう。今のこの自分の思考も、全て見透かされているような気分に陥った。――そしておそらく、それは正しい。エドガーに観察・分析されていることを察しながらも、気を悪くするでもなく泰然と受け入れ、むしろ微笑ましく見守っている。


 隔絶した彼我の差を感じさせながらも、威圧するような気配は一切なかった。それも当然だ、見上げるような大樹は、周囲を脅かすために巨大なのではなく、長い時を経たからこそ、ただそびえ立っているのだ。


 彼からすれば自分は孫どころか、芽吹いたばかりの苗木のようなもの。見下みおろされているように感じるのは、自分が彼に対して小さすぎるからだ。この御仁はただ『普通』にしているだけ、きっと他意はない。


「…………」


 そう思ったところで、にこりと微笑まれた。若さゆえの反骨心とそれに対する自戒まで読み取られたのか? 下手な好奇心で腹芸を仕掛けたら、自分なんて一息で吹き散らされてしまうな、と思いつつ、エドガーはぺたりと頬を撫でる。


 この貫禄と年季からして、老エルフがリーダー格なのは間違いなさそうだが……



 さて、最後に左手、こちらは若い女エルフだ。(見た目だけなら)年の頃は、右の女エルフと大差ない。ただし、こちらの方が表情が――なんというか、そわそわしている。見た目相応に若いのだろうか?


 それにしても美しい。思わず息を呑む。森エルフなんてみんな美男美女で、だからこそもう見慣れたものだと思っていたが――この女エルフは別格だ。ただの『美貌』ではない。気品とでも呼ぶべき、内側から光り輝くような神々しさがあった。


 ただ、それだけに、うずうずと今にも走り出しそうな、前のめりで落ち着きのない様子で落差が激しかった。興奮で開いた瞳孔、わずかに紅潮した頬、揺れる視線、前のめりな姿勢、全てが彼女の多大な興味を示している。


 ――ひょっとすると、彼女こそが今回の一件の主体者なのではなかろうか?


 エドガーは直感的にそう思った。年齢的・立場的に老エルフが代表者として真ん中に座っているが、実際は――



「あの……私っ」


 こちらから話しかけるまでもなく、向こうが口火を切った。


「勇者アレックスさんについて、ちょっとお伺いしたいことが……!」


 ――ああ、なるほど。


 瞬間的に、色々と合点がいった。――アレックスめ。いったいこのお嬢さんに何をやらかしたんだ?


「もしかして、彼のお知り合いで?」

「そう、かもしれません。それが知りたいんです」


 しゅん、とちょっと両耳を垂れさせながら美人エルフ。


「あ、申し遅れました、私は『リリィ』と言います。あなたに、健やかな風の祝福があらんことを」

「これはご丁寧に。エドガー=ワコナンです」

「……ヘレーナよ」

「オーダジュと申す、どうぞよしなに」


 思い出したように軽く自己紹介してから、本題へ。


「まずは、その『勇者アレックスさん』の容姿について、聞かせてもらえませんか」

「彼は、よく日に焼けた肌と、茶色の髪に茶色の瞳の至って普通な人族で、ただ人族の中ではかなりの美形といえる男前だった。スッと通った鼻筋に、きりりとした意志の強そうな眼差し、時折浮かべる不敵な笑みが印象的で――」


 エドガーがすらすらと語ると、リリィは「は……はぅわ……」とふにゃふにゃな声を漏らしつつ、ますます赤くなった頬に手を当ててぷるぷる震えていた。


(あっれれ~~~これは~~~!)


 恋、しちゃってませんか~~~? どう見ても~~~! と口角が釣り上がりそうになるのを、必死に真面目くさった表情で塗り固めるエドガー。


 ヘレーナがスンッ……と遠い目をし、オーダジュの穏やかな笑みがどことなく不穏な影を帯びる。


(これは波乱の予感……ッ!)


 大方、過去にアレックスが勇者らしい立ち回りで、リリィのピンチに颯爽と助けに入り、何かしら強烈な印象を彼女の中に植え付けてしまい、しかし否応なく別れの時が訪れて、離れ離れになった――そんなところだろう。


 どんな事件があったのか、好奇心がそそられて仕方がないが――!


(まあ……初対面の人の恋路に、あまり突っ込むのも野暮というものか……)


 かろうじて良識から口をつぐむエドガー。


(種族の壁を越えた大恋愛だな……)


 と、主に、そっちの事情に気を取られていたこともあるが――そこで『種族』から連想して、はたと重大な事実を思い出す。



 勇者アレックスが、傍らに連れていた少女。



 銀色の髪に、金色の瞳をした、華奢で可憐な。



 仲睦まじい様子の――。



『異種族恋愛』『恋人』『ホワイトドラゴン』という単語が、エドガーの頭の中で手を取り合って踊り出した。



「その……お嬢さん」


 言わないわけにはいかないだろう、こうなってくると。


「アレックスだが……ひとりでは、なかったようだ。連れがいたというか」


 エドガーの奥歯に物が挟まったような言い方に、ピタッと動きを止めるリリィ。


「どなたか、他にいらっしゃったんですか?」


 リリィの表情が固くなる。緊張か、警戒か。あるいは両方か。それにしてもあまりにわかりやすい、やはり若いのだろうか――?


「彼と同い年か、もうちょっと幼いくらいの……娘さんと、一緒に旅をしている……よう、だったよ」


 年頃の娘と二人旅とか完全にそれデキてるやつ――他に言い方ないのか――ないわそれにもう遅すぎた――とありのままに語ってしまうエドガー。


「わ……ぅっ、ええっと、そのお連れの方って、どんな容姿でしたか? お名前とかわかります……?」


 連れの容姿が気になるのか? まさかライバル視……諦めていない……? いや、この美貌があればそれもうなずけるか……しかし名前を知ってどうするつもりだ? まさかとは思うが闇討ち……? いや待てよ、そもそも彼女とも知り合いという可能性もあるな。そうじゃない可能性も念頭には置かねばならないが。


「……銀色の髪に、金色の瞳で、どこか浮世離れした雰囲気のある子だった。名前はたしか――」


 ちらっと虚空を見上げて記憶を手繰り寄せる。


「『レーライネ』だったかな」


 エドガーがそう言った瞬間。


「ほわっ――ふぅっん、うぐゥゥ……!」


 奇声を発したリリィが、それを無理やり噛み殺したような、ちょっと美人が出してはいけないタイプの唸り声を上げた。


 流石のエドガーもびっくりしたし、置物と化していた大司教もリリィを二度見。


 ヘレーナとオーダジュが極めて曖昧な笑みを浮かべている――大人の森エルフが気まずいときによくやるやつ――


「ふっうっ、わっ、うっ、あのっ、そのっ、勇者アレックスさんっと! お連れの、レーライネさんっ! なんですけど!」

「……リリィさん、大丈夫ですか? お加減がよろしくないのでは……?」


 ぷるぷる震えながら、なおも続けようとするリリィに、思わずエドガーも心配して話の腰を折ってしまう。


 まさかとは思うが……レーライネも知り合いだった? 自分がいない間にふたりがくっついていてショックを受けているとか……?


 いや、それにしては負の感情がないような……? なぜ彼女は、むしろ大興奮しているんだ……??? 『大丈夫』なのか……?????


「大丈夫ですっ! ちょっと、なんていうんでしょう、確信が持てちゃって! 私が探していた勇者アレックスさんだということが、わかったといいますか!」

「は、はぁ……」

「……ふぅ。すいません、取り乱しました。それで、おふたりはすでに旅立ったとのことでしたが、次にどの辺りに向かわれるかは、お聞きになられてないですか?」


 いきなり冷静に、かつ極めて理知的にリリィが尋ねてきた。追いかけるつもりなんだ……と察すると同時、リリィの放つ尋常ならざる気迫に気圧されそうになる。


 聞かれるがままに、教えそうになるエドガーだったが――


 そこでふと口をつぐんだ。


(教えていいものだろうか?)


 アレックスはかなり……繊細な立ち位置の人間なはずだ。レーライネも。このお嬢さん、アレックスに並々ならぬ執着があるらしいが、そんなヒトに軽々しく彼の情報を渡してもいいものか?



 ――それは、アレックスの信頼を裏切ることにならないか?



「リリィさん、あなたは」


 背筋を伸ばして、エドガーはまっすぐに彼女を見据える。


「アレックスを探して、どうしたいのだ?」


 ……その真剣な眼差しに、リリィもまた姿勢を正す。


「彼は、私の命の恩人です。彼が助けてくれなかったら、今の私はありません」


 そっと胸に手を当てながら、リリィ。


 ヘレーナが目を伏せ、オーダジュが瞑目する。ふたりの態度から、リリィの言葉が『真実』であることを悟った。


「ものすごくお世話になったのに。ものすごく私のために頑張ってくれたのに。あっという間に離れ離れになってしまって、ほとんど恩返しもできませんでした。もう一度会って、お礼を言いたい。何か恩返しをしたい……! 私が会いに行っても、もしかしたらお邪魔になるだけかもと考えたら、怖いですけど……」


 リリィの瞳が潤む。


「……いえ、それも全部、言い訳かもしれません。もう二度と会えないかと思っていた彼の消息がわかって、居ても立っても居られなくて……!! もう一度、会いたいんです……! 彼の声が聞きたい……! 名前を呼ばれたい……!」


 きゅぅぅん、と喉を引き絞るような声を上げて、ぽろぽろと涙をこぼすリリィ。



 ――邪なものは、当然、欠片も感じられなかった。



 エドガーは気まずげに頭をかく。本当に、自分がただ涙に負けようとしているだけではないのか、改めて自問する。教えて大丈夫か? 問題はなさそうか?


 リリィが、アレックスのことを慕っているのは間違いない。それでいてレーライネを連れていることに、嫉妬などは見られない。本当に純粋に、会いたいと狂おしいまでに願っている。そんな印象。


 まあ、本人に悪意がなくてもトラブルが発生するケースなんて、世の中にはごまんとあるわけだが……特に色恋沙汰では。


 ――だが、そんなゴタゴタを防ぐための『お目付け役』でもあるんだろう?


 エドガーの内心を知ってか知らずか、オーダジュが小さくうなずいた。


 リリィが独りではなく、彼らを連れているのは――『そういうこと』なのだろう、そう信じよう。


(ま、そもそも教えたところで……)


 無事に再会できるとは限らないし。



「……もったいぶってしまって、大変申し訳無いんだが、私も大したことは知らないんだ」


 エドガーはリリィにハンカチを差し出しながら、気の毒そうに言葉を続ける。


「夜堕ちどもの諜報網の存在が明らかになって。かつ、前線からは魔王子追放の報せまで流れてきた」


 ピクッ、と肩を揺らすリリィ。


「アレックスは、その報せが大陸全土に広がる前に、つまり潜伏した夜堕ちが動揺して行方をくらます前に、可能な限り多くの夜堕ちを――『彼固有の特殊技能』を活かして、狩っておきたいらしい」


 なので。


「闇の輩狩りをしながら、全力で大陸の東の果てまで向かう、と。アレックスはそう言っていた」


 バッと顔を上げるリリィ。涙に濡れているが、並々ならぬ意志の光を宿した瞳。


「ただアレックスに追いつくつもりなら、かなり急がないと――はまるで風のような、とてつもないを誇るから――」


 レーライネがホワイトドラゴンであることには直接触れず、リリィがそれを知っているならわかるよう、含みを込めて忠告するエドガーだったが。



「わうっ!」



 いきなり、リリィが椅子を蹴倒して立ち上がった。



「うーっ!! わうんわうん!! あおぉぉぉんん!!」



 ヒトが変わったかのように吼え散らしながら、応接室をピューッと勢いよく飛び出していくリリィ。唖然とするエドガー、「いきなり何だ!?」とたまげる大司教。


「ああっ!? リリィ、ちょっと待ちなさーい! リリィ――っ!」


 ヘレーナが慌ててあとを追い。


「突然こちらからお訪ねしたのに大変申し訳ない、あの子は夢中になると、そのぉ~かなり、夢中になってしまうタチでして……」


 老齢の貫禄はどこへやら、しどろもどろに言いながら席を立つオーダジュ。


「心ばかりのお礼ですが、こちら、聖大樹の樹液の飴です。1ヶ月ほどしかもちませんがの、精神力と魔力を回復させる効能がありますので、お役立てくだされ。いや、誠に申し訳ない! これにて失礼! お話はどうもありがとうございました!」


 荷物を抱えて、ダッシュで部屋を出ていくオーダジュ。「やっぱり紐をつけておくべきじゃったか~!」という独り言が去り際に聞こえた。



 遠ざかっていく――足音が――すごい勢いで――



 まさに、風のような健脚。



「……なんだったんですかアレ」

「ワシに聞かれてもな……」


 これまでにも、種族間の価値観や文化の違いで、話が噛み合わなかったりマナーに問題があったりという経験は、何度かあったが。


 流石に『今の』は……


 そういうアレじゃなくて……


 何か、異常であるように思われた……。


「それにしても聖大樹の樹液の飴か! 早速神秘部に回そう、貴重なサンプルだぞ、これは……! お、エドガーも忙しいところご苦労だったな。戻っていいぞ」

「はぁ」


 研究家気質の大司教はオーダジュの手土産に興味津々の大興奮。平素ならエドガーも一緒になって盛り上がりたいところだったが、旅の準備がマジで修羅場で時間的にヤバく、泣く泣く諦める。



 イマイチ釈然としないものを感じながら、急ぎ足で自室へ――



「あ、エドガーさん!」



 と、その途中で、法衣を身にまとった少女と出くわした。



「ニーナちゃん。準備はもういいのかな?」


 エドガーは足を止めて、にこりと微笑んだ。


「はい! もともと着の身着のままで、ほとんど何も持ってなかったので! 準備も一瞬です!」


 えへん、と胸を張りながら悲しいことを言うニーナは、まるで見習い神官のような格好をしていた。



 そう。



 彼女は、『成人の儀』を受け直して、聖属性に目覚めていた。



 アレックスの話を受けて、エドガーが思いつきで実行してみたら、まさかの結果。トドマール聖教会に激震が走ったのは言うまでもない。


『エドガー、お主はもう聖属性の本質に気づいているフシがあるので、敢えてここでは深くを語らないが――』


 実験結果の報告に行った日の、大司教の言葉を思い出す。


『聖属性の本質を知っていた我々も……この結果は、予想もしていなかったし、試してみようという気にもならなかった。聖属性に目覚めるか否かは、生まれつきの性質で判別される――と、我々は認識していた』


 だが、そうではなかった。


 聖属性は、後天的に目覚めうることが発覚し、証明された。


 その貴重な実例かつ見習いとして、ニーナは聖教国へ送られることになった。実験をやらかしたエドガーも、諸々を証言するため、ともに向かう。


 幸いなことに――ニーナの母、イザベラも一緒に。


 ニーナが覚醒した原因のひとつに、母への想いもあると考えられたためだ。聖教国へ移って生活環境が変わるのは仕方ないとしても、唯一の身内を切り離して悪影響が出たらまずい、という理由……まあ、ほとんど建前のようなものだが。


「見てください、エドガーさん!」


 むむーっ、と肩に力を込めたニーナは。



「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ!】」



 ふわっ、とその手に銀色の輝きが灯る。しばらく光り続けて、瞬いて、消えた。



「……すごいじゃないか。ずいぶん長持ちするようになったな」


 本気で感心し、うなずくエドガー。自分がこれだけ輝きを維持できるようになったのは、聖教会で修行し始めて半年ぐらいの頃だったと思う。



 ――対してニーナは、まだ目覚めてから1ヶ月も経っていない。



「えへへ……」


 魔力の消耗で、ぜえぜえと肩で息をしながらも、ニーナは得意げだ。


 彼女によほどの才能があったのか、それとも――


「お父さんみたいに、お母さんを守る。守ってみせる。……そう考えたら、身体の奥底から力が湧いてくるんです」


 自らの手を見つめながら、そう語るニーナの笑みは――悲しくなるほどに大人びて見えた。


「…………」


 エドガーは、微笑みの下に、複雑な心境を隠す。


 自分がやりたくて、興味本位で実行してみて、望外の結果が出た。言ってしまえばそれだけなのだが、果たしてニーナを――聖教会に、戦いの運命に引きずり込んでよかったのか。


 疑問に思わないと言えば、嘘になる。


 聖教国で、彼女がどのような訓練を受けるかはまだわからないが、勇者にせよ神官にせよ、いずれは一人前になって――彼女は、彼女の望み通り、闇の輩との戦いに身を投じることになるだろう。


 エドガーもまた、魔王軍の脅威を肌で知る者のひとりだ。


 そしてエドガーは、自分が家族に囲まれて、寿命で安らかにベッドの上で死ねるとは、考えていなかった……。


(ニーナちゃんの未来も、あるいは……)


 今はどれだけ輝いて見えても。


 希望に満ち溢れているように見えても。


 彼女の行き着く先は、戦場の泥と血の海かもしれない。



 ……だが、それでも彼女は願ったのだ。



 戦うすべを。抗う力を。



 何より、このまま聖属性に目覚めず、ただの難民としてトリトス公国に居続けたとして、ニーナとイザベラに幸せな暮らしを送れた可能性があったかと問われれば。


 ……甚だ疑問と言わざるを得なかった。


 そう遠くない未来に、魔王軍はこの国にも攻め込んでくる。否応なく。


(どのみち、なんだ)


 遅いか、早いか。


 蹂躙されるか、抗って一矢報いるか。


 その違いだ。人としての意志の差が、自己決定の有無が、粛然とそこにある――



「わたし、頑張ります!」



 ふんすっ、と鼻息も荒く、両手を握りしめながらニーナは言った。



「もっと修行して、強くなって! アレックスさんみたいな勇者になるんです!」



 その目に宿る、強い意志の炎。



 ――そうだ、彼女を哀れんだりしてはならない。



 今や彼女は、守るべき、守られるべき無辜の民ではなく。



 銀色の、討魔の光を秘めし、同志にして仲間なのだから……!



「そして夜エルフも、魔族も、……噂の魔王子ジルバギアスだって! わたし、頑張って強くなって、倒してみせます!!」



 後輩の、威勢のいい決意表明に。



「ああ、一緒に頑張ろう」



 エドガーも先輩として、精一杯、力強く笑った。



「そのときは、私も手伝うよ」



 ――約束だ。

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