405.走れリリ公
サンクタ・シロ――母なる聖大樹がそびえる、森エルフの里。
「どうしても、行くというのね……リリアナ」
ハイエルフの女王エステル=エル=デル=ミルフルールは、疲れたような困り顔で眼前の娘を見やった。
旅装に身を包み、日に焼けた典型的森エルフ――の、姿をしたハイエルフの聖女・リリアナだ。今は『リリィ』と名乗り、人化の魔法を中途半端に行使して、普通の森エルフになりすましている。
「わう」
キリッとした表情でうなずくリリアナ。
「…………」
ダメだこいつ、とばかりにペシッと額を叩くエステル。周囲に集ったハイエルフの重鎮たちも、それぞれ女王と同じく額を叩いたり、頭痛を堪えるように眉間を揉み解したりしている。
――リリアナの言動がおかしい。
リリアナが奇跡の帰還を果たして2週間ほど経って、お付きの者からそんな報告があった。
いわく、ボーッとしたり、唸り声を上げたり、ふらふら里を出ていこうとしたり、『異常行動』が頻発し始めたという。
――闇の輩どもめ、やはり遅効性のロクでもない呪詛を仕込んでいたな!
エステルも含め、みながそう解釈した。リリアナの帰還直後、念入りに解呪と祝福を施したはずだが、それでもまだ足りなかったか、と。聖大樹の樹液を精製した霊薬を与えたり、エステルの全力の癒やしの力を吹き込んだりして、リリアナを『治療』しようとしたわけだが……
リリアナは、治らなかった。
四六時中『異常行動』に走るわけではなく、普段は理知的な聖女のままなのだが、ふとした拍子に――なんというか、その、犬のようになってしまう。どうやら衝動的なものらしく、頑張れば抑え込めるようだったが、感情の高まりによってはそれも難しいらしい。
これまで、ハイエルフの女王としてありとあらゆる傷病や呪いを消し飛ばしてきたエステルにとって、あまりに衝撃的な事例だった。
「まさか……私に治せない病があるなんて……」
そんなもの、恋の病くらいのものかと思っていたが。
「…………」
ふと思い浮かんだ考えに、ますます渋い顔をするエステル。恋の病――リリアナの場合も、『当たらずといえども遠からず』かもしれなかった。
魔王子ジルバギアス。いや勇者アレクサンドルだったか。娘は、彼にどうしようもなく依存していたようだ。夜堕ちどもの魔の手からリリアナを救い出してくれたことには、いくら感謝してもしきれないが……!
しきれないが……ッッ!
もうちょっと、こう、なんとかならなかったのか……! と、そう思わずにはいられなかった。もちろん、勇者アレクサンドルが最善を尽くしてくれたことは重々承知している。
だけど、母親としては、思うところがひとつもふたつもあるのだった。
リリアナは犬真似があまりにも馴染みすぎて、かつジルバギアスに心理的にも依存しすぎて、彼に関連した話題を見聞きするとついつい『犬』が顔を出してしまう。
そして、それが『自然』になってしまった。
要は、リリアナ本人が『異常』を『正常』として受け入れてしまっているのだ。であれば、いくら治療しようとしても治せるはずがない。それが自然なのだから。
リリアナの中の『犬』は、愛しの主人に――アレクサンドルに会おうと必死だ。今生の別れだと思って諦めていた矢先、第7魔王子ジルバギアスが同盟圏に追放されたとのニュースが飛び込んできて、抑えが利かなくなってしまったらしい。
「わたしが、彼を迎えに行きます」
並々ならぬ決意を秘めた目で、リリアナは言う。
「わたし以上に、聖大樹連合の遣いに相応しい者はいません!」
――そういう主張だった。魔王子ジルバギアスを最もよく知り、最も彼の信頼を得られる森エルフは、自分を差し置いて他にいない、と。
……まあ一理ある。そして確かにエステルも、可能であれば、ジルバギアスと直接話してみたいとは思っていたが。
ただ、それが本当に『可能になる』とは、夢にも思わなかったのだ……。
だって、いくら末子でも、魔王子が戦争以外で同盟圏に来ることなんて、あるわけなかったし……。
「はぁ……」
エステルは額を押さえて、深々と溜息をついた。
「……わかった。徒労に終わる覚悟があるならば、行きなさい」
「! ありがとう、母さま!!」
すんなり許可が下りるとは思っていなかったのか、頬を紅潮させたリリアナが、耳をピンと立てながら礼を言う。
――正直なところ、様々な機密を抱えたリリアナを、こんな形で野に放つのは愚の骨頂だ。
だが実際問題として、リリアナを閉じ込めておくのは難しい。エステルの子の中でも、エステルの力とハイエルフの血を最も色濃く受け継いでいるリリアナは、若いながらに指折りの実力者で、現在里にいる森エルフの中で五指に入る使い手と言っても過言ではない。
そんな彼女を幽閉し、いつしか我慢の限界を迎え、暴発しようものなら……きっと目も当てられないことになる。
だったら、ある程度制御可能な状態で、本人の好きにさせた方がいい。
「ふたりとも、リリアナを頼んだわよ」
「はっ、はい!」
「命にかけても、姫様をお守り致しますぞ!」
真剣なエステルの目を向けられ、ひとりは緊張気味に、もうひとりは決死の覚悟を滲ませてうなずく。
リリアナの本来の重要度を考えれば、弓兵一個大隊ほどの護衛をつけてもいいほどだったが、今は人化の魔法で普通の森エルフ『リリィ』に偽装している。お供を大人数つけるわけにはいかなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、リリアナの幼馴染の森エルフ導師・ヘレーナと、
ヘレーナもまたハイエルフの血を色濃く受け継いでおり、若いながらに導師にまで上り詰めた実力者だ。魔法はもちろん、弓の腕も問題なし。帰還後のリリアナのお目付け役でもあったが、魔王子ジルバギアスの正体などの、最重要機密については知らされていなかった。
しかし、数々のリリアナの『異常行動』を目撃してしまったことと、護衛役として任を受けたことで、命を賭けた誓約を前提に機密情報も開示。概ね全ての事情を把握するに至った。
「知りたくなかった……」
情報をバラしたら心臓が止まる誓約を負った上、死後、魔王軍の死霊術師に尋問を受ける可能性さえ示唆されて、ヘレーナは頭を抱えていた。
それでも、リリアナの護衛としてついていこうとするあたり、真面目で友情に厚い娘だった。
もうひとり、オーダジュはエステルに並ぶ古参者であり、リリアナからも『爺や』と慕われている世話役のひとりだ。
その顔の広さと経験の豊富さから、聖大樹連合議員として長らく活躍していたが、リリアナの護衛の任を買って出て議員を引退。もはや異国の地に骨を埋める覚悟で、彼女に同行することになった。
パッと見は、森エルフとは思えないほど枯れてしわくちゃな老エルフであり、果たして護衛の任を全うできるのか――人族なら、見た目で心配になるかもしれないが。
森エルフは年を経るごとに魔力が練られていくため、老化による身体能力の低下を魔力による強化が上回り、若いエルフに比べて遜色ないどころか、むしろパワフルに動き回れる。当然、オーダジュも『導師』の称号を持ち、光・水・風の三属性を自在に操る極めて強力な魔法使いだ。
寿命がいつ来るかわからないという一点を除いて、リリアナを任せるのにこれ以上頼もしい人材もいない。
「件の魔王子……いや勇者殿には、姫様が実に……
フフフフフ……と不穏な笑みを浮かべるオーダジュ。
何はともあれ、モチベーションが高いのはいいことだ。
「リリアナ。ひとつだけ約束してちょうだい」
花弁の玉座に座り直しながら、エステルは改まって口を開く。
「はい、母さま」
リリアナも、スッと背筋を伸ばした。
「ヘレーナとオーダジュのふたりが、帰還を提案したなら従うこと。……それだけは守ると誓いなさい」
「【わかりました。ヘレーナとオーダジュのふたりが帰還を提案したならば、わたしはそれに従います】」
「……よかった。これは、あなたを守るためでもあるのよ。今さら言うまでもないでしょうけど」
「……はい。わがままを言ってごめんなさい」
しゅんとするリリアナ。勝手に魔王城強襲作戦に参加して、長らく母たちを心配させていたことを思い出したのだ。
だが、それでも。
アレクにまた会えるかもしれない――そう思ったら。
もう、いても立ってもいられなかったのだ。
「絶対に無茶はしない、約束するわ。わたし、もう一度彼に会いたい。そしてお礼を言いたいの。周りは敵だらけの中、綱渡りしながらわたしを救ってくれたのに……お別れの時間もなくて、何も恩返しできてないから」
せめて。
「……同盟圏に追放されている間くらい、ゆっくりしてほしいの……」
胸の前で手を組んで、目を潤ませるリリアナ。
……この『病』は治せそうにない。エステルは溜息をついて、ふんわりとした花弁の玉座にもたれかかった。
「わかったわ。行ってきなさい。勇者アレクサンドルくんに会える日を楽しみに待っているわ」
「はい! 行ってきます!」
ぺこりと頭を下げてから、ヘレーナ・オーダジュと連れ立って、玉座の間をあとにするリリアナ。
「リリアナ!」
どんどん遠ざかっていく背中に、エステルは思わず声をかける。
「――気をつけてね」
自分でもびっくりするくらい、か細い声が出た。そんなエステルを励ますように微笑んだリリアナは――
「わん!」
元気に一声鳴いて、そのままピューッと走り去っていった。早駆けの魔法。慌てて追いかけるヘレーナにオーダジュ――
ダメだあれは、もう愛しのご主人のことしか考えてない。
エステルはペシッと額を叩き、もう一度溜息をついた。
――――――――――――――――
※もうちょっと続きます。
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