404.未来への意志
数週間後。
世間は、やれ戦乱だ汚職だ腐敗だ、魔王子だ夜エルフだドラゴンだと騒がしいが、ひとり部屋に閉じこもるジュリエッタには縁のない話だった。
ジュリエッタが生還して、両親は……一応、喜んだ。
何もふたりとも、ジュリエッタを嫌っているわけではないので、娘が生きて帰ってきて喜ぶのは当然だった。ただ、彼女を奉公に出す見返りに、資金援助を受ける話も立ち消えになってしまったので、落胆も大きかった。
……たぶん、落胆の方が大きかった。
そして『湖賊に囚われていた』という経歴は、決して胸を張って公言できるものではない。たとえ彼女が、ならず者たちに指一本触れられていなかったとしても、今後に大きく響いてくるのは間違いなかった。
せめて、まだ恋人が生きていれば、救いがあったのかもしれないが。
ロメオは死んだ。
文字通りボロボロになって帰ってきたジュリエッタ。家の者もみな、腫れ物に触るように接してくる。それがますます、彼女の気を滅入らせるのだった……
(……だるい)
カーテンを閉め切った部屋で、ベッドに寝転んで、枕に顔を埋める。
もう全てが嫌になってしまっていた。食欲もない、やる気もない、ただ漫然と、死んでいないだけ……そんな日々。
しかし全てが嫌になっても、悲観して自死を選ぶことはできなかった。自分の生き汚さを知ってしまったからだ。水面が遠ざかっていく中で感じた、焦燥、後悔、純然たる死への恐れ――それらが、かろうじて自暴自棄を押し留めていた。
こんな形で生にしがみついている自分が、ますます浅ましく思えて……
だからジュリエッタは独り、暗い部屋で沈み込む。
こんこん、と扉がノックされた。
「あの……お嬢様。聖教会からお手紙です」
恐る恐る、使用人が入ってきて、封筒を差し出す。
「手紙……?」
誰が? と疑問に思ったが、ベッドに臥せったまま「置いといて」とだけ言葉少なに告げるジュリエッタ。
遠慮がちにサイドテーブルに手紙を置いた使用人は、そそくさと逃げるようにして部屋を出ていった。いつものことだ……。
「…………」
しばらく、そのままにしていた。
本当に何もかもが億劫で――身体を起こすのにも、相当な気力が必要なのだ。何をするにもそうだった、近頃は……
全てがどうでもいいはずなのに、全てが恐ろしい。そんな感じがして。
「……誰、から?」
のろのろと手紙に手を伸ばす。……宛先には、『ジュリエッタへ』と、見慣れない達筆で書いてあった。
裏返すと。
「……ロメ、オ?」
――タチの悪いイタズラかと思った。ロメオはもっと下手くそな、ミミズのような字を書く。瞬間的に破り捨てかけた。名前のあとに、(代筆)の文字がなければそうしていただろう。
イタズラにしては奇妙な――律儀な申告、とでも言うべきか。とにかく、それのおかげで手紙はゴミ箱行きを免れた。興味が惹かれたのは間違いなく、自分の手の動きさえもどかしく感じながら、封を切る。
『ジュリエッタへ
この手紙が読まれているということは、君は助かったんだと思う。』
手紙は、そんな文章から始まっていた。ひょっとすると、ロメオが別れの前に自分に宛てて送った時間差メッセージなのでは、という推測は外れた。奉公先じゃなく、この街の住所に送っているのがおかしいし、そもそも『助かった』ということは……
『残念ながら僕は死んでしまった。けれど、死者の声を聞ける、とある魔法使いさんのご厚意で、僕の言葉を手紙に遺していただけることになった。』
――絶句した。まさか。そんな。
死者からの手紙……そんなことが、あり得るのか?
『本当は、伝えたいことも、書きたいこともたくさんあるんだけど、紙面が限られているから手短に。
ジュリエッタ、覚えてるかな。15歳の夏に、みんなに内緒で、ふたりで行った街外れの岬。夕焼けがとっても綺麗で、世界に僕たちふたりだけみたいで――初めてのキスをした。でも最初は鼻がぶつかっちゃって、次は歯が当たっちゃって、まともにできなくて、ふたりして噴き出しちゃったよね。』
手紙を持つ手が、震える。
自分たちしか知らないはずの、思い出が……親しい友達にも話していないふたりの笑い話が……
そこに……!
「……ロメオなの?」
本当に、彼だというのか……?
『あのとき僕は、君を必ず幸せにするって、ずっと一緒だって誓ったけど……守れなくてごめんね。
僕はこれから、僕たちを襲った湖賊と吸血鬼に逆襲するために、何より君を助けるために、魔法使いさんに協力する。そしてきっとそれが終わる頃には、僕はもうこの世界にはいない。君に直接、言葉を伝えることもできないし、事の顛末を見届けることもできない。それが、ただ残念でならないよ。』
協力? 彼がいったい何を……?
いや、待て……ジュリエッタが不思議な魔獣に水面に連れて行かれ、そのあと最後に聞いた彼の声は……!
「ロメオ……だったのね……!?」
やはり、幻聴などではなく……!!
『でも、こんな僕でも君を救う一助となれるなら、それに勝る幸運はない。こうして今、この手紙が君に読まれているということは……僕はもう大満足さ。思い残すこともないよ。
……いや、ひとつだけ、あるかな。
ジュリエッタ。お願いがあるんだ。
辛くて苦しい思いをいっぱいしているであろう君に、こんなことを頼むのは気がひけるんだけど。それでも、言わせてくれ。
――僕の分まで長生きして、幸せになってほしい。』
…………。
その、あまりにも過酷な願いに、ジュリエッタは息を呑んだ。
まるで……まるで今の自分が、こうなることを予見していたかのような……
『僕のことは、ほとんど忘れちゃって構わない。君の人生に、僕の居場所はもうないんだ。……でも、完全に忘れられちゃったら、それはそれで悲しいな。
ジュリエッタ、数ヶ月に一度でいい、季節の変わり目とかでいいから。僕たちの、あの秘密の岬を訪れて、そのときに僕のことを思い出してくれないか。
それだけで、十分だから。
それだけで、僕はもう、嬉しいから……。』
何の変哲もない、白い紙に線を引いただけの便箋。
もう、手紙は最後の部分に差し掛かっている。短すぎる! 読み終わりたくない。ロメオの残滓が、今度こそ消えてしまう……!!
『いっときでも、君の恋人でいられて幸せだったよ。死んでも愛していた。今でも愛してる。これからも、ずっと、君のことを好きでいる。
だけど僕はもう、そっちにはいられないから。僕のことはほとんど忘れちゃって、君の人生を自由に生きて欲しい。そして僕の分まで、色んなものを見て、色んなものを聞いて、色んなものを味わって、……素敵な思い出を、たくさん作って。
そうして、君が素敵で上品なお婆さんになったあと――またいつか、僕たちが会う日が来たならば。
そのときに、君の思い出を、たくさん聞かせておくれ。本当に、できるだけ、たくさんの思い出を。僕が味わえなかった、人生の喜びを。』
終わってしまう。
彼の言葉が……想いが。
終わってしまう……!!
『全部、僕のわがままだ。最期まで君を振り回しちゃって、ごめんよ。今回の船旅にも、僕が無理を言ってついてきちゃったし。だけどそのおかげで、こうして君を助けに行ける。
僕はそれを誇りに思う。
ただの町民にはもったいないくらい、素晴らしい人生だった。全部、君のおかげだよ。ありがとう。そしてさようなら、僕の愛しいひと。』
――まごころをこめて ロメオより
便箋の最後。
それまでずっと、達筆だったのに。
まるでそこだけロメオ本人が書いたかのように――ミミズみたいな、下手くそな。
見慣れた彼の、手書きの文字で――
「ぅ……ぁぁ……!!」
ジュリエッタは、ぼたぼたと涙を流しながら、手紙をひしと抱きしめる。彼のぬくもりが、まだそこに残っている気がしたから……。
何が――何が、わがままなものか。
確かに彼の願いは、呪いに似ていた。ジュリエッタに、全てを諦めて、ただ死なないように生きることを戒め、無理やり彼女を日なたへ引きずり出すような――呪い。
だけどそれが、本当に、自分のことを心から想っているがゆえの言葉なのだと伝わってきて。
生きる活力をもたらすならば――呪いではなく、祝福と呼ぶべきだろう。
「それに……『僕のことは忘れちゃって構わない』だなんて……!」
ジュリエッタは、泣き笑いの表情になる。
――ロメオは、どちらかというと嫉妬深いたちだった。ジュリエッタが他の男と話すだけでも、どこ吹く風といった表情を取り繕いながら実は不機嫌になっていたし、ジュリエッタが夜会で他の男とダンスをしたと聞けば、次の日にはピクニックに出かけて、花畑でジュリエッタを踊りに誘った。
だから今回の奉公の話も、それに伴うおそらく半永久的な別れも――
それはもう、ロメオの苦悩は恐ろしいほどだった。ジュリエッタの前では平静を保っていたが、裏ではかなり荒れていたと友人たちからも聞いた。
そんな彼が。
『僕のことは忘れちゃって構わない』とまで言って。
でも、それがあんまりにも悔しすぎるから、徹底はしきれなくて、数ヶ月に一度は自分のことを思い出して欲しい、だなんて……
そんなロメオが、愛おしくて、会いたくて……悲しくて。
ジュリエッタはひとしきり泣いてから、少しシワになってしまった手紙を、鼻をすすりながらベッドの上で伸ばす。
胸のうちに淀んでいたものを、少なからず、涙が洗い流してくれたが。
正直、未だに、立ち上がるのさえ億劫で、全てがしんどくてたまらない。
これから明るく楽しく生きていくだなんて、自分にはできる気がしない。
でも。
それでも。
「ロメオ」
手紙の、下手くそな彼のサインに、ちゅっと口づけてから、大事そうに手紙を畳むジュリエッタ。
「わたし……ちょっとだけ、頑張ってみるわ」
彼との思い出にひたるためにも。
せめて、あの岬まで――お散歩できるくらいには、ならないと。
深呼吸して、決死の思いで、ジュリエッタはベッドから起き上がった。
手紙を胸に、ふらふらと窓に近づいて――「えいっ」とカーテンを開く。
分厚いカーテンに遮られていた日光が、燦々と降り注いだ。
「……まぶし」
目を細めるジュリエッタ。
その目尻からこぼれた涙の残滓が、日差しの中で、きらりと輝いた。
――――――――――――――――
※吸血鬼湖賊編、これにて閉幕。
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