402.託された想い
「アレクーッ! 無事でよかったですーっ!」
ニードアルン号の甲板に上がると、泣きそうな顔でレイラが抱きついてきた。
「心配かけてごめん。でも俺、びしょ濡れだから、レイラまで濡れちゃうよ」
ぽんぽんと背中を叩いて離れるように促したが、レイラはがっしりと俺を抱きしめたまま動こうとしない。船員たちの生ぬるい視線よ……。
どうやら湖賊船が沈没して、先に脱出したアーサーたちに「アレックスは吸血鬼を追って船底に先行した」と聞き、気が気でなかったらしい。まあ、そりゃそうだ。俺も逆の立場だったらめちゃくちゃ心配したと思う。
ただ、人の身の俺と違って、レイラにはドラゴンパワーがある。人化を解除し潜って助けに行くか、かなり悩んだそうだ。あと30秒数えて俺が顔を出さなかったら、正体がバレるのを承知で突っ込むつもりだったとか……あぶね~。
「アレックス! よかった、無事だったか!!」
当然ながら、アーサーたちも俺の生還を喜んでいた。
「僕らだけ先に脱出しちゃったから……」
「助けに行けなくて申し訳なかった」
渋い顔のアーサーとレキサー司教。湖賊船を上層から掃討していき、眷属を虱潰しにしていったアーサーたちだが、船が傾き始めたときはちょうど船尾にいたらしく、そこにあった救命ボートで脱出することにしたそうだ。
俺を置いたまま逃げていいのかは意見が分かれたようだが、レキサー司教が速やかな撤退を決断。それからまもなく船体が真っ二つに折れたそうで、彼の判断は正しかったことになる。
「生存者はどうなりました?」
「合計で3名保護された。アレックスが救い出したふたりと、自力で脱出した女性がひとりだ」
その女性は『ジュリエッタ』と名乗ったとのこと。……ロメオの恋人だ。ベアトリスが言っていた通り、彼女は、命を救われたんだな……
「それで、吸血鬼はどうなった?」
レキサー司教が険しい顔で尋ねてきた。
「仕留めました。聖霊たちの攻撃で灰になりましたよ」
直接俺が確認したわけじゃねえけど、ベアトリスは信用できる。
「そう、か……。聖霊たちは?」
「……みんな、消え去りました」
俺の答えに、レキサー司教が胸に手を当てて、死者への祈りを捧げた。
「役目を、全うしたか……。それにしても、聖霊術というのはすごいな。それはどれくらい死者と距離が離れると、呼び出せなくなるのかね?」
「えっ。時と場合によるとしか……」
突然、レキサー司教が興味津々に尋ねてきたので、返答に困る。
「いやなに、もし私が死んだら、きみに聖霊化してもらいたいと思ってね。死後も吸血鬼どもと戦えるなんて素晴らしいじゃないか。たとえたった1回きりだとしても」
なあ? と同意を求めるレキサー司教に、他のヴァンパイアハンターたちも、うんうんとうなずいている。プロフェッショナル意識とモチベーションが高すぎる。いや気持ちはわかるけど、なんだかなぁ……。
「確かにアリだね……」
アーサーまで何やら前向きに検討しているようだった。やめてくれよ、死後の予約なんて気が滅入る……
『じゃが実際のところ、けっこう助かるじゃろ?』
うぬぬ……。
何はともあれ、まだ調べることや分析すべきことがあるという建前で、俺はレイラとともに船室に引っ込んだ。
途中で、ジュリエッタと思しき女性を見かけたが、甲板でシーツに包まって、お茶を飲みながら、はらはらと涙をこぼしていた。
湖面を見つめながら。また入水してしまうのではないかと、周囲の船員たちが心配そうにしている。
……俺にはかける言葉が見つからなかった。
俺の言葉なんて、彼女も求めてないだろうけど。いや、俺だけじゃなくて、周りにいる全員の。
彼女が求めているとすれば――それは――。
「…………」
いずれにせよ、今の俺にできるのは、黙して見守ることだけだった。
†††
『――正直、最初の頃は必死すぎてよく覚えてないんだけど、確実に3人は呪い殺してやったわ』
船室で、再び呼び出されたベアトリスは、ぽつぽつと語る。
彼女ら、湖賊への復讐を望んだ悪霊組は、俺が船に乗り込んだときにこっそり解き放ってあった。闇の魔力をたっぷりと吸い込んだ悪霊たちは、低位悪魔くらいの格にはなっている。その存在強度を遺憾なく発揮し、大暴れしたようだ。
悪霊というのは、憎しみのあまり魂が変質してしまった者たちのことを指す。
つまり、彼ら彼女らの憎悪は、魂が歪むほどに狂気じみたものなのだ。それを闇の魔力で呪詛に変換し、直に叩きつけたというのだから――何の魔法的な備えも、装備も、訓練もしてない湖賊なんて、ひとたまりもなかっただろう。
ベアトリスたちが強かったというより、人族の湖賊が脆弱だったって話だ。
『でも……私を特に酷い目に遭わせた、見覚えのある湖賊を呪い殺してやったら。なんだかもう、どうでもよくなってきちゃって』
嘆息したベアトリスが、遠い目をする。
『復讐って、虚しいものなのね……』
…………。
『だってどんなに憎い相手を殺しても、私を含めて死者が蘇るわけでもないし。もう何もかも取り返しがつかないわ……もちろん、何もできないまま死ぬよりは何百倍もマシだけど』
ベアトリスは俺に向き直り、優雅に一礼した。
『だからあなたには本当に感謝しています、勇者さん。私に、復讐の機会をくださってありがとう』
「いや……礼には及ばない。こちらも色々と教えてもらえて、助かったから」
『そう、ね。まあとにかく、それで殺る気が萎えちゃったから、船内を見て回ってたのよ』
――いわく、俺と聖霊たちが吸血鬼野郎をボコっていた頃、船内をぶらついて人質の有無を確かめていたそうだ。
船底に穴が空いて傾き始めたときには、湖底に逃げる吸血鬼とそれを追う聖霊たちを尻目に、ニードアルン号の下で待機していたロメオのところへ、『あなたの彼女が危ないわよ』と教えに行った。
ロメオには、もうほとんど自我は残されていないはずだったが、それでも『恋人の危機』と聞いて、飛ぶように泳いでいったのだとか。
それから聖霊たちのあとを追い、眩い発光を確認。
『近づきすぎたら私までやられそうだったから、遠目に見守っていたのだけど、正解だったようね』
光が消えてから確認すれば、残されていたのは吸血鬼の灰だけ。
仇は討ち、自分と同じ境遇の娘も助かるように誘導し、さらには仇の親玉の消滅も見届けた。いよいよやることがない、と思いながら浮上していると、潜ってきた俺に出くわした――ということだった。
『なんだか……夢でも、見ていたみたい』
窓際で、壁によりかかるようにして小椅子に座ったベアトリスは、段々と薄れていきながら、そう言った。
『このまま目を覚ましたら……また、いつもと同じ日が始まって、お茶会に出席したり、パーティーに出たり、新作のお菓子を食べたり……パパに新しいドレスをねだったりして……ああ、それとママに、秘伝のレシピも教えてもらわなきゃ……まだ全部おぼえてないの……嫁入り前には、マスターしておかなきゃいけないんだけど……私ったら、いっつも遊んでばかりだったから……』
最後の方は、声が震えていた。
『私、あんまり良い娘じゃなかったわ』
自嘲するように、無理に、明るく笑って。
『……お手紙、よろしくね』
ああ。
「必ず、届けるよ」
俺がうなずいて――まばたきすると、そこにはもう、誰もいなかった。
がらんどうの小椅子。
傍らのサイドテーブルには、紙束がまとめてある。――死者たちから聴き取って俺が代筆した、それぞれの家族や親しい人に宛てたメッセージ。
今後、アウリトス湖北岸を回りながら、可能な限り届けていくつもりだ。
もちろんその中には――
『ジュリエッタへ』
彼のメッセージも、残されている。
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