399.怒りの鉄槌
霧化したダニエルは、船底へ向かって猛烈な速度で移動していた。
背後からひりつくような殺意が追ってきているのを、振り向くまでもなくひしひしと感じ取る。
忌まわしきヴァンパイアハンターども……!
――あんな連中、相手にしていられるか!
ダニエルは半ば悲鳴じみて思う。特に先頭にいた壮年の双剣使いはヤバい、あの歳までヴァンパイアハンターをしているということは相当な猛者で、かつ尋常ならざる執念の持ち主であると考えられた。絶対ロクでもない手札や切り札を隠している。関わり合いになりたくない。
そして後方にいた金髪の優男もヤバい。人族とは思えないような魔力を感じたし、左目がぎらぎら銀色に輝いていた。銀色の光――闇の輩にとって、忌々しい聖属性の証。あいつもロクでもない能力の持ち主に違いなかった。同じく、関わり合いになりたくない。
「……しかし、ヒルダは可哀想なことになった」
ふと思い至る。
ヒルダはまだ50歳にもならない、経験の浅い小娘だった。ひと目で連中のヤバさを察した自分と違い、それがどれだけ致命的なことかもわからずに、ノコノコと姿を現してしまったらしい。
「なんだってひとりで戦おうとしていたんだ、彼女は?」
自分にいいところでも見せようとしたのだろうか? 今となってはヒルダの思惑を知るすべもないが――
「……まあいい、忘れよう」
ダニエルは、終わったことではくよくよしないタイプだった。気持ちを切り替えて今後の流れを考える。
このまま霧化して外へ逃げ出してもいいのだが、そろそろ夜明けだ。水中に潜むと移動力が劇的に低下してしまうし息苦しい。あんな殺る気に満ち溢れたヴァンパイアハンターどもがうろついている地域で、長期間潜伏なんて冗談じゃなかった。
「ただ逃げるだけではダメだ。同胞たちや後々のことも考えて、連中には可能な限り打撃を与えておく必要がある――」
そこで、ダニエルは船底を目指している。
なんのために? 捕らえている『食糧』を最後に賞味したいこともあるが。
――ダニエルは脱出しがてら、船底をブチ抜くつもりだった。
ヴァンパイアハンターたちが脱出しづらいように、なるべく船の奥底に引き付けてから、一気に竜骨を砕き沈没させる。ついでに水中へ逃れてから、連中が乗ってきた船の底にも穴を開けてやるとしよう。
水底に引きずり込んでしまえば、あとはこっちのものだ。息苦しいだけでは死にはしない自分と違って、勇者どもは溺れるし、水中では詠唱もできない……!
「……む」
途中、船室に人の気配を感じ取ったダニエルは、ドアの隙間から潜入。
「ひぃぃ……お母ちゃん……!」
中では若い、まだ少年と言っていい年頃の湖賊が頭を抱えて泣きじゃくっていた。戦いに怯えて隠れていたようだ。
実体化するダニエル。トッという靴音に顔を上げた少年湖賊は、眼前に忽然と姿を現した無表情の吸血貴族にギョッとするも――
血の刃が速やかに、突き刺さる。
「あっぐ、がっ、んぎぎ……!」
「【お前は自分が眷属化されていないと思い込む。お前はこの扉を開けることができない。扉を叩いて助けを呼べ。そして何者かが開け次第、そいつを殺せ】」
「ワカリ……マシタ……」
再びサッと霧化して部屋を出ていくダニエル。その背後で、ダンダンと扉が叩かれ始め、「誰かー! 助けてください! 閉じ込められてるんです!」と少年湖賊の悲痛な叫び声が響く。
「よしよし」
この調子で時間稼ぎしつつ、ヴァンパイアハンターたちの注意も引こう。捕虜がいる可能性に思い至れば撤退しづらくなるし、あの囮が連中に手傷を負わせられれば、さらによし。
途中、降伏する算段をつけようとする不埒者や、救命ボートで逃げようとする臆病者なども見つけたので、適当に眷属化して暴走させたり、部屋に閉じ込めて捕虜に見せかけた罠と化しておいた。
「まあ、本当の捕虜は――」
全員、船底の倉庫に閉じ込めてあるのだが。
――頭上から耳障りな悲鳴やけたたましい魔法の音が聞こえてきた。仕込んだ罠が効果を発揮し始めたらしい。
ヴァンパイアハンターたちの嫌そうな顔が目に浮かぶ。ダニエルはひとりほくそ笑んだ。囮が本当に一般人なら見捨てるわけにはいかないし、眷属化されているなら、それはそれで見過ごせない。狩る必要がある。
「まったく因果な職業だな」
ハッ、と鼻で笑いながら。船の最下層に降り立ち、実体化しつつぺろりと舌舐めずりするダニエル。さあて、先ほどはいいところで邪魔をされたが、船を沈める前に腹ごしらえしていくとするか――
メキッ。
直上、不穏な音。
弾かれたように見上げたダニエルが目にしたのは。
天井からにょっきりと生えだした――ロングソードの刃。
「【
――直撃を受けずに回避できたのは、ダニエルが実戦経験も豊富な上位吸血種だったからだ。霧化では間に合わないと踏んで飛び退り、マントを掲げて光を防御。
遮光加工した布越しでも感じられる、チリチリと焼け付くおぞましい熱――すぐにドガシャァッとやかましい音を立てて天井が崩壊し、ひとりの男が降ってきた。
ダンッ! と船底に着地。
「やっと追いついたなァ……!」
ぱらぱらと木くずを振り払いながら、立ち上がる青年。日焼けした肌、茶髪に茶色の瞳、整った顔立ちを除けばどこにでもいそうな人族。
だがその魔力はなかなかに強い。何よりその身にまとう銀色のオーラ。
ヴァンパイアハンター――いや、勇者か! ダニエルがそう判断したのは、青年の手にする聖剣が、ヴァンパイアハンターたちが好む取り回しのいい剣ではなく、ひたすらに頑丈さを追求したような、厳ついひと振りだったからだ。
明らかに、戦場で酷使することに重点を置いている――ヴァンパイアハンターに倣って軽装ではあるが、本業は戦働き。そんな『匂い』がした。
天井の穴から、次々にヴァンパイアハンターたちが降ってくるのではないかと警戒するダニエルだったが、意外や意外、後続はない。頭上ではなおも剣閃や魔法の音が響く。まさか――この勇者だけ単独先行してきたのか?
「ハッ! ひとりで突貫とは大した度胸だ」
ばさりとマントを翻しながら、ダニエルは笑う。
光の届かない船倉で、単身、夜の貴族に挑もうというのか。それなりに魔力が強くて腕にも自信があるのだろう――しかし良くも悪くも勇者らしい蛮勇と言えた。慎重なヴァンパイアハンターたちは、必要に迫られない限り決してそんな無茶はしない。ましてや自ら数の利を捨てるなど……!
ダニエルは、貴族らしく胸を張った優雅な立ち姿を見せながら、密かに腰の後ろに回した手で、勇者から見えないようクイクイと合図を送る。
実は背後の階段に、眷属を潜ませていた。階段を降りてきたヴァンパイアハンターどもを襲わせるつもりだったが、この勇者にけしかけて、相手が対処したところで隙をついてやるか――
「
勇者が――獰猛な笑みを浮かべた。
「俺は、ひとりじゃない」
ぞわっと背筋が粟立つような――不吉な魔力の波動。
「【マーティン】」
勇者が、名を呼んだ。
『はい』
ふわりと、どこからともなく、
勇者の背後に……!
「【リベルト】」
『はい!』
「【ウィリアム】」
『おう!』
「【クリフォード】【クリストフ】【ヨハン】」
『ああ!』『うっす!』『あいさァ!』
「【サミュエル】【ファーガス】【ブルーノ】【ウォーレン】【ジャクソン】――」
次々に、途切れることなく。
銀色の人影が、現れる。
忌々しい、銀色の、聖属性の輝きをまとった半透明の人々が……!
「なん……だ。それは……!?」
経験豊富なダニエルをして、皆目見当がつかなかった。無意識のうちにじりじりと後ずさる。
なぜ、アンデッドでありながら、銀色の光に焼かれない!?
いったいなんなのだ!! これは!!!
「みんな、
手を広げて、周囲を見回す勇者。
銀色の人影は――それぞれに、凶悪極まりない憤怒の表情を浮かべ、存在しない指の関節をポキポキ鳴らしたり、肩をぐるぐる回したりしている――
「――『何』なのか、その身に教え込んでやろうじゃねえか! 野郎どもォ!!」
聖剣で、バッとこちらを指し示す勇者。
「やっちまえッッ!」
『『『うおおおおお――ッッ!!!』』』
雄叫び。いや、怒号。
銀色の影が、雪崩を打って殺到する。
「うっ、うわああぁぁ!!」
貴族らしからぬ情けない悲鳴を上げたダニエルは、血の刃を放って迎撃するも。
霊たちの圧倒的な数と勢いは、多少のことでは止まらない。
いや。
止まるはずがない――!
『この野郎ォ!』
『ブッ殺してやる!!』
『血反吐ぶちまけろゴラァ!!』
殺到、殺到、殺到!
屈強な船乗りたちの銀色の拳が叩き込まれ、ダニエルの肌がジュワアァァッ! と灼けた鉄を押し当てられたかのような煙を吹き上げる!!
「ぐっ――ギヤアアアァァァアアァアッッッ!!!」
魂を焼く激痛。
人類の敵を討つ呪詛。
ダニエルはもはや恥も外聞もなく、ただただ絶叫を振り絞った。
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