398.鎧袖一触


 ズドォォンッ! とすさまじい落雷のような轟音。


「きゃっ! なに!?」


 船の中心部の私室、豪華な天蓋付きの寝台でスヤッスヤに眠り込んでいたヒルダ=シュシュリーは叩き起こされた。


「なに……今の何!? ダニエルー!?」


 一度眠り込んだら滅多なことでは目を覚まさないタイプのヒルダだったが、流石に今の音はデカすぎた。寝ぼけ眼でわちゃわちゃと周囲を見回すも、愛しのダニエルの姿はなく、ベッドの隣はもぬけの殻。


「……襲撃!? 襲われてますの!? 私たちが!?」


 しばし耳を澄まし、戦いの音に気づいたヒルダは、シーツを掴んでびっくり仰天。


 さらには、湖賊どもの「勇者だー!」「やべえぞ、敵わねえ!」「ヒイィッ命だけはお助けをー!」などという悲鳴も聞こえてくる。


「勇者……まさかヴァンパイアハンターたちが!?」


 吸血鬼らしく血色の悪い顔から、さらに血の気を引かせるヒルダだったが、すぐに「いや落ち着くのよヒルダ、よく考えて……」と冷静さを取り戻す。


 かつて夜王国(吸血鬼たちの国)が栄華を誇っていた時代から、聖教会と吸血鬼の熾烈な戦いは続いている。夜王国時代のヴァンパイアハンターの恐ろしさは、現代の魔王国の吸血鬼たちの間でも語り草だ。


 ヴァンパイアハンターの何が厄介かというと、その執念。どこまでも諦めずに生涯を賭して追い続け、吸血鬼を狩るためなら何でもする狂人、とされている。


 他の人族を囮にして吸血鬼をおびき寄せただとか、噛まれた瞬間に全力で聖魔法を使い吸血鬼を巻き添えにして自爆しただとか、弱そうだから殺してしまえと襲いかかったら蛸壺を掘った数十人が隠れ潜んでいただとか、聖属性をエンチャントした矢をつがえた森エルフ弓兵が数人がかりで狙撃してきただとか。どんな罠を張って待ち構えているかわからない連中だ、そのヤバいエピソードは枚挙にいとまがない。


 純粋な魔王国育ちのヒルダも、ヴァンパイアハンターの面倒さ・厄介さについては嫌というほど親族から聞かされてきた。ヴァンパイアハンターに目をつけられたときの対処法は、「相手にするな」「さっさと遠くへ逃げろ」。聖属性で傷をつけられたら痛い上になかなか治らない、相手にするだけ時間と労力の無駄、というわけだ。


 その原則に従い、「逃げなければ!」と即座に思ったヒルダだが、「いやお待ちなさいヒルダ、これはおかしいわ……」と窓から暗い外の景色を見て気づく。



 ――ヴァンパイアハンターなら、この時間帯に仕掛けてくるはずがない。



 突然の遭遇戦ならともかく、向こうが船を襲撃してきているのだ。吸血鬼が得意とする夜に、しかもその気になれば霧化して簡単に逃げ出せる水上という状況で、ヴァンパイアハンターが襲いかかってくるとは考えにくい。


 しかもこちらは完全に油断していたというのに。吸血鬼が乗っているとわかっていたなら、わざわざ乗り込んでこなくても、船ごと焼き払いそうなものだ。少なくともヒルダがヴァンパイアハンターならそうする。夜王国時代の数々のエピソードから、ヴァンパイアハンターとはそういうものだと学んでいた。


 なのに、そうなっていないということは――


「これは、普通の勇者ね!!」


 そうに違いない。ヒルダはひとり納得して、うんうんとうなずいた。用意周到で冷酷無比なヴァンパイアハンターが、好き好んで夜に殴り込んでくる合理的な理由が見いだせない。


 むしろ聖教会のパトロール船なり何なりが、不審船を臨検しようとした結果、湖賊だとバレて偶発的な戦闘になった、と考えるべきだろう。


「どうしたものかしら」


 唇を指で撫でながら、ぽすんと寝転がるヒルダ。


 ヴァンパイアハンターに比べると、普通の勇者はそれほどでもないらしい。聖属性のヤバさは相変わらずだが、鎧を着込んでいるせいで動きが鈍く、血の魔法を当てやすいと友人知人から聞いた。


 もちろん大人数の兵士を従えていたり、神官や森エルフの援護を受けていたら厄介らしいが、それは戦場での話だ。闇に紛れ、雑兵を囮にして不意を打てば比較的楽に討ち取れる、と――前線に出向いたことがある友人は語っていた。


 ちなみにヒルダには、同格以上の相手との実戦経験はない。何度か戦場に出ようとしたが、枠が空いていなかったのだ。それで爵位上げもままならず、フラストレーションが溜まっていたところダニエルと出会い意気投合。そのまま魔王国を出て同盟圏を彷徨うようになった――という経緯がある。


「うーん……」


 船が見つかってしまった以上、このままというわけにはいかないが、何もせずに逃げ出すというのも――なんだか情けないように思えた。


「!! もしかしてダニエルは、もう戦っているんじゃないかしら!?」


 不意にその可能性に思い至り、再び飛び起きるヒルダ。


 きっとそうだ! 眠りこけているヒルダをわざわざ起こすのも忍びないと思って、ひとりで迎撃に向かったに違いない!


「こうしちゃいられないわ!」


 ドレスに着替える暇はなかったので、せめて下着だけは身につけて、霧化し部屋を飛び出すヒルダ。


「ヒィィ! どうすんだよ!」

「どうもこうもねえだろ! 逃げるんだよォ!」


 と、廊下を移動してすぐに、こちらに向かってドタドタと駆けてくる湖賊ども数名と遭遇した。


 太っちょの下卑た顔の湖賊を先頭に、痩せぎすの男と、若いのが何人か。ヒルダは霧化したまま「うえっ」という顔をした。手下にしておいてなんだが(思いつき実行したのはダニエルだ)、こういう下賤な連中がマジでムリなのだ。


「これはむしろチャンスだァ! バケモンにされた監視役の航海長も甲板長も、勇者にやられた! 今ならこの船から逃げ出せる!」

「けどよ、逃げるっつったって、どうやって!?」


 獰猛な笑みを浮かべる太っちょ湖賊に、痩せ湖賊が不安そうに尋ねる。


「船尾に緊急用のボートがあるだろ! アレを使うんだよ!」

「そういやそうだった! お前、頭いいなー!!」

「オメーがバカなんだよ!!」


 ――当然、そんな会話を聞かされたヒルダは気分がよろしくない。


 なんという連中だ! 湖賊の分際で生かして使ってやったというのに、戦いを放棄して真っ先に逃げ出すとは……


「どこへ行こうというのかしら?」


 そいつらの前に立ちふさがるように実体化し、胸の前で腕を組むヒルダ。


 痩せの湖賊をはじめに若い連中がギョッとし、太っちょ湖賊も目を見開くが、すぐに「おほっ」とだらしなく鼻の下を伸ばす。


「…………」


 そこでヒルダは、自分が下着姿であったことを思い出す。


「っ! 見るんじゃないっ!!」


 マジでムリな奴にマジでムリな目で見られ、鳥肌立ちながら霧化して近くの船室に隠れるヒルダ。ギィッと扉を開け、ひょっこりと顔だけ出して湖賊どもを睨む。


「逃げるなんて許さないわよ」

「そんな逃げるだなんてとんでもねえ! 武器を取りに行ってただけですぜ!」


 などと、太っちょ湖賊はいけしゃあしゃあと抜かす。


「嘘おっしゃい、船尾のボートで逃げるつもりだそうじゃない」


 スッとヒルダが目を細めると、そこまで聞かれているとは思っていなかったらしい太っちょ湖賊が、顔をひきつらせる。


「……おっ、お許しください! でも勇者どもがマジでやばいんです! おれたちみたいな雑魚が何人いても役立たずで、お邪魔になるだけです……っ! どうかお許しください……!」


 その場でひざまずいて許しを乞う太っちょ湖賊だが、目障りなだけだった。


「役立たず? そんなことはないわ」


 ビッ、と自らの手首を爪で切り裂き、血を流しながらヒルダは言う。



 サッと手を振り、湖賊どもが反応する暇さえ与えず、血の刃をドスドスドスと突き刺す。



 血を介して、力を注ぎ込む。



「あがっっががが……!」

「ぐぎぎ……!!」

「こぉぉ……ッ!」


 血管を浮き上がらせ、白目を剥いてガクガクと痙攣する湖賊ども。


 やがて――その目が、真っ赤に染まっていく。


「【さあ、お行きなさい。勇者どもを殺し尽くすのよ】」

「「ヨロコンデー!!」」


 目を血走らせ、よだれを垂らしながら、湖賊どもが来た道を逆に走り出す。眷属化されたのだ。しかもかなり低レベルに。知能も退行しており、言葉が通じる獣と大差ない状態だ。ゴブリンよりはマシくらいか。


 眷属化は、吸血鬼が己の血を分けることで成立する。主は眷属に対して呪術的優位を持ち、行動や思考をある程度強制することが可能だ。どのくらい血を分けるか、そして分ける側の吸血鬼の強さにより、眷属のランクも決まる。


 ただ、血を分ける性質上、眷属を生み出せば吸血鬼も弱体化してしまう。手下として使い物になるようにするには、それなりに血を分ける必要があり、しかも眷属の力が強まると命令に対する抵抗力も上がってしまう。


 さらに言えば、どんな低ランクの眷属でも吸血鬼であることに違いはないので、陽の光を浴びると灰になる。湖賊船を昼間も動かすためには生身の船員も必須なので、際限なく眷属化するわけにはいかなかったわけだ。


 それでも使い捨ての兵士としてならば、これ以上便利な存在もない。


「ふん、お似合いの末路ね」


 鼻で笑いながら、霧化して眷属どもの後を追うヒルダ。


 ガァンッ、ドォンッと戦闘の音が近づいてくる。やけにうるさいわね……大人数なのかしら……と少し不安を抱くヒルダだったが――



 階段を登って。



 甲板の下の階に出て。



「イタゾ! 勇者ダ!」

「ヤッチマエー!」

「ブッ殺スゾコラー!」


 弯刀を抜いて襲いかかる眷属ども――


「【神鳴フールメン!】」


 バチィッと目を眩ませる閃光、眷属どもが「グギャアア!」とおぞましい絶叫を振り絞る。


「眷属かァ!!」

「とっとと灰になれ!!」

「今すぐ解放してやっぞオラァ!!」


 ギラギラ銀色に輝く剣を振りかざし、軽装の男たちが一瞬にして眷属を切り刻み、灰に還してしまう。


「なっ……!!」


 天井近くの闇に潜んでいたヒルダは、絶句した。囮どころか時間を稼ぐことさえできなかった!


 一瞬で、散った!!


 なんという容赦のなさ……!


(容赦の、なさ?)


 嫌な予感に襲われた。あまりに迷いがなく、徹底した動きの勇者たち。しかし彼らは鎧に身を包まず、聖剣の他には盾じゃなく妙な武器をそれぞれ持っていて――


 背筋に怖気が走るほどの、殺意をみなぎらせている。


(こっ、こいつら……!!)


 まさかヴァンパイアハンター!? どうして!?


(で、でもひと当てして様子見できたのは幸いだったわ! 眷属ども、カスにしては役に立ったわね! あなたたちの犠牲は無駄にしないわよ!)


 闇に紛れて、速やかに霧化したまま離脱しようとするヒルダだったが――



 勇者のうち、ひとりが。



 左目を銀色に輝かせる美青年が。



 スッ――とこちらを指さした。





 ギロッ、と勇者たちの血走った眼差しが、一斉に。



 まずい――!!



「【神鳴フールメン!】」

「【光あれフラス!】」

「【戒めの鎖アリシダ・エンドロン!】」


 聖魔法が、雪崩のように叩きつけられた。


 雷に打たれ光に焼かれ、霧化したままでは消滅しそうで堪らず実体化したところを銀色に灼けた鎖で拘束される。


「いっ――ギヤアアアァァァァァアアアッッ!!」


 経験したことのない壮絶な、身も心も焼き尽くされるような激痛に、魂の叫びが口から絞り出される。さらに追い打ちで、ダンッズダンッと妙な機械仕掛けの弓から放たれた矢と、投擲された杭が突き刺さり、ヒルダを壁に縫い留める。


「貴様ッ――『純正』だなァァァ!?」


 赤黒いロングコートをまとった男が、爛々と目を輝かせ、迫りくる。


(痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! やだやだやだっ助けて!!!)


 救いを求め、ぎょろぎょろと瞳を動かし周囲を見回すヒルダ。


「ダニエル!? どこなのぉ!?」


 どこにいった!? 愛しの彼は!? 先に戦っていたのではないのか!?


 まさか――


(先に、逃げ――!?)


 そう思った矢先。


「ヒルダァ!」


 階下より、愛しの彼の声。


 見れば、階段の先にダニエルがいるではないか!


「ダニエルゥ――ッ!」


 少しでも疑った自分は愚かだった。彼は逃げてなんていない、誇り高き夜の貴族・チースイナ家の嫡男――!


「たすけて……ッ!」


 思わず手を伸ばすヒルダだったが――


 必死の顔でこちらに駆けつけようとしていたダニエルは、その先にわんさか詰め寄せた殺意全開で銀色に光り輝く男たちの姿に、スンッと真顔になった。


「…………」


 ふわっ、と霧化するダニエル。


 そのまま奥の暗がりに消えていく。


「えっ」


 なんで……と愕然とするヒルダ。



 幸い、それ以上、絶望する暇は与えられなかった。



 ズシャッと双剣の片割れがヒルダの首を刎ね飛ばす。


 続いて残る片方が胴体の心臓を貫いた。


 ザラァッ……と灰と化す、かつてヒルダだったもの。


「もう一匹いたな」

「殺るぞ!」

「人質はどこだ!?」



 吸血鬼を討ち取っても、歓声のひとつすら上げずに。



 油断なく隊列を組んだ勇者たちは、さらに船の底へと進撃していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る