394.最善と善処
航行中の船から、突如として消え失せる二人組? どんな怪談だ。
しかもレイラが竜の姿で飛び立つとなれば、いくら隠蔽の魔法を使おうと、見張りのレキサー司教たちや、ひょっとすると休憩中のアーサーにも近すぎて羽音やら風圧やらでバレる。
『今さら一般人の女ひとりのために、そんなリスクを犯せるはずがなかろう』
アンテがフンと鼻を鳴らした。
『もっとも、口封じのためにこの船の乗員乗客を全滅させていく、というなら話は別じゃが? 戦場で数百の兵士を討ち取ったことを思えば、その程度、どうということはあるまい』
皮肉げなアンテの言葉は、逆説的だった。そこまでして、見ず知らずの女を助けに行くか? ……本末転倒だ。
いや、わかってるさ。リスクに見合わないってことは。
ただ……反射的に思っちゃったんだ。俺がロメオの立場なら、って……。
もし同じ状況に、レイラが置かれたら……きっと俺は、居ても立っても居られないだろうから。
『そんなの、吸血鬼も湖賊も、一瞬でブレスに焼かれて壊滅じゃろ』
いやレイラがドラゴンであることは前提にしてねえよ。たとえだよたとえ。
『冗談じゃ。しかし真面目な話、お主とレイラがすべてをかなぐり捨ててまで、現場に急行する価値があるとは思えん』
アンテは相変わらず冷めた口調で続けた。
『仮に今すぐ飛んで行って、首尾よく湖賊船を見つけたとしよう。これが吸血鬼どもの殲滅なら話は早かったんじゃが、目的は囚われた女の救出じゃろ? まさか船ごとレイラのブレスで焼き払うわけにはいくまい、どうするつもりじゃ』
……俺だけが乗り込んだ場合、湖賊どもが女を人質に取ったとしても、害が及ぶ前に制圧することはできるかもしれない。
だが、おそらくその隙に――吸血鬼どもは逃げ出す。
『そうじゃ。吸血鬼狩りも振り出しに戻る。それこそ本末転倒じゃろ。しかもレイラの正体は露見し、お主の立ち位置さえ危うくなる。同盟圏だけでなく、魔王国においてもじゃ』
…………。
『お主の真の目的は、魔王国とダークポータルの破壊。無数の禁忌を犯してもなお、たったひとりに、未だここまで感情移入できるというのは、
……わかってるさ。しかもマーティンやリベルト、ベアトリスといった協力者たちにさえ、俺とレイラの正体は知らせていない。
彼らは、俺たちの全力を知らない。
だから俺は、ここでうなずいて、こう言えばいいだけなんだ。
「……わかった。最善を尽くそう。あなたの恋人を助けられるように」
俺はしゃがみ込み、ロメオの肩に手を置くような仕草をしながら、精一杯に真摯な態度で告げた。
『あ……ありがとう! どうか、どうか……お願いします……!!』
咽び泣くロメオは半透明の霊体。距離感に気をつけないと、俺の手は彼の肩をすり抜けてしまう――おそらくそうなっても、彼は何も感じないだろうが。
「あの……」
と、傍らで沈痛な表情をしていたレイラが、俺の手を取って首元の【キズーナ】へと導いた。
『ごめんなさい、アレク、わたし――水中からは飛び立てません』
え?
『泳ぎながらだと離陸できないんです。地に足をつけて踏ん張らないと、身体が浮かなくって……甲板からなら飛び立てるかもしれませんが、それだとこっそり船を離れられません、ごめんなさい……』
言葉以外にも、色々とレイラの感情が流れ込んできて、察した。
彼女もまた、最速で現場へ急行することを考えていたのだ。
「レイラ……」
俺も、そうしたいのは山々だったけど……。
――アンテと話し合って出した結論を思い浮かべて伝えると、『そう、ですか』とレイラも肩の力を抜いて、ちょっとホッとした様子を見せた。
だけど、それと同じくらい、申し訳無さそうだった。
その気になればできるけど、しない。それもまた『自由』か? だなんて、俺の中の皮肉な部分が思い浮かべそうになったのを、即座に打ち消した。
……にしても、ドラゴンは泳ぎながらだと飛べないんだ。知らなかったな。
『その、ものすごく水中で勢いをつけてから水面に飛び出せば、いけるかもしれません。でも水の抵抗が大きくて難しいのと、それくらい勢いをつけちゃうと、アレクや荷物を振り落とすことになると思います』
あ、ああ……なるほど……。
『あと、海と違って真水なので、水面に飛び出すにも浮力が足りないかも……』
色々な要因が重なるんだな……。
『まあ、ちょうどよいではないか。無理なもんは無理なんじゃから』
『すいません……』
自分を責めないでくれ、レイラ。
どのみち俺は諦めるつもりだったし、仕方がないことだよ、これは……。
俺は最後に思念でそう伝えて、ちょっとだけ微笑んでから、【キズーナ】から手を離した。
「船長や航海士に聞いてみよう、少しでも船足を速く出来ないか、って」
『ありがとうございます、お願いしますッ!』
とりあえずロメオを含め、霊魂たちには非活性状態になって荷物の中の兵士たちの遺骨に宿ってもらう。年かさ兵士がいきなり大所帯になって、びっくりしてるかもしれない。
『それにしても、のう』
船長やアーサーに報告しに行くため、ドアに手をかけようとしたところで、アンテが笑った。
『お主が、恋人持ちにここまで深く感情移入するようになるとは。父を殺め、手籠にした娘を、ぐっちょんぐっちょんに貪り尽くす禁忌……犯した甲斐があったというものではないか?』
…………。
『存分に、気に病むとよい、アレク。その想いがお主に力を与える。間に合えばそれでよし、間に合わねば……ふむ、嘆き悲しむロメオと、恋人の霊の再会。なかなかに愉快なことになりそうではないか? フフフ……』
アンテ。
俺のことを思って、敢えて、そんなふうに憎まれ口を叩いてくれているのはわかってるんだ。
心の準備をさせたり、アンテにムカつかせて気を紛らわせたり。いつも助かってるし、救われてるよ。
だけど……人の生き死にを、嗤うのだけはやめてくれ。
死者の魂を弄ぶ俺が言えたことじゃないけど、だからこそ、頑張って生きる人々への、最低限の敬意だけは忘れないでくれ……
『……わかった』
……ありがとうな。
俺は防音の結界を解除しながら、扉を開ける。
ズドンッ、ゴロゴロッと雷が落ちるような音が耳朶を打ったのは、まさにその瞬間だった。
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