392.寝耳に水
ドラゴンに臭いなんてあんの!?
いや、そりゃあるか……だって生き物だもの……。
ルージャッカ、凄まじい嗅覚の持ち主だ。ニードアルン号にも獣人の乗組員はいるけど、これまで怪しまれたことなんてなかったぞ。猫系獣人や魔獣の臭いは、普通の獣人たちも敏感に察知するみたいだが、ドラゴンってのはちょっと聞いたことがないな……っていうか、嗅いだことあるんだ……
思わず感心して、まじまじとルージャッカを見つめてしまったが、本人には見えていないのが幸いだった。
『で、どうするんじゃ。随分と落ち着いておるようじゃが』
まあ、な。幸い誤魔化す手段はある。
「ドラゴンの臭いというのは――」
俺は胸元、服の下に手を突っ込んだ。
「――これのことかな?」
スチャッ、と取り出したのは、きらきら輝く白銀色の鱗。
「それは……?」
「ホワイトドラゴンの鱗だよ」
陽の光に白銀の鱗をかざして、俺は寂しげに目を細めた。
「これは、俺の恋人の……お父君のお守りさ。形見なんだ……」
フッ……とキメ顔で言う。「ああ~……」と何かを察したような顔をする面々。
何ひとつとして嘘は言ってねえ……! 何ひとつとしてな……!!
より正確には、『恋人の父親のお守り(形見)』じゃなく『恋人の父親の形見(お守り)』だが――尋常の思考力を持つ奴なら、『恋人の父親がお守りとして所有していたホワイトドラゴンの鱗』と解釈するはずだ。
「その……形見なのはわかったが、鱗そのものは、ちゃんと
レキサーが慎重な態度で問うてくる。正規の手段とは。
いや、ホワイトドラゴンから剥ぎ取ったようなシロモノだったら、色々とヤベーって話だろうな。わかるぜ。
『的を射た懸念というか、実際お主がブチ殺して剥ぎ取ったもんじゃしなコレ』
死後許可を取ったからセーフ!
……いや、よくよく考えたら、本竜からは許可取ってないかも。
でも娘の許可があるのでセーフッ!!
「この鱗は、かの魔王城強襲作戦に参加した白竜が、協力の証に譲ってくれたものなんだ……」
俺は神妙な顔で語る。
「ただ、その白竜は帰ってこず、俺の恋人のお父君も亡くなっているから、これ以上詳しい話を本人たちから聞くことはできない……」
白竜(恋人のお父君)の霊魂ももう消滅しちゃったし……。
「そうか……」
みんなもしんみりしていた。
『んふっ……』
笑うなよ、つられるだろうが。
「君の恋人のためにも、忌々しい吸血鬼どもを早く片付けてしまわねばな」
フッ、とレキサーがニヒルな笑みを浮かべて言ったので、俺とアーサーは顔を見合わせる。
「あ、恋人は同行するんで大丈夫です」
「んん?」
ピクッと片眉を上げるレキサー。軟派な野郎とでも思われたかな。
「彼女は光属性の魔法使いなので、頼もしい味方ですよ」
「ふむ。そうか……」
「……さて、自己紹介はこのくらいにして、本題に入っていいかな」
パンッと手を叩き、アーサーが仕切り直した。
「まだ合流できていない組もあるのが残念だけど、今日の昼下がりには出港しようと思う。吸血鬼どもが潜んでいる水域がある程度絞り込めたので、予定していた寄港地もすっ飛ばして現場に急行したい」
アーサーの宣言に、ヴァンパイアハンターたちがどよめいた。
「絞り込むって、いったいどうやったんすかぁ?」
ルージャッカが素っ頓狂な声を上げる。
「全くだ、どんな手品を使った……!?」
目を見開いて前のめりになるのはレキサー。
「ぜひ教えてもらいたいわね、その手法を……!」
ずっとクールな態度を貫いていたイェセラも、長く尖った耳を痙攣させながら目をギラつかせている。
専門家たちの圧がすごい……!
アーサーがチラッとこちらを見やった。「いいのかい?」と念押しするように。
俺はうなずいて、一歩前に出る。
「――マーティン」
俺の呼びかけに応えて、ポケットの遺髪からふわりと銀色の霊体が飛び出した。
『初めまして、マーティンと申します。どうぞよしなに』
商人のように慇懃に一礼する霊体に、一同、絶句している。
――【聖霊術】は、ヴァンパイアハンターたちにも開示することにした。
なぜか。まず、戦闘を前提にした情報共有で、俺の闇属性がバレるであろうこと。
次に、当該水域を絞り込んだ手法を隠し通すのは(ヴァンパイアハンターたちの熱意的に)難しそうであること。
最後に、吸血鬼どもをブチ殺す上で、聖霊の存在は隠しきれないこと。戦闘はもちろん、吸血鬼たちが水中に逃げ込んだ際の捜索・追撃にも協力してもらう予定だし、何より『吸血鬼への復讐』を俺は約束している。
聖霊たちはそのために、自らの魂を捧げたのだ。
であれば、必ず果たされなければならない。
彼らの犠牲に報いるためにも。
彼らの犠牲を、無駄にしないためにも――
『そして、そうであるからこそ、レイラのことまで明かすわけにはいかん……』
アンテが、どこか寒々しい声でつぶやいた。
……そうだ。闇属性、死霊術、ホワイトドラゴンのお供、この三拍子が不特定多数に知られるのは流石にマズい。
レイラの正体については死守する代わりに、聖霊術は解禁する。
それが俺の出した結論だ。
……バレちまったらどうするか、それについては、あんまり考えたくないな。そういう意味でさっきのルージャッカの問いかけにはヒヤッとさせられた。船に戻ったらレイラにも、予備の鱗を持たせておかないと。
「俺は勇者アレックス」
ヴァンパイアハンターたちの眼前で、どろりとした闇の魔力を手にまとってみせ、それを銀色に染め上げる。
「【聖霊術】と呼ばれる、秘術の使い手だ――」
†††
その後、必要最低限の情報を開示し、ヴァンパイアハンターたちを納得させてからニードアルン号は出航した。
ルージャッカの嗅覚が少し怖かったが、レイラに予備の鱗を持たせておいた甲斐あってか、彼は船に乗り込んでも何も言わなかった。人化したら、レイラの臭いは人族のそれになっているんだろうか? まさか尋ねるわけにもいかないしな。
その点ちょっと不安だったので、俺はレイラとわざとらしいくらいに仲睦まじくしておいた。臭いがついていてもおかしくないってくらいには。
ちなみに、出航までに間に合わなかったティーサンとレイター組は、そのまま置いてけぼりになった。
正直、ちょっと気の毒だよな。吸血鬼がいるかもしれないと聞きつけて、遠路はるばる期日を守って駆けつけたのに、「もうみんな出航しましたよ」とか言われたら、普通にキレそう。俺ならキレる。
……さて、都市国家ツードイはアウリトス湖の東岸に位置しており、ひるがえって吸血鬼どもが潜んでいると思しき水域は、都市国家アテタイやカェムラン近辺、つまり北岸に位置する。
通常の客船なら岸沿いに進んでいくところだが、今回は大胆に、湖の中心部を突っ切って直行する航路を取ることとなった。
「湖の深いところを横断することになるんで、ちぃとばかり恐ろしいルートではあるんですがなぁ」
ニードアルン号の船長、センドロスは少しばかり固い声で言っていた。
「まあ、この湖で最も恐ろしい『アウリトスの魔王』さえ、アーサー殿だけで耐えきれたのです。アレックス殿に加えてヴァンパイアハンターの皆様までいらっしゃるとなれば、仮に襲われても撃退できると信じてますよ」
……アーサーが抑えてくれるなら、火力的に、多分撃退はできると思う。レキサー司教とか雷属性持ちで、水棲魔獣にもかなり強いしな。
「今夜は新月か」
「真っ暗だね」
夜も更けて、ゆったりと帆を膨らませるニードアルン号の甲板で、俺とアーサーはデッキチェアに寝転がって見張りをしていた。
深夜になってもなお、ニードアルン号は航行を続けている。水深が深い部分を進むルートは、大魔獣が出現しやすくなる危険性はあるものの、代わりに座礁する恐れがないので夜も航行できるというメリットがある。
「交代しよう。君たちは休むといい」
と、レキサー司教ともうひとりの神官がやってきた。
「それじゃ遠慮なく……」
「よろしくお願いします」
俺たちは連れ立って、それぞれに割り当てられた船室に引っ込む。
「深夜だから、
暗い中で茶目っ気たっぷりにウィンクするアーサー。彼の船室は、通路を挟んで向かいだ。俺は苦笑してうなずいてから、レイラが待つ部屋に戻った。
「おかえりなさい」
ベッドに座り込んでいたレイラが、パッと微笑んだ。その向かいで、半透明のバルバラが『よっ』と手を上げる。どうやらふたりでボードゲームをして時間を潰していたらしい。俺以外の誰かが部屋を訪ねてきたらバルバラはパッと消えるだろうから、『一人二役でボードゲームに興じる娘』になっちゃうわけか……
俺は笑い返しながら、そっと扉を閉め。
――防音の結界を、展開する。
これからレイラと禁忌タイム――ではない。その前に、日課の時間だ。
「【出でよ――】」
霊界の門を開いて、闇の魔力を注ぎ込む。
「【――アウリトス湖の死者】」
新たな犠牲者が出ていないか。その確認――
の、つもりだった。
オオオオオオオオ、と。
門の向こう側から響いてくる死者の叫び。
そして『群れ』が押し寄せる気配に、俺は総毛立つのを感じた。
『うわああぁぁっ助けてくれッッ!』
『やめろーっ痛い痛いっ、痛い――ッッ!』
『いやだーっ死にたくないっ! 誰かっ誰かっ!!』
門から大量の霊魂が吐き出される。
愕然とした。あまりにも、
――彼らは殺されたばかりだった。
湖のどこかで、また吸血鬼どもの犠牲者が出たのだ。
――――――――――――――
※時系列的に、この場面の直前に390話があったことになります。
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