381.捕食者再来


 それから1日、穏やかな航海となった。


 次の街がそこそこ遠いので、浅瀬で錨を下ろして一夜を明かす。


「アレックスは休んでてもいいよ、僕は24時間くらい休まなくても平気だから」

「う~ん、気持ちはありがたいんだが、昼間ずっとゴロゴロしてただけだから休むと言ってもな……」


 昼飯をレイラと一緒に船室で摂ったくらいで、あとはずっとデッキチェアに寝転がって有事に備えていた。体力があまり過ぎてて逆にキツい、全然眠くねえ。


「気持ちはわかる。僕は慣れたけど」


 アーサーは相変わらずデッキチェアに寝転がったまま苦笑している。


 甲板には、俺たちと見張りの船員以外は誰もいない。月明かりの下、のっぺりとした湖の水面がわずかにさざめいている。


「俺は夜目が効くから、夜番は得意だぞ」


 闇属性持ちなんでね!


「じゃあ半々でやろうか。でもやっぱりアレックスは、先に休んでなよ」


 アーサーがフフッと笑う。


「――恋人さんがずっと放ったらかしじゃ悪いだろ?」


 反論の余地がなかったので、俺は大人しく船室に引っ込んだ。




 俺たちに割り当てられた船室は、船尾の上部、船長室の下に位置する小部屋だ。外の景色も見えるし、扉を開けてダッシュすればすぐに甲板に出られる。かなり優遇された客室と言えるだろう。ちなみにアーサーの部屋は通路を挟んで俺たちの部屋の真向かいだ。


「レイラ? 入ってもいいかい」


 こんこんとノックすると、「はいっ」とすぐに返事があり、カチャッとドアが開いてレイラが顔を出した。


「アレク? 見張りはいいんですか?」

「アーサーと交代でやることになったよ」

「じゃあ、ゆっくりできますね」


 にっこり微笑むレイラ、夜なので声量は抑えめ。ニードアルン号の船員たちも、夜は酒を飲んで騒ぐでもなく真面目だな。


 船室は本当にこじんまりとしていて、しかも俺たちのクソでか荷物まで置いてあるもんだから、さらに狭く感じられる。丸い舷窓、ちっちゃな折りたたみ椅子と書き物机兼用の戸棚、そして寝台がひとつ。


 ――寝台がひとつ。


『おほーっ』


 おほーっじゃねえんだよおほーっじゃ。


『体力があり余った青年にうら若き乙女、手狭な部屋に寝台がひとつ、何も起きないはずがなかろう?』


 ぬぇ!


 ちなみにこれまでの旅では、基本的にツインルームを取っていた。なので宿泊費がけっこうかかってるが、夜エルフどもが貯め込んでいた資金をガッツリぶんどってきたので問題ない。


「あなた、何か飲みます? さっき船員さんが配給で焼き菓子とぶどう酒を持ってきてくれましたよ」

「じゃあ、いただこうかなぁ」


 なんちゃって船守人なので至れり尽くせりだ。レイラが小椅子にちょこんと腰掛けていたので、俺はベッドに座り、ふたりでモソモソとお菓子をいただく。うん、そこそこ美味しい。ぶどう酒もまだ若いけどそのぶんフレッシュで飲みやすいやつだ。


「お船って、面白いですよね」


 お酒のゴブレットを揺らしながら、レイラが言った。


「自分でつば……足を動かさなくても、目的地まで運んでいってくれるなんて、なんだか不思議な感じがします」

「楽だよなぁ。風をこうやって利用するなんて、最初に思いついた人はすごいよ」


 帆船を生み出したのは人族って話だ。森エルフが言ってた。


「勝手に目的地まで運んでくれるって点では、馬車もそうだけど」

「あれは、一応……お馬さんが頑張ってますから」


 レイラがちょっと苦笑する。たぶん、魔王国の骸骨馬車を思い出して、アレを『お馬さん』呼ばわりするのもなんだかなぁ……と思ったんだろう。『頑張ってる』ってのも、霊魂が文字通り馬車馬の如く働かされてるだけだし……


「お船も、馬車くらいの速さで動けたらいいんですけどね」


 ……まさか骸骨馬車くらい? 無茶言うない。


「馬車もそんなに大した速さじゃないよ。ほら、エドガーと一緒に乗ったけど」

「ああ、そういえばそうでしたね……」


 レイラは魔王国の骸骨馬車を基準に考えていたみたいだが、エドガーとともに公都トドマールへ荷馬車に乗って行ったときのことを思い出したようだ。普通の馬車は、お世辞にも速いとは言えないし、第一、ケツが死ぬ。座席の下で揺れを相殺してくれるアンデッドなんて標準装備してないしさ……。


 それから、これまでの旅で見かけた風景や、レイラが昼間に観察していた船乗りの働きぶりなど、他愛のない話をしばし楽しみ。


「じゃあ、交代の時間までちょっと寝ようかな……えーと、寝袋は、っと」

「ふふ」


 俺が荷物を探るため立ち上がろうとしたら、一歩先に席を立っていたレイラが、俺の肩を押さえて動きを封じてきた。


「……あの~、レイラさん?」


 立ち上がれないんですが……?


「寝袋なんて、必要ないですよ」


 そのままグイッと、俺をベッドに押し倒そうとするレイラ。


「ベッドがあるじゃないですか……!」

「ある……ねえ! ひとつだけだけど……!」

「ふたりで一緒に寝れば、問題ないですよね……!」

「いや……狭くないかな……!?」

「今夜は涼しいですよ?」


 答えになってねえ……!! っていうかレイラさん!?


「もしかして酔っ払ってます……?」

「問題ありません」


 暗いので見逃していたが、レイラの顔は紅潮していた。


「わたしが問題ないので、問題ありません!」


 論理!


「それに、わたしだけベッドで、がんばってるアレクを床で寝させてたら、わたしがくつろげないですーっ」


 ぷくっと頬を膨らませたレイラが、ぽこぽこと抗議するように胸板を叩いてきたので、俺は折れた。


「ふふふ」


 上機嫌なレイラに、背後から抱きしめられるような形で、ベッドに寝転ぶ。


 いやー、今夜は涼しいけどさ、確かに……


 色んな意味でちょっとアツいかなこれは……!


「……昼間の話なんですけど」


 レイラが、俺の耳元でささやくように。


「うん」

「人族って、一夫多妻もあるんですね」

「……うん。アーサーみたいな王族の末裔なら、そういうのも普通かもね」

、」


 さらに声を潜めるレイラ。


普通ですよね?」


 それはどういう……!? 魔王子、ってコト!?


「アレクに、お嫁さんのひとりくらいいても」


 レイラがそっと俺の頬に手を添えて、撫でる。


「全然おかしくは、ないですよね?」

「まあ、……」


 肉体年齢的な意味では、そりゃおかしくないよ、妻帯者でも。


「わたし……アレクのお嫁さんになるのが、夢なんです」


 えへへ、とはにかむようなレイラの言葉に、俺は――




 ――心底、申し訳なくなった。




 レイラは俺のことを好いてくれているし、俺もレイラのことは好きだ。


【キズーナ】のおかげで互いの本心は筒抜けだし、俺も彼女の気持ちにもっともっと応えたいとは、思わずにいられない。



 でも……そのたびに、思い浮かぶのは、



 平和な村の光景と、理想の家族の姿と、



 それらが全て、焼け落ちた夜。



 ――血塗られた俺の未来。



「レイラ」


 俺は、彼女の手をそっと振りほどいて、上体を起こした。


「……はい」


 背後で、レイラもまた、起き上がる気配。 


「…………」


 なんて言うべきなのか、正直、自分でもよくわからない。


 同盟圏までレイラがついてきてくれたのは、本当にありがたくて、どれだけ感謝してもしたりなくて、今さら彼女の力なしでは、ほとんど何もできない俺だけど。


 でも、一緒に過ごすたびに、どんどん思いが強まってくる。


 彼女には、もっと幸せな生き方が、あるんじゃないかって――


 俺なんかに付き合わなくても、レイラはもう、自由なんだから……


 彼女の好意は本物だけど。それは疑わないけど。環境に歪められたものであることには、違いないとも、思うんだ……。


「レイラは……レイラが、お嫁さんになりたいって言ってくれて、俺、すっごい嬉しいんだけど、さ……」


 俺は、言葉に迷った。


「……その気持ちに、俺は、応えられない」


 レイラがハッと息を呑む。



「なぜなら俺は……」



 俺は、言葉を絞り出す。



「……きっときみを、幸せには、できないから」



 ――俺にどんな結末が待ち受けているかなんて、俺自身にもわからない。


 でもきっと、それがロクでもないモノであることだけはわかる。


 だって、そうじゃないと許されないだろう? たとえ魔王を倒し、魔王国を滅ぼしたとしても、俺の所業がなかったことには、決してならないんだから。


 数々の家族を蹂躙した。俺は、俺自身が、誰かにとっての仇だ。


 魔王子としてか、勇者としてか、それはわからないけど……そのツケを払う日が、必ず来ると思ってる。


 ましてや、平和な家庭を築いて、のんびりと過ごすなんて、そんな……


 そんな幸せな未来が、俺に待ってるなんて、思えない。


 そしてロクでもない未来に、最期までレイラを付き合わせたくはないんだ。だって彼女のことが、好きだから。破滅してほしくない、俺の巻き添えになってまで……


 もちろん、俺だって、わかってるよ。彼女の好意をいいことに、それはもう自分の気持ちに正直になってさ。仄暗い欲求を全部ぶつけて、心も体も利用し尽くして、レイラという存在をしゃぶりつくせば――きっととんでもなく禁忌の力が稼げる。


 アンテに言われるまでもなく、それはわかってる。


 でも、


 たぶん、


 開き直ってそれをやったら、俺は駄目になると思う。


 それが、『底』になると思う。


 だから真正面からぶつかる他ないんだ、今ここで。


 思っていたより早くなっちゃったけど、俺とレイラがともにある限り、避けては通れない問題だから……。



 自分勝手でごめんよ。本当にごめん。



 …………って、これ、【キズーナ】に触れてないから伝わってないんだった。



「レイラ――」



 俺が改めて言葉にして伝えようと、意を決して振り返ると。



「幸せにできない、ですか?」



 レイラが、心底「解せぬ」という顔で、きょとんとしていた。



「――わたし、今でももう充分に幸せですけど?」

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