373.生息域推定


 アウリトス湖に吸血鬼が潜んでいるのは確定的――


 問題はこのクソデカい湖のどこにいるか、ってことだ。


「だいたいどの辺りに潜んでいそうか、見当はついているのか?」


 たった今、遺体が打ち上がったばかりだというのに、アーサーがこの街に調査に来たってことは――ある程度の予想がついていた、違うか?


「いや、残念ながら、まだ絞り込めていない。この街にはたまたま、船守人として寄っただけだから」


 違うんかーい。


「ただ、ここで遺体が打ち上がったことで、僕の推測がいくらか補強された」

「ほほう?」

「おそらく、この吸血鬼は魔王国産の純正種か、最低でも他地域出身の眷属で、アウリトス湖に棲み着いたのはここ8ヶ月以内だ」


 アーサーが砂をすくい取り、さらさらと落とした。風に散っていく白い砂――


「アレックスはここら一帯の出身じゃないだろう?」


 ふと顔を上げて、穏やかに微笑むアーサー。


「……参考までに、なぜそう思ったか尋ねても?」

「湖の出身なら、こういう形で『観光』はしないだろうから」

「……道理だな。そうだよ、大陸西部出身だ……」


 俺は襟の位置を直しながら答えた。なんか妙に首元が痒く感じたからだ。


「ああ……そうか。西部出身か……。なら、たぶん知らないだろうけど、アウリトス湖の水流は季節によって異なる。夏は北風、冬は南風で波の方向が変わるんだ」


 砂を風に流してみせたのは――ああ、ちょっと言いたいことが見えたぞ。


「8ヶ月……去年の夏より前は、『謎の水死体』が上がってなかった、ってことか」

「ご明察。去年の秋以降から湖に棲み着いて、こんなふうに死体を湖に捨てていたとしたら、おそらく北部沿岸に流れ着いていたはずだ。そしてここ最近、北部はゴタゴタしてるからね」


 政情が不安定で、と肩をすくめるアーサー。


「水棲魔獣の討伐が滞り、湖賊ははびこり、水死体のひとつやふたつが漂着しても、南部沿岸ほどには目立たない。だから吸血鬼の存在も明るみに出にくく、バレないのをいいことに、件の吸血鬼も死体の隠蔽がますます雑になっていった……」

「だが、季節は移ろい、湖の水流が切り替わって、漂着する場所も変わった。そして吸血鬼はおそらく、それに気づいてすらいない、ってことか……」

「その通り。あるいは『狩り場』を転々と変えている可能性も考えたけど、それにしては水死体が打ち上げられた地域の付近で行方不明者は出ていないようなんだ」

「ふむ。となると吸血鬼は、どちらかというと北部沿岸地域を縄張りにしてる可能性が高い、と?」

「たぶんね。それでも、かなり広大なんだが……」


 憂いを帯びた表情でアーサーは首を振る。


 ……広大だなぁ。もしアーサーがすでに怪しい水域を絞り込めていたなら、レイラにお願いしてひとっ飛びしてもらって、楽にヴァンパイアハンティング長期休暇ヴァカンスと洒落込めたのに……


『それ、ヴァカンスにならんじゃろ……』


 いや待ち伏せがメインになるからさ、のんびりできるかなって……。


「とはいえ、ここで遺体が打ち上がったのは、大きなパズルのピースだ。うちの船長はかなりの熟練船乗りだから、今までのデータとあわせれば、水流からいくつか候補は絞り込めるかもしれない」


 アーサーは遺体に手を合わせ、しばし祈りを捧げた。


「……僕も今、休暇中でアウリトス湖に戻ってきていてね。できれば夏の間に、この一件はカタをつけてしまいたいんだ……故郷のどこかに闇の輩が潜んでるなんて、許せないだろ?」

「許せねえなァ!!」


 俺は勢い込んでうなずいた。


 わかるぜーその気持ち! めちゃくちゃよくわかる!


「わかってくれるかい。だから、アレックスには本当に感謝してるんだ、夜エルフどもを殲滅してくれてありがとう」

「なに、いいってことよ!」

「アレックスも休暇中で、観光に来てたって話だけど――」


 おや……?


 アーサー、なぜちょっと申し訳無さそうに微笑む……?


「――このあと、何か具体的な予定ってあったりする?」


 …………あ~。


 あ~~~。


「もし、アウリトス湖の観光を楽しむつもりなら……ウチの船で一緒に行動するってのは、どうだろう。アレックスほどの腕利きがいてくれたら、心強いんだけど」


 なるほどなぁ~~~!


 そういう感じかぁ~~~!


「アレク……!!」


 と、後ろから袖をくいくいと引かれた。見ればレイラが、かすかに眉根を寄せて、思い詰めたような顔をしていた。……なんというか、無理やり表情を押し殺しているような顔を。


「……アレックスの恋人さんかな」


 少し気まずそうに、目を逸らすアーサー。


「デートを邪魔しちゃってごめん。たぶん、彼女もこの辺りの出身じゃないよね? そう思いたいけど」

「……それは、なぜ?」

「色白すぎるから、よそから来たんだろうと思って。そしてよそから来たなら、きみと一緒に行動している可能性が高く、それならアレックスが移動しても、彼女だけこの街に置き去りなんてことにはならないだろうから……もちろん、僕と一緒に来てくれるなら、恋人さんの船代もこっちが持つよ。途中で離脱するなら、帰りの船代も」


 めっちゃ気ぃ遣ってくれるじゃん……。


『それだけ、お主を戦力として評価しとるんじゃろな。観光に来て早々、潜入工作員を見つけ出し殲滅するような男じゃし』


 うん、俺がアーサーの立場でも味方に引き込もうとはするだろうな。


「デートの邪魔とか、そういうことじゃないんです……!」


 レイラが、珍しく苛立ちを滲ませる声を上げた。


「アレクは、休暇中……なんです!」


 途中でちょっと詰まったのは、アーサーも休暇中って言ってたことに思い当たったから、かな。


「それについては、本当に申し訳ない。だけど、仮についてきてもらえたとしても、休息にはなると思うよ。基本的にはのどかな船旅だし、いろんな街に寄港するから、観光にもなるだろうし……まあ、時々魔獣とかには襲われるかもしれないけど、乗り合わせた船の危機に立ち上がらない勇者なんて、どのみちいないから……」


「休暇中だから応戦しません」とかありえねーよなそんなの。もしそんな勇者や神官がいたら俺が張っ倒すわ。


「わかってます……! だからこそ、ゆっくり……ここで、ゆっくりしてもらいたいんです……!!」


 レイラがここまで必死なのは――だいたい察しがついてるからなんだろうな。


 俺がこの状況で、見て見ぬふりをするなんてありえない、って――


「僕も、妻や子どもたちによく言われるよ……」


 目を伏せながら、アーサーはしゅんと小さくなった。あ、妻帯者なんだ……まあ、これだけイケメンで実力もありそうな男なら、誰も放っておかないよな……


「ただ、勇者のサガというかな。じっとしてられないんだよ、こういうとき」


 そうだろ? という目で見られて、俺は苦笑してしまった。



 そうだよ。

 


 今さら、見なかったことにはできない。俺の目的は夜エルフ諜報員の殲滅だが、他にも闇の輩がいるならもちろんブチ殺す。


 ましてや、湖に潜む吸血鬼なんて……そんなの放っておけるかよ。


 俺とレイラで探し回るって手もあるが、アーサーの話を聞く限りでは、彼はかなりいい感じに水域を絞り込めそうな気配だ。ここで手がかりを放り出して別行動するには、少し惜しい。アーサーが次なる手がかりを入手するまでは、同行する価値があるかもしれない。



 ただ――



「すまないが」



 俺がおもむろに、そう口を開くと、半ば諦めムードだったレイラが「え?」と顔を上げ、アーサーが「おや」と目をしばたかせる。


「――1日、返事を待ってもらっても?」


 人差し指をピンと立てみせると、ペシッと自分の額を叩いたアーサーはバツが悪そうに「もちろん!」とうなずいた。


「厚かましいお願いをしているのは、こちらなんだ。今すぐこの場で決めろなんて、そんなこと言えないよ。ほんとに、アレックスも自分の用事があるなら、そっちを優先して構わないから……。その、恋人さんとも、よく話し合ってもらった上で……」


 チラッとレイラの方を見ながら、アーサー。


「ああ。そうさせてもらえると助かる」

「悪いね、本当に。僕は、というか僕が乗ってる船は、明後日までこの街に停泊しているから、結論が出たら、聖教会か港の方まで知らせてくれないかな。ニードアルン号って船なんだ」

「あ、明後日までいるんだ」


 なんだー! そんなのもう実質休暇じゃん。


「わかった、そうしよう。俺としては前向きに検討させてもらうよ」

「ありがとう! それじゃ、また」


 アーサーは今一度、遺体に祈りを捧げてから、立ち去っていった。


「あの……勇者様! がんばってください!」

「応援してます!」

「ご武運を!」


 アーサーの背中に声をかけた衛兵たちが、「もちろん、あんたもやるんだろ?」という期待の眼差しを向けてきたので、俺は笑ってしまった。


 だけど、勇者ってのはそういうもんだ。


「彼に同行するかはまだわからないが、吸血鬼を放っておくつもりはない。どんな手を使ってでも灰に還してやるさ」

「おお……!」


 流石だぜ、と沸き立つ衛兵たち。


 ちなみにレイラは……俺が振り返ると、めっちゃやる気、というか、殺る気に満ち溢れた笑顔をしていた。


「仕方がありません。こうなったからには、全力で……」


 ああっ、スカートのとこ、めっちゃ握りしめてる……!


「全力で……その吸血鬼を、ブチ殺してしとめてやります……!!」


 ご、ごめんよ……


「ま、まあ、船旅でのんびり各地を巡るのも、悪くないだろうから……」


 ついでに行く先々で夜エルフを殲滅したりできるかもだし――



 でもまあ、それも、の話だ。



「? 勇者様、まだ何か?」



 遺体のそばにそっと膝をつく俺に、獣人衛兵が首を傾げる。



「いや。ちょっとな。俺なりにもう少し調べたいことがあって」



 そっと――ナイフで、遺体に残されていた毛髪を、切り取る。



 彼がどこで殺されたのか、どんなふうに襲われたのか。



 ――本人に直接聞けるなら、それが一番手っ取り早い。

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