370.諦念と決意
もしも、村が魔王軍に滅ぼされていなかったら。
俺は今頃――どんなふうに過ごしていたんだろう。
やっぱり、剣よりも鍬を握る時間の方が長かったのかな。毎日畑を耕して、草刈りして、たまに獣や魔獣を追っ払うときだけ、剣を手に取って。
村から遠くに出かけることなんて滅多になかっただろう。あの地で生まれ、育ち、家庭を築いて――
「きゃー!」
「やーい、さっきの仕返しだ!」
「よくもやってくれたわね! このっ!」
「ぷわーっ! ぺっぺっ、砂はやめろって!」
砂浜で遊び回る子どもたち。もしも村が健在だったら、俺にもあれくらいの子どもがいてもおかしくない年齢だ。息子と娘、両方いたら楽しかっただろうなぁ。きっと嫁さん似で可愛い子が生まれていたと思う。
娘が嫁に行くところなんて、想像するだけで泣けてくる。やっぱりある程度の年頃になったら、父親は嫌われたりなんてするのかな。
息子は、すっごいやんちゃな子が生まれそうな気がする。いたずら好きの生意気な坊主で、「父ちゃん、剣を教えて!」とかせがんで来そうだ。練習用の剣を作ってあげて、型なんか教えてあげたりして――
…………。
そっか。冷静に考えたら、聖教会の教導院に行ってなきゃ、今ほど剣は使えないんだった。我流の剣術とか教えたりするのかな。それはそれで変な癖がつきそうで心配だけど。
……ふふっ。
存在しない息子の、剣の癖の心配、か……。
笑えてくるな。軽く溜息をつくと、胸の内の虚無感も抜けていく気がした。
「今年はマスが豊漁だってさ。冬まで心配なさそうだ」
「エビもよくとれるってフィッシャーさんが言ってたわ」
「今日の晩ごはんはエビがいいなぁ」
「じゃあ買って帰りましょうか」
風に乗って、木陰でのんびりくつろぐ夫婦の会話が聞こえてくる。
とても穏やかな口調で、内容も平和そのもの。食には事欠かず、食材を買って帰れるのは当たり前。ここにいると、魔王軍の侵攻や同盟の苦戦なんて、嘘みたいに思えてくる。彼らだって無関係ではないはずなのに、遠い国の出来事みたいで……。
後方の人々が呑気すぎる、と常々感じていたけど、仕方ないのかもしれない。
そもそも、前線の詳しい様子を知る人が少ない。なぜか? 聖教会の援軍も、それぞれの国の軍人も、未帰還者の方が多いからだ。
そして惨状を身をもって知る難民たちは、はるばる同盟圏後方まで逃れるすべも、経済的余裕も持たない。安全な後方に移動できないままに前線ですり潰されていき、それで出た新たな難民も、同じ運命をたどる。
結局、同盟圏の後方には噂話くらいしか伝わらない。
さらにそれを利用し、捻じ曲げていたのが夜エルフどもだ。同盟軍と聖教会の悪評を好き勝手に吹聴して回っていた。諜報網の殲滅が始まった以上――加えて俺がかなりの数を狩ったこともあり――今後は正確な情報が伝わると信じたいが。
『人は真面目くさった真実よりも、面白おかしいホラ話を好むからのぅ』
夜エルフが煽っていたのは確かだが、劇的に状況が改善されるとは限らない、ってわけだ……。
それに……一般人が前線の正確な情報を知ったところでどうする? という問題もある。
たとえば、俺の村だ。滅ぶその瞬間まで、魔王軍の脅威がどれほどのものなのか、誰もよくわかっていなかった。
もしかしたら村長や村の重鎮あたりは、多少は情勢についても聞き及んでいたのかもしれない。あるいは逆に、ほとんど何も知らされていなかった可能性もある。俺のおぼろげな記憶の中でも、あの侵攻の夜まで、村はのほほんとした雰囲気に包まれていたから。
流石に国の上層部は魔王軍のことを把握していただろうけど、ひょっとすると、一般市民にはあまり危機的状況であることを伝えていなかったかもしれないんだよな。前世の勇者現役時代にも、ちょくちょくそういう国は見た。吹けば飛ぶような小国ほどありがちだった。
今となっては、そうする為政者の気持ちもわからんでもない。パニックを起こして民が国から逃げ出したら困るし、滅びの日が迫るとなれば治安も悪化するし。また、人間同士の戦争の常識から、まさか捕虜のひとりも取られずに殺し尽くされる、あるいは家畜じみた奴隷に落とされるなんて、想像もつかないし。
何より、危機を知らせたところで――民間人に何ができるっていうんだ?
仮に俺の村で、魔王軍の脅威が事細かに知らされていたとして――何がどう変わっただろう。家族を置いて、隣国の前線へ加勢しに行く? ナンセンスだな。移動費はどうする。現地についたところで役に立つか? そもそも、隣国のために家族を置いていく奴なんてごくごく少数だろう。
では、村人の一部があらかじめ避難していたかも? どこへ? 受け入れ先はどうする? その受け入れ先も攻められたら? いったいどこに避難すればいい? できなかった人はどうなる?
……ダメだな、あっという間に破綻した。こんなふうに魔王軍に攻め込まれたら、ひとたまりもないんだ。少なくとも小国は、事前にどうこうする余裕なんてない。
だから……きっと、ほとんど何も知らせなかったんだろう。いざ攻め込まれたら、しばらく国軍は粘っていたから、密かに防衛戦の用意は進めていたんだろうけど。
一般人は――ただ、戦の気配しか感じ取っていなかった。
魔王軍が『脅威』であるとは薄々悟っていても、絶対的『滅亡』であるとまでは、誰も……。
「ママー! ぼく、のどかわいたー!」
「レモン水があるわよ。お飲みなさい」
びしょ濡れで砂浜から戻ってきた小さな子が、母親に水筒を渡されて、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。
そのまま両親の間に座ってお魚や貝殻の話をしていたが、遊び疲れていたのか、はたまた湖の涼しい風に誘われたか、母親に背中をあずけてうとうとし始めた。
「ふふ。寝顔があなたそっくり」
「よだれ垂らしてる」
微笑ましげに見守る両親。母親が頭を撫でてあげるかたわら、父親がハンカチで子の口元を拭ってあげている。
彼らが。
同盟の窮状を、事細かに把握したところで、何になるだろう。
……この『幸せ』が、壊されてしまうだけだ。自分たちではどうすることもできない脅威に怯えて、胸を痛めて、いつか来るかもしれない破滅に恐れ慄いて。それで何がどうなる? 状況が好転するのか? ……いや、何も変わりゃしないんだ。
ここらの都市国家は、資金面や支援物資で同盟に貢献してくれている。これ以上、望むことなんてできないよ。彼らには彼らの幸せがあるんだから。
――そう、俺にはもう、縁のない幸せが。
穏やかなで、平和な、未来が。
だから……代わりに俺が、彼らの分まで戦おう。
魔王国を滅ぼす。それは俺にしかできないことだ。
俺が、彼らを守るんだ。
代わりに彼らが、俺の分まで。
――幸せになってくれれば、それでいい。
†††
「…………」
ちびちびと水を飲みながら、険のある顔で水平線を睨むアレク。
その瞳には、めらめらと暗い炎が燃えている。
傍らで、レイラは声をかけるのも躊躇われて、ただ黙って見守っていた。
思わず曇りかけた表情を、どうにか笑みで塗り潰す。彼がこちらを見たとき、自分まで悲しげな顔をしていたら、きっと彼は気に病むから。
(どこか……)
ないのだろうか。アレクが心の底から、穏やかに、楽しく過ごせる場所は。
平和な日常さえ彼を戦場に駆り立てるなんて。
(そんなの、あんまりじゃないですか……)
三角座りしたレイラの、膝を抱え込む両手に、思わず力がこもる。
自分の翼をもってしても、きっと、そんな場所までアレクをつれていけないことが歯がゆくて――
「……うわーーーっ!!」
不意に、子どもが叫んだ。
続いて、その周囲の別の子どもたちも悲鳴を上げる。
アレクが弾かれたように立ち上がり、アダマスを引き抜きながら走り出す。
「どうした?!」
「ひとが! ぶよぶよしたひとがいる!!」
アレクの問いかけに、転がるようにして逃げてきた子どものひとりが、泣きべそをかきながら指さした。
一拍遅れて駆けつけたレイラもまた、目撃した。
砂浜に漂着した――奇妙な――
ふやけてボロボロになった、水死体のような、ナニカを。
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