369.平和と憧憬


 バッシャァと俺が派手に水飛沫を撒き散らしたので、巻き添えを食らったレイラが「きゃあっ」と可愛い悲鳴を上げる。


「……えい!」


 めっ! とちょっと怒ったような顔をしてみせ、レイラが手で水をすくい反撃してきた。ワハハ、こちとら全身ずぶ濡れだから、ノーダメージだぜ! レイラもすぐに怖い顔(ぜんぜん怖くない)が溶けてなくなり、くすくすと笑い出す。


「いやー! 涼しいな!」


 冷たい水を浴びて、風に吹かれると最高だな! 【エヴロギア】着てても日差しが暑いことには変わりねえからな……その気になれば完璧に熱気も防げるんだけど、炎熱耐性を強化したら赤く発光する羽目になるんで、街中じゃ使えない。


『7色に輝く機能が仇になったの……』


 同盟圏で着ることなんて想定してなかったから……。


「あ、そうだ、足の腱のばしとこ」


 軽く屈伸などしてから、俺は再び水に飛び込む。


 服着たままガチ泳ぎを敢行する俺に、大人も子どもも奇異の目を向けてきてるが気にしないぜ! ピチピチなレザースーツ姿になって、赤く発光しながら泳ぎ回るよりマシだろ?


 ――重力なんてなかったかのように、透明な水の中を泳いでいると、あらゆるしがらみからも解放されたかのような錯覚を抱く。


 本当に久々だな、こんなふうに泳ぐのは。このあたりは水が澄んでいて、ある程度の距離まで見通せるので安心感が高い。いきなり魔獣に食いつかれて、水底に引きずりこまれるなんてこともなさそうだし……だからこそ、子どもたちも安心して遊んでるんだろうけど。


 服を着たままだから、泳ぎがちょっともっさりするな。まあ鎧を着たまま川を渡ったりするのに比べりゃ楽なもんだ。


「……あ、ごめんレイラ、夢中になって泳いじゃって」


 ひとしきりバシャバシャしてから、レイラがニコニコしてこっちを見ていることに気づく。年甲斐もなくひとりではしゃいじゃった……


『6歳じゃしこんなもんじゃろ』


 い、いや、精神は6歳じゃないから……何なら肉体も人化で成長させてるから6歳じゃねえし……


「アレクが楽しそうで何よりです。泳ぎ、すごい上手なんですね……」


 レイラが、何やら不意に、ふんすとやる気を出した顔を見せて、一旦岸に上がり麦わら帽子を置きに行く。


「わたしも、実は泳ぐのは得意なんです! とう!」


 そして躊躇なく、ワンピースのまま水にダイブ――ッ!


 周囲の人々が「えっお前も!?」とちょっとびっくりしていた。


 どこ吹く風でバシャバシャと水飛沫を跳ね上げたレイラは――


「……ぶくぶくぶく」


 そのまま水底に沈んでいく。


 ……潜水してるのかと思ったけど、ジタバタしてるのを見るに何かが違う!


「レイラ!?」


 泳ぎに自信はどうした!? 慌てて引き上げると、ケホケホと咳き込んだレイラが「解せぬ」という顔をした。


「なんで浮かないんですか?」

「いや、なんでと言われても……」


 なんでやろなぁ。ワンピースのせいかな……?


 しかしよくよく聞けば、人化して本格的に泳ぐのは実は初めてとのこと。


「魔お――その、前の職場のお風呂では泳げてたんですけど……」


 今、魔王城って言いかけちゃったな……使用人用の大浴場ってヤツか。俺は行ったことはない。ダイアギアスはあるらしいが。


『大欲情というわけじゃな』


 やかましいわ。


 それはともかく、レイラの話によると、そのクソデカ浴場では泳げていたので今回もイケるだろと思ったとのこと。……ただ、深さ的に、泳げてたんじゃなくて、沈みそうになるたびに手足で支えてた疑惑があるな……


 ちなみにレイラは、ドラゴンの姿だと問題なく泳げる。小島で休憩したときとか、水浴びがてらザッパンザッパンと波を立てながら、深いところでも力強く泳いでいたからな。親父さんファラヴギの記憶のおかげだそうな……。


「まあ真水で、この深さに慣れてないのが原因かもしれない。風呂で浮かべてたならすぐ泳げるようになるよ」


 俺はレイラの手を取って、ゆっくりと引いていく。


「ほら、これで身を任せてみて」

「あ、はい……」

「息を吸って、肺に空気を溜めておくんだ。そうした浮かぶから」

「わかりました」

「そうそう、上手上手」


 スイーと俺に引っ張られて、慣れてきたあたりでパシャパシャとバタ足などもしてみる。


「こういう感じなんですね……!」


 イケそう、とレイラもちょっと自信を取り戻した(?)ようだ。それからほどなくして、自力で浮かびつつ進むことはできるようになった。……息継ぎしようとしたら沈んじゃうけど、まあ時間の問題だろう。


『冷静に考えると、この程度の泳力で船に乗っておったのは、けっこう危険だったかもしれんの』


 ……まあ最悪、溺れそうになったら人化を解除すればいいし……正体はバレちゃうけど溺死する心配はないし……


 そういう意味でも、今後の活動を考えると、人の姿である程度泳げるようになっておくのは、都合がいいな。


「ふー! 楽しいですね、泳ぐの!」

「うん」


 空を飛ぶのに比べたら、もどかしいけど、気持ちがいい。


「ちょっと休憩する? ……休みに来たのに、すっかりはしゃいじゃったよ」

「あはは。ですね、ちょっと喉も渇きましたし」


 じゃぱじゃぱと岸に上がろうと立ち上がるレイラ――



 アッ!



 ヤバい!



 真っ白な薄手のワンピースだったから――濡れて、下に着込んでた【キズーナ】とかが透けて、ヤバい!!


『おほーっ!!』


 ……もともと、人目があったら裸で泳ぐのはアレだけど、ワンピースならすぐに乾くし、そのまま泳いでいいだろ! という意図はあったんだが……


 失念していた……! 濡れたら透けるって当たり前の事実を……!! しかもただボディラインが浮かび上がるだけじゃなく、【キズーナ】のせいで、いかがわしさが尋常じゃない!


「……どうかしましたか?」


 こてんと小首を傾げるレイラ。


「いや、そのちょっと」


 俺が胸元とかガードするようにジェスチャーでうながすも、自分の体を見下ろしたレイラは、「?」と疑問符を浮かべたまま。


 あ……「何の問題が?」って顔だ……


『おそらく、客観的に己の状態が把握できておらんからじゃ。姿見で全身像を見せてやれば羞恥心が育つかもしれんが、今の状況ではなかなかに厳しいのぅ……!』


 めっちゃ悔しそうに言うじゃん。


 でもなんか動揺していた俺が馬鹿みたいっていうか、申し訳なくなってきた。


「いや……その、すっかり濡れちゃったから、乾かそうか」

「? そうですね!」


 何を今さら? という顔だったが、とりあえずうなずくレイラ。このままじゃ街にも帰れないし……あんまり人がわんさかいる場所じゃなくてよかった。


『おかえり~』


 バルバラが見張ってくれていた、荷物のところに戻る。


「ありがとな」

『いいや、平和そのものでのんびりしてたさ。小鳥が1羽、荷物をつつきに来ただけだったよ』


 リュックに果物とか入れてたからかな? 俺たちはマントの上に座って、水分補給しつつ、おやつの果物をぱくついた。美味い!


 刺突剣から、ふふ……とかすかな笑い声。


『いいねぇ、たまには、こういうふうにのんびりしたのも。みんな元気だし、楽しそうだし……子どもたちが笑って遊べる環境ってのは、何物にも代えがたいよ』


 ……本当に、そうだな。


 バルバラの言葉に、元気に遊び回る地元の子どもたちに目を向ける。


「見て! 面白いもの見っけた!」

「なになに~?」


 手招きして足元を指差す女の子に、男の子がのこのこやってきて覗き込む。


「それっ!」

「ぶわっ! てめっ、このやろ~~!」

「あははは!」


 そして案の定、思い切り水をかけられて、ぷんすかしながら追い回す男の子に、大笑いして逃げ回る女の子。


 周りも巻き込んで水掛け合戦になって、ずぶ濡れの砂まみれになって転げ回って。


 そしてそんな子どもたちを、笑いながら大人たちが見守っている。


「…………」


 いいな。


 波の音。風の音。笑い声。


 びっくりするくらいに。穏やかで――心地よくて。


 きっと、こんな風に、平和な毎日が続いていくんだろう。



 いいなぁ。



 俺も、こんな風に。



 ――みんなと一緒に、暮らしていきたかった。

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