366.環境と淘汰圧


 一方その頃、魔王城。


 夜エルフの居住区にて、『長老会』が開かれていた。


 集まったのは、各派閥の長たる老エルフたちと、その補佐あるいは後継者と目されている現役世代の夜エルフ。そして夜エルフという種の象徴的な指導者である、夜エルフ王『闇見透かす瞳』オーメンイッサ=エル=デル=トライゾンだ。


 森エルフ同様、美形揃いで知られる夜エルフたちだが、オーメンイッサはそんな夜エルフの中にあって飛び抜けた美貌の持ち主だった。その物憂げな、切れ長の赤い瞳に見つめられて、平静を保っていられる者はそう多くはない。


 ――ただ、夜エルフ王が、【魔眼】と呼ばれる特殊な秘術を受け継いでいることは特筆に値するだろう。この秘術により、夜エルフ王は森エルフ導師クラスの魔力と、並の夜エルフを凌駕する卓越した視力・暗視能力を備えている。


 また、森エルフだった頃の先祖の特徴を色濃く残す彼は、今回集まった中で最高齢の400に迫る歳でありながら、長老の誰よりも若々しいままだった。


「――して、誰ぞ耳新しい報告は?」


 気だるげに、伏し目がちに、オーメンイッサは口を開く。


「……北部戦線経由で、現在の情勢について少々」


 長老のひとりが、固い声で答えた。


「いわく、何らかの原因で、我らの諜報網の情報が漏洩した可能性がある、と。北部圏における5つの傀儡組織のうち、2つが聖教会と草食みどもの介入を受け解体されております」


 会議室に参加者たちのうめき声が響く。2つがピンポイントで潰されたとなると、諜報網について具体的な情報が漏れた可能性が高く、残りの3つもおそらくは時間の問題だった。


「前線周辺国では全住民の聖検査が強行され、森エルフ・犬系獣人による国境の警備も増強されている模様。この報告を持ち帰った諜報員も、10名の同胞たちと分散して国境突破を試みたようですが、他に帰還した者はおりませんでした……」


 苦々しい顔の長老たちとは対照的に、オーメンイッサは物憂げな表情を崩さない。その程度の情勢は最初から見えていたとでも言わんばかりに……


「ジルバギアス殿下の消息について、何か聞いている者は?」

「…………」


 続く、オーメンイッサの問いに、長老と現場勢は顔を見合わせるが、答える者はいなかった。


「おらぬか」

「申し訳ございません」

「いや、構わぬ。魔王からその件について聞かれておっただけのこと」


 小さく溜息をつき、玉座に深く座り直すオーメンイッサ。



 ――そもそもなぜ、諜報網がこんなにピンチなのかと言うと、ジルバギアス捜索の巻き添えを食らってしまったからだ。



 そして、なぜジルバギアスが同盟圏でお尋ね者になったかというと――



「毒母め……」


 長老のひとりが憎々しげにつぶやいた。


『毒母』――今は、ただそう呼ばれている。ネフラディアの名は、忌まわしきものとして誰も口に出さなくなった。


 元大公妃ネフラディア乱心事件。いくら息子を殺された恨みがあるからと言って、ジルバギアス追放の件をビラに書いて空からばら撒くなど、夜エルフにとっては想像の埒外にもほどがあった。


 事件前から何らかの原因で魔力を失い、『大公妃』の称号に相応しくない弱小魔族に成り下がっていたものの、ブチギレた魔王の手で処断されたネフラディアは、死後正式に全ての称号と爵位を剥奪された。


 そう、称号と爵位だ。角が生えた魔族の子さえ従騎士だというのに、完全なる無位無官にされてしまったのだ。


 加えて、イザニス族もまた、ネフラディアを一族から追放することを決定。通常、イザニス族は火葬され、遺灰を風魔法で天高く飛ばして送り出すのが風習だが、ネフラディアの遺体は古式の追放作法に則って『聖域』近くの山に運ばれ、角を折られた上で野ざらしにされたらしい。今頃は野生動物に食い荒らされて、骨だけになっているだろう。


「そなたは何か知らぬか、シダール」

「いえ、残念ながら、東部戦線、南部戦線ともに諜報網が途絶しており……」


 名指しで尋ねられて、ゆるゆると首を振ったのは、元監獄長官にして『ジルバギアス派』の盟主であったシダールだ。本日はレイジュ派の長老の補佐として、長老会に出席している。


 リリアナ失踪とジルバギアス追放のダブルパンチで失脚したかに見えたシダールだったが、その後、ネフラディアのやらかしでイザニス派も大コケし、さらには同盟圏で始まった闇の輩狩りで派閥を問わず現役諜報員たちがゴリゴリ損耗していく中、相対的に無視できない存在感を発揮するようになった。


 ジルバギアスの個人的治療を受けた夜エルフたちは、追放刑の期間中ジルバギアスの全ての権利が剥奪される関係で、彼と結んだ私兵契約も凍結されており、その多くが一線に復帰している。


 が、万が一ジルバギアスの帰還が叶ったならば、またしばらくの間、私兵としての任に就くことになるだろう。もともとは色々な派閥から治療を受けるため引っこ抜かれてきた連中だが、そういう意味では今でもゆるい連帯感を維持しており、何より、ジルバギアスへの恩義という一点では結束していた。


 そして、彼らのまとめ役になりうるのは、なんだかんだ言って、シダールをおいて他にはいなかったわけだ。


 ジルバギアスが人化の魔法を習得していることは、夜エルフ王と一部の長老は把握している。さらに伝説の工作員ヴィロッサの助力と、ホワイトドラゴンの娘の機動力もあれば、ジルバギアスが追放刑の1年を乗り越えて生還する可能性は、決して低いものではなかった。


 何より、『魔王が個人的に気にかけているジルバギアスと直接交渉する権利を持っている』シダールという人物は、現在の情勢を鑑みれば、夜エルフ一族として無碍には扱えない。ジルバギアスとの関係を笠に着て横暴に振る舞い、やたらと敵を作っていたのは事実だが、その後イザニス派が全てのヘイトを引き受けてくれたのも大きいだろう……


「南部戦線からの、最後の報告が気になるところですな。諜報網について草食みどもが何らかの動きを見せた、と……」


 長老のひとりが、あごひげを撫でながら独り言のように。


「南部の傀儡組織も、恐るべき正確さで潰されております。そこに草食みどもの影響があったとすれば……もしや、『犬』は同盟圏に脱しているのでは?」


 情報が漏れたとしたら、それしか考えられない――意味深な目でみなを見回す。


「仮にそうであれば、由々しき事態だ」

「結局、魔王国内で『犬』が見つかる気配はないしな」

「死体も見つからないとなれば、逃げ出したと考えるのが妥当ではある」


 他の長老たちも顔を見合わせて、ぼそぼそとつぶやきながらうなずく。


 ちなみに、エメルギアスとジルバギアスの戦闘で行方不明になったリリアナだが、規模は若干縮小されたものの、捜索は未だに続いている。


 しかし国内に被害が出るでもなく、死体が見つかるでもなく、リリアナがそのまま潜伏しているとは考え難いため、すでに国境を突破されたとの見方が濃厚だ。


 ジルバギアスのもとで飼われていた間に、たっぷりと吸収したであろう、魔王国についての情報を手土産に――聖大樹連合へと。


「クソッ、魔族の喧嘩のせいでとんだ大迷惑だ……!」


 思わずといった様子で、補佐の若い夜エルフが悪態をつく。


 それは、この場の全員の総意と言ってもよかった。エメルギアスとジルバギアス、どちらかがいないだけでも、これほど悲惨な事態にはならなかっただろう。だがよりによってふたりが激突したせいで、紆余曲折を経て、数多くの勇敢で優秀な夜エルフが非業の死を遂げようとしている。


 しかも、元凶のひとりたるジルバギアスは、ひょっとすると無事に生還する可能性もあるだけに、犠牲になる夜エルフたちの犬死に感が尋常ではなかった。


「…………」


 先に殴ってきたのはエメルギアスなんだよなぁ、とでも言いたげな顔をするシダール。表情筋のコントロールに長けた彼が、わざわざその表情を出したということは、つまり態度の表明であり抗議の意だった。


「…………」


 一応、出席はしているイザニス派の長老と補佐は、このまま風化して消え去ってしまいたいという顔をしていた。これも、表に出しているということは、つまり立場の表明であり、謝罪だった。


「トリトス公国国境も、極めて厳重な警備がなされているという報告がありました。おそらくあの地を中心とした、コルテラ商会系列の諜報網も、もう……」

「東部戦線、こちらから連絡員を送り込んでも帰還不能な有様ですからな……」

「南部も極めて苦しい状況です、ドラゴンによる空中からの脱出の支援要請もありましたが……」


 長老の要望に、初めてオーメンイッサの物憂げな表情が崩れた。――周囲と似たような、苦々しいものに。


「一応、魔王にはかけ合ってみよう。おそらく魔王は、こちらの要望を無下にはせんだろうが、果たして竜王トカゲがどう出るか……」


 闇竜王オルフェンの、傲岸不遜で陰湿な顔を思い浮かべる。魔族を乗せるのでさえ嫌々やっているのに、さらに格下の夜エルフのために、連中が一肌脱ぐとは到底思えなかった。


 もともと、全ての生物を劣等種と蔑んでいるような連中だ、傲慢さでは森エルフに勝るとも劣らない……


「……あと少しで、憎き草食みどもの喉元に手が届いたものを……」


 オーメンイッサの手が、何かを握り潰すかのように、硬く握りしめられる。


「聖大樹をこの手で薪木に焚べてやるのを、どれだけ夢見たことか……!」


 その瞳に燃えるのは――夜エルフの王と呼ぶに相応しい、森エルフに対する底なしの憎悪と、狂気的なまでの執念。


 森エルフ絶滅こそが夜エルフの悲願であり、それを最も強く継承し、周囲を啓蒙し続けているのが夜エルフ王家なのだ……


「しかし……前線の全てが厳重に塞がれたとなると、……現場は厳しかろうな」


 肩の力を抜き、再び物憂げな顔に戻ったオーメンイッサが、溜息をつく。


 全員が、無言で頷いた。実際、状況は極めて厳しい。決して泣き言など漏らさない最前線の諜報員が、ダメ元でドラゴンの支援まで求めてくるほどには、追い詰められている。


「魔王国への脱出が厳しいとなれば、同盟の奥地に逃げる他ありませんな……」


 シダールは眉根を寄せながら、大陸の大まかな地図を脳内に広げる。


「聖教会と国が連携し辛い、政情が不安定な地域ならば、あるいは潜伏し続けられるやも……ハミルトン公国や、ノッシュ=ウゴー連合あたりならば」

「……我らが優秀な諜報員たちならば、きっとそうするであろう。どころか政情不安を煽って、さらに土地に改造するかもしれぬ」


 そう言って、オーメンイッサは微笑んでみせた。周囲もそれにつられて少し笑ったところで、スッと表情を引き締める。


「我ら、誇り高き夜エルフでありながら、前線の戦士たちのため、神々に祈るだけではあまりに芸があるまい。策謀こそが我らの誉れ。何でもいい、ほんの少しでも現場の助けとなれるよう、我らもまた全力を尽くそうではないか」


 集まった面々を見回しながら、言葉を続けるオーメンイッサ。


「先のトカゲどもへの支援要請だが――おそらく直接、夜エルフを助けに行くような真似は引き受けまい。だが、ビラを撒くなどの妨害支援ならば、奴らもうなずくであろうよ。此度の一件の原因のひとつでもあるのだ、嫌とは言わせぬ」


 ジルバギアス追放のビラは、同盟圏に相当な影響を与えたはず。であるからこそ、また何か別のものがバラ撒かれたとき、同盟圏はそれを


 内容はおいおい考えるとして、同盟の足並みを乱すような欺瞞情報をばら撒くことができれば、諜報員たちも少しは息がしやすくなるだろう。


「あるいは比較的、同盟の動きが鈍い北部戦線へ圧力を高めるよう、魔王に陳情するか。その場合は、我らの予備戦力投入も視野に入れる」


 魔王軍の圧力が増せば、同盟はその対処にリソースを回さざるを得なくなり、当然夜エルフの取り締まりも緩むはずだ。ほんの少しの違いだろうが、それが間一髪で生死を分かつこともある……


 現場の夜エルフを助けるために、後方の夜エルフが血を流すことになるかもしれないが――それは必要なことだ。同盟圏で血と汗を流しながら魔王軍に貢献し続けた彼らのおかげで、今の夜エルフの地位があるのだから。


「そなたらも、知恵を貸してほしい。派閥云々はひとまず置いておくがよい。今は、我ら夜エルフの矜持を問われる局面ぞ。内輪で争っている場合ではない」


 オーメンイッサの真摯な眼差しに、その場のみなが表情を引き締め、臣下の礼を取って「はっ!」と力強く応えた。


 これまでのギスギスとした空気は、綺麗に拭い去られている。かつてない一体感。きっとこの熱意は、彼らがそれぞれの派閥に戻ったとき、またそれぞれの構成員たちに伝播していき、結束感を高めていくだろう……


 臣下の礼を解いた長老とその補佐たちが、早速、どのようにすれば同盟に揺さぶりをかけられるか、侃々諤々かんかんがくがくと議論し始めた。


(前線の戦士たちよ)


 それを物憂げに見守りながら、オーメンイッサは胸の内でつぶやく。


 ……先ほど、芸がないと言ったばかりだが。


(どうか、そなたらに闇の神々の加護があらんことを。同盟に呪いあれ。草食みどもに滅びあれ!)


 同胞たちの無事を祈り、そして――憎き敵を呪った。




          †††




 ジャッ!!! と焼けた鉄を水に突っ込んだような音が響く。


「いぎゃぁぁぁぁぁぁああッ!」

「ぐわああああああァァァッ!」

「アヂイィィイィィッッ!!!」


 眼前、夜エルフどもが黒焦げの肉の塊になってバタバタと倒れ伏す。


「ふー……いや驚いたな、まさか3人もいるとは」

「やりましたね!!」


 額の汗を拭う俺に、レイラがぐっと両拳を握りながら微笑む。


 どうも、夜エルフを狩りに来た勇者アレックスです。この街にいる工作員はひとりって聞いてたんだが、そいつの家に殴り込んだら全然知らないふたりがオマケについててビックリしたぜ。


「ま、とりあえずコレでひと休憩かな?」


 ピクピクと床でうごめく夜エルフどもに、ドスドスとアダマスを突き立ててトドメをさしながら、俺は周囲の気配を探る。


 ……他にも潜んでないよな? 人面皮マスクの狩人ハントスのときみたいに、屋根裏とか床下の隠し部屋とかあったら面倒だぞ。


『まあ一応確認しておくかの。【隠密を禁忌とす】』


 アンテの魔力の波動が広がり、こじんまりとした民家を包み込む。



 途端、床下からガタッガタガタッと物音が!!



「そこかァ!!」


 俺はアダマスを床板にぶっ刺し、刃から全力の聖銀呪を流し込んだ。


 ジュワーッバチバチバァチッ! と鉄板で肉を焼くような音、続いてこの世の終わりが訪れたような壮絶な悲鳴が響き渡る。


 そういや晩飯に、湖の幸の鉄板焼が名物のレストランを予約しておいたんだよな。楽しみ。


「よっしゃァ! これで全部か?」


 まだ天井裏とかに隠れてたりしない?


『他に反応はなさそうじゃの』


 アンテがそう言ってるし、俺もなんかイヤな気配は感じないので大丈夫だろう。


「駆除完了だよ」

「よかったです!」


 ホッと胸を撫で下ろすレイラ。


 さて、現場検証とかは衛兵隊と聖教会に任せて、俺たちはお先に休憩させてもらおうかな。……いや、宿屋に戻って、魂からの聞き取りだけは済ませておこう。夜にやったら食後の余韻が台無しになりそうだし。


「レストラン、楽しみだなぁ~。エビの塩焼きがめっちゃウマいらしい」

「いいですね! いっぱい食べて呑んで、嫌なことは一旦忘れちゃいましょう♪」


 レイラは明るくそう言って笑うが、一旦忘れ……忘……うーん。禁忌の魔法で……いや、まあ、頑張ろう! 置いとこう! 一旦ね!!



 休憩なら任せろ~! バリバリ休むぞ!



 ――そうして俺とレイラは、仲良く腕を組んで、るんるんとテンション高めに諜報員の隠れ家をあとにするのだった。


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