363.束の間の平穏


 じりじり照りつける真夏の日差しに、涼やかな青の湖面がきらめく。


 穏やかな波をかき分けながら、ゆっくりと進む小型の客船。


 レイラは、甲板の手すりにもたれかかって、心地よい風を楽しんでいた。船足は竜の翼とは比べるまでもなく、あくびが出るような遅さ。だけど、今はそのもどかしささえ愛おしい。


 なぜなら――


「おっ、かかった!」


 レイラの隣には、釣り竿を手にしたアレク。出航してからと言うもの、「釣りなんて何年ぶりだろうな!」と笑いながら、ずっと釣り糸を垂れていたのだ。


「うおっ……これはかなりの大物だぞ!!」


 ぐいぐいと引かれる釣り竿に、アレクは大はしゃぎだった。


 そんな彼の姿に、まぶしげに目を細めたレイラは、微笑みながら頭の麦わら帽子を押さえる。前の街で、アレクが日除けに買ってくれた大事な帽子。


 それが、一際強く吹き付けた風に、さらわれてしまわないように――



          †††



 ――しばらくのんびりすると決めたアレクたちだが、マフィアの愛人工作員を排除した街にはもう用がないので、次の目的地に移動しておこうという話になった。


 だが、レイラがで休息を所望した以上、飛んで移動するのも何だということになり、客船を使うことにした。


 夜エルフから回収した財貨で金銭的にかなり余裕はあるため、運賃は問題ない。というか、レイラとアレクのふたりが数ヶ月遊んで暮らせる程度のカネはある。


(これで、ちょっとは息抜きになったらいいんですけど)


 手すりに頬杖を突きながら、レイラは思う。


「くっ……ぬぬっ、なかなか手ごわいヤツだ……!」


 釣り糸が切れてしまわないよう気を遣いながら、緩急をつけて竿を引くアレク。


 ……レイラの要望が、自分を休ませるための方便にすぎないということは、アレクもわかっているようだった。


 正直なところレイラは、アレクが夜エルフ殲滅を何よりも優先したいと願うなら、それを受け入れるつもりでいた。たとえそのせいで、アレクが体調を崩すようなことになったとしても、だ。


 そのときはそのときで、またゆっくり休養すればいいと思っていた。アレクの望みを叶えることを、レイラは何よりも優先したかったのだ。


 だから、昨日の「休憩したいな~ちらっちらっ」というのも、いうなれば軽い様子見の一撃だった。あそこで少しでもアレクが悩んだり、葛藤するふうを見せたなら、レイラは即座に悪ふざけを辞めるつもりだった。


 だが、アレクは折れた。


 それはもうあっさり折れてくれた。


 アレク自身の体調より、レイラを気遣っての決断のようだったが。


 ――それをちょっぴり嬉しく思いつつ、彼に少しでも休んでもらいたいのも本心だったので、遠慮なく利用させてもらうことにしたわけだ。


「うおおおッッ、今日の昼飯だァァァ!」


 ついに、ザッパァーンと大魚を釣り上げながら、快哉を叫ぶアレク。


「デカくて食いでがありそうなやつだぜ!」

「あっ……勇者様。それ毒ありますよ」

「畜生ァ!!」


 気の毒そうな船乗りの言葉に、大魚を釣り針から引きちぎり、ビタァンと湖にリリースするアレク。


「せっかく苦労して釣ったのに! 俺の労力とワクワクを返せ!!」


 大慌てで泳ぎ去っていく魚に文句を言いながらも、なんだかんだで、アレクは楽しそうだった。おどけたようにこちらを見て肩をすくめるアレクに、レイラもこらえきれずにくすくすと笑う。


(――よかった)


 ちょっと不安に思っていた。


 レイラがズルい真似をして、アレクを無理やり休ませたとしても。


 それが却ってストレスになるようなら、意味がないと心配していたのだ。


 しかし今のアレクの、本当にリラックスした姿を見るに杞憂だったらしい。休むと決めたからには、全力でその『休み』を楽しむことにしたようだ。


 その割り切りが、なんともアレクらしくって――レイラは愛おしさで胸がいっぱいになった。


 こんなに屈託なく笑うアレクを見たのは、いつぶりだろう。


 いや――こんなふうに、子どもみたいにはしゃぐアレクを見たのは、初めてかもしれなかった。


(……もっと、見ていたいな)


 自然と、そう願う。


 なんだかんだで、アレクとの付き合いはまだ長くない。


【キズーナ】の力で深く心がつながっているとはいえ、レイラだけでは引き出せない彼の一面もあるのだ。


 ――もっと知りたい。もっと見てみたい。


 まだレイラの知らない、アレクという人のあり方を。


 きっと、どんな宝石よりも美しく、愛おしく、輝いて見えるはずだから――


「あ、俺だけはしゃぎすぎちゃったな。レイラは見てるだけで退屈じゃない?」


 気を取り直して、釣り針を湖に投じたアレクが、ふと思い出したようにバツの悪そうな顔をする。


「全然! そんなことないですよ。見てるだけでもすっごく楽しいです」


 ――もちろん、レイラが見つめているのは、釣りではないのだけれども。


「そっか。それならよかった。……レイラもやってみるか?」

「……うーん、もうちょっとあとで。今は眺めていたいんです」

「お、じゃあ俺も張り切らないとな!」


 よし、次こそは! と気合を入れて、鼻歌を歌いながら小刻みに竿を揺らし始めるアレク。


 そんな彼を、レイラは幸せな気持ちで、にこにこと見守っていた――



「――大変だぁぁ!」



 甲板の反対側から。



「湖賊が出たぞー!!」



 そんな、切羽詰まった叫び声が聞こえてくるまでは。



「――――」


 あれだけにこやかだったアレクの表情が、一気に険しいものとなり、浮ついた空気も霧散する。釣り竿を放り捨て、腰のアダマスに伸びる手。


「はァ?????」


 そして、思わず声を上げるレイラの顔からもまた、ごっそりと感情という感情が抜け落ちていた。



 この、何物にも代えがたい、平和な時を乱す者がいる???



「――許さない」



 めら、金色の瞳に、火が灯った。




 ――絶っっっっ対に




 許さない。





――――――――――――

※作中世界のドラゴンに逆鱗は存在しない設定です。けど、まあ、逆鱗に触れたとしか言いようがないですね! 次回、湖賊襲来! 運命やいかに……!!


※それとオーバーラップ文庫の6月刊を購入された方は、ぜひぜひ帯のソデ部分をチェックされてみてください! ジルバギアスの告知やキャラデザなどが載っているとのことです……! 書影も近日中に公開される予定ですので、ご期待ください。

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