362.人化と負荷


 ――不覚にも波止場でブッ倒れてしまった俺だが、そのままどうにか平静を装って宿屋まで引き返した。


 マフィアたち相手に凄み散らかした手前、この街であまり情けない姿を晒すわけにはいかないからな。……魔法の使いすぎで俺がバテたらしいと解釈した漁師たちは、ひどく申し訳なさそうにしていた。


『あながち間違いでもないがの』


 俺が好きでやったことなので、そこまで気に病まないでほしいとも思う。


「アレク、水飲みますか? 何か食べたいものとかあります?」

「ああ、うん、大丈夫だよ。ありがとう……」


 現在、俺は宿屋のベッドでレイラに膝枕され、ナデナデされている。もう平気だしここまでしてくれなくても大丈夫だよ、と遠慮したんだが、レイラが微笑んだまま、無言でポンポンと膝を叩くので……うん。逆らえなかった。


『しかし、アレだねぇ』


 レイラの刺突剣【フロディーダ】から、ふわりと霊体化して出てきたバルバラが、空中であぐらをかく。


『アタシはもう眠くもならないし、疲れもしないからウッカリしてたけど、人族基準で考えたらアレクは働きすぎだったかもしれないねぇ』


「そうかぁ? 自覚はなかったんだけどなぁ……」


 とは言いつつ、倒れてしまったのは事実なので、ちょっとバツが悪くて俺は天井を見上げながらぼやく。


 実際、そんなに疲れている気はしなかったんだ。体調だって悪くないのに。


「魔王国を出立してからというもの、日数の割に凄まじく濃密な時間を過ごしておることは事実じゃからの」


 アンテが実体化して、ごろんと俺の横にだらしなく寝転がりながらうなずく。


「そんなにか?」

「初めから考えてみるとよかろう」

「えーと……国境を越えたのが2週間くらい前だっけ」


 ちなみに、追放刑スタートまで1週間ほど余裕を見て出発したので、俺は今、追放刑7日目ということになる。


「で……まず、ヴィロッサ殺しただろ」


 うん……。


「その日は森で野営して、次の日イクセルをおびき出してブッ殺して――」


 街で1泊し、魂から情報を抜き取って出立、近場の村で狩人になりすましてた潜入工作員どもを殲滅。そのままレイラの翼でトリトス公国の街スグサールに入り、エドガーと出会った。


 あいつ元気かなー。ニーナちゃんとイザベラさんも……。


「スグサールのパウロ=ホインツに接触しようとしたら、たまたま公都トドマールに出かけてたから、エドガーと一緒に移動することになって、その日の夜にオフィシアたちをブチ殺した」


 あの日は大漁だったなぁー。


「そんで翌朝トドマールを発って、エルフの森を越えてちょくちょく周辺地域の様子を探って……カイザーン帝国とかハミルトン公国は諜報網対策が始まってそうだったから、スキップしてひとまずノッシュ=ウゴー連合に入って……」


 まあ草の根を分けても探し出したよね、夜エルフ。また例によってアウリトス湖で活動している商会に夜エルフの傀儡組織があったから、まずそこにカチコミかけて、諜報員をブチ殺して、情報ぶっこ抜いてからあとは芋づる式に――


「――で、一昨日ゴートン仕留めて、昨日アルナークとフラウド仕留めて、今日はトリシェか。まあそれでも、1日につき1,2名ペースだから、そんなに過酷ってほどでもないんじゃないかな」


 俺がそう言うと、バルバラが『なに言ってんだコイツ』みたいな顔をした。アンテは真顔だし、レイラは穏やかに微笑んだまま俺の頭を撫でる手を止めた。


『……その、なんだ、アンタ頭の中身まで魔族になっちまったのかい?』

「やめてくれよ……冗談にならないから……」

『あ……ごめん』


 素直に謝られると、それはそれでなんかアレだな……!


『でもさ、諜報員の炙り出しって考えると驚異的なペースだと思うよ?』

「普通だとそうなんだろうけど、俺には死霊術があるからな……解答知ってて試験を受けるようなもんだろ」

『それにしても、試験を受ける労力ってもんがあるじゃないか』

「我には試験云々はわからんが、死霊術で最大限にしていたことを差し引いても、アレクが充分なまとまった休息を取っておらんかったような気がするのぅ」


 アンテが頬杖をつき、両足をパタパタさせながら言った。


「以前ならば――魔王城で過ごしておったときならば問題ない程度の疲労だったのかもしれんが、今はリリ公がおらんからの」


 その指摘に、俺を含めみなが「あ~……」と納得の声を漏らした。


 そうか、リリアナのぺろぺろがなくなったのはデカいな……。


 彼女の癒やしの力は、ただ傷や病気を治すためだけのものではない。真の意味での『奇跡』なのだ。肉体に蓄積した根本的な疲労も、綺麗に拭い去ってくれる。


 だから、魔王城でリリアナと過ごしていたときは、それこそ精神的な限界が来るまで肉体を酷使することが可能だったわけだ。


「リリアナの癒やしに1年近く依存してたのに、急にそれがなくなって感覚が麻痺してたってことなのか……?」

「その可能性は否定できんのぅ」

「……それと、わたしにも、アレクの症状についてちょっと心当たりがあります」


 と、レイラがおもむろに口を開いた。


「人化の魔法についてです。わたしが竜の洞窟にいて、ずっと人化を強いられていたときも……最初の頃は、体力の無さというか、肉体の脆弱さが感覚的によくわからなくて、バテたり寝込んだりしちゃってました。アレクは元人族なので、わたしほど酷いことにはならなかったんでしょうけど……」


 ……多少感覚は狂っていたかもしれない、と。


「それと、本来の肉体は6歳なのに、無理やり20歳くらいに成長した姿で人化しているので、それも負担になってるんだと思います。しかもアレクは、このところずっと人化したままでしたから……ただでさえ人族の体って魔力が弱っちいのに」


 う、うん……ナチュラルボーン上位種にそう言われちゃうと返す言葉がない……


 そして言われてみれば、イクセルをおびき出したときから、俺はずっと人化を維持したままだった。20歳くらいの青年の体の方が便利だし、ってことでそのままにしてたんだが、それがヤバかったのかな?


 となると、裏を返せば――


「よっと」


 俺は上体を起こした。


 膝枕のままだと、レイラを傷つけてしまうかもしれないから。


 イメージする。自分の魔力が、ぼんやりと周囲に広がって溶け込んでいくような、そんな感覚を――


「ふぅ……」


 俺は人化を解除した。


 途端、世界がより色鮮やかに、圧倒的に細やかに感じ取れるようになる――側頭部に生えてきた忌々しい角のおかげで。体格が少しだけ小さくなるが、それを補って余りあるほどの力が、体の奥底から無尽蔵に湧き出してきた。周囲に魔力の『圧』を散らしておいたので、それほど目立ちはしないはずだ。ここしばらく、人族の体に馴染んでいたこともあり、強大な魔力を取り戻した全能感に酔いそうだった。


『はぁ』


 バルバラが、呆れたとも感心したともつかぬ声を漏らす。


『やっぱ上位魔族ってのは別格だね……』


 俺はぢっと手を見ながら、無言でうなずいた。特徴的な青肌。魔族の色。まったくイヤになるぜ。この身体に戻ったことで、先ほどまでの自分がどれだけ貧弱な存在であったのか、感覚として理解できちまった。


 レイラが竜形態で体力の回復を図ったように、魔力を巡らせるだけで、あっという間に元気になれそうな気がした。


 だけど……なんだろうな。


 どれだけ脆くても、魔力が弱くても、俺はさっきまでの日焼けした身体の方が好きだった……。


「……ま、ちょっと長いこと人化しすぎてたのかな。ときどき、こうやって元の体に戻っときゃ大丈夫だろ」


 俺がそう言って笑うと、にっこりと微笑んだレイラが、俺の角を掴んでぐいっと引っ張った。


 あ、あれ?


 されるがままにコテンとベッドの上に転がされて、再び膝枕状態に戻される俺。


「だめですよアレク、しっかり休まないと」


 その口調には、どこか有無を言わせぬものがある。


「い、いや……だから、大丈夫だよレイラ。心配してくれるのはありがたいけど……たまに人化を解除して、コンディションを整えれば問題ないだろう?」

「確かに、肉体的な疲労や、魔力の消耗はそうですね。でも」


 レイラが、俺の額をちょんっとつついた。


「精神的な疲れは、そうもいきません。アレクはもっとゆっくりすべきです」

「そういうわけには……同盟圏にいる間は、正直、一分一秒だって惜しいし」


 こうしている間にも、夜エルフ狩りの噂が伝わって、諜報員が逃げ出しちゃうかもしれないし……


 アルナークとかフラウドとかトリシェとか、ここ数日で仕留めた連中の尋問インタビューもまだ終わってないし……


「やることは山積みっていうか……ゴロゴロしてられないっていうか……」

「……わたし、悔しいんです」


 不意に、レイラの笑みが崩れた。


「ずっと、【キズーナ】でアレクとつながっていたのに……わたしは、あなたを蝕む疲労にも、異常にも、気づいてあげられなかった……!!」


 ぽつぽつとつぶやくようなのに、とてつもなく深い悔恨を滲ませる言葉。


「いや、でも……平気だったし……」

「平気だったのも、事実だと思うんです。アレクは全然、無理をしている感じがなかった。わたしも、だから大丈夫だろうって思ってたんです……なのに、実際には倒れてしまった。先ほどアンテさんが言ってたみたいに、やっぱり感覚が麻痺してるんだと思います」

「感覚は、ちょっとやそっとじゃ戻らないかもだけど、疲労をどうにかすれば根本的な解決になるし、人化をちょくちょく解除することでカバーできるんじゃ……」


 あまり時間を浪費したくない俺としては、やはり、はいそうですかと納得することができなかった。いくらレイラの勧めでも、だ。


『同盟圏での、特に今のこの時期の時間が貴重なことには同意するけど、多少息抜きしたってバチは当たらないと思うんだけどね』


 バルバラが困ったような顔で言う。


『特に、アンタは替えがきかない人間なんだし、今は命を削ってまで踏ん張るタイミングじゃないと思うよ。心身のコンディションをベストに保つのも大事だよ?』

「しかし……いや、休息の重要性はわかってるんだ。ただ俺は病人じゃないし、そこまでのんびりしなきゃいけないかと問われると、それは必要ないって話で」


 俺は再び起き上がりながら答える。みなの気遣いはありがたいんだが、俺は別に、そこまでヤバい状態じゃないと思うんだが。心配し過ぎでは……?


 それに今さら、のんびり日向ぼっこできるような気分でもないっていうか……落ち着かないっていうか……。夜エルフが逃げ出すんじゃないかって思ったら、おちおち眠ってもいられないし。仮に、同盟圏の夜エルフを殲滅し終わったら、それこそ南の島でゆっくりしてもいいかなって思うけどさ……


「そもそもの話じゃが」


 と、アンテ。


「お主がそこまで張り切ると、それに付き合わされるレイラも倒れてしまう危険性があると思うんじゃが?」


 ………………。


 アンテに意味深な流し目を送られたレイラが、「その手があったか!!」という顔をした。


「ああっ。急にとてつもないめまいがっ!」


 ぱたっとベッドに倒れ伏すレイラ。


「ううっ体にぜんぜん力が入りません!」


 ちらっ。


「アレクの足を引っ張って情けないですが、ちょっと休憩したいです!」


 ちらっ、ちらっ。


「…………」


 つよい。


 勝てない……。


「お主の負けじゃ。諦めよ」


 アンテがけらけらと笑う。


 そもそも、同盟圏での移動はレイラの飛行能力に頼りきりな俺だ。レイラがイヤと言ったら、それはもう、どうしようもないのだった……。



 ――そんなわけで、同盟圏に入ってからまだ2週間ちょいだが、俺は少しのんびりすることになった。


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