360.特異個体


 ――少しして、神々への感謝の祈りを終えた船長が、バシバシと自らの頬を叩いて気合を入れ直した。


「よぅし、野郎ども、配置につけ! やっこさんがまた戻ってきたら大事おおごとだ、船に問題がないようなら帆を上げろ! このおっかない水域から離脱するぞ!」


 魂が抜けたようにへたり込んでいた船員たちも、化け物が戻ってくる可能性に思い至り、転がるようにしてそれぞれの持ち場に戻っていく。


「勇者様! すいやせん、怪我人が……」


 と、腹部から血を流す船員がアーサーのもとへ担ぎ込まれてきた。


「……この傷は?」


 治癒の奇跡の光を浴びせながら、不思議そうに小首を傾げるアーサー。幸い治療は容易だったが、あんな巨大怪獣デカブツにやられたにしては、あまりにもささやかな傷だった。触手に叩き潰されるか、水底に連れ去られるかで、基本的には即死しそうなものだが……


「それが、大揺れのときにすっ転んで、隣の野郎の剣が刺さっちまいまして」

「ああ、そういう……急所から外れててよかったね」


 刺し傷はすぐに塞がり、アーサーはまっさらになった船員の腹をぽんぽんと叩いて微笑んだ。


「これで大丈夫だ」

「ありがとうございやす……! なんか、腰の痛みまでなくなった気がしやす」

「悪くしてたのかい? ついでに治ったかもだ」

「そいつはありがてえ!」


 ぺこぺこと頭を下げる船員に、ちょっと羨ましそうな周囲の面々。非常時や戦時、(かつ余力がある場合)聖教会は治療費を請求しない。そしてアーサーは勇者を自称しているが、下手な神官より治癒に長けていることは素人目にも明らかだった。


 まあ、だからといって、わざわざ自傷してまで、持病もついでに治してもらおうとする輩はいなかったが……


「おーい、副長! 副長生きてるか!?」

「はいはいキャプテン! 生きてますよ!」


 船長の呼び声に、海賊みたいな強面の副長が飛んでくる。


「他にも負傷者と、……やられた奴がいないか、確認を。客の方もな」

「……了解!」

「おい、そこのお前も! ボサッと突っ立ってるヒマがあったら、マストにヒビが入ってないか見てこい!」

「へ、へい! すいやせん!」


 先ほどまでの憔悴ぶりが嘘のように、キビキビと船員に指示を飛ばしていく船長。それを、隣で腕組みして見守っていたアーサーは、指示出しが一段落したあたりで再び声をかける。


「流石はニードアルン号のキャプテンだ、貫禄が違う。以前クラーケンを撃退した、と豪語していただけのことはある」

「……よしてくださいよ」


 からかうようなアーサーの言葉に、船長は恥じ入るような顔をした。


「そりゃあ、昔に1回だけ追い払ったことはありますよ? けど話にならないくらい小さい奴だったんですよ。や、小さいといっても、目ん玉だけで私の頭くらいはありましたがね。それにしたって、今回の奴とは比較にならねえや」


 威厳の仮面も剥がれ落ちて、ブルッと身震いする船長。


「ありゃあ……とびきりの化け物だ。『アウリトスの魔王』に違いねえ」

「……噂に聞く、巨大湖アウリトスのヌシか。まさか、この目で見ることになるとはね」


 どこか感慨深げに、アーサーも湖を見やる。のっぺりとした、暗い水面を……


「アウリトスの魔王に襲われて生き延びるなんて、奇跡以外の何物でもありゃしませんよ」

「ますます箔が付いたじゃないか」

「……アーサー殿のおかげですよ、自分らは震えてただけです。本当に、アーサー殿に同乗していただけてよかった」


 心の底からそう思っていそうな様子で、しみじみとつぶやく船長。


「僕もこの船の守人もりとでよかったよ」


 アーサーもまた、生真面目に相槌を打つ。


 ――この手の大型船には、古来より聖教会の人員が派遣される制度があり、船守人あるいは単に守人と呼ばれている。船の防衛から傷病者の手当て、さらには死没者の弔いまで、その役割は多岐に及び、船長に次ぐ権限を与えられている(ただし、何らかの事情で船長が欠員となった場合、副長など船側の人員が船長に昇格するため、船長の代わりに権限を掌握することはほぼない)。


「贅沢言わないから、もうひとり攻め手がいればな。あのタコ野郎も追い払えたかもしれないのだけど」


 涼しい顔は相変わらずだったが、アーサーの口調には悔しげな色が滲む。


「……いえいえ、贅沢な話ですよ。むしろこの大変なご時世に、変わらず船守人を続けていただけてるだけでも、ありがたいくらいで……」


 ゆるゆると首を振る船長。かつて、このクラスの大型船には船守人がふたりは乗り込んでいたものだが、今ではひとりに減らされていた。対魔王戦で慢性的な人材不足に苦しむ聖教会が、往時のような人材派遣ができなくなったためだ。


 むしろ、小型船はおろか中型船にさえ船守人が不在、なんてこともザラにある始末で、湖賊は増長し、魔獣の被害も抑えきれず、聖教会と都市国家は被害を聞きつけてから討伐隊を組織するなど、後手後手の対応を余儀なくされていた。


「それでも、さ。……せめてうちの親父か、爺さまがいればな」


 小さくつぶやいて、密かに嘆息するアーサー。……自分ひとりでは、きっとこの船を守りきれなかった。あのまま一昼夜は耐えきる自信があったが、それ以上粘るのは厳しかっただろうし、何より船が保たなかっただろう。


 あの、謎のホワイトドラゴンの介入がなければ、どうなっていたことか――


「噂に名高いヒルバーン家の英傑たちですな」


 ニヤッと笑う船長。アーサーは曖昧に微笑む。


「ヒルバーン家?」

「ばっかおめえ知らねえのか? 勇者様のご生家だよ。代々優れた神官や勇者を輩出している、アウリトス湖でも屈指の名家さ」


 何も知らない若い船員に、物知りな古参が解説している。


「なんでも、古代の勇者王・アーサー様の血を引いているとか……」

「へえ~! ……あれ、勇者様もアーサーって名前じゃなかったっけ?」

「……名前負けしないように頑張らないとだ」


 若い船員のピュアな眼差しを受けて、アーサーは面映そうに頭をかいた。


「名前負けだなんて、とんでもない! アーサー殿はすでに勇者王もかくやというご活躍ですよ! 『アウリトスの魔王』の襲撃を独力で押し留めてたんですから!」


 船長が真顔で、勢い込んで言う。周囲の面々もうんうんとうなずいていた。


「北部戦線でもすごい活躍だったって聞いたぞ。一昼夜、魔王軍の攻撃を押し留めて追い返したとか。ヒルバーン家の麒麟児、『不眠不休』『疲れ知らずの勇者』といえば、アーサー=ヒルバーンのことだって……」

「へぇ~~~!」


 物知り古参の言葉に感心する周囲。


 アーサーは相変わらず困ったように微笑んでいたが、その笑みの温度が、周りに気付かれない程度に下がったようだった。


「キャプテン! 船体の確認終わりやした、目立った損傷なし! 帆もすぐに畳んでたんで破れてないっす!」


 そのとき、また別の船員が報告に来て、ビシッと敬礼する。


「よぅし! 帆を上げろ、全速で沿岸の浅瀬に逃げるぞ! ……アーサー殿、改めてありがとうございます。護りの奇跡がなけりゃ、今頃木端微塵でしたよ」

「……よかった。なあきみ、本当に損傷はなかったか? 竜骨や船底にヒビなんて入ってない?」


 報告に来た船員に、念押しするアーサー。


「あい! ランプ掲げて、複数人で目を皿にしてチェックしやした! 竜骨も船底も隔壁も全部無事っす! 舷側や船腹は、吸盤で傷がついてやしたが……」

「よし。少なくとも航行には問題ないってことか。じゃあ護りは解除しよう」


 アーサーが左手を掲げると、船全体からふわっと燐光が立ち昇った。


 銀色の光がアーサーの上腕に収束し、シンプルな造形の銀色の盾に


「……ふぅ」


 肩の力を抜いて、息を吐くアーサー。今の今まで、彼は護りの奇跡で船体を補強し続けていたのだ。日没後すぐにクラーケンに襲われ、それから数時間、絶えず触手の攻撃に晒されていたにもかかわらず、ニードアルン号が湖の藻屑と化していなかったのは、他でもないアーサーのおかげだった。


「…………」


 船長も船員も、畏敬の念を込めてアーサーを見つめている。古代の勇者王の再来、そう言われても大袈裟だなんて誰も思わなかった。


 大魔獣から船を守り抜いた英雄の姿が、確かに、そこにあったから――


「あ、そういやキャプテン。船は無事っすけど、船首像がなくなってやした」


 ふと、思い出したように船員が報告を付け足す。


「……あんのエロダコ野郎、幸運の水の精ニード像を持っていきやがったのか!」


 顔をゆでダコのように真っ赤にして激怒する船長。


「あれ高かったんだぞ! チクショウめ――!!」



 船長の怒号が響き渡る中、メインセイルいっぱいに夜風を受け、ゆっくりと針路を変えるニードアルン号。



 沿岸部の浅瀬を目指し、そのまま徐々に加速していった――

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