359.水棲大魔獣
『なにアレぇ!?』
心象風景を共有したバルバラが、素っ頓狂な声を上げる。
内陸出身だもんな、知らないのもムリはない。
あれはおそらく、『クラーケン』――巨大なタコの化け物さ。肉食性で、他の水棲魔獣を主食にしているが、船を沈めたり沿岸に上陸して村を襲ったりすることもあるらしい。
まあ俺も内陸出身だから、直に見るのは初めてだけどなァ!
『――海の魔獣かと思ってたんですが、淡水にもいるんですね――』
興味深げなレイラ。
『――父の記憶によると、あんまり美味しくはないみたいです――』
へぇ~そうなんだ……食えるんだアレ……ってそうじゃなく!!
俺は指で輪っかを作り、遠見の魔法を唱えた。さらに両目に闇の魔力を集中させ、暗闇を見通す。
――俺の肉眼でも確認できた。四方八方から絡みつく木の幹みたいな触手に、客船が大きく揺さぶられている。
客船側も必死で、船員が松明を押し当てたり、剣で切ったり突いたり必死で抵抗しているようだが――正直、有効打を与えられているとは言い難かった。
と、船上からジャッ!! と閃光がほとばしる。
触手の1本に銀色の光が直撃。焼かれた触手がビクンとのたうって水面に引っ込んでいく。が、代わりに新たな1本がにょきっと生えてきて船体に絡みついた。キリがないなありゃ……
『あの光の色……聖銀呪の使い手じゃの』
アンテがつぶやいた。
あのサイズの大型船なら、
『――どうします、アレク?――』
……助けたい。諦めの悪いタコ野郎め、船体に巻き付いて丸ごと水底に引きずり込もうとしてやがる。
船が沈むのも時間の問題だろう、聖銀呪の使い手がヘバったら終わりだ。
レイラ、いけるか?
『――とても目立っちゃいますけど、追い払うくらいなら――』
レイラの言葉は、確認の意味合いが強かった。
……ホワイトドラゴンとしては、あまり目立ってほしくない。
だが構うものか。魔王国に情報を流すであろう諜報員は、俺が1匹残らず狩り出してやる。そもそも、魔王子ジルバギアスとその従者の噂も大きな問題にはならない。魔王子がわざわざ客船を助けるはずもないからな!
何より、数十人、ともすれば百人以上が乗ってそうな船が沈むのを、みすみす見逃すわけにはいかない……!
レイラ、頼む。やってくれ!
『――わかりました!――』
大きく息を吸い込みながら、レイラが急降下する。……遠かった客船の明かりが、ぐんぐんと迫る。
「――ガアアアアァァァッッ!!」
全力の、
闇夜を貫くまばゆい光の柱が、船の真横、触手を焼きながら湖面に突き刺さる。
そして水底に浮かび上がる巨大な魔獣の姿――
『デッッッッッッッッカ!』
バルバラが再び素っ頓狂な声を上げた。でけェ! 胴体だけで30
船から一際大きな悲鳴が聞こえたのは、ブレスのせいか、それともあらわになった怪物の全貌のせいか――
ぶくぶくとブレスで沸騰する水面。だがその下のクラーケンは涼しい顔(?)で、焼かれた触手だけを引っ込め、相変わらず客船に絡みついている。
『――ダメです! 船の真下に潜り込んでいて、この角度じゃ当たりません――』
レイラが旋回しながら、さらに高度を下げていく。
『――なるべく横から狙います――』
すぅぅ、と再び大きく吸い込み。
「ゴガアアァアァァァァァ――っっ!」
ブワァッ、と水面に一筋の光の道。蒸気が爆発し、湖面が抉り取られる。レイラが放ち続ける閃光は船の真下に潜り込み――クラーケンの巨大な瞳を、捉えた。
「――――!!」
奴には発声器官などないだろうが、絶叫がほとばしったように思えた。
どでかい水柱が立ち、船が大きく揺れる。全ての触手を引っ込めたクラーケンは、巨体とは思えぬ俊敏さで水底へと逃げていく。レイラのブレスがそのあとを追うが、煙のようなどす黒いスミに阻まれてしまった。
……正真正銘のバケモンだな、ありゃ。
『――水の層で光が減衰して、あまり威力が出ませんでした……――』
レイラは口惜しげにしている。生物最強格としての矜持が傷ついたのか。水の外でブレスが直撃してたら、今頃こんがり焼けてたんだろうけどなぁ。
ドラゴンが空中の王者なら、クラーケンは水中の覇者だ。アレには、魔王さえ手を焼くかもしれない……闇と火属性しか使えないし。氷魔法を得意とするアイオギアスと、稲妻の色情王ことダイアギアスも撃退はできるかも。しかし確実に息の根を止められるか――殺られる前に殺れるかは未知数だ。
正直、俺もアレの相手はかなり厳しい。防護の呪文で触手や歯は防げても、水底に引きずり込まれたら一巻の終わりだからなぁ。あれだけでかい魔獣だとそこそこ魔法抵抗もあるし、全力で聖銀呪を叩き込んでも即死させるのは難しそうだ。
【転置呪】も体の構造が違いすぎて効果が薄いだろうし、【禁忌】も……何を禁忌にすればいいんだ? 水泳? いや、いずれにせよ、掴まれて一緒に水底に沈んだら、ヤバいことには変わらないしな……。
それはそうとして、九死に一生を得た客船は、クラーケンの置き土産の大波で揺れに揺れていた。自分たちが命拾いしたことにさえまだ気づいていなさそうだ。
まあ、これはこれで好都合。
『――離脱します!――』
全力ブレスを連射してちょっと苦しそうなレイラが、それでも力強くはばたいた。高度を上げることより、距離を取ることを優先して、水面ギリギリをまっすぐに飛んでいく。
本当にありがとう、レイラ。おかげで無辜の人々が救われたよ。
『あれ、実は湖賊だったりせんかの?』
そこ!! そんなこと言わない!!!
『湖賊はありえないでしょー、だって勇者か神官乗ってたし』
バルバラの指摘に、『つまらんのー』と不満げなアンテ。
俺は苦笑しながら、振り返って、すでに遠くなりつつある客船を見やった。揺れもようやく収まったようだ。レイラに任せきりで何もできなかったのは心苦しいが、助けられてよかった。
ホッと安堵の溜息を漏らしつつ、念のため隠蔽の魔法を自分たちにかけながら、前に向き直る。
レイラ、手近な島があったら、降りて少し休憩しよう。
『――まだ飛べます!――』
いや、そこまで気を張らなくても大丈夫だよ。
【キズーナ】のおかげで、レイラがちょっと無理をしているのが丸わかりだった。
レイラの根性を疑ってるわけじゃないんだ。でも、今は無理をする必要が――そこまで必死に次の目的地に向かう必要がないかな、って。
どんな風の噂も、きみの翼には敵わない。ゴートンたちが仕留められた、という話が広がるより、アダマスが夜エルフどもの心臓を抉る方が早いだろうから……
『――わかりました……――』
観念したように翼を広げて、水面ギリギリを滑空し始めるレイラ。
凪いだ湖には、相変わらず星空が写り込んでいる。鏡のように――その向こう側、水底は見えない――
ふと、ここから、にゅっと触手が生えてきて、俺たちに絡みついたら怖いな、なんて思ってしまった。
『『『「…………」』』』
そして俺たちは全員、【キズーナ】により思考が共有されている。
『――あの、もうちょっと高く飛びますね――』
いや、なんか、ごめん……。
『あんなもん見せられちゃったら、ねえ?』
『我もアレのおやつになるのはごめんじゃの……』
暑いし泳いでもいいかなーなんて考えてたけど、足のつく深さじゃないとちょっとおっかないかもな。この湖では……。
†††
「た、助かったのか……?」
一方その頃、クラーケンの魔の手を逃れた客船・ニードアルン号。
「みんな無事か!?」
甲板に聖剣を突き立て、どうにか大揺れをしのいだ勇者は叫ぶ。
客船はとにかく騒然としていた――数時間に及ぶクラーケンとの戦いで疲れ切っていた乗客たちも、揺れのせいで、この世の終わりが訪れたかのように再び恐慌状態に陥っている。
空中に光球を打ち上げた勇者は、甲板を走り、船の両舷からそれぞれ湖面を見下ろした。
クラーケンの姿は――ない! 幸い、船から放り出された者もいないようだ。……触手に連れ去られていなければ、の話だが。
「あのタコ野郎は逃げたぞーッ!」
勇者は声に魔力を込め、剣や松明を構える船員だけではなく、乗客にも聞かせるように叫んだ。うおおおお、と船員たちが歓声を上げ、どうやら危機は去ったらしいと悟った乗客たちも落ち着きを取り戻す。
ひとしきり喜んだあとで、船員たちが剣を取り落とし、へなへなとその場に座り込んだ。みな、一様に魂が抜けたような顔をしている――
「アーサー殿ぉ!」
と、こちらもまたげっそりと消耗しきった様子の船長が、ふらつきながら駆け寄ってきた。
「く、クラーケンは、本当に……!?」
「やあ、キャプテン。どうにか命拾いしたな」
聖剣を鞘に収めつつ、微笑む勇者。疲労困憊した者だらけの中、彼だけは妙に元気なままだった。ウェーブした金髪に隠された左目、すっと通った鼻筋、どこかミステリアスな魅力を醸し出す好青年。
その名を、アーサーという。
「あのタコ野郎は、影も形もないよ」
「……おお、光の神々よ。感謝いたします……!」
ひざまずいて、思わず天に祈りを捧げる船長。アーサーも「ホントにねえ」とうなずきながらそれに倣うが、その動作はどこか白々しい。
「……しかし、先ほどの、天から降り注いだ光はいったい……? 神々の遣いでしょうか? それとも、アーサー殿の奇跡?」
「まさか、あんなのいくら僕でも無理だよ。僕の目には、ホワイトドラゴンのブレスのように見えたけどな」
「ホワイトドラゴン? ……助けてくれたのでしょうか?」
「結果を見れば、明らかに。もしかしたら、本当に神々の遣いだったりして」
「……おお! 神々よ!! 感謝いたします……!!」
さらに熱心に祈りだす船長に、苦笑するアーサー。
(しかし――)
髪をかきあげながら、暗い湖面の果てを見やる。
(あのホワイトドラゴン……)
彼の右目は緑色だったが、髪に隠されていた左目は――銀の光を灯している。
(背中に、誰か乗せていた……)
水平線に、目を凝らす。
だが、その果てには、もう何も見えなかった。
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