358.防御機構
蒸し暑い夜は、レイラの風が心地よい。
ホワイトドラゴンにまたがり夜空を駆ける俺は、眼下に広がる滑らかな湖面に目をやった。
月と星々が映り込んだ巨大湖アウリトスは、まるで第二の星空のようだ。鏡合わせのように広がる無限の漆黒と、散りばめられた無数の白銀に挟まれた世界。レイラの翼が風を切る音だけが鳴り響き、俺たちを遮るものは何もなく、それは、同盟圏で得られた真の自由と、これからの孤独な旅路を暗示しているようでもあった。
『詩人じゃのぅ』
『あの脳筋アレクがすっかり変わっちゃってまぁ』
からかうアンテ、しみじみとするバルバラ。いちいち突っ込まないでくれよ! 恥ずかしいだろ!!
レイラが飛びながら、くすくすと笑っている。俺は【キズーナ】の手綱を握り直しながら、憮然とした面持ちで前方に視線を戻した。
――現在、俺たちは闇夜に紛れて街を出立し、次なる目的地へと向かっている。
夜エルフ工作員・ゴートンを仕留めて、一応、報告のために街の聖教会に戻ると、入口で老神官が身なりのいい男に絡まれていた。
「――ウーサー殿、困るのですよ。このような真似をされては……」
目元にがっつり刀傷が刻まれたその男は、どうやらマフィアの関係者らしかった。たぶんボスの側近か、幹部だろう。跡を残さず綺麗に治療するカネくらいは持ってそうなのに、目元に傷があるのは、つまりワザと残してるってワケだ。裏社会での箔を付けるためかな? バカバカしい。
事と次第によっては今後の寄進について再考云々と、資金面での圧力をチラつかせていたので、俺はそいつの足元にゴートンの死体を放り投げてやった。赤い瞳と目が合ってビビってたよ、マフィアにしては肝が細いじゃないか。
「首尾は上々だったようですな、アレックス殿」
渋い顔で、マフィア野郎のネチネチした言い分に耳を傾けていた老神官は、獰猛な笑みを浮かべて俺の方を向く。
「ええ、司教殿。汚物を持ち込んで申し訳ない」
下水の悪臭で鼻が曲がりそうだ、俺もここまで死体を引きずってくるのが嫌で仕方がなかった。
「こちら、賭博場のディーラー・ゴートンを名乗っていた夜エルフです。衛兵隊にも連絡を、こいつの私室を詳しく調べた方がいいでしょうから」
「なっ……」
口をパクパクさせるマフィア野郎。
「ま、待っていただきたい……!」
「何をだ?」
俺はそいつにズイと詰め寄った。
「身内に夜エルフを匿っていた以外に、まだ何か隠し事でもあるのか?」
「! 匿っていたわけではない、我々も知らなかったんだ!」
俺の言い振りに危機感を覚えたか、マフィア野郎が悲鳴じみて答える。
「
これまで他国で、夜エルフの傀儡商会が取り調べを受けたみたいになァ。衛兵隊が大喜びするだろう、これを機に目の上のたんこぶだったマフィアを大幅に弱体化させられるんだから……!
それがわかっているマフィア野郎は、青い顔をしていた。衛兵隊と聖教会が乗り込んでくるのもそうだが、時間稼ぎもできずにそれを許してしまえば、ファミリー内での自分の地位もヤバいと思っているのかもしれない。
「あんた、寄進がどうとか言ってたな……?」
「そっ、そうだ! こちとら、聖教会とは適切な距離感でやらせてもらってるんだ。協定を破るようならもう援助はしないし、できないぞ!」
――とのことだが。俺は老神官を見やる。
「……我ら聖教会は、人族の守護者である。我らは人類の外敵に対する剣であり、盾である。ゆえに凶悪犯の討伐を除いて、人族同士の争いには関知しない。裏社会と良くも悪くも距離を保っているのはそのためである」
とんとん、と杖で床を叩きながら、老神官は言った。
そして。
「しかし闇の輩を庇い立てするとなれば、話は別である」
杖が、するりと解けるようにして、年季の入った両手剣に変わった。
魔法の品、それもかなりの業物――
「構成員の中に夜エルフがいた? よかろう。巧妙な諜報員に潜り込まれていた? そのようなこともあるであろう。それだけでは罪にはならぬ。だが、他にも闇の輩が潜んでいるかどうか。そして良からぬ影響を受けているかどうかは、厳密に取り調べられなければならぬ」
めらめらと使命感に燃える瞳でマフィア野郎を正面から見据える老神官。
「取り調べを拒否すると言うならば――それはつまり、闇の輩への協力であり、人類への背信である。その一線を越えるならば、いかなる集団であろうと、我らは人類の敵とみなす」
両手剣の柄を握りしめながら、老神官は厳かに宣言した。
「人類の敵の討滅が我らの至上命令。資金云々など些事にすぎぬ」
ただただ絶句するマフィア野郎。たぶん、今まで勘違いしてたんだろうな。聖教会は甘い、直接手を出してくることは早々ない、って。実際、聖教会は人類には甘い。凶悪犯でもない限り、悪人だって闇の輩からは守る。
だが、裏を返せば。
闇の輩を利するならば、善人でも排除する。
「せ……戦争になりますぞ……」
呻くように言うマフィア野郎。あ、訂正。まだ勘違いしてやがる。
『アレクひとりにあれだけ滅茶苦茶にされておきながら、なんで戦争が成り立つと思っとるんじゃコイツ……』
アンテが心底呆れた口調で言う。ほんとそれな。あるいは、正規戦じゃなく、チマチマした嫌がらせや夜討ち、暗殺なんかを指してるのかもしれないが。
――ガチャガチャと背後から甲冑の音が聞こえてきた。
「父上! ただいま戻りました。何やら物騒なことになっていると聞きましたが」
振り返れば、傷だらけの鎧兜に身を包んだ、勇者や神官たちが揃い踏みだった。俺が敬礼すると、向こうもビシッと返してくる。魔獣の討伐に向かっていたという精鋭たちか、後方にしてはかなりできそうな気配を感じる。先頭に立つ壮年の武装神官は老神官に似た顔立ち――
「イーサー、無事で何より」
うなずく老神官。確か、老神官の名前はウーサーだったか。そしてこの武装神官がイーサー。どうやら親子みたいだな。初めて見た……
『親子で神官は珍しいのかえ?』
ああ。勇者や神官の子が聖銀呪を受け継ぐとは限らず、むしろそうならないことの方が多いらしい。……ひょっとすると、稀に存在すると言われる、聖銀呪に目覚めやすい家系かな?
「帰ってきて早々悪いが、戦闘態勢は維持せよ。場合によっては戦となる」
威圧的な口調の
震え上がったマフィア野郎は、その場で捜査への全面協力を約束し、今後の寄進についても前向きに検討すると言い残して、転がるように去っていった。
それを見届けて、この街はもう大丈夫だろうと踏んだ俺は、あとはウーサーたちに任せてそっと姿を消し、次なる街へ旅立ったわけだ。
わかっているだけでもトリシェにフラウドにアルナークと、狩るべき夜エルフはいっぱい残ってるからな……! バリバリやるぞー! バリバリ!
†††
『――まだまだ行くところがたくさんありますね!――』
バッサバッサと張り切って羽ばたきながら、レイラがどこか嬉しそうに言う。
俺と一緒に広い世界を見て回れることを、純粋に喜んでいるようだ。諜報網の破壊はそのついで、害虫駆除くらいにしか思ってなさそうな雰囲気が【キズーナ】越しにひしひしと伝わってくる。
……まぁ俺も、実のところ似たような考えなんだけどなァ!
あまりにも血なまぐさいから、付き合わせちゃって悪いとは思ってるけどさァ!
『――わたしは、アレクと一緒にいられるならどこへでも――あっ』
と、不意にレイラの思考が中断される。驚き、警戒、興味、そういった感情が流れ込んできた。どうした?
『――遠くの方で、船が……どうやら襲われてるみたいです――』
レイラの目が捉えた光景が、心象風景として俺に伝えられた。
それは――
夜の湖で、何本もの巨大な触手に絡みつかれ、大きく傾いた客船だった。
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