356.頂点捕食者
殴り込んできた勇者が、『ゴートンを出せ』と言っている――
チンピラの言葉に、ゴートンはここ数年で一番困惑した。周囲の同僚たちも、「何やらかしたんだお前」という顔でこちらを見てくる。
……まずい。
「とうとうバレちまったか! 昔、聖教会のカネをちょろまかしたの!」
ゴートンは口からでまかせを言いながら、わざとらしくペシッと額を叩いた。
「……お前そんなことしてたのかよ!」
「勇者ブチギレてっぞ! いくらちょろまかした!?」
「い、いやー、いくらだったかなハハハ……」
誤魔化すように笑いつつ、取り落としたパイプとコインを拾い、床にこぼれた刻み煙草の火を靴で踏み消した。
「っつーわけで、オレ、ちょっとズラかるわ!」
「そうしろそうしろ」
「あの剣幕、お前殺されかねねーわ」
自室に飛び込んで、とりあえず持てるだけの荷物をひっつかむ。
「わりーなお前ら! ……じゃあな!」
同僚たちを振り返って、彼らの顔を見納めてから――ゴートンは走り出した。
「達者でなー」
「しばらく大人しくしてろよー!」
「やっやべえぞお前ら! 『先生』がやられた!!」
「「ええっ!?」」
上擦った驚愕の声を背に、ゴートンの胸の内からは一切の感傷が拭い去られ、数年ぶりに諜報員らしい冷徹さが戻ってきていた。
(――なぜ聖教会がオレをピンポイントで?)
廊下を駆け抜けるわずかな時間で、思考を巡らせる。
(連絡員は即死したはず――その情報が間違っていた? 実は捕らわれて尋問されていたにもかかわらず、オレを油断させるために偽情報を流布した? いや、目撃者が多すぎる、そんなマネはできない……だとすれば)
考えられるのは。
(もともと、オレと連絡員の情報がまとめて漏れていたか……!)
ここではないどこか別の街で、
(とすれば、誰だ!? オレの
次々に、夜エルフ諜報員の顔を思い浮かべる。誰が漏らしたのか――極めて重要なポイントだった、それによって今後逃げられる経路と行き先の街が変わってくる。
(……クソッ、わからねえ!)
しかし現時点では、推測のしようもなかった。いくら生粋のギャンブラーたるゴートンでも、この中のどれかに賭けてみようという気にはなれなかった。何か追加情報でもない限りは、『全部ダメ』と考えた方が無難。
(となれば、南回りに西に戻るルートが一番安全か……?)
距離的にはかなりキツいが、ここは思い切って、マダタ=スカル方面を目指し撤退した方がいいかもしれない。
そこまで一瞬で考えて、大まかな逃走経路まであたりをつけたゴートンは、目下のところ最大の問題に直面する。
「どっから逃げたもんか……」
このまま廊下をまっすぐ抜ければ、賭博場の勝手口。対して、右手の階段を登っていけば、屋上へ。左手の突き当たりにいけば地下室への扉があり、実はこちらは下水道につながっている。
……勇者が正面から突っ込んできたのは、まず間違いなく陽動だ。自分の正体まで特定されていた以上、高確率でこの建物は包囲されている。勇者がカチコミをかけてきたと聞いて、ノコノコ逃げ出す間抜けな闇の輩を、聖教会の連中は手ぐすねを引いて待ち構えているだろう。
(勝手口は論外だ。草食みが弓を引き絞っててもおかしくねえ。屋上……もいけすかねえな、屋根伝いで獣人兵から逃げるのは骨だぞ)
となれば、消去法で。
(下水道しかないか……)
仮に、連絡員ではなく、他の街の諜報員経由で情報が漏れたなら――この脱出経路は知られていない可能性が高い。何を隠そう、地下室の床を地道に掘って、下水道につなげたのはゴートン自身だからだ。
それでも、数年前から悪臭で獣人の同僚たちは『穴が開けられた』ことは察知していたようなので、フーゼンフレイム・ファミリー経由で情報が漏れていたならば万事休すだが。
「…………」
時間がないにもかかわらず、ゴートンはピィンッとコインを弾いた。
「表」
パシッと空中で掴んで見れば――表。
(……行くしかねえ!)
どのみち、背後からはおっかない勇者が迫りつつある。
待ち伏せは覚悟の上で、下水道に潜り込んで逃げるしかないのだ。ドブネズミのように……!!
地下室に向かいながら、ハンカチをビリリッと破き、強盗のように口元に巻いて簡易マスクとする。地下室のワイン樽を転がしてどかし、タイルをめくって、その下の木の板を剥がせば――
「わっっっぷ」
目に染みるほどの悪臭。これから自分が潜り込むと考えると、泣けてくる。
「クソ~~~~……下水道だけに」
ぶつくさボヤいてから、パイプを口に咥えておく。まかり間違っても、これが下水塗れになるのだけは避けたかった。
かくして、ゴートンは狭い下水道に潜り込んだ。少しでも時間を稼ぐために、入るときにタイルと木の板で元通りに入り口を塞いでおく。獣人がいれば臭いで気づかれるだろうが、これでちょっとでも発見が遅れれば……
(一周回って臭いがしなくなってきた)
ざぶざぶと汚水をかきわけながら、進む。目に汚水が入ったらマジでヤバいので、それだけは最大限に気をつけつつ、可能な限り急ぎながら――
(出たら服をどうにかしねえとなぁ、ただでさえ逃げづらいってのに臭いだけで獣人兵の注意を引いちまう。顔もちょっと変えた方がいいかぁ?)
汚れていない手でぺたりと頬を撫でながら、ゴートンは考える。
(適当な人族から皮でも剥ぎ取っときゃよかったな~)
そこでふと思い浮かべたのは、先ほどゴートンを見送ってくれた同僚たち。
「…………」
まあ、雑魚だったし、その気になれば数秒で全員鎮圧できたが。
(剥ぎ取る時間なんてなかったしな……)
だから、何事も起きなかったのだ。そういうことだ。
(スラムで適当に浮浪者でも探そ……)
腰のナイフもクソまみれだなぁ、などと憂鬱になりながら、そうこうしているうちに前方に明かりが見えてきた。
かすかな光――月明かりだ、下水道の出口が近い! 出口にはめられた鉄格子は、実は右から二番目のヤツが時計回りに回せば外れるよう細工してあり、細身の男ならば充分にすり抜けられる……!
最後まで待ち伏せを警戒して、ちょっとビクビクしながら外に出た。
「……はぁー!」
聖属性の魔法や、光の奇跡、矢が飛んでくるでもなく、無事だ。盛大な溜息をついたゴートンは、存分に外の空気を貪った。……なんと爽やかなことか!
と言っても、スラム街のドブ川の中なのだが。それでも下水道よりはマシだ、最低限屋外にはいる。
ざぶざぶとドブをかき分けて、陸地に這い上がったゴートンは――
「あの」
声をかけられ、ギョッとした。
振り向けば、可憐な色白の娘が立っていた。
スラム街にはおおよそ不似合いな、清楚で大人しそうな空気。その白銀の髪は、月明かりを受けてきらきらと輝き、どこか現実離れした存在感を放っている――
ぽろ、とゴートンの口からパイプが転がり落ちて、ドブ川にぽちゃんと沈んだ。
彼女の金色の瞳の、あまりに美しく、妖しげな光に――ゴートンは一瞬で心奪われてしまったのだ。
もちろん、娘の背後に折り重なる、気絶したスラムの住民たちには気づくことさえなかった。
「あなた、ゴートンさんですか?」
白銀の娘は、こくんと小首をかしげながら尋ねてくる。
「あ、ああ……そうだ……オレは、ゴートン……」
どこか熱に浮かされたような口調で、うなずくゴートン。
「ディーラーのゴートンさん?」
「そうさ……フーゼンフレイム・ファミリーの……」
「よかった――」
ホッとしたように微笑んだ娘は。
その手の刺突剣を、一切の躊躇なく、ゴートンの胸に突き入れた。
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