355.隠れ蓑と天敵


「オラァァァッ!」

「はっ倒すぞコラァァァ!」

「勇者がなんぼのもんじゃいィィ!」


 口汚く罵りながら、勇者アレックスに殺到するゴロツキども。


 ――無謀を通り越してもはや自殺行為だったが、それも致し方ないことだった。


 なぜか。


 まず、マフィアの下っ端をやっている時点で、彼らはロクな人間ではない。街の外にもほとんど出たことがない。当たり前だ、こんなゴロツキを水夫に雇う船主なんているわけがないのだから。従って世界を知らない。教養も見識もない。


 そして街から出なければ、水棲魔獣の恐ろしさを肌で感じることもなく。さらに言えば、前線から遠いので闇の輩の脅威も薄い。


 ――要は、彼らは、勇者や神官が戦うところを目にしたことがないのだ。


 聖教会は人類の守護者であり、人類の外敵と戦う存在だ。しかし城壁の内側では、ボッタクリ価格(ゴロツキ視点)で治癒の奇跡を提供する癒者ヒーラーのイメージが強く、当然ながら聖教会の並外れた攻撃性にさらされることもない。


 だって、ゴロツキたちは、基本的には人類だから。


 殺人鬼や湖賊などの凶悪犯罪者でもなければ、聖教会の狂気的な敵意を、直に知る機会はない。軽犯罪者の取締は聖教会の管轄ではないので、衛兵隊に比べ、マフィアに対する態度もそこまで厳しくない。


 さらにゴロツキたちは、衛兵隊や軍と違い、聖属性の援護を受けた経験もないのでありがたみや有用性もピンと来ない。平和な同盟圏後方においては、魔獣が出たと聞けばえっさほいさと出動していくのが勇者で、傷を癒やしたり偉そうに説教してきたりするのが神官なのだ。


 つまり、だ。


 ゴロツキどもは、勇者の『暴力』を知らなかった。


 人族の上級戦闘員の本気を。


 しかも、地獄から甦った、百戦錬磨のそれを――!


「あァ?」


 木刀や、鉤爪、ほとんど鉄棒のなまくら剣を振り上げて迫るゴロツキどもに、勇者は小首を傾げ。


「――舐めてんのかテメェら」


 ズンッ、と空気が重みを増した。


 目にも留まらぬ早さで、聖剣が唸る。凶暴にギラつく刃が火花を散らし、ゴロツキどもの粗末な得物を薙いでいく。


 からんっ、がらからんっとけたたましい音が響き渡った。賭博場の床のタイルに、両断されたなまくら刃や爪が転がる音。


「なっ……」

「えっ……」


 柄だけになった凶器を手に、目を白黒させるゴロツキども。


 そこへ。


「【雑魚は引っ込んでろォッッ!!】」


 強い魔力を秘めた咆哮が浴びせかけられた。


 気の弱い者はそれだけですくみ上がり、そうでなくとも、冷水を浴びせかけられたかのように怒気を吹き散らされてしまう。


「テメェらの縄張りだの賭博だの、ンなことァどうでもいいんだよ俺は……!」


 地の底から響いてくるような、おどろおどろしい声。


。俺の目的は闇の輩をブチ殺すこと。それ以外はどうでもいい」


 ぎらぎらと輝く茶色の瞳で、ゴロツキどもを睥睨する。


「用があンのは、夜エルフだけだ……!」


 その瞳は、まるで溶岩のように激情で煮え滾っていて――身の毛がよだつほどの、狂気を秘めていた。


 そう、それがゴロツキたちにとって初めての。


 聖教会の一面、本質を目の当たりにした瞬間で――


 不幸なことに、人類史上でも屈指の、なやつだった。


「これ以上、俺の前に立ちふさがるなら、


 がりっ、と斬り飛ばしたなまくら刃を踏みにじりながら、聖剣を突きつける勇者。


「もう一度問う。ディーラーのゴートンはどこだ」


 ゴロツキどもは――答えない。いや、答えられない。


 竜に睨まれた羊のように、全身が強張って動けない――


「答えねえならまるごと更地に――」

「先生! こっちです!!」

「ん?」


 と、ホールの奥から、チンピラが誰かを連れてきた。


 それは、いかめしい顔つきの壮年の男だった。いかにもガラの悪いゴロツキどもの中にあって、小綺麗で質素な服に身を包み、修行者然とした雰囲気を漂わせている。


 その腰には、立派な剣が吊り下げられていた。


 場末の賭博場には不似合いな業物が――


「……なんだテメェ」


 訝しむ勇者。


「へへっ、こちらにいらっしゃるのはなァ、用心棒の剣聖様だ!」


 チンピラがツバを飛ばしながら、まるで自分のことのように得意げに叫ぶ。


「は? 用心棒?」


 思わず怒気さえ引っ込めて、真顔になってしまう勇者。


「……いかにも。聖教会と事を構えたいわけではないが、雇われの身である以上、致し方なし」


 腕組みを解いた『剣聖』は、なめらかな動きで腰の剣を抜く。


 ぬらり、と――


 堂に入った抜剣、期待を裏切らぬ業物の刃。


「それに――貴殿はかなりの使い手とお見受けする。手合わせ願いたい」

「あとにしろ、夜エルフを片付けるのが先だ」

「先生! やっちまってくださいよ!!」

「うむぅ……致し方なし」


 ちょっと迷う素振りを見せた『剣聖』だったが、唇を引き結んで剣を構える。


「???」


 勇者、ひたすらに困惑。


「闇の輩がいるって話なんだが、お前、わかってんのか?」

「ここにいたっては問答無用!」


 踏み込む。


「秘技・火炎狼牙剣ッ!」


 ズオオアッ、と賭博場のホールが明るく照らし出された。


『剣聖』の剣が輝き、紅蓮の炎が放たれたのだ。


 それはまるで狼のような輪郭を取り、炎の牙を剥き出しにしながら勇者へと食らいつく――!



「ふざけんなよただの火魔法じゃねえか」



 勇者は片手でそれをかき消した。



「はっ?」


 相手は勇者。防がれることや避けられることは予想していた。


 だが、ろうそくの火を吹き消すかのように、一瞬で相殺されるのは想定外。


 呆気に取られる『剣聖』をよそに、わずかに赤い燐光をまとっていた勇者が――服の下に着込んだハイエルフ皮の『魔法の品アーティファクト』によるものとは誰も知る由がない――無表情で間合いを詰める。


「くっ」


 一切の手加減なく振り下ろされた聖剣を、かろうじて剣で防ぐ『剣聖』。


 ガァンッと両手を襲った衝撃に目を剥く。握りが甘ければ、今の一撃で剣を弾き飛ばされていた……!


「ふンッ」


 が、追撃。据わった目で勇者が再び聖剣を振り下ろす。こちらも落ち着いて捌こうとする『剣聖』だったが――



 刃と刃がかち合った瞬間、勇者の存在感が膨れ上がった。



 破砕。



 魔力を刃に集中させる絶技により、『剣聖』の業物はガラスのように砕け散る。



「なっ……」


 そして愕然とする暇さえ与えず、勇者は。


『剣聖』の胸ぐらを左手で掴み。


 聖剣を握りしめた拳を、その顔面に叩き込んだ。


 ボグッ、と肉と骨を打つ鈍い音。


「ごがッ」


 ボグンッ、ドガッ、ガツンッ。


「あっ、ぎっ、がはっ」


 ゴンッ、ゴチッ、メキョッ。


「ぎゃっ、やめっ、やめへっ」


 そしてトドメの蹴りが腹に叩き込まれ、同時に胸ぐらを掴む手が放される。


『剣聖』はボールのように吹っ飛び、壁に叩きつけられた。


「あがっ、はへぁ……!」


 顔面はひしゃげかけ、鼻血は噴き出し、血の泡がまじったよだれと折れた歯を吐き出しながら、呻く『剣聖』――いや偽剣聖。


 それに歩み寄った勇者が、首根っこを掴んで、無理やり引きずり立たせた。



「……剣聖ってのはなァ。人類の希望なんだよ」



 がつん、と額を突き合わせながら、呪詛のように言葉を紡ぐ。



「人類に仇なすモノを討つ一振りの刃、物の理に愛された武の極致。魔力なき者たちの希望の星にして、道しるべ。それが『剣聖』だ……!!」



 その声は、氷のように冷たく、それでいて烈火のごとき激情を滲ませる。



「貴様のようなチンケな手品師が、騙っていい称号じゃねェんだよ……!」



 偽剣聖は、答えられない。どころか呼吸さえままならない。首に食い込んだ勇者の指に、頸椎が悲鳴を上げている。



「次に剣聖の名を穢してみろ。貴様の両腕、切り刻んで魚の餌にしてやる」



 酸欠で意識が遠のきかけながらも、偽剣聖は必死にこくこくと頷いた。このまま黙っていたら、絞め殺されかねない……!


「…………」


 無言で偽剣聖を投げ捨てた勇者は――その剛力で、偽剣聖はまたボールのように床をバウンドしていった――サッと周囲を見回す。


 凶暴極まりない視線に薙ぎ払われたゴロツキたちが思わず後ずさるが、実のところそれは威嚇でも何でもなく、ただ他に『敵』がいるかの確認だった。


 聖剣を片手に、のしのしと手近なドアに近づいていく勇者。


「【光あれフラス!】」


 そしてお得意の前蹴りでドアをブチ破りながら、銀色の光を叩き込む。


 部屋の中から「うわああ!」と悲鳴が上がるが、それは聖属性に身を焼かれた闇の輩の絶叫ではなく、単に中にいた一般客が死ぬほどビビリ散らかしただけだった。


 それを確認した勇者は、また隣のドアへ。


「【光あれフラス!】」「【光あれフラス!】」「【光あれフラス!】」


 蹴破る。ドアノブごと引っこ抜く。あるいは枠ごと吹き飛ばす。


 ときには戸棚を引きずり倒し、床板を聖剣でほじくり返す。もちろん聖属性の光を浴びせながら――何をやっているのか。おそらく隠し扉や通路を警戒している――!


「【光あれフラス!】」「【光あれフラス!】」「【光あれフラス!】」


 徹底的に、聖剣で全ての障害を物理的に排除しながら、家探しを継続する勇者。


 呆然とそれを見守っていたゴロツキたちも、ある種の現実感とともに、理解した。



 この勇者……本気で……



 ここを、虱潰しに……ッ!!



「わっ、わかっ、わかったわかったから! こっちだ!!」


 このままでは冗談抜きで更地にされると、ようやく悟った中堅マフィアが、観念して賭博場の奥へと勇者を案内し始める――




          †††




 ――そして、そんな騒動の裏で。



「えらいことになった」



 当然ながら、ゴートンは賭博場から逃げ出していた。


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