354.侵略的外来種


(まずいぞ……まさかアイツが殺られるとは……!)


 夜エルフの諜報員・ゴートンは、暗い部屋でひとり焦っていた。


 旅人に扮した仲間の連絡員が、勇者に殺られた――その情報をキャッチしたのは、仕事中のことだった。ゴートンは、とあるマフィアが牛耳る裏賭博場でディーラーとして生計を立てている。


 ぶっちゃけ、ギャンブル界隈が性に合っていたので、諜報活動より非合法賭博でのスリリングなディーラーライフを楽しんでいたゴートンだが、流石に仲間がブチ殺されたとなると、身の危険を覚えずにはいられなかった。


(どうする!? ……いや、待て、落ち着け落ち着け)


 まだ慌てるような時間じゃない――と、パイプに火をつけ紫煙をくゆらせながら、己に言い聞かせる。


 この街は、半島に限りなく近い形状の島に位置している。浅瀬の海に囲まれているため、客船に乗らずとも陸路と小型ボート経由で充分に脱出可能だが……こんな夜分に、しかも夜エルフの存在が露見した直後に、のこのこと逃げ出すのは愚の骨頂だ。自分から後ろめたいことがあると喧伝しているようなもの。


 街の衛兵隊も、今は最大限に警戒しているだろう。どう考えても、すぐに逃げ出すのは得策じゃない。


(どのみち、この街の聖教会は人員がスカスカだ……住民をまるごと聖検査する余裕なんてありゃしない)


 加えて、聖教会の数少ない実働部隊も、この頃は船乗りたちに大きな被害を与えているを討伐しようと躍起になっていて、街を留守にしている。状況は、ゴートンにとって必ずしも最悪とは言えなかった。


(最大の懸念点は、最新の日焼け止めの臭いが猟犬じゅうじんどもにバレちまったことだが)


 まだ古いやつが手元に残っているし――なにせずっと夜型生活で使う機会があまりなかった――日中、人前に出ないようにすればいい。


(とにかく、今は身を潜めることだ)


 ふぅーっ、と紫煙を吐き出しながら、ゴートンは確信をもってうなずく。日焼け止めの臭いを誤魔化すため、諜報員になってから始めたタバコも、今ではすっかり馴染んでしまった。


(大丈夫だ、賭博場ここに身を潜めている限りは……)


 ゴートンが潜入している裏賭博場は、前述の通りマフィアが牛耳っている。


 このマフィアというのが、夜エルフにとって実に都合の良い存在で、非合法の商売に手を染めながら街の領主とも繋がりがあり、都市国家の暗部、必要悪のような立ち位置に収まっている。


 ちなみにこれは、ノッシュ=ウゴー連合ではよくあることで、どの街もマフィアや湖賊を抱えていて、他の都市国家にちょっかいをかけたり、非合法ビジネスで儲けていたりする。


 当然、抗争などで死傷者がしょっちゅう出るため、いち信徒として聖教会にも多額の寄付をしていた。……今は財政的にも苦しい聖教会のことだ、決定的な証拠でもない限り、マフィアの縄張りたる裏賭博場にはおいそれと手を出せまい。


 万が一、聖教会が賭博場に乗り込もうとしてきたところで、用心棒がのらりくらりと入り口で時間を稼ぐ間に、追っ手がかかった者は逃げ出せるような仕組みになっている。脛に傷のある者が多い職場ならではの、と言えるだろう……。夜エルフの疑いあり、ともなれば話は別かもしれないが。


 だが、そのためには、聖教会がピンポイントでゴートンの正体を暴く必要がある。


(『決定的な証拠』なんてありゃしねえ。根拠もだ!)


 ゴートンは知っていた。仲間の連絡員が、どのようにして殺られたかを。


 客や同僚から聞いた話を統合するに、『同盟の誹謗ネガティブ中傷キャンペーンの真っ最中に、場末の酒場で勇者に目をつけられ、聖属性で焼かれ正体が露見、抵抗する間もなく心臓を一突きにされて即死』したらしい。


(つまり、オレの情報は漏れてねえ……!)


 これが、聖教会に生きて囚われでもしていたら、流石のゴートンもこんなに余裕をカマしてはいられなかった。


 だが連絡員アイツはほぼ即死したのだ。ゴートンや他諜報員について、口を割る暇さえなく……!!


(当分は大丈夫だ。ここから72時間が正念場ってとこか)


 聖教会が人手不足でも、衛兵隊には獣人もいるし、一般の獣人系住民にも協力を仰いで、日焼け止めの臭いから諜報員の炙り出しを試みるかもしれない。


 賭博場にも、というかゴートンの同僚にも、普通に犬系獣人はいる。連中に日焼け止めの臭いを覚えられたら厄介だ、部屋の床下に瓶は未開封のまま隠してあるが、獣人の鼻を誤魔化しきれるかはわからないし、今となっては処分するのも難しい。


(捨てに行った場所にオレの臭いが残るだろうからな……)


 とはいえ、衛兵隊の獣人とマフィアの獣人はすこぶる仲が悪いので、今日明日中に臭いを共有! とは早々ならないだろうが。……これが最前線だったら、四の五の言わずに闇の輩に対して共同戦線を張っていただろうが、平和ボケした後方なのが幸いだった。


(だが、時間の問題でもある。心理学的に72時間、状況に変化が起きなければヒトは必ず気が緩む。その隙にどうにかして他の街に逃げ出すなり、何なりした方がいいな……)


 考えを巡らせながら、ゴートンはいつの間にか、ギャンブルに使うコインを手の中で弄んでいた。


(気に入ってたんだがなぁ、ここ……)


 ゴートンが賭博場に居着いてから、かれこれ10年が経とうとしている。もはや、第二の故郷と言っても過言ではなかった。それくらい、馴染んでいた。……まったくもって、嫌いではなかった。この場所が。


「…………」


 夜エルフとしては極めて特異なことに、彼は割かし、人族も気に入っていた。短命で愚かで浅ましい、だけど幼子のように一生懸命なこの生き物のことが、嫌いではなかったのだ……


「……ま、しゃーねーな」


 自分は所詮、夜エルフ。本質的に招かれざる客だ。


 ピィンッとコインを弾いた。『裏』と念じながら。パッと手の甲で受け止めてみれば、裏だった。そんな気がしたのだ。


(……3日後に脱出。それで行くか)


 験担ぎも終えたゴートンは、足を床に投げ出して、ソファに身を沈めながら天井を仰ぐ。タバコの煙をぷかぷかと吐き出し、輪っかを作る遊びをしながら、これまでの日々に思いを馳せ――




 ズガンッ、と。




 賭博場の入り口の方から、物騒な音が響いてきた。


 ……何やら周囲が騒がしい。ドタドタと慌ただしく廊下を駆けていく音。


 尋常ならざる胸騒ぎを覚えたゴートンは、自室を出てヒョイと廊下に顔を出した。


「おい、どうしたんだ?」

「わかんねえ! カチコミか!?」

「正面扉が吹っ飛びやがったぞ!」


 顔馴染みのゴロツキどもに尋ねるも、慌てていて要領を得ない。


「たっ、大変だーっ!」


 そのとき、異音が聞こえてきた方から、チンピラが血相を変えて走ってきた。


「聖教会の勇者がひとりで殴り込んできやがった!」


 そしてチンピラは、こちらを指差し。


「――しかも『ゴートンを出せ』って言ってる!」



 ……はぁ???



 呆気に取られるゴートンの手から、パイプとコインがポロッとこぼれ落ちた。




          †††




 ――時を遡ること、ほんの数分。



「聖教会の方から来た、勇者アレックスだ」



 スラム街にほど近い裏賭博場の入り口にて、行く手を阻む用心棒ふたりに、真正面からガンを飛ばしながら青年は言う。


「あんた方のディーラーの『ゴートン』という男は、夜エルフ工作員だ。身柄を拘束させてもらう、中に入れろ」

「ちょっと待ってくれよ勇者さん」

「いくら聖教会でも、ズカズカ土足で入ってもらっちゃ困るんだ」


 ――間の悪いことに、用心棒たちは職務に忠実だった。


 これまで、幾度となくこういうことがあったのだ。衛兵隊や聖教会が、何やかんやと理由をつけて中に立ち入り、『身内』を拘束しようとしたことが。


 それを、何やかんやと理由をつけて押し留め、時間を稼ぎ、身内を逃がす。それがこれまでの、彼らのやり方だったのだ。


 夜エルフだから――という理由には少し驚いたものの、それも、先ほどの夜エルフ工作員騒ぎに乗じた、新たな言いがかりにすぎない、と用心棒たちは解釈した。


 だって――ゴートンは、もう数年の付き合いになる顔馴染みだったし。


「ディーラーのゴートン、って言ったか? そんな奴いたかなぁ……」

「ちょっと待っててくれよ勇者さん、中を探してくるからよ」


 愛想笑いで押し留めようとする用心棒二人組だったが――


「……もう一度言うぞ」


 めら、と銀色の炎を身にまとい、勇者は唸るようにして口を開く。


「ゴートンを、拘束する。道を、開けろ」


 その手が、腰の聖剣の柄にかかる――


「――――」


 用心棒たちは、目配せした。『なんで今日に限ってこんな強引なんだ、聖教会』と思いつつも、『ここでナメられるワケにはいかねえ』とメンツの問題が持ち上がる。


 勇者が聖属性を見せびらかして、剣に手をかけた程度で、用心棒が身を引いてみろ――ここで腰抜けとみなされれば、ファミリーに対して良からぬことを考える者も出てくるかもしれない。


 聖教会とことを構えたいわけではないが、はいそうですかと引くわけにはいかないのだ……!


「おい、勇者さんよ」


 ドスを利かせて、用心棒は凄む。


「ここは俺たちの縄張りだ、聖きょごフゥ」


 そして全てを言い終わる前に、その顔面に銀色の拳が突き刺さった。


 拳と壁に頭部をサンドイッチにされた用心棒は、鼻血を噴き出しながら昏倒。その隣で「なっ!?」と目を剥いた相方も、勇者パンチを受けて同じ運命を辿った。


 邪魔者を排除した勇者は、眼前の扉に手をかけたが――なんと、トラブルの気配を感じ取ったか、すでに中から施錠されていた。


 めら……と、さらに銀色の陽炎が、勢いを増す。


「ふんッ!」


 魔力をまとった前蹴りを叩き込む。


 ズガァンッと轟音を響かせ、ドア枠ごと入り口が吹っ飛んだ。


「なっ……なんだテメェは!?」


 入り口のホールに集まっていたマフィアどもが、目を白黒させている。


「ディーラーのゴートンって野郎はどこだ!? 案内しろ、夜エルフ工作員として奴を拘束する!」

「何を意味の分かんねえこと言ってやがる! ここがフーゼンフレイム・ファミリーの縄張りだって知っててやってんのか!?」

「知るかボケェ!」


 がなり散らす強面のマフィアに、同じくらい凶暴に怒鳴り返す勇者。


「邪魔立てすンなら、魔王軍の協力者とみなしてテメェもブチくらすぞコラァ!」

「んだとォ……勇者だからって調子に乗ってんじゃねえぞ! やってみろゴラァ!」


 売り言葉に買い言葉、ほとんど反射的に答えたマフィアに対し、勇者はすかさず聖剣を抜き放った。


 ズゴンッ、と鈍い音を立てて、強面マフィアの脳天に聖剣が直撃する。


 ただし、刃ではなく、剣の腹を叩きつけただけだった。……それでも聖剣の重量と勇者の剛腕を合わせれば、威力は相当なもので。


「こッ」


 短く息を吐いた強面マフィアは、一撃で意識を刈り取られその場に崩れ落ちた。


「…………」


 静まり返る賭博場のホール。別に死んだわけではないのだが……



 あまりに鬼気迫る勇者の剣幕と、目にも留まらぬ抜き打ち一閃、そして声もなく倒れる強面マフィア――頭に血が上った面々には、それだけで充分だった。



 次の瞬間、ごろつきどもの怒号がホールに響き渡った。

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