353.豊かな生態系
――さて、俺たちがこの都市国家に来るまでの話をしよう。
エドガーに別れを告げ、公都トドマールを発った俺たちは、そのまま東に直進してトリトス公国を脱出――する前に、国境の田舎町ツカマールに潜入した。
オフィシアが諜報網について、ちゃんと真実を話していたか確かめるためだ。
結論から言うと、奴の情報は正しかった……らしい。俺が手を下すまでもなく、夜エルフ工作員が現地聖教会によって拘束されていたためだ。
この時点で、オフィシアの情報はある程度信頼できると判断し、その夜には彼女を『解放』することにした。
無駄に苦しめないよう意識を朦朧とさせた上で、俺も人化を解除したのち、魔王子としてのフルパワーで魂を粉砕。
……一瞬だったよ。哀れな夜エルフの魂は、闇の魔力の
『なんじゃ、つまらんのー』
アンテは不満げだったが。
『グヒャハァッ! 真実を話した以上、もはやお前に利用価値はない! 太陽の光で浄化してくれるわァ! ……くらいのことはやってもよかったろうに』
お前なぁ……俺は確かに夜エルフを憎んでるけど、苦しんだり絶望したりする姿を見て楽しむ趣味はないんだよ。
……いやすまん、嘘ついた。夜エルフが絶望してる姿を見たらちょっと楽しいかもしれない。ただそれでも、自分から積極的に、絶望させて苦しめてやろうという気にはならない。
向こうが誠実に、信頼できる情報を差し出してきたからには、こちらも誠意をもって応えるべきだ。そうだろう?
まあ、果たしてコレが、『死後の安寧』と呼べるのか、俺にもわからないが。
でもエンマに死後もこき使われたり、太陽に焼かれたりするよりかは、幾分かマシだろ……たぶん。
「…………」
俺は、用済みになったオフィシアの遺髪を放り捨てた。無理やり詰め込んでいた髪がなくなり、ヴィロッサの遺骨だけになって、どこかがらんどうな【狩猟域】のロケットペンダント。
ヴィロッサはまだ――目覚めさせていない。聞くようなことが、ないから。
ぱちん、と蓋を閉めて、ペンダントを胸元に仕舞い直す。
骨片がからころんと、中で寂しげな音を立てた。
――とまぁ、そんな一幕はあったものの、俺はレイラの翼でトリトス公国を脱出。念のため広大なエルフの森は迂回し――遠目からも、光り輝く聖大樹が見えてレイラは興味深げだった――大陸東部を目指した。
森エルフの勢力圏を抜け、その周辺の国家群は素通りする。ツカマールで夜エルフ工作員が捕らえられていたのは、聖大樹連合から諜報網についての情報提供があったおかげだとわかったからだ。
……俺はそれを聞いて、思わず胸が熱くなった。
「リリアナ……無事に、おうちに帰れたんですね」
『よかったねぇ』
レイラは涙ぐみ、バルバラもしみじみとうなずいていた。アンテは何も言わなかったが、おそらく、ホッとしていたと思う。
聖大樹連合からは各国へ続々と使者が送られつつあるとのことで、俺がエルフの森の周辺地域に手を出す必要性はほとんどなさそうだった。
なので当初の予定通り、情報が伝わるのにより時間がかかるであろう同盟圏後方へひとっ飛びして、夜エルフ狩りに勤しむことにしたわけだ。
さらに東へ――帝政を敷く大国『カイザーン帝国』には、おそらく森エルフの使者がすでに到着しており、不穏分子の狩り出しも得意そうだったのでスキップ。カイザーン帝国の実質的な衛星国たる『ハミルトン公国』もスキップ。
そうして到着したのが、海と見紛うばかりの巨大湖『アウリトス』と、そこに点在する都市国家群からなる『ノッシュ=ウゴー連合』の勢力圏だ。
大小様々な島や半島と、それらを根拠地とする都市国家がひしめき合う巨大淡水湖アウリトスは、その水産資源もさることながら水運と交易が活発で、同盟圏東部でも屈指の活気ある地域となっている。
その分、人の出入りも激しく、また徒党を組んでいても都市国家間の足並みは揃っていないため、夜エルフが付け入る隙も大きい。
俺たちにとって、非常に
†††
「衛兵隊だ! 止まれェ! そこの男、武器を捨てて手を上げろ!」
――そして現在に至る。
酒場を出た俺は、早速、衛兵に取り囲まれた。
荒くれ者の多い船乗りの街だけあって、刀傷沙汰と聞きつけて飛んできたらしい。そこに血まみれの死体を引きずって堂々と俺が姿を現したもんだから、向こうも殺気立っていた。
「俺は勇者だ。夜エルフが人族に化けていたため、制圧した。この地の聖教会の人員を呼んでほしい」
幸い、俺が聖銀呪と死体の赤い瞳を見せつけたことで、それ以上の問題には発展しなかった。衛兵たちも「え!?」という顔で困惑気味に武器を下ろし、すぐさま現地聖教会へ伝令が送られる。現場には野次馬が詰めかけ、あっという間に人だかりができた。この調子じゃ街中にすぐ噂が広まりそうだな……
「夜エルフ!? 馬鹿な! この日焼け止め、全然知らない臭いだぞ!」
やいのやいのと野次馬たちが騒ぐ中、犬獣人の衛兵が死体をくんくんと嗅いで驚愕していた。
「どうやら連中、新しい薬剤を使うようにしたらしい。よく覚えておいてくれ」
「ああ、言われるまでもない……」
俺の言葉に、忌々しげに牙を剥き出しにした獣人衛兵は、険しい顔で死体の所持品を調べ始める。日焼け止めの瓶でも探しているのかな。
「あの、これ、夜エルフの持ち物です……もしかしたら中に何かあるかも」
と、レイラが背負い袋を差し出した。あの騒然とした現場で、誰かに盗られる前に確保してくれていたらしい。めっちゃ気が利くな!
「ありがたい! …………あったぞ、これか!」
果たして中からは、薬剤の瓶や殻コーンの予備などが見つかった。
「他にも夜エルフが潜んでいるかもしれない。お仲間と一緒に臭いを覚えて、ぜひとも狩り出してくれ」
俺がそう頼むと、獣人衛兵はうなずきながらも、ちょっと難しい顔をした。
「ああ……だが、ウチの街は、獣人がそんなに多くないんだ。逃げ出す前に見つけられればいいんだが……」
……確かに、彼が言うように、ノッシュ=ウゴー連合では獣人が少ない。淡水湖の沿岸はともかく、島々にはあまり住み着いていないようだ。筋肉質で毛深い獣人たちは、あまり泳ぎが得意じゃないからなぁ……まあ、人族も泳ぎが達者かと問われると謎なんだが。主に森エルフに比べて。
この街もこじんまりとした規模だが、なお獣人系住民の方が少ないのだろう。
『これだけ大きな騒ぎになると、仲間がいたとしても、もう逃げ出しておるかもしれんのぅ』
さっさと魂から情報を引っこ抜かないとな。
――と、衛兵たちと話しているうちに、現地聖教会の人員がやってきた。
そして事情説明や死体の引き渡しを行ったんだが……
「はるばる前線の方から……ご苦労さまです……」
「ごくろうさまですっ!」
ところがその『人員』は、杖を突いたヨボヨボの枯れ木のような老神官と、成人の儀を終えたばかりとしか思えない少年だった。どうやら神官見習いらしい。
「なんですとッ!? 酒場で流言を広めるにとどまらず、前線の戦士たちの名誉を穢すような真似を……!? んぬぅっ、こっ、このッ! 許せんッッッ!」
事の顛末を聞いて、老神官は夜エルフの姑息な工作に激怒し、目覚めた火山のごとくキレ散らかしていたが、神官見習いの少年は他殺体を初めて見たようで、ちょっと吐きそうになっていた。
うん……なんというか……この少年が今まで、平和な環境ですくすく育ってきたであろうことは、喜ばしいんだが……。
聞けば、この街の聖教会の人員は、ヨボヨボ老神官(司教らしい)以外には神官と勇者がそれぞれ数名ずつ。ただし、今は見習い以外の若い衆が水棲魔獣の討伐に出払っており、聖銀呪の使い手は最低限しか残っていないそうだ。
『なんというか……人手が少ない印象を受けるんじゃが? 街の規模に比して』
…………少ない。少なすぎる。
言っちゃ悪いが、スッカスカだ。
俺は、空恐ろしい気分になった。この状況は――
聖教会の人材が払底しつつあることの、紛れもない証左だったから。
……いや、でも、まあ……当たり前だよなぁ。あれだけ前線に戦力を振り分けて、しかも壊滅的な被害を受け続けてるんだから……。
こんな前線から離れた地域にいるのは、後進を育成する老兵と、ペーペーの新人、地域の治療を担う
『その数少ない戦力も、魔獣対策に追われておる、と……』
都市国家の市民軍も動いてはいるんだろうけどな、当然。
そこに加えて、獣人系住民の少なさ。クソッ、夜エルフにはさぞかし居心地のいい場所だろうよ。猫も駆除業者もいない食料庫みたいなもんだ。
『ウジャウジャおるじゃろうな、それこそネズミや害虫のように……』
しゃーない。正直なところ、この状況はある程度予想できていた。
だからこそ、俺も頑張る甲斐があるってもんだ。ここに森エルフの使者がやってきても、連合として組織だって狩り出すような真似はできないだろうし。
俺が、俺たちがやるしかねえんだ!
闇の輩狩りは任せろー! バリバリやるぞ! バリバリ!
――――――――――――――――
夜エルフたち「やめて!」
森エルフたち「
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