352.認識のずれ


 驚くべきことに、聖銀呪に焼かれて火だるまになった夜エルフ工作員は、それでも果敢に反撃してきた。


「うわあぁあぁ――ッッ!」


 悲鳴じみて叫びながら、右手の指輪を突き出してくる。毒針でこちらを刺そうって魂胆か。自害よりも反撃を優先するとは、敵ながら見上げた根性だ……


『しかし世の中、根性だけではどうにもならないこともあるのぅ』


 ……俺自身、それは痛いほどよくわかってるよ、アンテ。


 胸中複雑になりながらも、俺はアダマスを抜き放ち、工作員の右手を斬り飛ばす。


 そして逡巡――コイツを生かして捕らえることは可能か? この地の聖教会に引き渡せば、注意喚起と情報共有を一度に行えるが……


 いや、ちょっとムズいな。生け捕りにしようと手加減したら、どんな悪あがきをされるかわからないし。俺としてもさっさと霊魂から情報を引っこ抜きたいし、殺しておくか。


 俺はアダマスでコンパクトな刺突を放ち、心臓をブチ抜いた。


「あぐっ……ぁ……」


 力なく倒れ伏す工作員。夜エルフの血は赤い。闇に堕ちても、コイツらがエルフであることに変わりはないのだ。酒場の床に血溜まりが広がっていく――


「…………」


 先ほどまでの喧騒が嘘のように、俺とレイラ以外の全員が凍りついていた。ガタイのいい水夫たちさえも、顔面蒼白で腰が引けている。


「コイツは人に化けた夜エルフの工作員だ」


 俺は死体の胸ぐらを掴んで掲げ、客たちに見せつけた。マントの端でゴシゴシと顔面を擦れば、日焼けを模した化粧が剥げ落ち、病的な白い肌色があらわになる。


 さらに、うつろに見開かれた瞳からからコーンを取ってやれば――真っ赤な瞳。


「夜エルフは、前線で戦う者の悪評を撒き散らし、魔王軍の脅威を矮小化し、同盟圏後方の不和を煽ろうとしている」


 俺の視線を受けた水夫たち――に憤っていた連中が、バツが悪そうに目を逸らした。


「各々方、くれぐれも気をつけることだ。同盟を悪し様に言い、不満を煽ろうとする者は、夜エルフの工作員かもしれない。次からは話を聞く前に、肌を擦ってみて変装かどうか確かめることをおすすめする」


 顔を見合わせた客たちの中には、近くにいた奴の肌をゴシゴシと服の袖で擦りだす者もいた。どこか笑いを誘う光景ではあったが、笑い事ではない。


『確かめる必要があった』ということは、つまり、そのような話題で盛り上がっていたわけで――


「……最後に、この工作員の流言を訂正させてほしい」


 俺は死体を床に投げ捨てながら、改めて酒場を見回す。


「デフテロス王国兵たちの士気が崩壊していたというのは、嘘だ。彼らは――」


 ぎり、と歯を食い縛る。


「――勇猛果敢に、死力を尽くして戦った。限られた兵力で、魔族の戦士を数多く討ち取った。だが、それでもなお、力及ばずに敗れたんだ」


 ……俺が、攻め滅ぼした。


「デフテロス王国兵が腰抜けだったわけじゃない。ただ、魔王軍が強すぎた」


 酒場は、水を打ったような静けさに包まれている。


「国王が逃げ出したというのも巧妙な嘘で、王城陥落を免れないと悟った国王オッシマイヤー13世が、王位を14世に譲り、少しでも無駄な犠牲を減らすため、守備兵の半数と近衛騎士団を護衛につけて、避難民を脱出させたというのが正しい」


 転がる工作員の死体を、つま先で小突く。


「――コイツは、そういった事情を意図的に端折り、さもデフテロス王国の者たちが腑抜けであるかのように喧伝した。難民への偏見を煽り、名誉を傷つけ、同盟圏からの支援の手を断ち切るためだ」

「じゃ、じゃあ……森エルフたちが魔王軍につこうとしてる、ってのは?」


 水夫のひとりが、恐る恐る尋ねてくる。


「もちろん、真っ赤な嘘だ。アレーナ王国では、森エルフの援軍も多大な出血を強いられている。……聖大樹連合も、血を流しているんだ。森のために、同盟のために、俺たちのために。それなのに、同盟を裏切ろうとしているだなんて、間違ってもそんなことは言わないでほしい」

「なんてこった……オレたちは、まんまとコイツの嘘に……クソッ!」


 忌々しげに工作員の死体を睨む水夫。


『なんというか、言葉は悪いが単純な奴じゃの……』


 ……せめて素直と言ってやれ。だが良くも悪くも、全員がそうではないみたいだ。この水夫のように憤る者もいれば、困惑気味に顔を見合わせる者、さらには猜疑心を滲ませて俺を見る者まで……。


「アナタの話を聞く限りでは――」


 と、比較的小綺麗な格好をした男が、ワインのゴブレットを揺らしながらもったいぶった口調で言う。


「同盟軍が魔王軍に負け続けているのは、事実のようですね?」

「……ああ」


 俺は重々しくうなずいた。


 それに関しては、どうしようもない真実だった。


「ふむ。恐ろしいですねぇ……カイザーン帝国のような強国でもなければ、魔王軍は止められないのでしょうね……」

「いや待て、その前に聖大樹連合があるぞ?」

「しかし森をじわじわ焼かれたら、いくらエルフでもキツいんじゃ?」

「エルフの森を焼くのが大好きな魔王子もいるって話だしな……」


 ワイン男の発言をきっかけに、酒場の客たちもアレコレ議論し始める。


 床の死体から目を逸らしながら――


 血の匂いに気づかないフリをしながら――


 そうしているうちに、徐々に、いつも通りの喧騒が戻ってくる。


「あの、勇者さん、どうにかしていただきたいんですが……」


 酒場の主人がモップとバケツを手に、めちゃくちゃ嫌そうな顔で夜エルフの死体を見やった。店の外も騒がしい。さっき、事の顛末を見届ける前に逃げ出した客が騒いでいるのかな。ぼちぼち、現地聖教会の人員も飛んできそうだ。


「……ああ。こっちで引き取るよ」


 俺はさり気なく、工作員の髪を少し切り取ってポケットに収めつつ、死体を店の外へと引きずっていった。悪いな、店主。血で汚しちまって……バシャバシャとモップがけする音を背に、俺は酒場を出た。


『それにしても、後方の連中は能天気じゃのぅ』


 アンテが呆れたような口調でつぶやく。


『カイゼーンだかカイザーンだか知らんが、人族の帝国程度で魔王軍が止められると思うてか……』


 ……そうだな。


 トリトス公国から、レイラの翼で1日ほどの距離。前線からはるか後方に、俺たちはいる。


 そして――別に昨日今日に始まった話じゃないが、俺は痛感していた。


 後方で平和な暮らしを送る人々には、魔王軍の、魔族の脅威が、真の意味では理解されていないという現実を。



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