351.酒場と旅人


 ――大陸東部。


 巨大な湖に面した、とある都市国家にて。


 対魔王軍戦線から遠く離れたこの地には戦乱の影もなく、人々はいつも通りの平和な生活を営んでいた。


 夜の帳が下りる中、城壁の内側に所狭しと建ち並ぶ家屋にはぽつぽつと明かりが灯っていき、みなが思い思いの夕べを過ごしている。和やかな家族の団らん、恋人たちの甘いささやき、賑々しい酒場の喧騒――


「かんぱーい!」

「お疲れー!」


 今日も今日とて、場末の酒場には漁師や水夫が集い、エールのジョッキを傾けながら仕事の疲れを癒やしていた。漁獲を自慢する者、明日の天気を予想する者、有名人の噂話を吹聴する者、話題はそれぞれだが、人の行き来が活発な水の都ならではの楽しみもある――


「――そんで、聞かせておくれよ。お前さん、西から来たんだろ?」


 酔っ払いの水夫が、好奇心に目を輝かせながら身を乗り出した。


「ええ。前線の方から流れてきました」


 ぼろぼろのマントを身に着けた、浅黒い肌の旅人が疲れ気味にうなずく。


「魔王軍との戦いは、今どうなってんだ?」

「それはもう、酷いものですよ」


 ため息交じりに、旅人は答えた。


「デフテロス王国は呆気なく滅亡。アレーナ王国も虫の息です。同盟軍は負け続き、聖教会は威勢のいいことを言っていますが、それはもう情けない体たらくで」

「そんなにヒデェのか……」

「残念ながら。デフテロス王国の王都エヴァロティなんて、3日ともたずに陥落ですからね」

「ああ、それは聞いた。でも攻め込んだ魔王軍も痛手を負ったって話だぜ?」

「どうだか……」


 水夫の言葉に、皮肉げな笑みを浮かべる旅人。


「実際のところ、王都防衛軍の士気は、魔王軍に攻め込まれる前から崩壊寸前だったみたいですよ。国王オッシマイヤー14世は手勢を引き連れて裸足で逃げ出し、守備兵も総崩れで、半数以上が王城を放棄したって話ですからね」

「そりゃヒデェ、王族の風上にも置けねえな!」

「そんな連中が、避難民ともども大挙して押し寄せたわけですから、隣国のトリトス公国も気の毒なものですよ」


 溜息をついた旅人は、ぐいっとエールを煽って一息つく。


「じゃあ、エヴァロティ防衛戦で魔王軍に痛手を与えたってのは……?」

「十中八九、聖教会が強がっているだけでしょうねぇ……」

「……まあ、王様が逃げ出すようじゃなあ。情けねえなぁ」


 水夫はエールをちびちび飲みながら、顔をしかめていた。


「なあなあ、アレーナ王国も虫の息って言ってたけど、本当なのか? あっちには聖大樹連合がデカい援軍を出したって、森エルフの姉ちゃんから聞いたんだが」


 と、近くで聞いていた別の水夫が口を挟む。


「ハッ、援軍。アレが援軍、ねえ」


 旅人は乾いた笑みを漏らした。


「ここだけの話……聖大樹連合の援軍は、見せかけだったという噂ですよ」

「なんだって……!?」


 声を潜める旅人に、水夫たちがさらに身を乗り出す。


「数だけは一丁前だったようですが、中身は右も左もわからぬ若エルフばかりで、森にコソコソと隠れ潜んでは、魔王軍に申し訳程度に矢を浴びせてはまた逃げる。その繰り返しで、ほとんどまともに戦わなかったとか……」

「やる気あんのかよ……」

「それが、本当にやる気があるのか疑わしいって噂です」

「……どういうことだ?」


 意味深な旅人の口ぶりに、水夫たちが首を傾げる。


「これは、本当にここだけの話なんですが……聖大樹連合は、魔王軍と手を結ぼうとしているんだとか……」

「そんな馬鹿な! 森エルフと夜エルフは犬猿の仲だぜ」


 水夫のひとりが素っ頓狂な声を上げた。他の水夫たちも、にわかには信じがたいという様子だったが、旅人は神妙な顔で言葉を続ける。


「確かに、夜エルフとの仲は険悪ですが……それを承知の上で、魔王が和平を打診したとかなんとか……聖大樹連合に同盟からの離脱を呼びかけているそうです。澄まし顔で我々同盟を裏切ろうとしているのですよ、森エルフたちは! それを悟られまいと、一応形だけの援軍を出した、ともっぱらの噂です……」

「それが本当なら大事だけどよぉ……」

「でも……なあ?」


 そこそこ、森エルフとの交流もある水夫たちは懐疑的で、顔を見合わせている。


「現に、聖大樹連合の援軍を受けたアレーナ王国は、滅びかけているんですよ。聖大樹連合に――森エルフにもっとやる気があるならば、善戦していないとおかしいと思いませんか?」

「それは……そうだが」

「なんでも、魔王軍が森に火を放ったら、森エルフたちはさっさと逃げ出したとか。陣地はもぬけの殻で、焼け跡には灰しか残っておらず、ほとんどまともに戦っていなかったことが明らかになったそうです」

「そりゃあまたヒデェな……普段お高く止まってるくせに、いざとなったらそのザマかよ……」


 水夫のひとりが、苛立たしげにグイッとエールを飲み干し、おかわりを注文。


「ったく。エールもここ最近、値上げばっかりだ。前線への支援金だとか、見舞金だとか言って、酒税が引き上げられちまったからなぁ……」

「おかげで俺たちも、昔みたいにガバガバ飲めやしねえ」

「これだけが楽しみだってのになぁ」


 ジョッキを傾けながら、口々に不満を漏らす水夫たち――


「ええ、ええ、わかります。まったく、揃いも揃って同盟や聖教会の面々が情けないばかりに……」


 旅人もうんうんとうなずき、また大げさに溜息をついた。


「人類のためだとか、魔王軍の脅威だとか、同盟のお偉方は色々言っていますけど、我々庶民には庶民の暮らしがありますからねえ」

「まったくだ」

「支援のために、前線から遠く離れた国々でも税が上げられているようですが、聞けば……支援金の多くは、聖教会や同盟上層部の懐に収まっているとか……」

「なんだって……!」

「だって、おかしいでしょう? 同盟各国から手厚い支援があったにもかかわらず、デフテロス王国の王都エヴァロティには冬越しの食料さえなく、多くの民が餓死したとのことです。潤沢な支援金や物資は、いったいどこに消えたんでしょう」

「そりゃあ……クソッ、誰かが横領したとしか思えねえな……!」

「正直なところ、全てが全てとは言いませんが、同盟軍は腐敗しているとしか」


 いかにも悔しそうに、旅人はテーブルを叩いた。


「でもよォ、横領なんてどこにもあるしよォ、だからと言って何もしねえわけにはいかねーだろ。魔王軍がやってきたら、人族は酷い目に遭うって、神官様が……」

「どうだか……神官様たちは盛んに魔王軍の脅威を煽ってますけどね、魔族は、誉れ高い敵手は手厚くもてなすそうですよ。捕虜になったからと言って、必ずしも殺されるとは限らないんだとか」

「そうなのか?」

「ええ。現に、デフテロス王国の一部の都市は自治を許されているそうですよ」

「神官様から聞いた話と、ずいぶん違うなぁ……」

「おそらく、魔王軍がやってきたら酷い目に遭う、というのも正しいのではないでしょうか? その、神官様にとっては、ですが」


 どこかおどけた調子で言う旅人に、水夫たちも「違いねえ」と苦笑した。


「まあ、聖教会はそう言って危機感を煽り、少しでもカネをせびろうとしているのかもしれませんね……」

「クソッ、人の善意を何だと思ってやがる……」

「許せねえな……!」

「神官様も、口を開けば綺麗事しか言わねえけど……」

「まあ魔王軍がおっかないのも事実なんだがな……」


 水夫たちの反応はまちまちだった、怒る者、半信半疑の者、不満げながら危機感を捨てぬ者……


 口の端をわずかに釣り上げた旅人は、エールで口を湿らせてさらに続ける。


「人類のため、同盟のためを思って、みなさんも税に耐えながら苦しい生活を送られているんでしょうけど、その善意と努力のほとんどが水泡に帰している。そんなの、許せないじゃないですか。私がはるばる旅してきたのは、前線の実態をみなさんに知ってもらいたかったからなんですよ……!」


 熱っぽく、そう語る旅人だったが――



「ずいぶん面白い話をしてるな」



 ポン、と唐突に肩を叩かれた。



「――!?」


 振り返れば、にこやかな笑みを浮かべた青年。かなり整った顔立ちで、健康的に日焼けした肌、肉付きのよい体躯、短く切りそろえられた茶髪。かたわらには、銀髪の色白で可憐な娘を連れている。こちらは少しこわばった顔で、金色の瞳がじっと旅人を見据えていた。


 ふたりとも素朴な旅装だったが、娘は立派な造りの刺突剣を、青年は不気味な迫力を滲ませる長剣を、それぞれ腰に下げている――



 旅人は、ゾッとした。



 肩を叩かれるまで、まったく接近に気づけなかったからだ。


 そして、あまりにも不自然な点があった。この青年――


 人族とは思えぬほど、魔力が強い!!



「お前の耳――?」



 にこやかな笑みを崩さぬまま、青年がスッと目を細めた。



「っ!!」


 その手を跳ね除けながら旅人はプッ! と口から針を飛ばす。青年の顔面を狙ったそれは、しかし空中で見えない壁にぶつかったように弾かれる。防護の呪文――


「【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】」


 突如、青年が銀色に燃え上がり、魔力が旅人を包み込む。


 ジャッ!! と赤熱した鉄を水に突っ込んだような音。


「がああああぁぁぁッッッ!」


 全身を焼かれた旅人が絶叫を振り絞る――




          †††




 どうも、都市国家群を訪れた勇者アレックスです。



 今日も今日とて、元気に夜エルフ狩ってます。


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