350.聖女の奮闘


 サンクタ・シロ――聖大樹がそびえる森エルフの里。


 天を衝くほど巨大な聖大樹の中層部、森エルフの大図書館にて。


 古文書の山に埋もれるようにして、熱心に調べ物に励む女エルフがいた。


 一見すると、こんがり日焼けした何の変哲もない森エルフに見える。だがその名をリリアナ=エル=デル=ミルフルールという。魔王城より奇跡の帰還を果たした聖女だった。


 リリアナの生還は秘中の秘とされ、知る者は里の中でもほんの一握りだ。人化の魔法のおかげで、一般森エルフにはまったく気づかれていない。


『それ、本当に便利な魔法よねぇ……』


 母にして女王エステルも感心しきりだった。


 完全に人になりきることもできるし、中途半端に行使してハイエルフが森エルフになりすますこともできる。応用力の高さもさることながら、習得も竜の血を飲むだけと簡単。


 聖大樹連合は目下のところ、同盟圏に逃れたホワイトドラゴンを探し中だ。


 リリアナも里帰りしてから知ったのだが、魔王城強襲作戦の失敗を受けて、同盟とホワイトドラゴンたちの関係はギクシャクしたものになってしまったらしい。


 白竜王ファラヴギも戻らなかったことから、ホワイトドラゴン内の連携も失われ、家族ごとに散り散りになって同盟圏で暮らしているそうだ。


 中でも一部の白竜は、聖教会や国家の保護を受けて連絡員として働いているようだが、人族に『養われる』ことを潔しとしなかった者が大半だとか何とか……


『それにしても白竜たち、なんでこの魔法のことを教えてくれなかったのかしら』


 もっと早く知っていたら、色々と活用できたかもしれないし、何より夜エルフ諜報員の浸透にも対処できたのに、と母エステルはお冠だった。


 他種族にも習得できるなら早く言え、というのは正論だが、なぜ白竜たちが沈黙を保っていたのかは本人たちに聞かなければわからない。


 闇の輩に便利な魔法を教えたことで、ドラゴン族としての立場が悪化することを恐れたのか、それとも単純に自分たちの血が狙われるのを嫌ったか……


 案外、後者かもしれない。


 現に女王を筆頭に、ハイエルフたちが興味を示している。


 ――なぜか? 人化の魔法は、容姿だけではなく、種族としての性質も変更できるのが最大の特徴だ。


 つまり、聖大樹の清浄なるオーラがなければまともに過ごせない、成熟したハイエルフでも、人化の魔法を使うことで遠方に動けるようになるかもしれない。


『仮に、この里を捨てるのであれば――我らハイエルフには必須の魔法となる』


 女王は、会議の場でそのように述べた。



 ――そう、リリアナが提案した徹底抗戦、すなわち聖大樹を捨ててでも魔王軍に抗い続けるという選択肢が、前向きに検討され始めたのだ。



 魔王軍はやはり信用できない、という結論に至ったのが大きい。もともと魔王軍が信用に足るかは疑問視されていたが、中でも主戦派の連合議員上級代表の古株・古老オーダジュの主張は、次のようなものだった。


『魔王は、夜堕ちに森エルフの絶滅を約束し、傘下に加わることを許した。だが、聖大樹連合との和睦を打診してきたということは、もしも我らがそれを受けた場合、夜堕ちとの約束を反故にすることを意味する。つまり魔王は、どのような盟約があろうとも、状況次第で簡単に手のひらを返すと自ら宣言した等しい。そのような相手を、どうして信用できようか』


 もしも魔王が夜エルフとの盟約を重視しているならば、和睦の打診はブラフにすぎないので取り合うべきではない。


 反対に、もしも魔王が真面目に森エルフと手を組もうとしているならば、長年仕えてきた夜エルフの忠誠さえを簡単に踏みにじる不誠実な奴なので、信用ならない。


 いずれにせよ、魔王の言う『森エルフとの和睦』は、論理的に破綻しているという主張で、これには誰も反論できなかった。


 加えて、徹底抗戦の空気を決定的にしたのは、アレーナ王国での戦闘だ。


 アレーナ王国が陥落すると聖大樹連合もいよいよあとがなくなってくるため、森エルフ旅団も決死の抵抗を試みた。


 相対するは、第3魔王子ダイアギアス率いるギガムント族の軍勢だ。


『色情狂』ダイアギアスは大の女好きで有名で、美形揃いの森エルフを相手取るときは、ほんの少しだけ、寛容になることでも知られている。戦争で殺し合いをしていることに変わりはないが、負傷者の収容を許したり、撤退する森エルフに対しては追撃の手を緩めたりと、微妙に甘いとされていた。


 が。


 今回のアレーナ王国戦線では、毛色が違った。最初はまだ負傷者の収容などにも目こぼししていたのだが、ある日突然ダイアギアスが直々に出陣し、森にこもって抵抗を続けていた一部隊を、丸ごと殲滅してしまったのだ。


 重ねて言うが、戦争であり、殺し合いだ。死者が出るのは悲しくも当然と言える。それにしても、今回のダイアギアスの攻め方は、これまでの彼とは一線を画す苛烈さで、戦死者たちの遺体の回収もままならず、故郷に帰ってこられたのは、もはや誰ともわからぬ炭化した小さな欠片だけだったという。


 女に甘いとされていた魔王子でさえ、特に理由もなく残虐性を発揮する。改めて、魔族という種族の度し難さが顕になった形だ。


 さらにこの一戦で、これまで日和見主義的な態度を貫いてきた中道派議員の愛娘がになってしまい、彼が主戦派に鞍替えしたことで趨勢が決まった。



 ――森エルフは、徹底的に魔王軍に抗う。



 リリアナにとって、揺らいでいた森エルフたちの意志がある程度統一されたのは、喜ばしいことだった。


 ただ、リリアナのもうひとつの悲願であった、ジルバギアスへの支援は、現状では難しいという結論にも至ってしまった。


『いや、だってあなた……いったいどうしろと言うの』

『まあ、それは、そうですけど……』


 母とのプライベートな話し合いで、リリアナはしょんぼりするしかなかった。


 魔王国に身を置く彼に、手を差し伸べるわけにはいかないのだ。万が一にでも正体が露見すれば致命的だし、隠れて支援しようにも、距離が離れすぎている。


 ……どうしようもないことは、リリアナも薄々わかってはいた。聡明なる母なら、何か妙案を思いつくかもしれない、と淡い期待は抱いていたものの。


 まあ、森エルフの同盟離脱は回避できそうなだけ、万々歳と考えるべきか……。



 ただ、だからといって、リリアナは現状で満足するつもりはなかった。



 まだ他に、何かできることがあるのではないか。そして思い至ったのが、自分なりの死霊術の研究だった。


 アレクから預けられた、ノート数冊。エンマから教わった初歩~中級の実践的な死霊術の教科書。


 実は死霊術は光の魔力でも扱える。ただ、現世に呼び出した霊魂を、光がすぐさま消し去ってしまうので、使い物にならないというだけで。


 リリアナほどの術師ともなれば、霊界の門を開く魔法など児戯に等しく、初挑戦でも簡単に発動できた。


 それでも、霊魂の呼び出しは――ダメだ。流石に同胞で試す気にはならなかったので、森で死した動物たちの魂を呼び出してみたが、数秒とせずに消えてしまった。


 わかってはいたものの、光属性のアンデッドを生み出したり、使役したりというのは無理そうだ。


(でも、何か……何かに使えるんじゃないかしら)


 アレクは、エンマを魔王に匹敵する脅威とみなしていた。リリアナも同意見だ。


 光の魔力の持ち主でも、霊界の門は開けるなら、逆に霊界に干渉することも可能ではないか? とリリアナは考えた。


 対アンデッド戦闘の、新たなアプローチとなるのではないか――


 たとえば、霊界に莫大な光の魔力を叩き込み、霊界側からアンデッドを爆砕する、とか。


 ……結果として、色々と試してみたが、霊界はやはり闇の領域らしく、現世に比べて劇的に光の干渉力が弱まってしまうことがわかった。


「うぅーん……正直、よくわかんないわね……」


 いくらリリアナが優れた魔法使いでも、未知の領域すぎる上、取っ掛かりになるのがノート数冊だけで、経験者に相談もできないとなると、独力での研究はなかなか厳しいものがあった。


 そこで、森エルフらしく、聖大樹の図書館の叡智に頼ることにしたのだ。膨大な量の古文書を漁り、死霊術やアンデッドに関する過去の記述から、何かヒントを得ようとしているわけだ――




「リリィ、またここにいたんだ」


 古文書に読みふけっていると、どこかアンニュイな声をかけられた。


 リリアナが顔を上げると、ちょっと疲れた様子の森エルフの女が立っていた。彼女のこんがりと日焼けした肌は、茜色の光に照らされている。見れば窓の外では、日が沈みかけていた。さっきまで昼前だと思っていたのに――


 それはさておき、この女だ。


「ヘレーナ?」


 リリアナは思わず目をぱちくりさせる。


 ヘレーナ――リリアナの幼馴染で、森エルフの導師で、リリアナの生還を知らされているひとりでもある。再会したときは、それはもう泣いて喜びあったものだ。


 偽名としてリリアナを『リリィ』と呼び出したのもヘレーナで、本名と似ているのでバレバレかと思いきや、森エルフには同じような名前が多く、意外と周りにはバレていない。


「もう帰ってきたの? トリトス公国に行ってたんじゃ?」

「いろいろあって、急いで報告に戻ってきたのよ」

「どうしたの?」


 リリアナも身を乗り出す。ヘレーナは森エルフの使節団として、トリトス公国を訪ねていたはずだ。コルテラ商会を告発するのが主な目的だったが、諜報員の炙り出しに何か問題でも起きたのだろうか。


「それがね、なんと第7魔王子のジルバギアスが、魔王国を追放されたんだって」

「わぅ!?」


 想定外な報せに、想定外な声が出た。


「『わぅ』……?」


 怪訝な顔をするヘレーナ。


 ちなみに彼女は、リリアナの生還は知っているが、ジルバギアスの正体をはじめとした最重要機密には触れていない。


「い、いえ、ちょっとびっくりして、変な声が出ちゃったの」


 慌てて表情を取り繕うリリアナ。


(アレクが……追放!? どういうこと!? まさか同盟圏に!?)


 もちろん、心中は穏やかではない。


「そ、それで? ジルバギアスが、どうしたの?」


 そわそわし始めるリリアナ。尖った耳がピクピクと痙攣している。まるでお預けをされている犬のようだった。


 ヘレーナは挙動不審なリリアナを訝しんでいたが、やがて「あっ」と何かを察し、痛ましいものを見る目になった。


「ごめんなさい、あなたにこの話は酷だったかも……」


 どうやら魔王国の話題が、リリアナの心の傷に触れたと解釈したらしい。


「いやいや! そんなことないわよ、平気だから! 興味があるの。教えて? それでジルバギアスの何がどうしたの? なんでまた追放なんか?」

「え、ええ」


 めちゃくちゃ食いついてくるリリアナに、引き気味のヘレーナ。


「なんでも、魔王国内の政争に敗れたのだとか何とか……ホワイトドラゴンを連れて潜伏しようって魂胆らしくって、同盟圏のどこに現れるかわからないから、どの国も今は大騒ぎらしいわ」

「へ、へぇ……!」


 アレクが!!


 同盟圏にやってくる!?


 しかもレイラを連れて!? もしかしたら、こっちに真っ直ぐ来るかも!?


 いやでも、正体がバレる危険性を鑑みたら、むしろ聖大樹には近寄らないかも……そもそも飛竜ということで迎撃されるかもしれないし。


 ああ、いったい彼ならどうするだろう!? どうにかして会えないだろうか!?


 ――と、期待と不安で胸が一杯になるリリアナ。


「それと、これは別件なんだけどね。公都トドマールに行ったらさ、現地の夜エルフはもう壊滅してたのよ」

「……へぇ」


 ジルバギアスの話題が終わってしまい、スンッと落ち着きを取り戻すリリアナ。


「それはまた、変な話ね。今のジルバギアスと何か関係があるのかしら」

「そうかもしれない。ただ、現地の聖教会もよくわかってないみたいだったわ。なんでも休暇中の流れの勇者が、たまたま夜エルフの変装に勘づいて、一網打尽にしちゃったとか」

「そんな吟遊詩人の歌みたいなことがあるのね」


 よほどの歴戦の勇者だったのだろうか……


「うん、公都もその話で持ちきりだったわよ。幼い子どもが殺されそうになっていたところを、間一髪で助けたんだって。なんだっけ、たしか名前は――」



 しばし視線をさまよわせたヘレーナは、



「――そうそう、勇者アレックスとかいったっけ」



 …………!?



 ジルバギアスが、魔王国を追放されて――



 ほぼ同時期に、公都トドマールでは勇者アレックスが夜エルフを撃滅!?



 ああ!


 ああああ!


 ああああああああ!


「――――」


 ガタッ、と席を立つリリアナ。


「? リリィ、どうし――」

「わぅ」

「……わぅ?」


 リリアナは、駆け出した。


「――わぅん! あぅんあぅん! あぉんあぉーん、きゅーーーーん!」

「リリィ!?」


 ぎょっとするヘレーナには目もくれずに、リリアナは吠えながらひた走る。


「いったいどうしたの!? ちょっと待ちなさい! リリィ! リリィ――!!」



 ――やっぱり魔王子の話題がマズかったんだ。



 リリアナを追いかけながら、ヘレーナは迂闊な話を振ってしまったことを、心の底から悔いた。



――――――――――――――――

※名犬リリ公

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