349.新たな潮流


 ――トドマール大聖堂にて。


「では、コルテラ商会の諜報員は、既に壊滅していると?」

「はい。ここ公都では、幸いなことに」


 大司教が重々しくうなずく。


 森エルフたち――聖大樹連合の使者が目を丸くする様を、エドガーは興味深く見守っていた。


 今朝、アレックスと入れ違いのように、彼らはやってきたのだ。何でも森エルフの独自の情報網で、『コルテラ商会が夜エルフ諜報網の隠れ蓑になっている』ことを突き止めたらしい。


 それでわざわざ、ここトリトス公国にも警告しに来てくれたというわけだ。


 道中の各都市でも、現地聖教会と連携して、数名の夜エルフの炙り出しには成功したとのこと。そして、大本命の公都トドマールでも、同じく足並みを揃えて夜エルフを狩る気満々だったようだが――


「いったいどのようにして……」

「例の『ビラ』の件はご存知ですかな?」

「ええ、こちらに来てから聞き及んでおります」


 大司教の問いに、こんがり日焼けした若い森エルフ――と言っても100歳前後だろうが――はうなずいた。


「それならば話が早い。魔王子ジルバギアス潜伏の恐れあり、ということで、全土で闇の輩に対する警戒が高まっておりましてな。巻き添えを食らうことを恐れた諜報員たちが、慌てるあまり尻尾を出したようなのです」

「なるほど……」

「ちなみに、ひとりは生け捕りに成功しておりますぞ。地下で尋問中です」


 おおっ、と森エルフたちがどよめいた。それほどに夜エルフの捕虜は珍しいのだ。戦場でもさっさと毒で自害するなり、救出が難しいなら味方にとどめを刺されるなりするため、生きたまま身柄を押さえられることは滅多とない。


「その立役者となったのが、こちらの神官エドガーと、勇者アレックスです。……エドガー、アレックスは?」

「ああ、彼なのですが」


 大司教に水を向けられ、エドガーは困ったように笑った。報告しようと思ったら森エルフたちが訪ねてきたので、タイミングを逸したのだ。


「アレックスは急ぎの用事があるようで、出立してしまいました」

「何だと!」


 話を聞きたがっていたトドマール大司教は、猫に逃げられた猫好きのような顔をした。


「休暇中の、腕利きの勇者がいましてね。彼が戦友のよしみでコルテラ商会を訪ね、結果的に夜エルフたちの存在に勘づいたわけですが――」


 森エルフたちに説明しながら、エドガーはこの現状を面白く感じる。


(彼は、これを知っていたのか?)


 そもそも『なぜ』アレックスがコルテラ商会のオフィシアを訪ね、彼女のアパートにたむろしていた夜エルフ諜報員たちと交戦するに至ったのか、肝心なところはわからないままだ。オフィシアに用事があった、というようなことは言っていたが、そんな都合のいい偶然があるものか?


 さらには、初見でアウトルクに聖属性を浴びせかける判断力。本人いわく「怪しい気配を感じた」とのことだったが、まるで、最初から奴らの正体を知っていたかのような――


(まあ、憶測にすぎないが……)


 確証があるわけではないので、口には出さないエドガーだった。




 森エルフたちとの会合を終え、「なぜアレックスを引き止めなかった」という大司教の小言からも解放されたエドガーは、大聖堂の裏手の井戸で水くみをするニーナを見つけた。


「あ、エドガーさん」


 目が合って、ペコッとお辞儀するニーナ。


「やあ。体の調子はもう大丈夫なのかい」

「おかげさまで、すっごく元気です! ありがとうございます」


 ふんす、と力こぶを作ってみせるニーナは、すっかり回復しているようだ。……少なくとも、肉体的には。


「……それは?」

「修道士さんたちがお洗濯をされていたので、水くみをお手伝いしてるんです」


 ただで世話になるつもりはないらしい。若いのに働き者で感心なことだ。


「あの、エドガーさん。アレックスさんは……?」

「ああ……彼は」


 そして小首をかしげるニーナに、言葉に詰まった。大司教にさえ報告が遅れていたのだ。ニーナとイザベラにも、まだ……


「今朝、トドマールを出立してしまったよ。彼には彼の、使命があるようだ」

「えっ」


 そんな……と絶句するニーナ。


「まだ……何も、お礼もできてないのに……」


 先ほどまでの元気はどこへやら、しおれた花のように、しゅんとしょげかえってしまう。


「……きみたちが無事で、健やかにいることが、彼にとっては何よりの救いになると思うよ」


 慰めでもなんでもなく、エドガーは本心からそう言ったが。


 それで本人が納得できるかは、また別問題だろう。


「…………」


 ニーナの、あどけなさの抜けない顔が、歪んだ。


「……わたし、助けられてばっかりで」


 絞り出すように。


「アレックスさんにも、お母さんにも、……お父さんにも。守られてばっかりです。お母さんが殺されそうになってたのに、わたし、何もできなかった……!」


 手のひらに爪が食い込んで、血が滲むほど強く、手を握りしめていた。


 まだ幼い体には収まりきらぬほどの、理不尽への怒り、悲しみ、そして無力な己への嘆き……


「エドガーさんも、アレックスさんも、すごいです。おふたりとも、すごく強くて、かっこよくて……わたしも勇者に、なりたかった……」


 ――過去形。


「きみ、成人の儀は」

「わたし、もう13歳です……去年、受けました。でも、何もなかったです……」

「そうか……」


 残念だな――で、終わっていたところだ。


 昨日までのエドガーなら。


「……わたしは、勇者にはなれなかったですけど……何か、他にできることはないんでしょうか。それとも、やっぱり普通に生きていくべきなんでしょうか……」


 うつむいて、ニーナは力なく問うた。


 普通に生きていく、というのもまた尊いことだ。勇者と神官だけで国が回るわけではない。農民、職人、商人、役人、誰が欠けても社会は支障を来す。魔王軍との戦いに身命を賭すエドガーでさえ、戦争と縁がないならそれに越したことはない、と常々思っている。


 普通に生きていくのは、素晴らしいことなのだ。


 ――それが許されるのならば。普通に生きていける、社会が存在するならば。


 ニーナが言いたいのも、そういうことなのだろう。今、彼女にこなせる役割があるなら、彼女は喜んでそれを全うするに違いない。だけど彼女は、あまりに辛い思いをしすぎた。


 難民として国を追われ、生活基盤を破壊される。そんな経験に、幾度となく打ちのめされてきた。そしてもうこれ以上、壊されることのないよう、自らの手で守ろうとしている。あるいはその一助になりたいと願っている。


『勇者になりたかった』という言葉は、決して青臭い憧れによるものではないのだ。


 ただ、自らの大切なものを守りたいという願い。自らの足で強く立たねばならないという思い。昨晩の経験は、決定的にニーナを変えてしまったのだろう。


 老いも若きも、男も女も関係ない。


 アレックスの話を思い出す。聖属性、その正体、発現の条件――


「……ニーナ。私が、きみの力になれるかはわからないが」


 エドガーはおもむろに口を開く。


「実は、とある儀式魔法の予行演習で、参加して手伝ってくれる一般人を探していたんだ」


 ――聖属性に目覚めていない一般人を。


「もしよかったら、力になってくれないかな?」

「え! はい、わたしでよければ! 何でもやります!」


 喜び勇んで答えるニーナに、エドガーも微笑む。



 それは、ほんのちょっとした思いつきだった。



 今のニーナが、成人の儀をもう一度受けたらどうなるのだろう、という好奇心。



 そして、それがどんな結果を生むかなんて――



 提案したエドガーさえ、そこまで深くは、考えていなかった。

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