348.さらば友よ


 人化の魔法。


 まあ、アウトルクなら、そりゃ知ってるよなぁ。


 伝説の工作員にして『剣聖』ヴィロッサは、人化の魔法が使える。


 そして魔王子ジルバギアスは、忠実な白竜のお供を同盟圏に連れてきている。


 ジルバギアスが潜伏する気満々であることを鑑みれば、人化の魔法も習得済みだと容易に予想がつくだろう。


 俺もなぁ、その情報は漏れても構わないと思ってたんだよ。ヴィロッサ以外に人化できる諜報員がいるかもしれないし、人化の魔法を前提にすれば聖教会の取り締まりが効率化されるかもしれないからだ。


 でもなぁ。ちょっと早すぎた。


 せめて、俺がトドマールからおさらばするまでは、暴露してほしくなかった。


 ――よりによって、この男エドガーと一緒にいるときに、話題に上ってほしくはなかった……!


「以前、人化の魔法については、レイラ嬢が教えてくれたな」


 エドガーは、相変わらず世間話みたいなノリで言葉を続ける。


「そのときは、『ドラゴン固有の魔法』と言っていた気がするが……他種族も習得できるものなのか?」


 ……的確に痛いところを突いてきやがる。


『こやつ、もうダメではないかの。というか自分の心配をするべきかもしれん。始末してさっさと次の街へ移動せんか?』


 アンテが物騒なことを言い出すが、いや待て、正直エドガーが何をしたいのか俺にはよくわからない。


 俺が本当に疑われているなら、この路地に誘い込まれた時点で、聖教会の部隊が襲いかかってきてもおかしくないんだ。


 なのに――何も起きていない。伏兵の気配というか、戦場の嫌な感じがしない。


 エドガーは単身、こんな人気のない場所に俺を誘い込んで、無防備な背中を見せつけながら、際どい話を振ってきている。


 いったい何が目的なんだ……?


 ……まさか本当に、アウトルクから得られた耳寄りな情報を、俺が旅立つ前に教えてあげようって魂胆なのか? 何の裏もなく? そんなバカな。


「わたしは――」


 と、俺が何かを答える前に、レイラが口を開いた。


「ホワイトドラゴンが……父たちが魔王に反旗を翻したとき、母も亡くなって、幼い頃より親元から離されて育てられました」


 突然の自分語りに、エドガーと俺の足も止まる。


「ずっと、人の姿で暮らしてきたんです。空を自由に飛べるようになったのも、つい最近――ここ1年くらいの話で。竜としての魔法も、技も、わたしにはぜんぜん知識がなかったんです……ごめんなさい……」


 しおらしくうつむくレイラ。


 うまいな。『他種族でも人化の魔法を習得できるなんて知らなかった』というようなことを匂わせつつ、はっきりとそうは言っていない。あくまでも『昔は』知識がなかっただけ――


『なんか、お主みたいな言い方するようになったのぅ』


 実情知った上で見ると、こんなに白々しいんだ……。


「ああ、いや、責めているわけではないんだ。もちろん」


 エドガーは申し訳無さそうな顔をして、手をひらひらさせた。


「ただ……きみたちの組み合わせは、を招きかねないだろう? ホワイトドラゴンの娘に、闇属性の持ち主――」


 極限まで声を潜めて、まるでささやくようにエドガーは言う。


「――だから、忠告しておきたかったのさ。これからもふたりで行動し続けるなら、より一層、気を遣った方がいい、とね……」



 エドガーは、おもむろに振り返った。



「アレックス。私は、ジルバギアスが憎い」



 俺の目をまっすぐ見据えて、そう言った。



「魔族全体が憎いのは確かだが、ジルバギアスは……殊に憎い。奴の軍勢はエヴァロティを滅ぼし、私の友人知人を、未来ある後輩を――殺し尽くした」


 穏やかな笑顔の仮面は剥がれ落ち、エドガーはギリギリと歯を食い縛る。


「私自身、デフテロス王国で死に損なったひとりだ。後悔、贖罪、いや八つ当たりの類なのかもしれない。だが私は、仮に目の前にジルバギアスが現れたなら――たとえ敵わぬ相手であったとしても、剣を抜いて斬りかかるだろう」


 …………。


「だいたい、なんなのだジルバギアスは? 戦場では笑いながら兵士たちを殺戮し、血の雨を降らせたと聞く。残虐な闇の輩だ。忌むべき魔族だ。なのに、人化の魔法を習得し、人間社会に潜伏するだと? どの面下げて! 誇り高き魔族の王子などと、片腹痛い! 潔く挑みかかってくればいいようなものを……!」


 …………。


 何も言えねえ。


 俺、何も言えねえよ……。


「…………。きみに言っても、詮無きことだったな」


 つっと視線を逸らして、エドガーは自嘲するように笑った。


「……そもそも、アウトルクがでたらめを言っている可能性もある。魔族が人間社会に溶け込んでいると不安を煽り、闇属性持ちへの差別や疑心暗鬼など不和の種を蒔こうと企んでいるのかもしれない。なにせ、悪辣な夜エルフだ。我々などには考えもつかないような、腹黒い策略があってもおかしくはない……」


 客観的に考えれば、その懸念は正しい。


 俺はが事実だと知っているが、仮に人化の魔法が虚偽だった場合、いたずらに同盟圏を混乱させることになる。


 ただし、エドガーだってそんなことは百も承知のはず。にもかかわらず、まだ裏も取れていない情報を、こうして俺に突きつけてきた意味――


「……なあ、アレックス。教えてくれないか」


 懇願するような目で、エドガーは俺を再び見つめた。


「トドマールを去って何をするつもりなのかを。きみたちは何を目指し、どこへ行くつもりなのかを――もちろん、その、差し支えがなければだが」


 ちょっと無理のある様子で、おどけてみせる。


 俺は――


「東へ行くよ」


 素直に答えた。


「レイラに乗って、大陸の東の果てまで。魔王子の件が伝わるより早く、いろんな街を回ろうと思う。やることは、トドマールと変わらない――夜エルフどもをブチ殺すのさ」


 ひょいと肩をすくめた。


「南部は、俺が行くまでもなく、比較的早く話が伝わるだろうからな。ゲールハルト大司教おじさんにでも任せるさ」


 以前の俺のうっかりミスに触れると、エドガーは苦笑した。


「エドガー。俺は一介の勇者にすぎないが――ひとつだけ確信していることがある。魔王子ジルバギアスは、いや、魔族どもは。必ず報いを受けるということだ」


 手のひらに銀色の輝きを灯す。


 俺は、焼かれない。


 今の俺は人類の敵ではないのだ、と――


 赦しをもらえたようで、情けなくなるほど嬉しかった。


「俺は、闇の輩と戦い続ける」


 これは誓いだ。


「この身か、魔王国が滅びる日まで」


 エドガーは、「そうか……」と俺の言葉を噛み締めているようだった。


「……できることなら、ついていきたいくらいだよ。きみの破天荒な冒険を見届けたかった。しかし――私がいては、お邪魔虫になってしまうだろうからな」


 レイラを見ながら、いたずらっぽく笑う。


「すまない。変な話で、無駄に時間を取らせてしまって。……行こうか」


 俺たちに背を向けて、エドガーは再び歩き出した。


 そのまま何事もなく、路地を抜けて――


 朝日が差し込む大通りに出た。石畳に陽光が反射して眩しい。光り輝く道を俺たちは行く。


「おはようございます、神官様」


 街の門は開かれていたが、いつにもまして警備は厳しく、出入りする者は漏れなく検査されているようだった。俺たちが近づくと、衛兵がビシッと敬礼してくる。


「エドガー=ワコナン上級司祭だ。こちらは勇者アレックスと魔法使いレーライネ、ふたりの見送りに来た」

「はっ」


 エドガーが銀色の光と聖教会の身分証を見せると、自動的に俺たちの検査もなくなり、スムーズに門をくぐり抜けられた。


「……世話になったな、エドガー」

「こちらのセリフだよ。あ、これ、宿代」

「いやいいって! 結局マジだったのかよこれ」

「はっはっは」


 流れるように渡された銀貨の革袋を、俺はエドガーに押し付け返した。


「では、これは孤児院に寄付でもしておこうか」

「それがいい。俺も昔、世話になった」

「……イザベラとニーナに、何か言伝は?」

「『挨拶もなしにすまない、お元気で』とでも」

あいわかった」


 ぼちぼち話すこともなくなり、俺は改めてトドマールを振り返った。


 いやー。濃厚な滞在だった。まさかカイトの妻子が見つかった上に、夜エルフの掃除まで一気に進むとは……。


『とても1日だったとは思えん充実ぶりだったの』


 ほんとだよ。軽く2週間くらいは過ごしてそうな気がする。


「もっと早く出会えていればな」


 エドガーが不意に、そんなことを言った。


「きみたちには、そんな暇はないかもしれないが……親交を深めたかったよ」

「なあに、今生の別れでもあるまいし」


 しみじみとするエドガーに、俺は笑いかけた。


「次にまた会ったら、呑みにでも行こうぜ。そんときゃ世の中も、ちょっとはになってるだろうからよ」

「それはいい。が首尾よく進むことを願っているよ」


 エドガーがわざとらしく祈りを捧げる仕草をした。


「……それじゃあ」

「ああ。元気で」


 手を振るエドガーに見送られながら、俺たちは旅立つ。


『なんじゃ、拍子抜けじゃのー』


 残念がってんじゃねえよ。何事もなかったのはいいことだろ!


 あいつは――エドガーは、結局最後まで一線を越えなかった。


 さっきだって、「ジルバギアスは人化できるらしい」という話を振ってきただけ、そして俺の今後の展望や、次の行く先を尋ねてきただけだ。


 もしも、俺とジルバギアスを関連付けるような疑念を直接口に出されていたら――流石に捨て置くことはできなかったかもしれない。


 だけどエドガーは、俺を信じたんだ。


 致命的な部分に、踏み込んではこなかった……!


『じゃが、疑念は抱いておることに違いはなかった。このまま放置するのは危険ではないか?』


 この『疑念』が、俺の『危険』にまでつながる恐れがあるなら――もう既にそうなっているはずなんだよ。


 あいつはいつでも上役に相談できたんだ。だがしなかった。そして自分ひとりの胸のうちに留めているということは、つまり、そういうことなんだ。


 それに――


 あのエドガーのことだ。


 ヘタに手出しする方が、よっぽど危険じゃないかと俺は思うね。


 味方にいれば厄介ながら心強く。


 敵に回せばひたすら手強く、どこまでも厄介。


 あいつはそういう男だよ、きっと――



          †††



(……行ったか)


 街道の果てに消えていくアレックスたちの背中を見送って、エドガーは小さく息を吐いた。


 首を撫でる。いまだ、頭と胴体が泣き別れしていないことが、自分でも信じられないとばかりに。


 のろのろと、胸甲ブレストプレートの下、胸元に手を入れた。


 抜き出す、封筒。


 一瞥して、エドガーは苦笑した。


 それは遺書。あるいは告発状だった。


 だが、今となっては無用の長物だ。雷の魔力を流し込む。


 バチパチパチッと賑やかな音を立てて、火の手が上がった。あとで、聖教会の宿泊部屋に隠してきた写しも処分しなければ。


(第7魔王子ジルバギアス=レイジュ、か――)


 焼け落ちていく便箋。


 書き記されていた【転置呪】という言葉が、灰と化していく。


 それは、アウトルクが供述しただけで、まだ確度の低い情報だ。しかしエドガーは確信していた。それが真実であることを。


【イザベラ】【オフィシア】【血痕】【背と腰の傷】【服の穴】、続く単語もすべて灰燼に帰す。


 もしも、ジルバギアスを愚弄した自分が、あのまま殺されていれば――


 この封筒が、上司や仲間たちへの死者の警句ダイイングメッセージとなっていただろう。


(……結局、彼が何者なのかは、よくわからなかったな)


 アレックスが勇者であることを示す証拠は多い。


 だが――魔王子ジルバギアスとの奇妙な符合も、無視できない。


 こんなことは、初めてだった。2つの相反する事柄が、どちらも同じくらい真実としか思えないなんて――


 第7局の死霊術師にして勇者、という稀有な存在であることと同じくらい、とてつもなく巧妙に勇者になりすました魔王子、という可能性も捨てきれなかった。


(いや、案外……)


 どちらも真実なのかもしれない。


 ふと、そんな益体もない考えが、頭をよぎった。


(魔王子であると同時に、勇者。そう考えれば辻褄は合う)


 たとえば――死霊術に手を出した魔王子が、勇者の霊に体を乗っ取られたとか。


 もしくは魔族に敗れた勇者の魂が、何かの拍子に魔王子に生まれ変わったとか?


「……ふふ」


 あまりの荒唐無稽さに、エドガーは笑った。


「まさかな」


 ――アレックスは勇者だ。


 それでいいじゃないか。


 彼からは強い覚悟を感じた。


 身命を賭して闇の輩を滅するという決意を。


 今回ばかりは、この直感を信じることとしよう。



 アレックスの存在は、必ず同盟に益をもたらすはずだ――



(私は、彼を信じる)



 上級司祭エドガー=ワコナン。



 彼は確かに真実にたどり着いた。



 だが、それでいて禁忌の果実は。



 最後まで、口にしなかったのだ。

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