347.疑わしきは

【前回のあらすじ】

アレク「誰にも会わないよう、早朝にさっさと出発するぞ!」

???「水臭いじゃないか、黙って出ていくなんて……」

――――――――――――――――


 夜明け前、薄明の空の下。


 通りにひとり、穏やかな笑顔で佇むエドガーは、昨夜と同じ白い神官服姿だった。


 だが、一点だけ、装いを新たにしている。


 それはぴかぴかの胸甲ブレストプレートだ。


「ああ、これか? まだ警戒を解くわけにはいかないから、念のためにな」


 俺の視線に気づいたか、エドガーが胸甲を撫でつけた。実戦に揉まれて細かな傷がついているが、よく手入れのなされた防具――


 さり気なく周囲の気配を探る。まだ街は静かで、俺たち以外の人影もない。


『不自然に魔力が隠蔽された様子もない……少なくとも、至近距離では』


 アンテが告げるも、俺の中に隠れながらの観測だから、正直そこまでアテにもならない。


 ……こんな、警戒心バリバリな自分が悲しくなってくる。だけどそれは、俺に後ろめたいところがあるからで……


「……どうしてわかった、と言わんばかりの顔だな、アレックス」


 沈黙を保つ俺に、エドガーは苦笑した。


「なぁに、半分は勘さ」


 逆に半分は確信だったと……?


「私が『宿泊費は持つ』と言ったとき。最初のころアレックスは『いいってことよ、気にすんな』と遠慮していただろう? なのに昨夜は、『じゃあ最高級の部屋に変更してやろうかな』なんて冗談めかして答えた。……あれで思ったのさ、『ああ、明日には姿を消すつもりなんだろうな』『自分で支払いを終えて立ち去るから、気楽に答えたんだろうな』と」


 ええ……。


『えぇ……』


 俺とアンテの困惑の思念が重なった。


 いや、確かに、そのつもりだったけどさ……。


「……それで、こんな朝早くに、見送りに来てくれたのか」


 もはや苦笑するしかない。「早朝の散歩に出ただけさ」と軽口を叩こうかと思ったが、俺が3人分くらいの尋常じゃない大荷物を抱えているから、言い訳としても冗談としても流石に苦しすぎる。


「ああ、そうさ。トドマールの夜エルフを壊滅させ、罪なき母娘を救った英雄だ。見送りもなしに出立だなんて、そんなの寂しいじゃないか……」


 肩をすくめるエドガー。


「さて、行こうか」


 ――驚くべきことに、彼は俺たちに背を向けて、すたすたと歩き出した。静かに俺の隣で臨戦態勢に入っていたレイラも、意表を突かれたような顔をしている。


「……どうした? 来ないのか?」

「ああ……いや。行くよ」


 振り返るエドガーに、俺は我に返って、荷物を背負い直した。



 公都トドマール。朝露に濡れた石畳の道に、俺たち3人の足音が響く。



「生け捕りにされたアウトルクだが、取り調べは順調だ」


 俺たちの前を歩きながら、エドガーが再び口を開いた。


「順調すぎる、と言ってもいい。こちらが聞きもしないことまで、べらべら話すようになった。情報量が多すぎて、嘘が混じっていないか確認が面倒なほどだ」


 へえ? まだ夜も明けてないのに、意外と根性ねえなアイツ。日光で炙られたら、たまらず口を割るだろうとは思っていたが……


『拷問が得意な種族のくせに、自分の口はゆるいんじゃな』


 逆だよ。拷問が得意だからこそ、だ。抵抗がどれだけ無駄なのかも、よくわかっている。どれだけ堅固な意思も、絶え間ない激痛の前には無力だ。


 ゆえに、沈黙を貫くより、むしろ――


「十中八九、偽情報での撹乱は試みるだろうな」

「まさに」


 俺の言葉に、エドガーが深々とうなずいた。


 拷問で引き出した情報ってのは、案外アテにならないんだ。苦痛から逃れるためにデタラメを供述することもあるし、逆に協力的に見せかけて、いけしゃあしゃあと嘘を吐くこともある。


 夜エルフの本領は、むしろそっちにあると言っていいんじゃないか?


「相手は悪名高い夜エルフだ、言葉を鵜呑みにすることはできない。それでも、睡眠不足で頭がボケてくれば、嘘と真実で整合性が取れなくなるだろう。これに関しては気長にやるしかないな」


 肩をすくめるエドガー。


「ただ、どうやらアウトルクは、魔王国――いや魔族に対して、かなり鬱憤を溜め込んでいたらしい。夜エルフ社会や諜報網の詳細を尋ねても歯切れが悪いが、逆に魔族の情報はかなり積極的に話している」


 あー。


 ビラのせいで同盟の警戒度は跳ね上がり、挙句の果てに自分たちも壊滅しちまったわけだしな。ビラの一件がなくても、どのみち俺に滅ぼされていただろうが、アウトルク視点だと腹が立つのもうなずける。


「しかもただの夜エルフではなく、高度な教育が施された諜報員だ。これまで、謎のヴェールに包まれていた魔王国の全容が、明らかになるかもしれない。そういう意味で、生け捕りにできたのは僥倖ぎょうこうだった」


 魔王国の実態が、聖教会と同盟圏にドバーッともたらされるワケだ。これで、ちったぁまともに戦えるようになればいいが……。


「本来なら、生け捕りの立役者たるアレックスは表彰ものなんだがな。司教様もアレックスに是非お礼を言いたいと仰っていたぞ」

「ははは……」


 おどけたようなエドガーの言葉に、俺は笑って誤魔化す。


「…………」


 隣を歩くレイラが、服の裾をクイクイと引っ張ってきた。


 ……ああ、わかってるよ。


 いつの間にか、俺たちは大通りを外れて。



 ――狭い路地に誘い込まれていた。



「アウトルクが、魔族をかなり憎んでいるのは間違いない」


 エドガーは、変わらない調子で話し続けている。


「私としても、腹いせに奴が暴露する魔族の情報は、それなりに信憑性があるのではないかと睨んでいる」


 俺たちの前を歩きながら。


「中でも興味深かったのは、追放された魔王子についての情報だ」



 ちら、とこちらを振り返る。



「アウトルクの証言によると、魔王子ジルバギアスは――」



 灰色の眼差しが、俺を貫く。



「――【人化の魔法】を使えるそうだ」


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