346.消えぬ炎
『光ってる――!?』
バルバラが素っ頓狂な声で叫んだ。自分もアンデッドなだけに、驚愕もひとしおなのだろう。
『……ん? いつの間にか別嬪さんが増えてんじゃねえか。あんたもこいつに殺されたクチかい?』
『直接じゃないけど、まあ似たようなもんだね』
「その節は誠に申し訳なく……」
俺は縮こまった。今さらながら肩身が狭い。
にしても、彼はバルバラのことを認識していないようだ。
「あんたは……ずっと眠ってたのか?」
『ああ、たぶんそうだ。ずっと夢うつつだったというか……どこぞの城に攻め入ったり、おっかない剣聖とやりあったり、とんでもねえバケモンと戦ったり、夜エルフをブチ殺したり、そんな夢を見てた気がする……』
あくびを噛み殺しながら、年かさ兵士は答えた。そして宿屋の小さな個室の中を見回す。
『ここは……ぱっと見、魔王城って雰囲気じゃねえが……』
ふむ。俺の周囲の出来事は、薄ぼんやりと知覚していたみたいだな……ただし、件の『剣聖』がバルバラであることまでは把握できていない、と。
「実は今、俺たちはトリトス公国の公都トドマールにいるんだ」
『は? 陥落したのか?』
眠気も吹っ飛んだようで、スンッと真顔になる年かさ兵士。……年かさ兵士って言いにくいな。何かあだ名でも考えた方がいいかもしれない。
「いや、そういうわけじゃない、安心してくれ。兄の第4魔王子エメルギアスをブチ殺してな、俺は兄殺しの咎で同盟圏に追放されることになって――」
ことのあらましを説明する。この男を呼び出したのは、だいたい1年くらい前か。思えばあれから色々あったもんだ……
『ほほーう』
最初は腕組みして、興味深げに話を聞いていた年かさ兵士だったが、しかし、段々と眠たそうに目をしばたかせ始めた。
『――悪い。なんだか知らんが――無性に、眠い』
ぺちぺちと半透明な頬を叩きながら、彼は言う。
アンデッドなのに、
『なんだろうな――ぐっすり寝て、前より頭は冴えてるんだが、油断したら――フッと気が遠くなりそうなんだ。――ふんっ!』
強めに両頬を叩いた年かさ兵士が、めらめらと銀色の輝きを強める。
まるで彼自身が松明であるかのように。
『気合を入れたら、ちょっとはシャキッとできるか。けど、これはこれで、なんだか疲れるな。よくわかんねえ、俺は――いったいどうなってるんだ?』
「無理はしなくていい」
光り輝きながら考え込む年かさ兵士に、俺は謎の危機感を覚えた。
彼とバルバラは、何かが違う。年かさ兵士は霊体とは思えぬほど強固な存在感を放っているが、彼自身の厚みが徐々にすり減っていっているような、どこか不吉な危うさを感じさせた。
『まあ、とりあえず近況を聞けてよかったぜアレク。お前も元気そうで安心したよ。魔王子をひとり撃破したってのもめでてえ話さ……それはそれとして、俺を起こしたってことは、何か用事でもあったのか?』
「あんたの同僚の、カイトのことだ」
俺は手早く質問を済ませることにした。
「彼の奥さんと娘さんが見つかった。それで、色々と生活を支援したんだが、不幸なことに、ふたり揃って夜エルフの諜報員に殺されかけたんだ」
『なんだと! さっきの夢はそれか!』
「そうだ。そして奥さんに、カイトの形見として遺骨の一部を渡してたんだが、それがカイトの声とともに聖属性を放って、ふたりを守ったらしい」
『はぁ、すげえな。あいつ死んでから勇者にでもなったのか?』
あ、だめだ。この人もよくわかってねえわコレ。
「正直、奇跡としか思えない。カイトの魂はもう、消えてしまったものとばかり……彼も、一緒に眠ってたりするのか?」
『ああー……どうだろうな。呼んでみたらどうだ? 他の連中も、みんなで一緒に夢の中で戦っていたような、俺ひとりだったような』
「そうか……【目覚めよ、カイト】」
一応、遺骨に呼びかけてみたが、反応なし。
「【目覚めよ、俺に殺された戦士たち】」
……他もダメか。
『ふうむ、俺しかいねえのか。ま、魂がそこにいなくても、あいつらは冥府から見守ってくれてるんだろうさ』
ふあ、とあくびをした年かさ兵士は、その輝きを弱め、姿を薄れさせていく。
『俺も――陰ながら応援してるからよ――また何か、デカいことでもあったら――話を聞かせてくれや――』
そうして、スゥッと遺骨の中に吸い込まれていった。
「…………」
残された俺たちは、顔を見合わせる。
「結局、疑問が増えただけだったな……」
「いや、そうでもなかろう」
寝転がったまま、さらさらと髪に手ぐしをかけながらアンテが言う。
「死んどるくせに、眠たそうにしておった点が興味深い」
『それ、あたしも思った。こちとら死んでから、眠気なんてこれっぽっちも感じたことないのに』
バルバラも同意する。確かにそうだな、あれは妙だった……
「……聖属性の挙動も考え合わせると、ひとつ、推論はできることはある」
アンテがぴんと指を立ててみせた。ほほー、年の功ってやつか、頼りになるな。
「お聞かせ願えるかな、大魔神様」
「よかろう。結論から言うと、あやつの魂は、緩やかに消滅しつつあるのではないかと思う。聖銀呪により強化された理性や、存在の格の代償としてのぅ」
…………。
「聖銀呪は人類を強化し、人類の敵を焼く。アレクが魔族の体ならば焼かれ、人化した状態なら一切ダメージを受けないことから、肉体と魂にそれぞれ判定があることは明らかじゃ。そしておそらく、それはアンデッドにも適用される」
ちら、とバルバラと遺骨を見やるアンテ。
「我は直接見たことがないが、スケルトンやゾンビといったアンデッドは、聖銀呪で灰になるんじゃろ?」
「……ああ」
前世で何度か焼き払ったことがある。今思えば、あれは魔王軍の戦闘員じゃなく、労働奴隷としての低位アンデッドだったんだろうな……。
「基本的にアンデッドは人類の死体を原料としておる。つまり肉体は人類なわけじゃな。それなのに焼かれるということは、魂の方が、『人類の敵』判定を受けたと考えられる。ならば、遺骨の兵士たちと、スケルトンやゾンビの違いは何か――」
……ああ。わかった。
「生前から、その魂がどれだけ変質しているか、……か?」
そしてそれは、おそらく俺自身にも言えること――
「そういうことじゃろう。自我の大半を削り取られ、操り人形と化したアンデッドと違い、遺骨の兵士たちもバルバラも魂は未加工じゃ。ゆえに生前と変わらず『人類』と判定され、聖銀呪の恩恵にも与れる……」
生者を襲う化け物と成り果てたアンデッドは、議論の余地なく人類の敵だ。
では、愛する者を守るため、冥府より黄泉帰った戦士たちは?
――決まっている。『敵』であるはずがない……!
「ただ、聖銀呪は、アンデッドを強化することまでは前提としておらんのじゃろう。ゆえにここからは憶測になるが――アンデッドとしての存在の強度、つまり魂と理性を強化する働きと、自我の変質を防ごうとする力が競合しておるのではないか」
『……というと?』
バルバラは、いつになく真剣だった。
「アンデッドは遅かれ早かれ、変質からは逃れられぬのよ。生者と違い魔力を生み出せぬ存在ゆえ、常に他者や地脈などから、まったく性質を異にする魔力を補給せねばならぬ。どれだけ気を払っても、周囲の影響を受け自我は変質していく――この場合の『自我』は、単なる性格や考え方ではなく、魂の構成要素、つまり魂の核という意味合いじゃ。エンマなどのリッチは、生前に近い自我を持っていようとも、この点で立派な人外と言えるじゃろうな」
「……その理屈でいうと、俺の魂もスッカスカで、お前の魔力を受け入れて生前とはまるで別物になってるんじゃ?」
そして悪魔は、聖銀呪に焼かれる存在だ。その力を大量に受け入れた俺は、焼かれない。なぜだ?
「お主の『核』は生前と変わっとらんじゃろ。魔力を、意思を、無から生み出す根源たる『核』は。じゃがアンデッドの核は、生者の熱を失って変質しつつある。聖銀呪はそれを防ごうとしておるのじゃろう、ゆえに理性を強化し、魂を強化し、失われた熱を取り戻そうと躍起になっておる。じゃがのぅ、そんな世界の真理に真っ向から歯向かう真似をすれば、魔力がいくらあっても足りぬ」
アンテは、どこか憐れむような目を遺骨に向けた。髪を顔にかけて、バルバラにはその表情を見せないようにしながら――
「結果、何が起きたか……聖銀呪は、燃やし始めたんじゃよ。魂の核を。それで不足した熱と、魔力の帳尻を合わせようとしておるんじゃろ」
――バルバラが、思わず自身の心臓のあたりに手を当てるのが見えた。
「じゃが、それでさらに魂の変質は進む。変質を防ぐために、さらなる強化が必要になる。あとはその繰り返しじゃ。お主が注いだ魔力に比して、あの遺骨の兵士の存在の格がやたらと高くなっておったのは、これが理由よ」
言われてみれば――バルバラに比べて、年かさの兵士の存在感は強かった。
だがそれは、単に聖銀呪で強化されたからではなく――
「魂の核を薪にくべておるわけじゃ。聖銀呪による時間制限つきの、魂の超強化といったところか。あの自我の強さなら、生半可な呪詛は受け付けんじゃろうし、聖銀呪の恩恵も色濃く反映されるじゃろう。皮肉なことに、聖銀呪はやはりアンデッドを焼かずにはおれぬらしい。苦痛ではなく、力を与えるためですら……」
「……じゃあ、彼が感じていた、眠気ってのは?」
どういう関係があるんだ?
「眠りとは仮初の死じゃ。では、霊魂にとっての『死』とは? その消滅じゃろ」
アンテは何でもないことのように答える。
「本能的に、あやつは察しておるのじゃろう。自我を強く維持すればするほど、人格の死が、核の消滅が近づくことに。ゆえに魂を不活性化させることで、存在を長持ちさせようとしておるわけじゃ……遺骨の中で眠る限り、魂の変質も核の燃焼も極端に抑えられ、お主を支え続けられるからのぅ」
…………俺は。
彼に、銀色の輝きを灯してよかったんだろうか。
これが味方にかける強化魔法だったならば、俺が魔力の供給を止めれば、聖属性も自然に消える。
だが、俺の手を離れて燃え続ける銀の炎は――魂に根付いた呪いの炎は、どうやって消し止めればいいのか。
まるでわからなかった。
「それだけの価値はあった」
俺の胸の内を読んだかのように、アンテ。
「思い出してもみよ、あやつらを呼び出した直後のことを。聖銀呪に触れるまで、いかにもあやふやな存在じゃったじゃろ。当時のお主が聖銀呪抜きで、あやつらの自我を一気に復元できたとは思えぬ。今、あやつの核が燃えているのは事実じゃが、生前と遜色ない次元まで自我が復元されたのも、また事実なんじゃ」
……あのあと、幾度となく、ひとりでに動く遺骨に助けられてきた。
遺骨の協力がなければ、俺の首は、エヴァロティでバルバラに刎ね飛ばされていたかもしれない……
『よかった~、聖銀呪、軽い気持ちで試してみなくて……』
と、当の本人はホッとしたように胸を撫でおろしている。
『――聖属性の強化は、もうこれで消えて構わない! ってときの最終手段だね』
だがその目は、据わりきっていた。業物の刺突剣のように鋭い眼差しが、力強く俺を捉えて離さない。
『普通は死んだら終わりのところを、魂を燃やしてでも食らいつけるってんだ。本望じゃないか』
――だから憐れまれる筋合いはない。
不敵な笑みが、そう言っていた。
「……確かに、それもそうだな」
自分の立場で考えてみよう。
魂を燃やし、自らが消滅したとしても、魔王に一矢報いられるなら?
――ああ、本望だろうさ。悔いなんてねえ!!
自然、口の端が吊り上がっていた。
「……じゃあ、カイトさんは、結局なんだったんでしょう」
黙って話を聞いていたレイラが、ぽつんとつぶやくように問うた。
「それは我にもわからん」
ぼりぼりとお腹をかきながら、アンテはあっけらかんと。
「ひょっとすると、以前は魂が消えたわけじゃなく、密かに遺骨に宿っておったのかもしれん。そしてイザベラたちを守るため、すべての力を使い果たしたのか……」
あるいは――
「カイトが冥府から現世を見守っていたのか。それにしても、いかにして自力で世界の壁を突破できたのか、皆目見当がつかん。そもそも魂の核が消滅していたのなら、冥府に行けぬのではないか……。それとも魂ではなく、家族への想いが遺骨に宿っていたのか……わからぬ。何もわからぬ。じゃが実際にことは起きた。ならば真の意味での、【奇跡】なのかもしれんな……」
……奇跡、か。
やはり、冥府は存在するんだろうか。
おやじとおふくろは、今でも、俺を見守ってくれているんだろうか……。
†††
――その後、俺たちは就寝した。
今日は色々あってホントに疲れたな……
聖属性が死霊術にも応用できるかもしれない、と明らかになったはいいが……魂を燃やす諸刃の刃の超強化、邪法っぽさがますます増してしまった。
闇の輩特効の呪詛を身にまとい、勇者や神官の援護を受けられて、魔法抵抗も基礎能力も高く、時間制限付きながら魔力面でも高燃費なアンデッド兵――と考えると、そりゃ大したもんだけど。
『それっきり』、なんだよな。おそらく全力では何度も戦えない。
すべてを出し切って消滅する、使い捨ての戦力。
使いどころが難しいな。本当に……。
「夜明け前じゃぞー」
そんなこんなで考えを巡らせていたが、気づけばいつの間にか寝入っていた。疲れもあって眠りは深かった、眠らないアンテとバルバラがいなければ寝過ごしていたと思う。
宿屋の主人はまだ起き出していないものの、宿泊費は前払いしたので問題ない。
いそいそと荷物をまとめて、夜明け前に、逃げるように部屋を出た。
市壁の門は厳戒態勢で通行も制限されているだろうが、『勇者』の肩書があれば外には出られるだろう。
郊外で目立たない林でも探して、レイラに人化を解いてもらい、トリトス公国から脱出を――
「やあ、アレックス。ずいぶん早いな」
宿屋を出て、数歩も行かないうちに。
「水臭いじゃないか、黙って出ていこうだなんて……」
声をかけられた。
神官服を身にまとい、穏やかな笑みを浮かべた男。
上級司祭、エドガー=ワコナンが、そこにいた。
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