338.執念の闘争


「――っっ!」


 勇者の狂気じみた笑みに、思わず怖気が走る。それを振り払うようにアウトルクは再び矢をつがえた。


 路地を挟んで反対側の壁に、剣を突き立てぶら下がった勇者。足場がなく、動きが制限されて隙だらけだ。


 先ほどのように素早くかわすことはできまい――!


 矢を放つ。狙うは、がら空きの胴!


 獲物に食らいつく猟犬のように、矢はビヒュッと空を切る。そして狙い違わず勇者の胸に突き立った。


 トッ! と肉を打つ軽い音。


 ――いや、命中したが刺さってはいない! 力なく落下していく矢、微塵も揺るがぬ勇者の表情に、奴が『かわせなかった』のではなく『受けた』のだと悟る。


(……あいつ、服の下に鎧でも着込んでるのか!?)


 携帯式とはいえ夜エルフの弓、それも才能あるアウトルクの一撃だ。半端な革鎧なぞ、濡れた紙のようにブチ抜くというのに!


 愕然とするアウトルクをよそに、屋根の縁に手をかけた勇者が、聖剣を壁から引き抜きながらひらりと屋根に飛び乗る。


(……なら!)


 再度、攻撃を試みる。防具を着込んでいたとしても、顔や手足は剥き出しだ。しかも屋根に身を乗り上げたこの瞬間、すぐには回避行動に移れない。


(撃ち抜く!)


 渾身の一矢が、勇者の額めがけて真っ直ぐに伸びる――


 ビゥンッ、と矢羽の震える音が響いた。


 勇者が左手で、空中の矢を掴み取ったのだ。そこに矢が来ることを予期していたかのように、危なげない動作だった。


 ――そりゃ頭を狙うよなァ?


 笑みを深める勇者の目が、そう語っていた。掴み取られた矢が、バキッとへし折られる。


 まんまと動きを読まれた……!


「さて、あと何本だ?」


 全身に魔力をみなぎらせながら、勇者が問う。


 ……痛いところを突かれた。弓に矢にナイフに各種毒瓶。隠し持つにしても限度がある。特に折り畳めない矢は、そう何十本も運べるものではない。


 パウロのとどめに1本、勇者に2本使った。残りはあと3本――


「~~~ッ!」


 歯噛みしながら逃走し始めるアウトルク。路地を挟んで反対側の屋根の上、勇者もまた並走して追いすがる。


(……いや、落ち着け。このまま逃げ切る!)


 道の果てを見据えて、アウトルクは己に言い聞かせた。


 この先は三叉路だ。勇者が毒煙を抜けるとき、こちら側の屋根か、向こう側か、二択で自分と反対側を選んだのが幸いだった。


 三叉路まで逃げれば、勇者は自分を追いかけるため、一度路地に降りなければならない! 俊足の夜エルフには充分すぎる時間だ、犬獣人の猟兵が付き添っているでもなし、このまま闇に紛れれば少しは余裕が――



「俺ァ追いかけっこしに来たわけじゃねェんだよ」



 唸るような声。おぞましい魔力の波動。夜闇を祓う銀の輝き。



 勇者が、全身の聖属性の光を、一層強めている。まるで流星のように――



「オフィシアとかいうヤツもブチ殺さなきゃならねえからなァ……!」


 ギョッとした。そこまで知られていたというのか? いや、自分を見て問答無用で襲いかかってきた時点で、予想して然るべきだった。脳裏によぎるのは、パウロ宛の謎の手紙。


 やはりアレは罠だったのか!? それにしてはトドマール聖教会は疑いもなく自分を受け入れて――いや、そんなことを考えるのはあとだ!


 この勇者は、危険だ! それだけは間違いない!!


「テメェもブチ殺してやるァァァ!!」


 鬼気迫る表情で叫んだ勇者が、ぐんっと身をかがめる。


(まさか!?)


 あれは……跳ぶつもりか!? 聖属性の魔力で最大限に身体能力を強化し、路地を跳び越えてこちらに来ようとしているのか!?


 勢いよく屋根を蹴り、夜空に身を躍らせる勇者。見事な跳躍、拳聖に勝るとも劣らぬ身体能力、こちらの屋根には間違いなく届く……!


 だが。


(――馬鹿め!!)


 アウトルクは口の端を吊り上げた。望むところだ。正面戦闘に強い勇者だろうと、人族とは思えぬほど強大な魔力を誇ろうと。


 翼があるわけではない。


 姿!!


 矢を抜き取った。確実に仕留めるため、残りの3本中2本を。勇者は頭部を守ろうと聖剣を掲げているが、手足は剥き出しだ!


(――功を焦ったか、勇者!)


 毒矢を叩き込んでやる。勇者の脚部に正確無比な速射を見舞う。


 両のふくらはぎを貫かんとする2本の矢は――



 ガキィンッ、と。



 硬質な音を立てて、両方とも弾かれた。



「な……」


 唖然。


 何が起きた? まるで見えない壁にでもぶち当たったかのように、矢が……


(見えない壁――)


 まさか。


(防護の呪文!? しかも堅いッ!!)


 トンッと難なくこちら側の屋根に着地する勇者。その姿は銀の輝きをまとい、かすかに揺らめいて見えた。間違いない、全身を防護の呪文で固めている!


(いつの間に!? さっきは――)


 矢が胴体に当たったではないか! 疑問に思ってからすぐに気づく、先ほど勇者がおぞましい魔力をみなぎらせた、あのときだ! 聖属性の光で誤魔化し、オフィシアの名を出して動揺を誘った、あの瞬間に無詠唱で展開したとしか思えない!


(なんで最初から使わなかったんだ!!)


 顔を引きつらせて胸の内で絶叫するアウトルク。残りたった1本の矢で削りきれる強度ではない! こんな鉄壁の相手だとわかっていたなら、最初からなりふり構わず逃げて――



「――――」



 だから、だ。



 気づいて、ゾッとする。、だ! 矢が一切通用しないと見れば、自分が死物狂いで逃げ出すから、手札を伏せていたのだ!


 盾もなく、ほとんど普段着の勇者ならば、弓で対処できると思わせるために!


 先に片付けてしまえば、もっと余裕を持って逃げられる、と――そんな自分の思惑を見事に――


(手玉に取られた、のか)


 まさか、信じられない、こんな狂犬じみた男に……!


「やっと追いついたな」


 ぎらりと――


 その手の聖剣が、凶悪に煌めく。


 片目から血を流し、もう片方の目は見開いて、まっすぐ駆けてくる勇者。


 獰猛な笑みも、背筋が凍るような殺意も、何もかも最初から変わっていない。だが先ほど「殺してやるァ!」と叫んだときの狂気は鳴りを潜めていた。あれも、れたと思わせるための、演技だったのか。


(そうだ、こいつは――!)


 狂犬じみているだけで、狂犬ではない! 毒煙を食らって、即座に片目を温存する判断ができる奴だ! 考えても見ろ、今に至るまで! その一挙手一投足は、すべて自分を追い詰めるために計算され尽くしている――!



 それを悟らせぬために、狂気的な雰囲気をまとっていただけだ!



 聖剣を振りかぶる、勇者は。



 煮え滾るような殺意を滲ませながらも、その目は、どこまでも冷徹で。



「……舐めるなァ!!」


 己を奮い立たせるように叫んだアウトルクは、懐から瓶を抜き取る。


 放り投げた。


 勇者に向かって、2つ。


「……ハッ」


 今さら何を、とばかりに勇者は嘲笑った。自分も相手も全力疾走している。毒煙が広がるより先に、ふたりとも駆け抜けてしまうだろう。しかも左右を建物で塞がれた路地ではなく、開けた屋根の上だ。足止めにもならない――


(と、思うだろうな!)


 だが、アウトルクの狙いは別にあった。


 勇者が瓶に視線を合わせた、その一瞬に、最後の矢をつがえる。


 振り返りざまに跳躍、姿勢を安定させ――



 狙う。放つ。



 ――2つの瓶が、空中で射抜かれてパァンッと弾けた。



 飛び散るガラス片、撒き散らされる液体、それらを突き抜ける矢――防護の呪文でガラス片と矢は防がれるだろう。


 だが。


 瓶の中身が空中で混ざり合い――


 ボッ、と勢いよく発火した。


「うおッ」


 燃える液体を浴びて、さすがの勇者も面食らったような声を上げる。


(残念だったな……毒じゃないんだよ!)


 ほくそ笑む。あれは催涙毒の瓶ではなく、混ぜ合わせると発火する液体だ。アウトルクは弓と薬物を用いた、遠距離からの破壊工作も得意としている。今日も、必要とあらば公都の各所に火を放って回るつもりだったのだ。


 そして防護の呪文は、魔法や、物理的な斬撃・打撃には強くとも、液体や気体までは完全に防ぎきれない――!


「クソがッ」


 防壁をすり抜けた液体と火に、服を焼き焦がされながらも、勇者は毒づいただけで構わず追ってこようとしている。


 が、次の瞬間、ズルッと足を滑らせて体勢を崩した。


 アウトルクが屋根にぶちまけていた油のせいだ。さすがの勇者も、火をつけられた瞬間は視野が狭くなっていたらしい、アウトルクが別の瓶を取り出すところが見えておらず、無防備に油まみれの瓦を踏みつけた。


 しかも、勇者の全身の火が油にも燃え移る。転びかけるわ燃えるわで勇者の足取りも鈍る――


「テメェっ!」

「ははっ」


 声を荒げる勇者に、アウトルクは別の瓶を取り出しながら笑い返し――思い切って屋根から身を投げた。


 ここまで距離を詰められた以上、屋根の上で追いかけっこを続ける意味は薄い。仮に勇者も飛び降りて追ってくるなら、着地地点にまた油瓶を投げつけてやる。当然、この勇者ならばそれを予想するだろうから、躊躇が生まれるかもしれない。


 それで充分、充分だ――! 防護の呪文に馬鹿げた身体能力、向こうが圧倒的に有利なのは変わらないが、それでも、どこまでも泥臭くあがいて、逃げてやる!


 落下しながら、闘志を燃やすアウトルクは――



「――すぅぅぅ」



 息を、吸い込む音。



 ……異様な雰囲気を感じ取った。ふと、路地の向こう、自分が置き去りにしてきた神官イヤースたちの方を見やる。


 数十歩も離れたところに、可憐な銀髪の少女がいた。


(あれは……)


 確か、勇者と一緒にいた少女だ。目は充血させているが、毒煙の被害は軽微だったらしい。そんな彼女が、こちらを真っ直ぐに睨んで――



 思い切り、息を、吸い込んでいる。



「――――」


 嫌な予感がした。無性に嫌な予感が。あの小娘、何をしようとしている?


 だが、何をされようと、飛び降りて落下している最中のアウトルクは――翼を持たぬ夜エルフは、空中で姿勢も向きも変えられない。



 少女が、口を開いた。



 ポッ、と喉奥に光が灯る。



「がぁぁぁぁぁぁッッ!」



 可愛らしい、しかし荒々しい叫び――いや、咆哮。



 視界が灼熱する、光の奔流に、アウトルクはなすすべもなく飲み込まれ――



「ぐわああぁぁあ――――ッッ!」



 全身を焼かれる痛みに、思わず絶叫を振り絞った。前後不覚、そのまま石畳に叩きつけられる。衝撃で瞼の裏に星が散る。何が起きた!? 何だ今のは!? 力が入らない、痛い、骨をやったか、いやそれ以前に目がよく見えない! まずい、逃げなければ、逃げ――



「よくやったァ!」



 ……ああ、頭上から。



 死神の、声が。



 どすんっ、と衝撃を感じる。背中を押さえつけられていた。死を覚悟したが、そのまま腕を捻り上げられ――


「安心しろ、殺しはしねえよ……今はな」


 腰のナイフを奪われつつ、耳元で勇者に囁かれ、アウトルクは己が浅はかであったことを悟った。あれだけ殺意を撒き散らしておきながら、この男は……自分を生け捕りにするつもりだ!


 マズい! 殺された方がよっぽどマシだ!


 自害しようにも、毒針の指輪は神官イヤースに使ってしまった。というか、なんだこの勇者は!? 捻り上げられた手を確認されている。指輪まで把握されているのか!? 何なのだ! 恐ろしい、恐ろしい! こうなったら舌を噛み切って、自分の血で溺死するしかない……!!


 いや、それと同時に死物狂いで抵抗しろ! そうすれば向こうが取り押さえるのに失敗して殺してくれるかもしれない――!!


「……ぬがあぁぁぁぁあぁ!!」


 ブチッ、と舌を噛み千切ったアウトルクは、むせ返るような己の血の匂いに溺れながらも、必死に暴れ始める――


「アレックス! どけ!」


 と、誰かが駆け寄る足音とともに、叫び声が聞こえた。これは、「目がぁぁ!」と毒煙にやられて叫んでいた、あの若い神官の声だ――もう毒から回復したのか? なんて奴――



「【昏睡アネステシア!】」



 バチンッ、と白い光が弾けて、アウトルクの意識は途切れた。


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