337.執念と逃走
――アウトルクは、パウロ=ホインツと同期の諜報員だ。
同い年で、同じ田舎の夜エルフの里で生まれ育った幼馴染でもある。
『オレさ、魔力弱いし、諜報員になろうと思うんだ!』
先に言い出したのは、パウロの方だった。
夜エルフの魔力にも、個人差はある。強力な魔法戦士や、魔王城の高級使用人――いわゆるエリートコースに乗るには、ある程度の魔力が必須。
では、魔力に恵まれなかった者たちは、どうするのか? 夜エルフ猟兵になるか、魔族の街で普通に働くか、役人になるか、あるいは――
諜報員になるか。
人族になりすますならば、弱めの魔力は目立ちにくく、むしろ強みとなる。
そして何より、夜エルフ社会において、諜報員と暗殺者は最も尊敬される職業なのだ。厳しい訓練に耐え忍び、幾多の試練と選抜を乗り越えねばならず、しかも任務中は常に死と隣り合わせ。
だからこそ、魔力の多寡にかかわらず、最大限の名誉が与えられる――
『お前はどうする?』
月夜の花畑。ただでさえ狐みたいな細い目を、さらに弧にして笑いながら、あいつは尋ねてきた。
無言で、かたわらの狩猟弓を手に取ったアウトルクは、無造作に矢を放つ。
花畑の向こう。小さな木の
『うおーっ、相変わらずスゲー。お前なら弓聖になれるかもな。やっぱ、そっちを目指すのか?』
あいつは、感心しながらも、ちょっと寂しそうにしていた。
『……いや』
アウトルクは口の端を歪めた。
『弓聖なんて、何十年かけてもなれるかどうかわかんないし。ぼくも目指そっかな、諜報員』
弓をまた、かたわらに置いて、反応を伺う。
『……マジで! やったぁ、それなら一緒に頑張ろうぜ!!』
途端にはしゃぎだしたアイツは、屈託なく笑って――
†††
(――何をやっている!!)
眼前、勇者と思しき青年の肩に担がれた男が、そのパウロ=ホインツであることに気づき、アウトルクは愕然とした。
ヘマをやらかしたのか。ハワードはどうした。自分はどうするべきなのか。動揺を表に出してはならない。様々な思考が脳内を駆け巡るが、パウロを担ぐ勇者が――狂気じみた笑みを浮かべて、こちらを見ていることにも気づき、背筋が凍る。
(まずい――!!)
どう見ても友好的な態度ではない。自分の正体も、バレている!?
魔力の高まりを感じた。魔力弱者の自分でも身の毛がよだつような強大な魔力を。この勇者、只者では――!!
こちらに向けられる手のひら、銀の輝き、
「【
――ッ!!
アウトルクは咄嗟に、隣にいた
露出した顔や手足の一部が、若干焼き焦げたものの、イヤースの影に隠れたことでどうにか直撃を免れる。さらに、指輪に仕込んでいた毒針を、イヤースの首に叩き込んでおいた。
なぜかは知らないが正体がバレている。ここからは、自分が逃げ切れるか、そしてどれだけ聖教会に被害を与えられるかの勝負だ。
イヤースはのほほんとしているように見えて、高位の治癒を扱う希少な神官。ここで潰しておけば、聖教会ひいてはこの国へ大打撃を与えられる。
「ぐぅ……ッ!?」
首を手で押さえ、ぐらりと姿勢を崩し、倒れていくイヤース。
――その向こうから、聖剣を抜き払い、ぎらぎらと目を輝かせて駆けてくる勇者。びりびりと空気が震えて感じられるほどの、濃厚な殺意。
(そう簡単にやられるものかッ)
アウトルクはジャケットの裏から、折りたたみ式の金属弓を引き抜いた。ジャッ、キンッ! と音を立てて展開、普段は持ち歩かない武装だが、今は戦時に近いと判断し携帯しておいた。
その甲斐は、あった!
(我ら、夜エルフの栄光のため――)
ここに戦わん。
ジャケットの裏からさらに毒矢を引き抜き、飛び退りながらつがえて、放つ。勇者が笑みを深め、一瞬で射線を見切って回避する――
……諜報員の多くは魔力弱者だ。
だからこそ、本来自分たちが持って生まれるはずだった魔力を、呪いで奪い去った森エルフへの憎しみは深い。諜報員たちを突き動かす使命感、森エルフ撲滅の悲願は、実は魔力への渇望の裏返しだったりもする。
ただ、正直なところ、アウトルクは今の自分にそれほど不満がなかったりもするのだが。
あいつは――違った。上流階級の夜エルフたちを、魔力強者を見返すために、諜報員を目指したのだ。
魔力至上主義の魔王国が、あいつを無謀な道に駆り立てた……!
「……ッ!」
ギリッ、と歯を食い縛る。
そんなあいつも、今や拘束されて。
勇者に放り捨てられ、ぐったりと地に転がされている。
「――!?」
身を捻ってアウトルクの矢をかわした勇者は、その直後に、「しまった」という顔をした。狙いに気づいたのだ。アウトルクの真の狙いに。
勇者がいた空間を素通りした毒矢は、その背後、拘束されて転がされていたパウロの頭に、ビスッと突き立った。
ビクンッと身体が跳ねる。毒がなくても即死だ。
……せめて、あいつには、苦痛のない死を。
「貴様ッ」
勇者がそれを見届けて、こちらに視線を戻すが――
「ハッ」
こちらもまた、壮絶な笑みを浮かべたアウトルクは、ポケットからいくつもの小瓶を抜き取る。
万全を期していたのだ。今は戦時に近いと判断していたから――!!
路地を吹き抜ける、夏の夜の生暖かい風。
アウトルクは、風上。
「喰らえよクソ人間」
勇者の足元、石畳にまとめて叩きつけられる小瓶。ガラスの割れるけたたましい音とともに、薬剤が混じり合い、毒々しい煙が噴き上がった。
あらかじめ呼吸を止め、目を閉じていたアウトルクは、記憶を頼りに横へ駆ける。民家の柵や窓を足場にして、軽業師のように一瞬で屋根まで駆け上がった。
「……ふぅ」
眼下、路地にはもうもうと毒の煙が立ち込めている。短時間しかもたないが、一瞬で拡散する極めて強力な催涙毒だ。夜エルフは幼少期より慣らされているため、ある程度の耐性を持つが、普通の人族や獣人族が曝されれば目鼻がただれてしばらく使い物にならなくなるだろう。
「ぐわあああ目がああぁぁ!」
煙の中から、そんな悲鳴も聞こえてくる。勇者と一緒にいた別の若い神官か。
他愛もない。今のうちに逃げねば。もはや生きて魔王国に逃げ延びられるかはわからないが、できるだけ公都に被害を与えねば――
ズガンッ。
異音。いや、轟音。
銀色の光をまとった人影が、毒の煙から飛び出し、民家の壁に取り付いた。聖剣を突き立てて、それを足がかりに屋根まで登ってこようとしている――
その目は、毒をもろに食らったか、真っ赤に充血して血の涙を流していた。あれではもう、ロクに物も見えまい。しかし――
勇者は、しっかりと片目をつぶっていた。
……毒煙の中で動くため片目を捨て、もう片目を保護していたというのか。毒瓶の攻撃を至近距離で受けながら、一瞬でその判断を――!?
閉じられていた目が、カッと見開かれる。
まったく無傷の瞳が、ぎょろりと蠢き――アウトルクを捉えた。
「……逃げられるとでも思ったか?」
口の端を吊り上げて。
勇者は、どこまでも獰猛に笑った。
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