336.信仰と信念


「『聖属性』とは何なのか……ずっと気にはなっていた」


 手の中の銀光を弄びながら、エドガーは言う。


「光の神々が人族に与え給うた、聖なる光――聖教会はそのように説いている。私も最初は素朴にそう信じていた。だが……」


 フッ――と銀色の輝きが、解けるようにして消える。


「神官として修行を積んで、少しばかり疑問を抱くようになった。私はもともと雷属性持ちで、後天的に光属性を身につけたクチだ。その経験から言わせてもらえば、聖属性は、明らかに感覚が違う。光属性を使えるようになったとき、自分の中に新たな魔力が根付く感覚があったが、聖属性にはそれがなかった……」


 そうなのか……俺は前世も今世も単属性持ちだから、その発想はなかったな。感覚が違う、と。


「ところで、手足を動かすときに、『動け!』と念じる必要はないだろう?」


 不意に、エドガーが右手を掲げた。


「右手を上げようと思えば、そのまま右手を動かせばいいだけだ。『――右手よ、上がれ!』などと、いちいち念じたりはしない」


 さらに、掲げた右手には光が灯り、左手にはパチパチと稲妻が宿る。


「――魔力も同じだ。息をするように、手足を動かすように、光も雷も感覚で自然に操れる。……だが、聖属性だけは違う」


 光と雷が、ゾワッと銀色の輝きを帯びた。


「聖属性だけは、使。【聖なる輝きよ この手に来たれ】と、。これは、魔力属性というよりも……」


 確信を深める、表情。


「むしろ、魔法や呪いの挙動に近い……!」


 ……俺も、魔力を操ってみた。 


 闇の魔力が手の中で踊る。確かに、そこに思考は必要ない。手足のように動き、強弱の調節も自由、濃度を高めればハッキリ目に見えるほど闇色に染まる。


 だが。


 感覚的に、聖属性に切り替えることは、できない。


(【聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ】)


 そう思考して初めて――闇の魔力が銀色に染まった。


「……私ひとりでは解決できずに、司教様や、ゲールハルト大司教おじさんに思い切って尋ねてみたこともある。しかしお二方とも、言葉を濁していた。それでいて『お前は間違っている』と咎めもしなかった。だから何かあるに違いないとは思っていたが……」


 エドガーが俺をじっと見つめる。答え合わせを求めるかのように。「きみは真実を知っているのだろう?」と言わんばかりに。


「『魔法や呪いの挙動に近い』、エドガーはそう言ったが……」


 それが答えだ。俺は沈黙することで、肯定した。「やはりか……」と天を仰ぐエドガー。


 それにしてもコイツすげえな、俺とかアンテに教えてもらうまで、ずっと特殊な属性だと思い込んでたのに。


「まあ……闇属性持ちのきみが使えている時点で、光の神々の恩寵というのは嘘なのだろうな……」


 俺の手で輝き続ける光を見ながら、エドガーが皮肉げな笑みを漏らした。


「……俺が聖教会との交流に消極的だった理由、わかってもらえたかな」

「ああ、とても。これが一般に知られたら、どれほどの影響があるかわからない……むしろアレックスが平然と人前で魔法を使っていることに驚くぐらいだ」

「『聖属性』だからいいんだよ、普通の人々相手なら、な……」

「……なるほどな」


 コイツのことだ、聖属性が魔法の一種に過ぎないというなら、その仕組みも大まかに予想できるだろう。


「そうなると、気になるのは」


 しかしエドガーの探求は留まるところを知らない。


は本当に、人族の特権なのだろうか?」


 再び、パチパチと銀色の雷を両手で弄びながら、エドガーは独り言のように。


「どういうことだ?」

「いや、なに。もしもこれが、神々の恩寵でも奇跡でもなく、単なる魔法に過ぎないのだとしたら――」


 顔を上げるエドガー。


 その瞳が、俺を射抜く。


「――人族以外にも使えるのではないか?」


 …………あの雷。


 いつ弾けてもおかしくない。


 首の後ろがピリピリする。まるで大嵐の気配を感じ取ったかのように。


 ここが正念場らしい。俺は姿勢を正し、エドガーに向き直る。


「こう言っちゃなんだが、俺は信心深い方じゃない。むしろ幼いころは、光の神々を憎んでさえいた」


 気負わずとんでもないことを言い出す俺に、エドガーが目を剥く。


「俺のオヤジは魔族に首を刎ねられた。おふくろは夜エルフの矢でハリネズミみたいにされた」


 肩に担いだままの夜エルフを支える手に、思わず力がこもる。


 その気になれば、コイツなんて片手で捻り殺せる――そう考えると、何か不思議な気分だった。


『今のお主は人族の体じゃぞ』


 …………ああ、そうだったわ。じゃあ片手は無理だ。両手だな。


「故郷は焼かれた。知り合いも幼馴染もみんな死んだ」


 幼馴染に至っては、いまだに死に続けてる。こんな話があるかよ。


「それだけ散々な目に遭って、俺が祈ろうとも願おうとも、神々はなーんにもしてはくれなかった。もしも聖教会が言うように、人族が光の神々の寵愛を受けているなら――なんで魔王軍がいつまでものさばり続けてるんだ? 闇の神々もまた魔族を贔屓しているからか? それにしたって、もうちょっとやりようがあるだろう、光の神々も。……当時の俺は、自然にそう思った」


 本当にこの世界を見守り続けているなら――アンテみたいに強大な力をくれとまでは言わないが、せめて祈りに返事くらい寄越していいだろと思った。


「だから早々に、祈るのはやめた。ただ体を鍛えて、軍に入って、少しでも多く闇の輩をブチ殺す。それが俺の全てだった――成人の儀で、聖属性に目覚めるまでは」


 俺自身が、一番驚いたよ。内心で神様なんてクソくらえって思ってたガキが、勇者になるなんてな。


 しかしそれもまた必然だった。聖属性は神々の恩寵ではなかったのだから……


 人族の。


 人族のための。


 人族の敵を討ち果たすという、意思に宿る力。


「…………それから本当に紆余曲折あって、今の俺はこんな愉快な立ち位置になっちまったが」


 銀色から、どす黒い闇色に変わった魔力を、宙に散らしながら俺は自嘲する。


「ひとつだけ、確かなことがある。それは聖属性の魔法は、人族の魂に由来するってことだ。……死霊術で呼び出した勇者や神官の魂は、聖属性を使ってくることもあるからな」

「なん、と……」


 絶句するエドガー。


「エドガーも薄々察しているだろうが、それこそが、聖属性の真髄なのさ。俺たち個人の力じゃない。人々の意思を束ねたものだ。神官や勇者ってのは、それを扱う権能を預けられた者たち。人類の敵と戦うのに、相応しい精神の持ち主であると、人族の集合意識に認められた者ってワケだ」


 だから、と。


 眼前に掲げた拳を、強く握りしめる。


「『これは人族の特権なのか?』その問いの答えは、こうだ。……『これは特権などではない。人類の敵を討ち滅ぼし、無辜の人々を守るという決意の証だ』」


 俺の拳に、銀色の炎が燃える。


 闇を染め上げた、破魔の光が。


 エドガー。俺は決して誠実ではない。


 だがこの気持ちには、一切の偽りはないぞ。


「…………そう、か」


 じっと俺を見つめていたエドガーは――肩の力を抜いて、雷の魔力を散らした。


「そうだな。その通りだ。すまない、私は――自分で思っていたより、信心深かったらしい。何もかもが疑わしく見えてしまった……」


 自分でも驚いているよ、とエドガーは力なく笑った。


 まあ、な。


 俺と違って、少しでも神々を信仰していたならば、心の拠り所を破壊されたに等しいからな……。


 闇属性持ちの俺が勇者として覚醒している時点で、光の神々の恩恵が聖属性に全く関係ないことだけは、確定しちまってるからな。


「ただ、念のために確認しておきたいんだが、それ本当に聖属性なんだろうな?」


 しかし、エドガーは油断していなかった! しつこいとは思わねえぜ。俺は自分がどれだけ怪しい存在か自覚があるからな。


「ほれ」


 指先に銀色を灯して、担いだ夜エルフの頬に押し当ててみせた。ジュッ、と肉の焼ける音がして、気絶したままのパウロの体がビクンッと跳ねた。意識がなくても体が動くレベルで苦痛なんだなコレ。そこにビビるわ。俺も魔族の体で散々聖属性の痛みを味わったつもりだったけど、魂の痛みは未体験だからなぁ。


「……公都にいる間のアレックスたちの宿泊費は、ぜひ私にもたせてくれ。それ以外に詫びの方法が思いつかない」


 エドガーは神妙な顔で、俺と、背後のレイラを見ながら言った。


「いいってことよ。俺としてはその警戒心が頼もしいぜ」


 俺もまた、レイラと顔を見わせて笑う。ギュッと手を握りしめ、緊張の面持ちで見守っていたレイラも、ホッと胸を撫で下ろしているようだ。


 ただ、俺はすぐにスッと表情を引き締めた。


「エドガー……この件については」

「他言無用だな。もちろん承知している」


 重々しくうなずくエドガー。


「聖教会の教義が揺らぐだけじゃなく、人心に乱れが生じ、聖属性の力そのものが危うくなってしまうかもしれない――そういうことだろう? とてもじゃないがそんな事態は許容できない」


 そうなんだよな。人々の集合意識ありきだから、それが失われたら聖属性まで消えちまう恐れがある。


『問題はこやつまでそれを知ってしまったことじゃがの』


 いや、それについては遅かれ早かれだ。


「……思うに、司教より上のクラスは、聖属性の正体を知っているようだ」


 エドガーが顎に手を当てて考えを巡らせている。


 あと数年もすれば、エドガーも司教クラスになるだろ、たぶん。いずれにせよ、聖属性の秘密には辿り着いていたと思うぜ。


「聖教会の上層部はもちろん、自覚した上で聖属性を運用しているんだろうさ。かくいう俺は、司教より下だけど、まあ……事情が事情だから」

「説明しないわけにはいかないだろうからな」


 俺たちは顔を見合わせて、苦笑する。


「ただ、エドガー。少し頼みがある」

「私に聞けることならば、なんでも聞こう」

「――前線で死なないでくれ」

「うん?」


 困惑するエドガーに、俺は真顔で続ける。


「あるいは、前線で死ぬなら、思い切り光と聖属性で自分を焼きながら死んでくれ。魔王軍には手練の死霊術師がいる。万が一、エドガーの魂を掌握されたら、この情報が漏れかねない」


 その危険性には思い至っていなかったらしく、エドガーが暗い夜道でもハッキリと見て取れるほどに青ざめた。


「た…………確かに。第7局そちらでは、何か対策はしていないのか?」

「……正直、同盟軍や聖教会に、魔王軍をしのぐ死霊術師がいるとは思えない」


 俺の予想では、たぶん聖教会にも死霊術を扱う部署はあるんだろうけど、エンマを超えるノウハウの蓄積ができているとは考えにくいな。


 今の同盟圏で最優秀の死霊術師って、俺じゃね? エンマの子飼いの部下もこっちに潜伏していなけりゃの話だが。


「そうでなくとも、死者の魂の扱いは難しいんだ。対策なんてたかが知れている」

「なんてことだ……」

「だからエドガー、マジで気をつけてくれ。一応、死霊術師に呼び出されたときの対策も教えておくと、相手が何かしてくる前に、全力で光属性の魔法を使うんだ。そうすりゃ魂が自壊する。仮に途中で止められても、記憶と理性の大半が吹っ飛ぶから、魂の再利用もされにくくなるし、情報も漏れづらい」

「………………」


 エドガー、今日で一番絶句してるな。黙り込んでる姿もステキだぞ!



 ――と、そんなことを話しながら歩いているうちに、前方に聖教会の尖塔が見えてきた。だいぶん近づいてきたらしい。ぼちぼち肩のパウロも目が覚める頃じゃねえだろうな……?



 そして、前方からこちらに歩いてくる影。2人組だ。片方は神官っぽい服装をしているようだが――俺は防音の結界を解除する。


「おや、エドガーじゃないか」

「これはイヤース殿」


 神官の中年男が、軽く手を挙げて挨拶してきた。エドガーの顔見知りらしい。


「見回りはどうしたんだ?」

「いえ、トラブルと報告がありまして……イヤース殿こそ、夜分にどちらへ?」

「少し急ぎの依頼を受けてな、治療に向かうところだよ」



 こちらが依頼人だ、と。



 かたわらの――を示す神官、イヤース。



「はじめまして、コルテラ商会のアウトルクと申します」



 人好きのする笑みを浮かべて、そいつは、名乗った。



「実は我が商会で支援している戦災者に、状態が芳しくない者が数名おりまして。取り急ぎ治療していただこうと、イヤース様にご足労願った次第で――」


 ほほー。それはそれは。感心なことで……。


 俺はアウトルクの正体が確定した瞬間、魔力を練り上げていた。


 そして、向こうも、俺の存在を認識した。


「――――!」


 より正確に言えば――俺の肩に担がれている、商人風の男を。


 アウトルクからは、パウロ=ホインツの顔は見えないはずだ。


 だが、暗い中で気づいたかな。風貌や服装から。



 ――なんと言っても、夜エルフは夜目が利くからなァ!!



 笑顔を引きつらせたアウトルクが身構えるのと。



 獰猛な笑みを浮かべた俺が手を伸ばすのが同時。



「【光あれフラス!】」



 全力で聖属性を放つ。



 ――夜道が銀色に染め上げられた。

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