331.突撃! 公都の諜報員 後編


「人殺しに追われている、か。なるほど――それにしては、あなたにはいくつか奇妙な点があるようだ」


 神官エドガーの言葉に、パウロは引きつりそうになる表情筋を必死で抑えた。


 確かに神官が視界に入って、自分は少しだけ進むのをためらった。だが薄暗い中、ほんの一瞬のこと。あの動きだけで、こちらの本心を気取られたとは思えない。


 ひとつだけ確かなことがあるとすれば――どうやら自分は、逃げる方向を間違えたらしいということだ。とはいえ今さら引き返すわけにもいかない。さっさとこの路地を抜け出さねば。


 そのためには、眼前の神官エドガーをどうにかする必要がある。


 口八丁でこの場をしのぐか、あるいはコイツをか。少なくとも、部屋を丸ごと聖属性で焼き尽くしてくる勇者より、この神官の方が相手取りやすいように思われた。


「ヤベー奴に追われてるんスよ! 本当なんです!」


 今にも泣きそうな情けない顔をしてみせながら、さらに歩み寄ろうとするパウロ。だが、エドガーがスッと体の向きを調整したせいで歩みが鈍った。


 明らかに、腰の剣が抜きやすい体勢を取っている。


 なぜ、そこまで警戒された? いったい何が――


「『追われている』の部分は疑っていないよ。あなたは本当に、無辜むこの民が窮地に追い込まれているならば、神官として看過できないが――」


 エドガーは目を細めた。


「問題は、あなたが本当に『無辜の民』なのかどうか、ということだ。それほど切羽詰まっておきながら、なぜ周囲に助けを求めなかったんだ?」


 ぽつぽつと明かりの灯る周囲の家屋を示しながら、問う。


 ――正論だ。どうしようもないくらい。だがパウロは即座に答えを弾き出す。


「ひ、人気のないとこで、オレの連れが襲われて、たぶん、殺されちゃって……最後までは、見てないんスけど……」


 敢えて、動揺を隠しきれていない風を装い、どもりながら弁解する。


 パウロ=ホインツは腕利きの諜報員であり、数多の人族を丸め込んできた商人でもある。口八丁プレゼンこそが真骨頂。相手が会話に付き合ってくれるならば、パウロのペースに引きずり込む余地がある。そして会話に集中してもらえるならば、そのぶん隙を生み出しやすくなる――


「……だからオレ、もう、びっくりしちゃって。無我夢中で駆けてたら、神官様がいらっしゃったもんですから、藁にもすがる思いで……」

「なるほど。動転のあまり、周囲に助けを求めることすら忘れていた、と。……まあ確かに、そういうこともあるかもしれない」


 理解を示すようにうなずくエドガー。


「そうなんスよ! ビビったら悲鳴も出ないんスね、初めて知りました……」

「いずれにせよ、あなたが無辜の民であるならば、私は神官としてあなたを守ろう。というわけで、だ」


 にっこりと笑って。



「――右手の指先を見せてもらえないかな」



 穏やかながら、有無を言わせぬ圧力。



「…………」


 パウロの右手に、ギリッと力がこもる。


 握りこぶしに隠した、聖属性に焼け焦げた指先――


「なに、怖がることはない。単純に興味があるんだよ」


 ポッと魔法の光の球を浮かべて、エドガーは薄暗い路地を照らしながら言う。


「腰の短剣を見るに、あなたは右利きだろう? なのに先ほど、わざわざ左手で背後を指差した。右手が私の視界に入らないようにしながらね。なぜ、そこまでして右手を隠すのか気になったんだ」


 その目は、好奇心に輝いている。


「仮に殺人鬼に襲われて負傷したのならば、神官に診てもらおうとするのが常人だ。なのにあなたは、私の目から右手を遠ざけようとしている。……いったい何があるんだい? その手に」


 いや、好奇心だけではない。


 どこか冷ややかな、怜悧な光もまた――


でも、あるのかな?」


 にこやかな笑みだけは、そのままに。


「……いやはや、参りましたね」


 パウロは、困ったような顔で肩の力を抜いた。


「……神官様の名推理のおかげで、オレもちょっと落ち着いてきました。ありがとうございます」

「それは何より」

「で、期待を裏切っちゃって申し訳ないんスけど――」


 スタスタと自然体でエドガーに歩み寄りながら、何気なく右手を差し出す。


「別に全然、大したものじゃなくって――」



 無防備に、焦げた指先をさらけ出しながら。



 思わずエドガーの視線が吸い寄せられる、その一瞬に。



 パウロの左手が、閃く。



 服の袖に忍ばせていた黒い毒針が、まるで矢のように放たれる。



「――そんなことだろうと思ったさ」



 そしてエドガーの防護の呪文に、弾かれた。



「――――」



 無表情のパウロと、不敵な笑みのエドガー。剣呑な視線が交錯する。



「【光あれフラス】」


 エドガーが右手で剣を抜きながら、左手で光の矢を放った。


 パウロは地を這うようにして疾走し、姿勢を低く保って魔法を回避。そして長い足を鞭のようにしならせ、エドガーの右肘を強かに蹴りつけた。鞘走る剣を腕ごと止めて、さらにベルトの内側に仕込んでいたワイヤーを引き抜く。


「シッ」


 ビヒュッ、とワイヤーで打ち据えた。狙うはエドガーの顔面、目の周辺。こちらも防護の呪文で防がれたが、エドガーをギョッとさせる効果はあった。さらに、勢いと威力を失ったワイヤーは、もはや『攻撃』とみなされず、ズプンと障壁に沈み込む。


 そこで器用にワイヤーを操り、エドガーの首に巻きつけるパウロ。


 まるで、獲物に絡みつく蛇のようだ――焼け焦げた右手で腰の短剣を引き抜く。


 そしてワイヤーを手繰り寄せながら、エドガーの心臓に致命の一突きを見舞う!


「ははっ」


 だが、迫りくる刃を前に、エドガーは獰猛に笑った。


 なぜ? 一瞬の疑念。


 なぜこうも泰然としているのか、この男は。



 ――答えは、すぐにわかった。



「【神鳴フールメン】」


 エドガーが、発光する。


 バチバチと、帯電する。


 ワイヤーに銀色の雷光がまとわりつき、火花を散らして――それを握るパウロは、全身を殴られたような痛みと衝撃に襲われた。


「ぐッ――んっがぁぁぁあああァァ!!」


 意思とは関係なく、パウロの喉から絶叫が振り絞られる。


(雷――属性ッ!?)


 筋肉が収縮する、視界が白く染まる、さらには聖属性が神経を焼く。ほんの一瞬の通電は、数十秒のようにも感じられた。


 ブスブスと煙を上げながら、パウロは力なく倒れ伏す。


(ま……ず、い……)


 痛みに比して、体のダメージはそこまで深刻ではない。だからこそ、まずい。この男が、自分を生かすために手加減したのが明らかだったから――!!


(毒……を……!!)


 まずい、まずい!


 ここで命を絶たねば!


 自分は、ロクでもない目に遭う!! 聖教会に生きたまま囚われるなど、悪夢以外の何物でもない! 太陽に焼かれれば、闇の神々の御許に逝けなくなってしまう!


(動け――!!)


 痙攣する左手にはめた指輪を――毒針を仕込んだ暗器を作動させ、自らに致死毒を打ち込もうとするパウロだったが。



「やれやれ、手間が省けてよかった。司教様のように、雷撃を自在に放つまでには至らなくてね、私も」



 穏やかな声が、頭上から。



「まあ、それでも、この距離なら流石に大丈夫だ。【昏睡アネステシア】」



 バチンッ、と白い光が弾ける。



 ロウソクの火を吹き消したかのように。



 パウロの意識もまた、そこで途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る