330.突撃! 公都の諜報員 前編
【隠蔽】の魔法は、ここぞというときに輝く。
足音を消し、姿をぼやかし、他者に見つかりにくくする魔法――
だが何より、魔力の気配を抑えたいときにこそ、その真価を発揮する。
強大な魔力を誇る存在でも、隠蔽を使って大人しくしておけば、魔力の圧で察知される心配がない。隠蔽のヴェールをまとった状態で、新たに別の魔法を使うと、隠蔽そのものが解除されてしまうという制約はあるものの、潜伏や奇襲といった選択肢を増やせるという一点で、デメリットを補って余りある。
特に、遮蔽物の多い市街地では重宝するんだ……
今みたいにな。
『ここか、オフィシアの住処とやらは。なかなか良い物件ではないか?』
バルバラに案内され辿り着いた、とある
話によれば、オフィシアの部屋は3階の真ん中。
階段を登り終えた俺は、眼前の木の扉を睨む。
「…………」
耳を澄ませても、中から声は聞こえない。ただ、かすかにペンを走らせる音が響いていた。書類仕事……? 何か書き物をしている?
まあいい、いずれにせよこちらに気づいた様子はない。
ちら、と俺は背後に視線を向けた。
準備はできています、とばかりにうなずくレイラ。
――行くか。
アダマスを鞘から抜き放つ。ぎらりと獰猛に輝く刃、柄が小刻みに震えていた。
やる気満々だなァ、相棒! 存分に食い散らかそうぜ――俺は無造作に、玄関扉のど真ん中に、アダマスを突き立てた。
ドスッ、と鈍い音を立てて、刃が埋まる。同時に部屋の中から響くペンの音が止まったような――
「【
俺はありったけの魔力を、アダマスに流し込んだ。
隠蔽の魔法が破られるが、もはや関係ない。解き放たれた聖属性の奔流が、刃越しに扉の向こうで暴れ回り、部屋を満たす。
「――ぎゃあああぁぁぁッッ!!」
中から男の悲鳴。だが、たったのひとり!? アダマスを引き抜いた俺は、左腕に装備していた遺骨の篭手を、ドアノブに押し当てる。
骨が鍵穴に流れ込んでぴったりとハマり、固化して解錠。だがドアは、何かに突っかかって開かなかった。
――
結局ドアノブごと叩き切り、突入する。
俺の背後、レイラが光の魔力の塊をいくつも放って部屋を照らした。
まず目に飛び込んできたのは、玄関ドアから直線上にある窓。開いている――キィキィと音を立てる、開けっ放しの雨戸。さらにその前には、ブスブスと煙を上げ、黒焦げになりながらも床を這いずり、外へ逃れようとする人影。
「逃がすかよ」
左手の遺骨が形を変え、禍々しい骨の槍へ。
投擲。
ダツンッ、と人影の腰に槍が突き刺さり、腰椎を粉砕しながらその体を床に縫い止めた。
「ぎぃぃッ」
歯を食い縛るような短い悲鳴、まるで標本の虫のように痙攣する人影。よし、まだ生きてるな。
アンテ。
「ほいほい」
俺の中から飛び出たアンテが人化する。間髪入れずにアンテと人影を魔力で結び、俺は転置呪で肺病を押し付けた。
「ほっほーぅ楽になったわ」
もはや声さえ出せない人影とは対照的に、清々しく深呼吸したアンテは、素早く悪魔化して俺の中に戻る。アンテの病、意外と早く解決したな。
しかし部屋には、他に人影がない――
骨の槍を抜き取り、ぐったりとした夜エルフを蹴って転がす。……聖属性で焼け焦げてるのでわかりづらいが、童顔でもキツネ顔でもないし、もちろんオフィシアでもない。誰だコイツ?
とりあえず心臓を一突きして、トドメをさしておいた。
机の上には書類が何枚か、物資のリスト、書きかけの――通行証? 偽造していたのか? 少なくとも、ふたり分の筆記具があるぞ?
窓から顔を出し、日が暮れて薄暗い通りを見下ろす。
「なんだ……?」
「喧嘩か?」
「いや、それにしては切羽詰まった声が……」
人影はまばらだったが、通行人はみなこちらを見上げている。おそらく先ほどの悲鳴が注意を引いたのだろう。
と、向かいの建物の屋根の上から、ひょっこりと半透明のバルバラが顔を出した。手前の路地を指差している――おいおい、逃げたのかよ。
俺が扉に剣を突き立ててから、聖属性が吹き込まれるまでの一瞬の隙を突き、脱出した奴がいるらしい。敵ながら判断が早い。念のため、バルバラに外から見張ってもらってよかったな。
「レイラ」
「はいっ」
レイラを抱きかかえて、俺は窓から身を踊らせた。3階分の高さ。魔力を足に集中させ、ズンッと衝撃を吸収する。
「行こう」
ギョッとする通行人たちを尻目に、頭上のバルバラの誘導を受け、俺たちは路地へと駆け込んだ。
絶対に逃さねえぞ、夜エルフども。
今日が貴様らの最後の夜と知れ!
†††
(クソ、クソッ、クソッ!! 今になって……!)
パウロ=ホインツは引きつった顔で、裏路地をひた走る。
逃げ出せたのは、単に幸運だった。パウロはたまたま窓際にいたのだ。
背後から、
きっと、今ごろ黒焦げになっているだろう――
(手が……オレの手が……ッ!!)
かくいうパウロも無傷とはいかず、窓枠を掴んだ右手指が焼け爛れていた。
(オフィシア管制官とアウトルクがいなかったのは幸いだが……!)
それが、不幸中の幸い。
『明日から動くわよ』と言ったオフィシアに、アウトルクが意見したのだ、『どうせならもう動き出しましょうよ』と。この期に及んで、人族に合わせて日没後休止するのも馬鹿らしい。片付けられるものから着手しようという話になった。
そういうわけで、アウトルクは聖教会に向かい、治癒師の手配を。オフィシアは治療費を工面するため、商会支部に金庫を開けに行った。
ハワードは公都脱出組のために通行証の偽造をはじめ、パウロはそれを手伝っていたわけだが――
そこを、襲撃された。
(やっぱりあの手紙は罠だったのか!?)
焼かれた指先の痛みを堪えながら、パウロは考えを巡らせる。……聖教会の罠にしては、不可解だった。いきなり勇者が殴り込んできたにもかかわらず、自分がこんな形で逃走できている時点で、何かがおかしい。
(これが聖教会の討伐隊なら、もっと大掛かりなはず……!!)
少なくとも、家の前の通りにも剣聖や神官が待機していたはずだ。なのに、誰もいなかった。悠々と走って逃げられているのがおかしい。
(まさか、これも罠か?!)
自分を泳がせて、どこに逃げるかを確かめているのではないか。疑心暗鬼になったパウロは、走りながらキョロキョロと辺りを見回す。腰に差した短剣が、腹が立つほど心細い。見たところ追跡者はいなさそうだが、さて――
「ッ!」
と、曲がり角まで来たパウロは、反射的に足を止めそうになった。
なぜなら、道の先に、白い衣をまとう神官が見えたからだ。
新手かと疑ったが、それにしては歩調があまりにものほほんとしている。それにしても近づくのはおっかないので、引き返すべきか迷ったが――神官の姿に気づいて、これみよがしに踵を返すのは、いかにも怪しい。
(……いや、ここは利用する!)
一瞬の迷いののち、パウロは腹をくくった。焼け焦げた右手を隠しながら、神官にドドドドッと駆け寄っていく。
「神官様! お助けください!」
救世主を迎え入れるような、安堵の滲む表情を取り繕ってパウロは叫ぶ。
「人殺しです! 人殺しに追われてるんです! どうか、お助けを!」
左手で背後を指差しながら、パウロは訴えた。こうすれば、「何だと!?」と正義感に駆られた神官が駆けていくと信じて。
「ほう?」
だが、神官の反応は、期待していたものとは違っていた。
駆け出すどころか、むしろその場でぴたりと足を止める。
「……妙だな」
顎に手を当て、パウロに好奇と疑いの眼差しを向ける神官。
その名も――上級司祭エドガー=ワコナン。
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