327.親切なヒトたち


『――まずは総員撤収について』


 部下たちの表情を観察しながら、オフィシアは語る。


『可能な限りの人的・物的被害を同盟軍に与えつつ、北の国境からアレーナ王国へ脱出し、魔王軍に合流する』


 遅効性の毒を井戸にばら撒いたり、聖教会や商会、役人などの重要人物を暗殺して回ったり。


『景気よく、ツギワイヤ王の首くらい取りたいもんですけどね』


 アウトルクがカードをいじりながら悪い笑みを浮かべた。


『流石に厳しいわね。それに大将首を取るわけにはいかないわよ、首級が減るから』

『わかってますよー。はぁ、イヤになっちゃうなぁ』


 唇を尖らせるアウトルク。


 ――暗殺に秀でた夜エルフたちが、なぜ王や将軍を殺して回らないのか? 


 答えは単純明快、魔族の戦士たちの手柄が減ってしまうからだ。雑兵や役人ならばいくら死んでも気にしないだろうが、叙爵に大きな影響を与える上級戦闘員・貴族・王族などを夜エルフがと、魔族は怒り狂う。


 なので、夜エルフの能力的には暗殺も可能だが、よほど必要でない限り、同盟軍の要人殺害は控えるように通達されているのだ。


『それに、オレたちがやることじゃないですからねえ』


 パウロが肩をすくめた。


 魔族の手柄という事情もあるが、オフィシアたちはそもそも情報収集に重きを置く集団で、暗殺や破壊工作の専門ではない。そちらはそちらに特化した部隊がやるべきだろう。


 諜報に従事しながら、いざというときは砦に乗り込んで、守備隊を勇者ごと斬り捨てる――なんて芸当をやってのけた『生ける伝説ヴィロッサ』は、例外中の例外だ。


『しかし俺たちが離脱した場合、ジルバギアス殿下はいかがなさるので?』


 ハワードがどこか怪訝そうに問う。


『関与しないわ』


 オフィシアはハッキリと答えた。あまりに思い切りの良い返答、部下たちが目配せし合う。


『正直、今現在ご存命かどうかさえ怪しいのよね』


 怪しい、と言いつつも、たぶんダメでしょうねという顔をしてみせる。夜エルフにとっては表情も立派な『ことば』だ。それを表に出したということは、つまりそういうことだった。


 ――生死不明な見ず知らずの魔王子のために、命を張れるか? わざわざ手間をかけるか? その意義があるか?


 是非や誉れはさておき、今のオフィシアの立場では、『そんな余裕はない』の一言に尽きる。


(……でも、もしも、ヴィロッサ先輩が生きていたら)


 彼の信頼を、裏切ることになってしまうだろう……。


『……次に、潜伏する場合。これは困難を極めるでしょう』


 オフィシアが話を続けると、みな、言われるまでもないとばかりに険しい顔でうなずいた。


『総ざらいの聖検査が始まったら、相当キツいですよ』


 ハワードがげんなりした様子で言う。


『スラムの乞食はもちろん、子どもさえも漏れなく検査する勢いでしたからね。あれは……逃れられそうになかった』

『現在、公都に各地から続々と、神官や勇者の応援が到着しつつある模様です。本気で全住民を検査するつもりかと』


 パウロもまた、緊張を隠せない面持ちだ。


『仮に潜伏するとして、どうやって検査をくぐり抜けるんですか?』

『――商会で飼っている傷病人どもを使う』


 オフィシアは淀みなく答えた。


 コルテラ商会は、慈善事業にも力を入れている。現地民の歓心を買うためだ。魔王国という裏資金源を持つコルテラ商会は、実のところ、金儲けにはそれほど頓着していない。他の商会と違って、懐にかなり余裕があるのだ。


 収入に比して景気が良すぎる点を不審に思われないよう、内外にうまいこと誤魔化すのがオフィシアたちの腕の見せどころでもあった。一部の支部長クラスは不自然な金の動きに気づいているフシもあるが、商会が表立って同盟に害をなしているわけでもないので(何せやってることが慈善事業だ)、あまり深く考えないようにしているようだ。


 良心的な低金利の貸付はもとより、孤児院や救貧院への寄付。商会でも直接、戦災孤児や未亡人を手厚く支援しており、従業員として雇い入れたり関連施設に住まわせたりしている。


 ――オフィシアの言葉を借りれば、『飼っている』のだ。


 本来ならば死んでいたであろう、恵まれない者たちを……


『総ざらいの聖検査は、文字通り全ての住民に実施される。そうよね? しかし公都トドマールの人口は膨大、各地から応援が来たところで、一日で全員の検査を終わらせるのは至難の業よ』


 机の上で手を組みながら、オフィシアは淡々と語る。


『わたしも聖教会の情報筋から聞きかじったけど、おそらく、地区ごとに封鎖して聖検査を行う形になるわ。そして聖教会も、人員と魔力が限られているから、『人であることが確定している者』は何度も検査しない』


 ――そういった『無駄』を省く体制作りが、聖教会で進められている。



 そこで。



『飼っている傷病者どもの一部を、聖教会の癒者ヒーラーに診せる』



 慈善事業の一環として大金を拠出し、ごく一部の幸運な者に高度な治療を施す。



『そして、人族であることを確定させたのち、入れ替わる』



 光の奇跡や聖属性をたっぷりと浴びて、聖教会の帳簿に『人族であること』が記入されたあとで、殺し、皮を剥ぎ、なりすます。死体はバラバラにしてスラムに捨てるか、豚の餌にでもすればいい。


『総ざらいの検査が始まっても、同地区の神官は、から、無駄を省いて検査をスキップするはずよ。……もちろん、そこでもう一度検査されたら、かなりマズいけれども』


 そういう意味では、確実とは言えない方法だった。だがオフィシアの経験上、余裕のない聖教会は、この想定通りに動く可能性が高い。


『メリットは、顔を変えて活動を維持できること。デメリットは商会の特権的な地位を失い、行動範囲が劇的に狭まることね。そもそも、入れ替わってもバレにくい、声や体格が似ている者を探す必要がある……』


 そこでオフィシアは、アウトルクとパウロを交互に見つめた。


『わたしの把握している限り、あなたたちふたりに似ている傷病人は、すぐには用意できそうもないわ』

『で、折衷案というわけですか』

『そうよ』


 アウトルクの言葉に首肯するオフィシア。


『アウトルク、パウロ。あなたたちは公都から脱出し、潜伏中の破壊工作員や他諜報員と連携しながら、北へ逃れなさい。アレーナ王国もそろそろ陥落する頃合いでしょうから、難民が溢れるタイミングを見計らえば国外脱出もやりやすいはずよ』

『……はい』

『了解ッス』


 続いてオフィシアは、ハワードに向き直る。


『せっかく逃げ延びてきたところ悪いけど、ハワード、あなたはわたしと一緒に残ってもらうわ。あなたの文書偽造能力は、この情勢下で無類の力を発揮する』


 ハワードは諦め半分、使命感半分といった様子でうなずいた。


 ――先のデフテロス王国攻めにおいても、ハワードは数え切れない命令書や手紙を偽造し、流通を混乱させてエヴァロティへの物資輸送を遅延させた。彼ひとりの働きで餓死した人族は、優に3桁を超えるだろう。


 そして、ここトリトス公国においても、各種手続きに精通しているハワードには、いくらでもやりようがあるはずだ。高位神官の治療を受けてならば、新しい身分で働き始められるかもしれない。


 無論、商会員という立場を失う以上、これまで以上に正体バレの危険と戦わねばならないが――


『森エルフの絶滅こそ、我らの悲願』


 背筋を伸ばし、険しい顔でオフィシアは述べる。


『魔王に忠誠を誓ったのも、魔王国の侵略に与したのも、すべてはそのため。そして聖大樹の森は、今や目と鼻の先まで迫っている――ここで手を抜くわけにはいかないわ。これまでに倒れていった同胞たちのためにも』


 草食みどもを一匹残らず駆逐し、夜エルフの栄華を取り戻す。


 そのためなら――なんだってやる。夜エルフとは、そういう種族なのだ。


『それに……万が一、殿下たちが公都にまで辿り着けたなら、補佐できる体裁も整えておかないとね』


 そう言って、オフィシアは少しばかり自嘲的な笑みを浮かべた。


 ジルバギアス殿下がどうにか生き残り、公都まで逃げ延びても、肝心の諜報員たちが全員尻尾を巻いて逃げていたら――


『ヴィロッサ先輩に、叱られちゃうわ』


 冥府で、顔向けできない。


 オフィシアの言葉に思うところがあったのか、パウロは目を伏せ、アウトルクは渋面を作り、ハワードは小さく溜息をついて、開き直ったように表情を切り替えた。


『異論は?』


 部下3名は首を振る。それぞれの覚悟を胸に。


『よろしい。そういうわけで、明日から早速動くわよ。パウロは商会の仕事を片付けながら、脱出に備えて物資の用意を。あなたの正体が聖教会に割れている可能性も考慮して、なるべく目立たないように動きなさい。アウトルクは、危険だけど聖教会に接触して神官の手配を。近所の倉庫に飼ってる隻腕の兵士と、肺病を抱えた女を治療させるわ。名前はたしか……』



 目を細めて、記憶をたどる。



『モックと、イザベラといったかしら』



 兵士の方はほとんど忘れかけていたが、イザベラはよく覚えている。薄汚い、死にぞこないの女だったが、顔立ちや背格好が自分によく似ていた。


 だから、拾った。万が一の事態に備えて。生かして飼っておけば、何かの役に立つかもしれないと直感的に思ったから――


『あの倉庫代わりの住居は、他にボケ老人くらいしかいないから、わたしたちが入れ替わってもバレにくいのよね』

『でも確か、その女には娘がいた気がするんですけど』

『問題ないわ』



 オフィシアは一笑に付す。



『――殺して捨てるから。浮浪者の仕業にでも見せかければいいでしょう。せいぜい娘が殺されて、嘆き悲しむ母親のフリでもするわ』



 そう言って、茶目っ気たっぷりに笑う。



『わたし、泣き真似は得意なの。ああっ、わたしのニーナ! なんでこんな目に遭わなきゃいけないの、ああ、光の神々よ! お慈悲を!』



 白々しいセリフと嘘泣きに、思わず部下たちもクスクスと笑っていた。



 にこやかに、穏やかに。



 そしてどこまでも、冷酷に。

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