326.静かなる会合


『……この手紙はイクセルが書いたものじゃない』


 じっくりと手紙を検分したハワードは、改めてそう結論を出した。


『やはりそう思うか』

『ああ。まず明らかに筆跡が違う』


 パウロの言葉に相槌を打つハワード。筆跡程度なら誰でも気づくかもしれないが、文書偽造のプロはそこからさらに一歩踏み込む。


『この紙も、コルテラ商会スグサール支部で使われているものとは異なる。トリトス公国産とも違うな。アレーナ王国でもない、デフテロス系が近いか……?』


 ハワードは紙面を撫でながら言った。


 木を原料とする紙は、伐採する場所によって森エルフとの関係悪化を招くため生産地が限られており、国や地域によって質感や色合いにばらつきがある。ハワードほどの達人になれば、産地も見当がつけられるのだ。


『加えて、インク。質が良い。良すぎる。このクリアな色合い、滲みのなさ、鮮明な字の輪郭――俺が通行手形の偽造に使った、とっておきのインクに近い。上流階級が使うようなやつだ』

「おつまみ、そろそろできそうよ。――『手紙の内容は?』」


 しびれを切らしたように声を上げ、続いて唇の動きでオフィシアは問う。ハワードがヒュンッと手紙を投げて寄越してきた。手先が器用な夜エルフは、この手の投擲もうまいので日常生活で多用しがちだ。


 片手でパシッと難なく手紙を受け取り、ベーコンを炒めながら、文面に目を通すオフィシア。その間にアウトルクとパウロが、「お腹空きましたね」「今日は大忙しだったからなー」などと、わざとらしくカモフラージュの雑談を続けていた。


 ……パッと見は、他愛ない近況報告のように見える手紙。しかし各所に散りばめられている符牒を読み取っていくと――


『貴人来たる、剣聖負傷、補給、トリトス公国へ……?』


 符牒抜きの文面と合わせると、『懐かしの友人がそちらへ向かうので、ぜひ歓待してほしい』という内容も読み取れた。


 この場合、『剣聖』という単語に当てはまる人物は、ひとりしかいない。


 ――ヴィロッサ。夜エルフでありながら剣を極め、人化の魔法まで使いこなす伝説の工作員。オフィシアの大先輩だ。


『貴人』は、第7魔王子ジルバギアスを意味すると考えてまず間違いない。……この文章を、額面通りに受け取るならば、だが。


(ヴィロッサ先輩が『負傷』……?)


 思わずオフィシアの手紙を持つ手に力がこもる。いったいどういうことだ、しかもこの情勢下で、わざわざトリトス公国に? なぜ? ――諸々の疑問はひとまず飲み込み、パウロへ目を向けた。


『この手紙は誰が持ってきたの?』

『受け取ったのは用心棒で、オレは直接見てません。名乗りもしなかったそうです』


 毛づくろいする狐のように、髪を撫で付けながら答えるパウロ。


『色白で黒髪、背は低め、小綺麗な格好の若い男が、ひとりで届けにきたそうです。オレの所属する支部を訪ねたら不在だったので、たまたま用事があった公都まで届けにきた、とのことですが……』

『……随分と都合のいい話ね。隣国のスグサールから、ここ公都トドマールまで、旅する予定があった人間が、たまたま手紙の配達を請け負った、と? 謝礼は?』

『要求しなかったようです。となれば前払いかと。本人の話を信じるならですが』


 全員が顔を見合わせる。


『ありえないよね……こんな重要な手紙を、旅人なんかに任せるとは思えない。商会の正規ルートで送ってくるはずだよ。第一、イクセルが差出人だったら、パウロが定例会で留守にしてることを想定できていないのもおかしい』


 アウトルクが眉をひそめて指摘。


「…………」


 沈黙。何か得体のしれない、不吉な予感があった。草木が生い茂るフィールドで、森エルフに捕捉されてしまったかのような、嫌な感覚が――


『最悪のケースは、コレが聖教会によって偽造されたもので、件の王子はもちろん、ヴィロッサ先輩も敵の手に落ちていることでしょうね』


 おもむろに、パウロが口を開いて言った。


 ――考え得る限り最低最悪のシナリオだ。夜エルフの符牒も、コルテラ商会の裏側も、何もかも抜き取られてしまったことを意味するからだ。しかもこの場合、イクセルもやられている可能性が高い。


『でも、イクセルやヴィロッサ先輩が、そんなヘマをするとは思えないわ』


 ふたりとも熟練の諜報員だ。自害用の毒くらいは用意している、だから同盟に情報を漏らすなんてありえない――とオフィシアは考えた。いくらか希望がこもっていることは否定できなかったが、ふたりの能力にはそれほどの信頼がある。


 ヴィロッサに至っては、オフィシアが評価するのもおこがましいほどの、夜エルフでも5本指に入る凄腕だ。


『どうだか。ヴィロッサ先輩たちはそうでも、王子がどうかはわかりませんよ』


 皮肉げな声でアウトルク。先ほどから、言動の端々に魔族への不満が滲んでいる。今回の件でよほど頭に来ているらしい。


『ただ、聖教会の仕業にしては、まどろっこしすぎる気もします』


 冷静さを保った面持ちで、パウロが別の意見を出す。


『この手紙が罠だったと仮定した場合、オレが向こうの支部にいなかった時点で、聖教会はさっさと次の作戦行動に移るはずです。わざわざこれを、公都にまで転送してきた――あるいは、転送したように見せかける意図が不明です』


 パウロの言も一理ある。イクセル名義でありながら、筆跡が異なる手紙を送りつけた時点で、パウロを無駄に警戒させてしまうだけだ。それくらいは聖教会の狂人どもでもわかるだろう。


『そもそも、この手紙が罠だったなら、聖教会に商会の事情が全部バレているわけで――目を血走らせた勇者たちが、すぐにでも支部に殴り込んでくるはずよ』


 それが一番不可解な点だった。


 泳がせる意味がないのだ、パウロやオフィシアたちを。


 さっさと身柄を確保して、キリキリ情報を吐かせるのが、聖教会にとっての最善手のはずなのに。


『狙いがわからない。気持ち悪いわね……』

『逆に考えてみましょう。それが本当に、イクセルの出した手紙だった場合は?』


 再び、あくまでも冷静にパウロが問題提起。


『なぜ自筆じゃないのか、という点が気になるな』


 ハワードが真っ先に答えた。


『まずありえないが、イクセルが何者かに代筆を依頼したとしても、文章そのものがアイツらしくない。イクセルはもっと実直な文を書く奴だ。なのにそっちは、草食みのような、もったいぶった言い回しを多用している』

『それは確かに気になったね』


 ハワードの意見に同意して、アウトルクもうなずく。


『紙もインクも、スグサール支部のものとは違う。別の場所で、別の誰かが書いたとしか思えな――』


 そこまで口にして、ハッと顔を上げるハワード。


『……オフィシア管制官、もう一度その手紙を』


 何かに気づいたか。オフィシアが手紙を投げ返すと、ハワードは紙面に目を凝らして、灯りで透かして見たり、感触を確かめたり――終いには端っこを引き千切って、口に放り込んで味を確かめる。


『……この紙、魔王国産では?』


 ハワードの言葉に、顔を見合わせるオフィシアたち。ハワードは、その考えを口に出したことで、ますます確信を深めたように手紙を見つめている。


『イクセルとは異なる筆跡、剣聖負傷の符牒、妙に高級なインク、それにこの紙質。まさかとは思うが、ジルバギアス殿下が直接書かれたものでは』

『……なぜ、わざわざ殿下が?』

『それはわからない。しかし、イクセルもヴィロッサも手紙を書けない状況にあり、殿下が俺たちの支援を求めようとしていると考えれば、辻褄は合わなくもない』


 真面目なハワードの言説に、困惑気味に再び顔を見合わせるオフィシアたち。


『んなこと、ぼくたちに求められてもな……この情勢下で……』


 アウトルクがぼやく。


『いや、それはおかしいですよ。殿下はレイジュ族です、仮にヴィロッサ先輩が負傷しても、即座に治療が可能でしょう』


 パウロが考えを巡らせつつ、静かに反論する。


『加えて殿下には、お供のホワイトドラゴンがいるはずです。なのにオレたちの支援を求める意味がわかりません。ドラゴンの機動力で、どこへなりと飛んでいけばいいじゃないですか。例のビラのせいで警戒が強まってるのに、わざわざトリトス公国を目指すのも意味不明ですし』



 ――パウロの指摘には、トリトス公国の地理が関係している。


 トリトス公国は、旧デフテロス王国領に接続した小国だ。西部から北部にかけての大半は旧デフテロス王国に、北の一部はアレーナ王国(現在魔王国と交戦中)に接している。東側には山岳および森林地帯が広がり、南部はイクセルが駐在している小国へ道が続く。


 つまり、西部・北部は同盟軍が常駐しており危険地帯。さらに東部の山や森も、森エルフがうろついているため大変危険。闇の輩にとっては、南以外に逃げ場のない、行き止まりのような地形なのだ。


 そんなところに、わざわざ魔王子が乗り込んでくる意味があろうか?



『単純に自殺行為でしょう、そんなの』

『他に頼る相手がいなかったのかもしれない。この手紙をジルバギアス殿下が書いていた場合、イクセル名義にしたのは、万が一、手紙が盗み見されても問題ないよう、偽装したからだと考えられる。その上で、経験の浅い殿下が、俺たちの符牒を完璧に使いこなせるか? という問題が発生する。つまり、剣聖が負傷した、という部分は――単に『死亡』にあたる符牒をご存知なかったのでは』


 ハワードの仮説に、オフィシアはらしくもなく、顔がこわばるのを感じた。


『もともと、ヴィロッサ先輩がイクセルと接触して物資を受け取り、殿下が同盟圏の生活に慣れるサポートをする予定でしたよね? オフィシア管制官』

『……そうね』

『そのときに、何か不測の事態が発生したと考えれば? たとえば……ホワイトドラゴンの離反、とか』

『…………』


 誰も、唇を動かさない。部屋の沈黙が、ますます重苦しいものへ変わっていく。


「……あ、ぼくの上がり」


 思い出したように、アウトルクが芝居を再開して、カードをパサッとテーブルに放り投げた。


「ぐわーっ、また負けた」


 咄嗟に調子を合わせたパウロがわざとらしく声を上げたものの、その表情にはまったく覇気がない。


「副支部長ー、おつまみまだですかー?」

「あらあら、ごめんなさいね。できたわよー」


 オフィシアもフライパンと鍋敷きを手に、テーブルへ。カリカリになりすぎたベーコンに、戸棚から出したビスケットを添える。


『……仮にその説が正しかったとして、ヴィロッサ先輩もイクセルの助けもなく、魔王子殿下だけが無事ってのは考えづらくない?』


 ビスケットを指先でいじりながら、アウトルクが再び口火を切る。


『ジルバギアス殿下は、エメルギアス殿下を下した実力者だ。ドラゴンごときに遅れを取るとは思わない、おひとりだけ生き残る可能性は大いにある』

『それにしても、トリトス公国を目指す意味は薄くないですか』

『この手紙を出した時点では、まだビラの件が広まっていなかったのかもしれん』


 ハワードの答えに、『あー……』と全員が声なき声を上げた。


『……では、ヴィロッサ先輩もイクセルもドラゴンの助けさえもなく、殿下が支援を求めて、単身こちらに向かっているとでも? それを知らせるために、商会の連絡に見せかけて密かにメッセージを送った、と? 流石に荒唐無稽すぎないかしら』

『自分もそう感じますが……事実は小説より奇なりと言いますからね……俺の見立てでは、この紙は魔王城で事務仕事によく使われているヤツです。もう十年以上も見てなかったので、すぐには思い出せませんでしたが、ほぼ間違いありません』


 ぺしぺしとテーブルの手紙を指先で叩きながら、ハワードは断言する。


「……なんか頭痛くなってきたッス」


 パウロが声に出してつぶやき、眉間を揉みほぐしている。


「奇遇だね、ぼくもだよ……知恵熱かな……」


 アウトルクが皮肉げに笑って、ベーコンを口に放り込んだ。


「…………」


 オフィシアは、無言で手紙を見つめている。


 これが罠だったにせよ、ジルバギアス直筆だったにせよ……諸々の仮定が正しければ、ヴィロッサの身に何か起きたことはほぼ確実になってしまう。


(そんな……先輩が……)


 考えたくもない。考えたくもないが……


「…………」


 部下たち3名が、オフィシアを注視している。


 そう、彼女は現地諜報員の指揮官であり、この状況に適切な判断をくださねばならないのだ。


「……ふぅ」


 小さく溜息をつき、ベーコンをモシャモシャと頬張って、ビスケットもモリモリかじり、胃に収めるオフィシア。



 そして姿勢を正し、改めて口を開く。



『――とりあえず、この手紙のことは脇に置いておきましょう』



 まさかの先送り。思わぬ言葉に、ズルッと姿勢を崩す部下3名。



『というより、この手紙が本物であろうと偽物であろうと――わたしたちに残された選択肢はそう多くはないのよ』



 テーブルの上で手を組みながら、オフィシアは部下たちを順番に見つめた。



『わたしたちに残された選択肢は3つ。全てを放棄して撤収するか、潜伏し続けるか――』



 ひとつ、ふたつ、と指折り数え、3つめ。



『――あるいは折衷案。潜伏を続ける者と、撤収する者で分かれるか』



 運命の分かれ道が、ここに示された。



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