325.追われる者
夜エルフ諜報員『オフィシア』は、人を使うのが上手い。
「ねえベンリーくん、昨日お願いした案件だけど……」
「あ、すいません! まだできてないッス!」
商会の事務室で、バツの悪そうな顔をする青年。
「全然いいのよ、まだ余裕はあるから。代わりと言っちゃなんだけど……」
オフィシアは申し訳なさそうに表情を曇らせる。
「もうひとつお願いしたいことがあるの。ちょっと気を遣う案件だけど、細やかな気配りができるベンリーくんならやれると思って……どうかな? もちろん埋め合わせはするわよ」
耳元にささやくように言うと――蠱惑的な香水がふわりと香る――ベンリーはやる気をみなぎらせて「もちろん大丈夫ッスよ!」と二つ返事で了承した。
「ありがと♪」
投げキッスに鼻の下を伸ばすベンリー。しかし彼も、オフィシアが柔和な笑顔の下で(扱いが楽でいいわね、下等種のオスは)などと嘲笑っているとは、思いもしないだろう。
実際、誰に対しても物腰が柔らかいオフィシアの、酷薄な本性を見抜くのは容易ではない。
商会を隠れ蓑とする夜エルフ諜報員は、本来あまり目立たないように振る舞うもので、有能な3,4番手に収まるのが常だが、オフィシアは地域一帯の諜報員のまとめ役でありながら、トドマール副支部長にまで昇進している。
夜エルフゆえ、いつまで経っても若い(老けにくい)ことを逆手に取り、上流階級の女性層に化粧品を売り込み、莫大な利益を上げつつ、彼女らを味方につけたのが大きかった。
徹底的に敵を作らぬ立ち回り、厄介な案件は周囲に任せてヘイトを分散させる狡猾さ、さらには聖教会関係者とも積極的に顔つなぎをする大胆さから、すっかり公都に馴染みきった彼女は、盤石の地位を築いたと言っても過言ではなかった。
――今日、この日までは。
(流石に肝が冷えたわね)
執務室で帳簿をつけながら、内心ごちるオフィシア。
まったく面識のない勇者が、目の前で聖属性の輝きを灯したときは、死を覚悟したものだ。持ち前の胆力で動揺を抑えきり、どうにかやりすごすことができたものの、勇者が去ったあとは冷や汗で背中がじっとりと濡れていた。
(あんのクソガキ……)
ぎり、とペンを持つ手に力がこもる。ニーナとかいう下等種のメス。せっかく母親ともども拾って生かしてやったというのに、いきなり見ず知らずの勇者を連れてきた挙げ句、このオフィシアに冷や汗をかかせるとは――なんと恩知らずな。
この報いは受けさせてやる……!
(しかしあの勇者……アレックス、とかいったか……)
真面目で、いかにも人の良さそうな好青年の顔を思い浮かべる。
事前情報が一切ない人物だった。現状のトリトス公国は人材の出入りが激しいとはいえ、不意の遭遇は心臓に悪い。いったいどのような人物なのか、聖教会の知人に、それとなく探りを入れてみてもいいかもしれない。
(……イヤな気配だったわね)
理屈抜きの、直感だ。あからさまな敵意を向けられたわけでも、奇妙な言動を取られたわけでもないが、パッと見の人当たりの良さが、その人物を推し量る指標にならないことをオフィシアは誰よりもよく知っている。
(まるで、同族を相手取っているかのような……)
老獪な夜エルフにゲームを挑んで、手のひらの上で転がされているような――そんな不快感に襲われたのだ。単細胞な人族の勇者を相手に何をそんな、とも思わなくはないが、オフィシアは直感を軽視しない。
それで幾度となく生き延びてきたからだ――
「それじゃあみんな、お疲れ様。また明日ね」
「お疲れさまです~」
「また明日です、オフィシアさん」
チャッチャと仕事を片付け、商会員たちに愛想を振りまきながら帰宅する。美形の夜エルフ諜報員は異性にモテるのが悩みのタネ、とされているが、オフィシアは日頃から気を遣いまくっているおかげで、それほど苦労していない。
自分から思わせぶりな態度を取っては、スッと離れる。これの繰り返しで絶妙な距離感を保ち、主導権を握って、言い寄られないようにしているのだ。こちらが動くのを期待させて、待たせる、とでも言うべきか。
それでもオフィシアにベタ惚れしてアタックしてくる身の程知らずはいるが、優秀ならば別の支部へ栄転、無能なら仕事で
その上で、さらに言い寄ってくるなら。
あくまで1例だが……大ミスをして商会をクビになってもなお、オフィシアにしつこく言い寄ってきた男は、酒場で痛飲し泥酔した姿を目撃された翌日に、井戸の底で溺死体となって発見された。
そう……あくまで、1例だ。ちなみにしばらく井戸が使えなくなって、その地区の住民は大迷惑を被ったとか。
「……あら?」
帰り道で買い物も済ませ、高級
――鉢の向きが違う。夕暮れの薄明かりではわかりづらいが、彼女は夜目の利く夜エルフだ。わずかに刻まれた鉢の模様まで、しっかりと見える。
「オフィシアさーん、こんばんはぁ」
「ごきげんよーッス」
と、背後から馴れ馴れしい声。
振り返れば、一見少年のようにしか見えない童顔の青年と、狐っぽい雰囲気で笑う糸目の男が歩み寄ってきていた。ふたりとも商人の服装をしている――
「あら、アウトルクにパウロ。どうしたの、ふたり揃って」
アウトルクとパウロ=ホインツ――コルテラ商会の『同僚』だ。
「いやーッ、実は今回、手土産にいいワインを持ってきたんッスよー。ここだけの話なんスけどねーッ、特上品ですよぉコイツは!」
声を潜めながらも、やたら声が通るせいで周りには丸聞こえなパウロが、ワインの壺を鞄から取り出しながらフッヒッヒと笑う。
「こりゃーッもう、オフィシア副支部長にご賞味いただくしかないと思いましてね、ええ、せっかくなんでッ!」
「早い話が、ご機嫌取りですねぇー。野郎だけで呑んでてても楽しくありませんし。特に、コイツなんかとは」
その童顔に、いかにも人畜無害な笑みを貼り付けて、のんびりとした口調で話しながらも、パウロを指差し毒を吐くアウトルク。
「あらあら、そういうこと。興味深いわね、その特上品とやら。わたしが品定めしてあげるわ、ふたりとも上がっていきなさい」
「ウェーイ」
「おじゃましま~す」
そのままオフィシアのアパートに転がり込むふたり。
「オフィシアさんの家、いつも片付いてますよねぇ」
「できるヒトは違うなーッ! オレん家とは大違いッスよ」
「あなたと一緒にされちゃイヤよ、これでも一人前のレディなんだから」
にこやかに話し合う3名だったが――
バタン、と玄関の扉が閉まった瞬間、全員の表情がごっそりと抜け落ちる。
「かっー手厳しい、でも楽しみッスよーこのワイン、マジで美味いんで!」
「そんなこと言って、前にクソマズだったことあるからねぇ……」
「簡単に何かつまみでも作るわ。ふたりは
「うぃーッス!」
「負けないよー」
恐ろしいことに、全員が真顔のまま、口調だけはいかにも陽気。まるで周囲の住民に、壁越しに聞かせるように――
『それで?』
氷のように冷たい無表情で、オフィシアが唇だけを動かして問う。
『なぜあなたがここにいるの、ハワード』
――部屋には、先客がいた。
窓際の椅子に腰掛けた、くたびれた様子の男。割と美形だが土埃にまみれており、長距離を徒歩で移動してきたらしいことが伺える。
ここ、公都トドマールではなく、最前線にほど近い街で商会員として潜伏していたはずの諜報員、『ハワード』だった。
『……
同じく、一切声を出さずに、唇だけ動かしてハワードは答える。ちなみに、窓辺の鉢植えの向きを変えていたのは、留守中に部屋に入ったことを示す合図だった。
「ぼくが先手でいいかなー?」
シャカシャカとカードをシャッフルしながら、間延びした声を発するアウトルク。
「ここは公正にコインで決めようぜー。よっ、と……オレが先手!」
パウロがわっはっはと笑い、
『後始末はどうした?』
間髪入れずに、唇だけ動かして問う。
『背格好が似た同僚に、俺の所持品を持たせて偽装した。俺か同僚、どちらがクロかはまだ判明していないはずだ。自宅の証拠は全て道中で処分した』
『だが、きな臭いことだけは確実にバレただろうな……』
『虱潰しの聖検査か。魔族サマのせいで大迷惑だ』
諦め顔のパウロに、童顔を憎々しげに歪めるアウトルク。
【第7魔王子ジルバギアスが追放されて、同盟圏に潜伏している】――そんなビラが前線にバラ撒かれたことは、当然、商会の諜報員たちも聞き及んでいる。
「ふたりとも、ベーコンは焼くのとスープどっちがいい?」
のんびりとした口調で問いかけるオフィシア。
「焼くので」
「焼きッスかねー」
「はーい、ちょっと待っててねー――『おそらく向こうの支部が放火されたことは、こちらの聖教会には伝達されたと考えていいでしょうね。総ざらいの聖検査と結び付けられるは必定……』」
キッチンのコンロに木炭を放り込みながら、オフィシアはギリッと歯を食い縛る。今は身内しかいないため、表情を取り繕う必要がなかった。
『……商会は、潮時かもしれないわ』
オフィシアの言葉に、全員が苦虫を噛み潰したような顔になる。
『せっかく……草食みどもの森まで、あとわずかだというのに……!!』
アウトルクが悔しげに、膝を叩いた。
――夜エルフの、種族としての悲願。
森エルフを根絶やしにし、その魂を闇の神々への供物として、失われた夜エルフの魔力と寿命を取り戻すこと。
……森エルフを殺し尽くせば、
そしてトリトス公国は、聖大樹を擁する森エルフの里を守る、最後の防壁といっていい国だ。この小国を切り崩していき、次なる魔王軍の侵攻先に策定されやすくすることこそが、オフィシアら諜報員の目的であり、生きがいだったのだ。
森エルフ殲滅に向けた、大いなる一歩となるはずだった――!
が、アホ魔族の暴挙のせいで、全てが水泡に帰そうとしている。
『申し訳ない……』
ハワードががっくりと肩を落とした。
コルテラ商会の支部が焼失し、商会員ひとりが焼死して、別の商会員ひとりが行方不明となった。それも聖検査の直前に――となれば、確実にコルテラ商会に疑いの目が向けられるだろう。
公都は人口が多いため、ハワードがいた街のように、即座に封鎖して虱潰しの検査とはいかないだろうが、工作員と魔王子が潜伏している可能性があって、しかも商会も怪しいとわかれば。
――聖教会は、必ず動く。
『仕方がない。他に手がなかったんだろ? 事前に知らせてくれただけ、ありがたいくらいだ』
パウロが肩をすくめる。
『それにしても、よく公都に入れたね。まだ明るいのに』
『忍び込んだわけじゃない。通行手形を偽造して堂々と入ったさ』
雨戸越しに夕焼け空を眺めるアウトルクの問いに、胸元から羊皮紙を取り出してみせるハワード。びっしりともったいぶった文言が飾り文字で書き連ねられたそれは、貴族の使いであることを示す身分証の一種だ。
ハワードは、一度見た筆跡や模様を完璧に再現できる特殊技能を持っており、特に文書偽造に関しては天才的な腕前を誇る。
『相変わらず見事だな……』
『しかし、検査はどうした?』
『通行手形で注意を引きつけてる間に、手袋で触れてしのいだ』
森エルフの皮で作った手袋をひらひらさせるハワード。肌色や質感でバレやすい皮手袋作戦だが、インパクトのあるもので検査員の注意を逸らすことができれば、意外と通用する。
『だが……記録を照会されたら、偽造だったことはバレるだろう。なるべく早いうちに撤収したい』
『本国に帰還か? だが国境は――』
『ああ、厳しい。わざわざ公都まで来たのは、みなに知らせるためでもあったが、俺ひとりでは国境が突破できそうになかったこともある』
『……南下して隣国から山越えするのがベストか?』
『いや、ちょっと待ってくれ、それに関してはオレに気になることがある』
考え込むアウトルクを制して、今度はパウロが胸元から封筒を取り出した。
『ついさっき、仕事上がりの直前に、用心棒に渡されたんだ。オレ――パウロ=ホインツ宛の手紙だと』
『誰からだ?』
『――イクセル』
狐顔のパウロ=ホインツの答えに、他3名は顔を見合わせる。
隣国の支部にいるオフィシアの部下が、このタイミングで――?
『ハワード、見てみろ。どう思う?』
パウロに手紙を封筒ごと投げ渡されて、中身を改めるハワード。
『……イクセルの字じゃないな』
文書偽造のプロが、スッと目を細めた。
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