324.死を運ぶ者
「――ところで、おふたりはどういう関係なんですか?」
俺たちを家へと案内する道すがら、ニーナが振り返って興味津々に尋ねてきた。
再び帽子を目深にかぶって男装しているが、きらきら輝く瞳は隠しようがない。
「ええっと、それは」
レイラが頬を染めて、ちらちらと俺を見てくる。
毎度、律儀に照れてくれるレイラに申し訳無さが募る。俺なんか、業と怨念の絞りカスみたいな存在に過ぎないのに。レイラも魔王軍の被害者だ。本来あるべき竜生が著しく捻じ曲げられてしまった……
「彼女は、恋人だよ」
が、俺は暗く沈みかけた内心はおくびにも出さず、お得意のスマイルを顔面に貼り付けて答える。ここで暗い顔なんてしてみろ、それこそレイラに失礼だ。
「わぁ~!」
「えへへ……」
はしゃぐニーナ、さらに照れるレイラ。
『そして申し訳なくなるアレク』
合いの手は入れんでいい。
「どんなふうに出会ったんですか?」
「出会い……」
続くニーナの問いに、はたと立ち止まる俺。
――ノリノリで父親の冷凍生首と対面させた上、レイラを虐待・監禁していた闇竜王に奴隷として献上された。
……言えねえ~~~。
『いけアレク! いたいけな少女に、現実というものをわからせてやるんじゃ!』
できるわけ! ねえだろうが!! そんなこと!!!
「いやぁ……それはだな、レイラの――」
お父さんが、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。……ニーナにそれを言うか。父の訃報を聞かされたばかりの少女に。
「――レイラが、
「そ、そうですね! お城で……!」
よくよく考えれば色々とマズいことに気づいたのだろう、レイラも食い込み気味にうなずく。
「うわぁ~、お城で出会ったなんて、ロマンチック!」
いやぁ~~~~そうかなぁ~~~~?
――などと他愛ない話をしている間に、ニーナの住まいにたどり着いた。
商館からほど近く、市街地のちょっと奥まったところの、コルテラ商会の倉庫も兼ねているらしい物件だ。2階以上が住居として活用されているようだ。割とボロいが建て付けはしっかりしている。
「こんな街中で、わたしたちみたいな身分の人間に、しっかりした寝床があるだけで奇跡です」
どこか達観したような顔でニーナは言う。
ここには商会の庇護を受けた難民が何人か暮らしているようだ。イザベラとニーナ以外に、負傷兵や寝たきりの老人なども……。
1階の入り口付近で、ぼんやりと日向ぼっこしていた負傷兵と目が合う。彼には左腕がなく、顔の左半分も包帯で覆われていた。
「…………」
こくん、と会釈しながら、彼は俺とレイラをしげしげと見つめていた。
「こんにちは、モックおじさん」
ニーナが挨拶すると、モックと呼ばれた負傷兵がニコッと微笑んでうなずく。どうやら話せないらしい――包帯の隙間から、首にも傷跡が見えた。
喉がダメになってしまったのかな。低位の治療しか受けられなくて、中途半端に傷が塞がってしまい、身体機能が回復しないケースも残念ながらままある。
モックがアダマスに目を留めて、敬礼してきたので、俺も返礼してから建物の中に入った。
「お母さん、ただいま」
2階の角部屋。ニーナが「ちょっと待っててください」と、俺たちを残して先に部屋に入る。
「ニーナ? お仕事どうしたの?」
かすれたような女性の声。俺は石でも飲み込んだような気分だった。これから彼女に、夫の死を告げなければならない――
「早めに上がらせてもらったの。お客さんだよ」
「え、お客さん?」
「お父さんの知り合いだって……」
「カイトの!?」
扉の向こうで、慌てた様子。ドタドタという音と――おそらく身支度している――それに混ざって、コホコホッと咳も聞こえる。
「どうぞ」
やがて、扉が開かれた。
「お邪魔します……」
腹をくくって、俺は部屋に踏み込む。
こじんまりとした空間。糸車とベッドの他は大した家具もなく、母子ふたりがつつましやかに暮らしていけるだけの、小さな部屋だった。
そしてベッドの前に、簡素な藍色のワンピースに身を包んだ女性が、緊張の面持ちで立っている。本当に線が細く、どこか影のある痩せた女性で、失礼ながら未亡人という言葉がぴったりだ。
死の臭い、とでも言うべきか、陰鬱な気配をまとっていた。死にかけて、回復しきれない兵士が、戦場でよく漂わせていた空気――
「はじめまして、勇者のアレックスです。彼女はレーライネ」
礼儀として聖属性の光を灯してから、挨拶。
「イザベラです。夫の……カイトのお知り合いなんですか?」
もどかしげに、それでいて何かを恐れるように、イザベラが口を開く。
「カイトは……どうしているんでしょうか……?」
その唇が、わななく。
「残念ながら、ご主人は亡くなられました。魔族と交戦した上での、戦死です」
俺は、はっきりと告げた。
……前世ではあまりなかったな、こういう経験は。
魔王軍と戦うのに必死で、死者まで顧みる余裕がなかった……
「…………」
イザベラは目を伏せて、俺の言葉を噛み締めているようだった。すでに覚悟はできていた、とうとうその日が来た。そんな顔だ。
その横で、イザベラのスカートをギュッと掴んだニーナも、押し殺したような表情で――奇しくもふたりの顔がそっくりであることに気づいた俺は、居た堪れなさに押し潰されそうになった。
リュックを床に下ろす。底の方に、板状にして仕舞っていた遺骨に触れる。複数人の大腿骨と頭蓋骨で構成されているそれは、もはや分離は困難なはずだったが。
俺が意識するまでもなく、スッと手の内に、骨片が転がり込んできた。
指の骨に近い、小さな欠片だ。
……これが、あなたの遺志なのか、カイト。ほんの一部だけを最愛の家族のもとに帰し、まだこれからも、俺とともに戦ってくれるのか。
……いや、単純に、頭蓋骨とかスッとお出しししたら、衝撃がデカすぎるからかもしれない。そんな気がしてきた。
「ご主人の、遺骨です」
俺は、イザベラにそっと手渡した。
「…………」
手のひらの上、ちっぽけな、乾いた白色の欠片……イザベラは、呆気に取られたような、ぼんやりとした顔で眺めていた。困惑、と言っていいかもしれない。かつて愛した男が、こんな形で戻ってきたところで、実感もないだろう。
『これ』がカイトだ、なんて言われても。
どう受け止めればいい?
「……申し訳ない」
これだけしか帰せなくて。あなたの夫を殺してしまって。
「いえ……とんでもないです。こうして、連れ帰っていただけただけで、感謝に堪えません。ありがとうございます……!」
胸元で、ギュッと骨片を握りしめて、深々と頭を下げるイザベラ。
やめてくれ。
頼む、やめてくれ。俺なんかに頭を下げる必要はない、本当にないんだ……!!
俺もまた無言で深々と一礼した。これ以上、神妙な顔を取り繕うことに、耐えられなかったから……
「すいません、大したおもてなしもできず……」
「いえ、お構いなく」
ニーナが下の共同炊事場に降りて、何か飲み物を用意しに行った。本当はもてなしなんて不要なんだが、向こうとしては気が済まないらしい……
俺はリュックから、小さな革袋を取り出す。
「こちら……ご主人の貯金と、諸々の弔慰金になります」
中身は銀貨だ。夜エルフ諜報員たちが貯め込んでいた資金でもある。
「こ、こんなに……」
革袋の重みに目を白黒させるイザベラ。驚きのあまりか、コホコホッと咳き込んでしまう。確かに、庶民としてはかなりの臨時収入だろう。平兵士が稼げる額ではないし、一兵卒の弔慰金がこのような高額になることはありえないが……
「彼には、戦場で幾度となく世話になりましたので」
俺は神妙な顔で言った。……本当に、何度も何度も世話になっている。こんな銀貨じゃ釣り合いが取れないほどに。
……そう、釣り合いは取れない。
俺が多少、資金援助したところで、根本的解決にはならない。イザベラとニーナはこれからもふたりで生きていかねばならず、さらにはコルテラ商会も……諜報員の件が明るみになったら、どうなることか。
ふたりはまた路頭に迷ってしまうのではないか。そうでなくとも、この国だって、やがては魔王軍に擦り潰される運命にあるというのに……
だとしたら、俺は……。
「ありがとうございます……本当に、なんとお礼を申し上げたらよいのか……」
「これは、俺からご主人へのお礼なんです。お気になさらず」
「そうは言っても……コホッ、コフッ、すいません」
乾いた咳をするイザベラ。やはり体調はよろしくないらしい。
「肺が苦しいんですか」
「ええ……これでも、だいぶんよくなりました」
立ちっぱなしだったイザベラに、無理せずベッドで休んでもらう。
「エヴァロティ脱出軍と一緒に、公都にたどり着いたまではよかったのですが。肺病にかかってしまって……」
路上で死にかけていたところを、コルテラ商会に拾われたそうだ。
「オフィシアさんが、手を差し伸べてくださったんです。食べ物や家を用意してくださっただけじゃなく、神官様まで呼んでいただけて……」
話を聞く限りでは、見習い神官の治療を受けたらしい。どうにか一命はとりとめたものの、肺のダメージを完全に取り除くことはできなかったようだ。それをするには上位の――それこそ司教クラスの奇跡が必要になってくるだろう。
言い方は悪いが、聖教会としてもただの善意で、一般人のためにそこまでリソースを割く余裕がないということだ……
「おまたせしましたー! レモン水です」
と、ニーナがいくつかカップを手に戻ってきた。井戸水にレモン果汁を絞った飲み物で、俺とレイラもありがたくいただく。
「はい、お母さん」
「ありがとうね」
美味しそうに、少しずつ飲むイザベラ。そこでニーナが革袋に気づく。
「それは?」
「……お父さんがね、遺してくれたお金だって」
「えっ、こんなに……?」
ニーナが信じられないというふうに目を見開いて、俺を見る。こう言っちゃなんだが、詐欺でも疑っているかのような顔だった。
「そうだよ」
「本当に……? やったぁ! これで、お母さんの病気も治してもらえるね!」
大喜びするニーナに、イザベラと、俺の息が詰まる。
「……いいのよ、これは取っておきましょう。お母さんは大丈夫だから」
「そんなことないよ、夜は咳ばっかりで、全然寝付けないみたいだし……」
「大したことじゃないわ、糸紡ぎだってできるようになったし、もっと大事なことに使わなきゃダメよ」
「お母さんの身体より大事なものなんてないよ!」
ふたりのやり取りを見ていて、不意に思い出した。
『この子を……頼みます……』
夜エルフの矢を何本も背中に受けながら、俺を抱えて一晩走り続け、事切れたおふくろのことを。
「――イザベラさん、ちょっと失礼します」
俺はレモン水のコップをレイラに預けて、イザベラに歩み寄った。
そっと背中に手を当てて、聖属性で銀色にカモフラージュした魔力を流し込む。
「【
――途端、肺の中に、ホコリの塊でも詰め込んだかのような不快感。
なんて……息苦しさだ! 猛烈に胸の内側が痛痒い! こんな状態で咳を我慢していたのか、この人は……!! 娘を心配させまいと……!!
「えっ」
必死で咳を堪える俺をよそに、目をぱちくりさせるイザベラ。
「えっ……え? 胸が……」
すぅー、はぁーと深呼吸して、愕然とした顔で俺を見やる。
「こ、これは!?」
「……どうか、内密に」
俺は無理やり笑顔を浮かべて、そっと唇に人差し指を当ててみせた。
「対価なしで治療したとなると、騒動になりかねませんから」
病気や怪我に苦しむ全ての人が、我も我もと殺到するだろう。残念ながら、それに応える能力は、聖教会にない。あの『聖女』リリアナでさえ無理だった……
「そ、そんな! こんな大層な施しは、いただけません!」
ふるふると恐れおののいたように首を振るイザベラ。それはそれとして、ニーナが「え、お母さん!? 治ったの!?」とたまげている。
「これを! どうか!」
そしてイザベラは、銀貨が詰まった革袋をそのまま俺に返してこようとする。
「いいんです」
俺はその手を押し留めた。
「でも――」
「俺の母は、夜エルフの矢から、俺を庇って死にました」
咳を堪えながらの俺の言葉に、イザベラとニーナが息を呑む。
「……背中に、何本も、っ、矢が刺さっていたのに。幼い俺を抱えて、一晩、隣の街まで走り通したんです。できることなら、何か恩返しがしたかった……」
でも、できなかった。
だから、これは、
「……俺の、わがままです」
我慢できなかったんだ。ニーナのことを第一に想うイザベラを見ていたら。
完全に自己満足だ。ただ目の前にいるからって、琴線に触れたからって、イザベラだけを特別扱いして。
それでも。
おふくろは、褒めてくれると思う。
たぶん。きっと。どんなふうに褒めてくれるかな。
……ああ。
もう、おふくろの口調がどんなだったか、思い出せないや。
「受け取ってください」
俺は、銀貨の袋を、そっと押し返した。
「アレックス、さん」
「お兄さん……!」
「それでは、これで」
レイラから再びコップを受け取り、レモン水を飲み干す。……こころなしか、肺がすっきりするな。これはいい……
「ありがとう。美味しかったよ」
「待ってください!」
「失礼」
イザベラの制止も聞かずに、俺とレイラは足早に、その場をあとにした。
「おふっ、コフッ」
建物の外に出るなり、激しく咳き込んでしまう。
「アレク……」
レイラが心底悲しげな顔で、俺の背中を擦る。
『あーあー。どうするんじゃ、これ。けっこうな重症じゃぞ』
アンテが呆れた様子で言うが、問題ない。
しばらくは俺で抱え込む。
「確かに、けっこうキツいが――」
「夜エルフに押し付けてやるさ」
俺は、獰猛に笑った。
どうせ殺すなら、有効活用しないとな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます