323.親切な人たち
『現地に溶け込む方法はいくつかありますが、中でも最も大切なのは、現地民を敵に回さないこと。そして味方につけることです』
ヴィロッサの指南を思い出す。
『ですから現地の傀儡商会は、慈善事業にも力を入れているのです。炊き出し、病人や怪我人の手当、身寄りのない子どもの保護……金貸しの利率も他の商会より控えめで、同盟諸国は傀儡商会を贔屓にし、他の人族商会を目の敵にする始末』
そうして、ほくそ笑む。
『まったく、人族とは愚かで転がしやすい種族ですよ』
†††
「おう、ニーナちゃんおかえり」
強面の用心棒がにっこりと笑って、ニーナに手を振った。
「はい、ただいまです! ……あの、お兄さん……えーと……」
カゴを抱えたまま振り返ったニーナが、不意に困り顔。そこで俺は、自分がまだ名乗っていなかったことに気づいた。
「アレックスだ。こっちはレーライネ」
「あ、はい。ちょっと馬小屋に行ってきます!」
「ニーナちゃん、こっちの兄ちゃんは?」
「……お父さんの、戦友の勇者さんです……」
「ああ……そっかぁ……」
ニーナの家庭事情は知っているのか、顔を曇らせる用心棒たち。勇者であることが明かされてしまった。コルテラ商会には一般人として接近したかったんだが……
ニーナがトコトコと商館の裏手に駆けていく。用心棒たちと目があったので、俺は会釈した。
「ニーナちゃんの親父さん、行方不明って聞いてたんですが……」
用心棒のひとりが、遠慮がちに尋ねてくる。
「親父さん、ご無事なんですかい?」
「……遺骨を預かってる」
「ああ……」
沈痛の面持ちを見せる用心棒たちだったが、ニーナが戻ってきたので、すぐに表情を取り繕った。
「アレックスさん、わたし日が暮れるまでお仕事があるので、住所を教えますから、よかったらお母さんのところに……」
「ニーナちゃん、今日は早めに帰らせてもらいなよ」
用心棒のひとりが口を挟んだ。
「オフィシアさんにお願いしてくるといいよ」
「……いいんですか?」
「もちろんさ。なあ?」
なぜか俺にも同意を求められてしまったので、うなずいておく。
そのまま流れで商館に入り、ニーナについていくことになった。
「オフィシアさん!」
「あら、ニーナちゃん。どうしたの」
事務室に駆け込むニーナを、優しく迎え入れる女商人。垂れ目の美人で、茶色のウェーブした髪に、褐色の瞳。服装からしてそこそこの地位にあると見ていい。
「あの、お父さんの知り合いが来てくださって、お母さんにも会ってもらいたくて、その……」
俺を示しながら、ニーナがたどたどしく説明する。気が急いているためか、初対面時のスレた少女の仮面が剥がれ落ちて、幼さが顔を覗かせている。
「お父さんの、お知り合い?」
女商人――オフィシアが、愛想笑いを浮かべたまま俺を見やった。
俺は知っている。
こいつは、公都の夜エルフ諜報員だ。
「――――」
……殺すか?
腰で、アダマスが震える。この距離……しかも人になりすましていて、ロクな武装も身につけていない。
一撃で仕留められる。だが――
「はじめまして」
俺はいかにも実直な青年の顔で、生真面目に挨拶した。
「ニーナちゃんのお父さんの、お骨などを預かっております」
「ああ……。そういうことでしたか……」
痛ましげな表情を浮かべたオフィシアが、席を立って、ニーナを抱きしめる。
「ニーナちゃん……わたしには、何もしてあげられないけど。気を確かに持って」
まるで歳の離れた姉のように、ニーナの頭を優しく撫でるオフィシア。
クソっ……いけしゃあしゃあと……!
『なかなかの役者じゃのぅ。人の心をよく理解しておる』
吐き気を催す光景だぜ。エヴァロティへの補給を滞らせ、ニーナとイザベラを困窮させるのに一役も二役も買ったくせによォ……!!
「……はい」
だが、そんなことは知る由もなく、オフィシアの胸に顔をうずめて、か細い声を漏らすニーナ。
「事情はわかったわ、今日はもう上がっていいわよ」
「ありがとう、ございます……」
ぽんぽん、とニーナの背中を励ますように叩いたオフィシアが、立ち上がる。
「ニーナちゃんのこと、よろしくお願いします。あの、お名前を伺っても?」
「アレックス」
俺は手を掲げ。
「――勇者だ」
聖属性の輝きを宿した。
「…………」
オフィシアは笑みを浮かべたまま、微動だにしない。慌てもしなければ、怯えの色も見せない。視線は俺を真っ直ぐに捉え、揺らがない。
……大した胆力だ。俺は聖属性の輝きを引っ込めた。少しでも怪しい素振りを見せたら、叩き斬ってやったものを。
『殺らんのか?』
今はまだ。確かに、ここで剣を抜けば仕留められる。だが他にも諜報員はいるし、俺が標的としていた『パウロ=ホインツ』という商人も、今はトドマールに移動してきているはず。
ここでオフィシアを始末したら、他の諜報員たちが警戒して逃げ出してしまうかもしれない。それは面倒だ――できれば、一網打尽にしたい。
『パウロ向けの手紙はどうする?』
それも、今は出さない。勇者を経由した連絡なんて警戒されるに決まってるし、文面も、前の街でパウロ=ホインツをおびき出すために書かせたものだ。ここ、トドマールで渡しても効果が薄い……
俺とレイラは人化の魔法で、ある程度人相を変えられる。今日の夕方か、明日の朝にでも、新しい手紙を用意してコイツらを罠にかけるさ。
「よろしく、オフィシアさん」
「ええ……お会いできて光栄です、アレックスさん。ニーナちゃんも、イザベラさんも、慣れない土地で不安だと思うんです。ニーナちゃんたちのこと、どうぞよろしくお願い致します」
しおらしく頭を下げるオフィシア。
まったく、大した役者だ。
「それでは、
俺は短く告げて、ニーナとともに商館をあとにした。
諜報員オフィシア。
てめぇの化けの皮はすぐに剥ぎ取ってやる。
「みなさん、すごくいい人たちだったでしょう?」
……たとえこの子が、悲しむことになろうとも。
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