322.救いの手


 ――どうも、探していた少女を不意に見つけてしまったジルバギアスです。


 予想していなかった。


 まったく、心構えができていなかった。


 まさか、こんな数多くの住民がいる街で……


 どこに逃れたとも、顔さえも知らぬ本人に、たまたま声をかけてしまうなんて。


「お父さんは……無事なんですか……!?」


 だけど、それは相手も同じ。見ず知らずの男に、生死不明な父の名前を出されて。


 ――俺がどうこう言う権利なんて、ない。


「お父上は……」


 どうにか言葉を絞り出す。俺の表情で、ニーナはもう、察したようだった。


 それでも、固く唇を引き結び、続く言葉を待つ。


「……お父上は、亡くなった」


 俺が、殺した。


「…………」


 へなっ、とその場に尻餅をつくニーナ。雑踏の賑わいの中で、俺たちの周りだけが妙に静かに感じられた。


 ニーナはのろのろと帽子をかぶり直して、落としてしまったカゴを手に取り、散らばったまぐさを拾い集める。俺もしゃがんで、それを手伝った。


「お父さんは……どういう、最期だったんですか」


 手を動かしながら、淡々とニーナが問う。


「あなたは、お父さんの仲間なんですか」


 仲間? そんな大層なもんじゃない……。


「俺は、勇者だよ」


 自嘲気味に、指先に聖属性の光を灯して俺は言った。ニーナがあからさまに警戒を解くのがわかって、ますます居た堪れなくなった。


「お父上とは、……ほんの僅かな間、戦場をともにした仲だ」


 嘘は、ついていない。俺たちは確かに、戦場をともにした。


 そして、殺し合った。


 思い出す。獣人兵や悪魔兵、魔族たちに取り囲まれ、素手の兵士たちと戦ったあの日を。黒曜石のナイフで彼らの命を奪い去り、【名乗りの魔法】を習得した、俺の魔王子としての、初めての悪逆非道を。


「お父上は勇敢に戦ったが、卑劣極まる魔族の手により……討ち取られた」

「そう、ですか」

「……最期まで、きみと母君のことを気にかけておられた。遺骨を預かっている。俺に何かできることがあれば、助けになりたい」

「ありがとう、ございます」


 カゴに秣を詰め終わったニーナは、立ち上がりながら、俺をまた困ったような顔で見つめた。その目にあるのは、諦観――だろうか。衝撃は受けていた。だけど覚悟もしていた。とうとうその日が来た。そんな顔だった。まだ幼いのに。


「その、今はお仕事の途中なので。今お世話になってるところに来ていただければ、あとは、お母さんが」

「わかった」


 こんな往来のど真ん中で、遺骨なんて渡せないしな。……それに、俺にできる支援なんて生活費を渡すくらいのものだが、迂闊に金を取り出すわけにもいかない。渡すところをガラの悪い連中に見られたら、この子を襲ってくださいと喧伝するようなものだ。


「母君とは、トドマールで生活を?」

「はい。色々ありまして――」


 ひとまず、ニーナについていく。これまで何があったのか、歩きながらニーナは語ってくれた。


「わたしとお母さんは、エヴァロティにいたんです」


 もともと、デフテロスの隣国の民だったニーナたちは、国を滅ぼされてデフテロス王国に難民として渡った。父カイトはデフテロス戦線に参加して、ニーナとイザベラを東へ逃がし、己は前線で戦ったが――


 知っての通り、魔王軍に囚われ、魔王子の『獲物』として消費された。


 それでもニーナたちの生活は続く。イザベラは糸紡ぎが達者で、どうにか食っていくことはできたらしい。ニーナも商人の下働きや手伝いなどに精を出し、ふたりで力を合わせて糊口をしのいでいたようだ。


「でも、わたしたちは難民だったので」


 生きていくのがやっとで、デフテロス王国からさらに逃げ出す余裕はなかった。


「冬のエヴァロティは、ひどかったです」


 食べ物もほとんどなく、寒く、凍え死ななかったのは幸運だったとニーナは語る。


「そして、魔王軍が攻め込んできて……わたしとお母さんは、脱出軍と一緒に、国外に流れてきました」


 物悲しげに、空を見やるニーナ。「おじちゃん……」とつぶやくのが聞こえた。誰か、世話になった人物のことでも思い出したのだろうか。


「それで、なんとかトリトス公国には着いたんですけど」


 どうにか生き延びたニーナたちを、さらなる不幸が襲った。


「お母さんが、病気になっちゃって」


 冬の間、ニーナに優先的に食べ物を回して消耗していた母イザベラは、国外脱出の強行軍で、とうとう体調を崩してしまったらしい。


「糸車も持ってこれなくて、もう、ほんとにどうしようもなくて」


 見ず知らずの土地に、着の身着のままで、病気で動けない母と、幼い娘と。頼れる人もおらず、とうとう万事休すか……と思われたそのとき、ニーナたちに救いの手が差し伸べられた。


「ここトリトス公国に、慈善事業をしている商会があって、わたしたちのことを助けてくれたんです」


 ボロボロなイザベラを治療し、ニーナを小間使いとして雇い、さらにイザベラが糸紡ぎが得意であることを知ると、新しく糸車まで貸してくれたらしい。


 おかげで、イザベラはまだ完治していないものの、住み込みで糸紡ぎをしてニーナと一緒に暮らしていけるようになったそうだ……


「あのとき助けてもらえなかったら、わたしとお母さんは、今度こそ駄目だったと思います」


 商業区の道をてくてくと歩きながら、ニーナが振り返って健気に笑う。


「ここです! みなさん、すごく親切なんですよ!」


 ニーナが指差す先には、公都トドマールの優美な街並みにあってなお、立派な商館が建っていた。



 入り口には強面の用心棒がふたり立っていて、その上の看板には――



『コルテラ商会』と書いてあった。

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