317.手がかりと祈り


 なぜわざわざ聖属性の魔法を使ってまで、殺虫消毒しているのか。


 シーツくらい、普通に洗濯すりゃいいじゃないか、と思うかもしれない。


 ところが現在、この街では清潔な水の確保が難しくなりつつある。


 ――旧デフテロス王国の難民を多く受け入れたため、都市の給水能力がカツカツになってしまったためだ。


 生活用水にまで回す余裕がなく、公衆衛生も悪化しているようだ。デフテロス王国と違って、トリトス王国にはデカい川もないからなぁ……食糧は近隣国から輸入してどうにかしているみたいだが、水はそうもいかないので頭が痛い問題だろう。


 俺はこの孤児院だけではなく、救貧院など聖教会関連施設で殺虫消毒を買って出たが、こんなものは対症療法に過ぎず、根本的な解決にはなっていない。


 わかっちゃいる。


 でも、だからといって、目の前でできることをやらない理由にはならないんだ。


「お兄ちゃんありがとー!」

「虫がいなくなったー!」


 孤児院の子どもたちも喜んでいた。全身虫刺されで痒かったら寝られないもんな、気持ちはよくわかる。


「なあ、みんな、ちょっと聞きたいんだけど……」


 俺は、子どもたちの目の高さにしゃがみ込んで尋ねた。


「『イザベラ』さんと『ニーナ』ちゃんって、知り合いにいないかな」



 ――俺が色々と手伝って回っているのには、もうひとつ理由がある。



 遺骨の兵士――『カイト』という男に、彼の妻と娘を手助けすることを、約束しているからだ。



 エヴァロティ自治区にふたりはいなかったから、旧デフテロス王国からは脱出しているはずなんだ。


 もしくは、すでに亡くなっているか、だが……少なくとも死霊術では呼び出せないことを確認している。


 まだ生きているのか。


 あるいは魂がもう消え去ってしまったのか。


 ……生きていると信じたい。何十何百という同胞を手にかけ、あるいは見殺しにしてきた俺が言うのもおこがましいが。


 いずれにせよ、仮に生きていた場合、ふたりとも難民として国外脱出しているはずだ。そしてデフテロス王国の民の多くはトリトス公国に身を寄せており、それぞれの街に分散して受け入れられている


 であれば、同じような境遇の人々に聞いて回った方が、彼女らを見つけられる確率が高い。


 神官の男・エドガーと街の抜き打ち検査をして回ったあと――もちろん魔王子は見つからなかった――エドガーの紹介により、俺は勇者アレックスとして、聖教会関連施設を訪ねているというわけだ。


「イザベラさんと、ニーナちゃん?」

「わかんない……」

「聞いたことないなぁ」

「あ! ニーナって名前、聞いたことあるよ!」


 子どものひとりが手を挙げた。


「ほんとか!? どこで?」

「えっとね、肉屋のおっちゃんの奥さんが、そんな名前だった!」

「それは…………何歳くらい?」

「わかんない。おっちゃんと同じくらい?」


 ニーナちゃんじゃなくて、ニーナおばちゃんだったか……


「そっかー……じゃあちょっと違うかも。でも、ありがとうな」


 一応、後で確認だけしておこう。一応な。


 そんな調子でボロボロな孤児院の殺虫消毒を済ませ――子どもたちの寝床はもちろん、床下や倉庫、シロアリまで全部駆除しといた――俺は厨房に顔を出した。


「お嬢ちゃん、ありがとうねえ」

「いえいえ」


 鍋をかき回す年重の料理人の隣で、レイラが笑顔で野菜の皮を剥いている。お料理の手伝いをしていたみたいだ。けっこう手際がいい。ヴィロッサの人間社会適応訓練がいい味出してるな! うん……ヴィロッサの訓練が……。


「せめて一緒に御飯でも……」

「いや、みなさんで召し上がってください」

「でもレーライネさんに手伝っていただいたのに……」

「いえいえ、お構いなく」


 遠慮する俺たち。……チラッと倉庫も見たけど、心もとない食材の備蓄を、俺たちが削るべきじゃない。


 子どもたちや見習い神官に見送られながら、孤児院を後にする。


「いいところだった」


 子どもたちに手を振り返しながら、俺はつぶやいた。


 辛い身の上の子どもたちばかりだろうに、それでもあそこには笑顔があった。支援が手厚く、孤児院の人たちによくしてもらっている証拠だ。


 ただ、成人したら……彼らはどうなるだろう。孤児院を出たら、独力で食っていかねばならない。彼らの多くは、対魔王軍戦線に何かしらの形で組み込まれる可能性が高かった。


 もっとも、彼らが成人するまでに、この国が存在すればの話だが……。


「…………」


 この辺りはみすぼらしい身なりの人が多い。着の身着のままで逃げてきた難民や、傷病で働けなくなった者たち。支援の手が間に合っていない――単純に、物資も人手も足りていないのだ。


 隣国との差を、嫌でも実感する。あの国はまだ、若干ピリピリとしていながらも、牧歌的な雰囲気を漂わせていたのに。


「どうにかしないとな」

「はい」


 俺の独り言に、レイラが答えた。


 ここで、俺がどれだけ慈善活動に打ち込んでも、根本的な解決にはならない。


 魔王軍が存在する限りこの状況は続き、同盟圏を病のように蝕んでいく。


 ――魔王国を滅ぼす以外に、解決策なんてないんだ。


「あの、肉屋さんの奥さんが『ニーナ』って名前だと聞いたんですけど」

「うちのかかぁに何か用かい?」

「十中八九、人違いだとは思うんスけどね……」


 ちなみに肉屋を訪ねたら、めっちゃ恰幅のいい肝っ玉母ちゃんが出てきた。どう見ても遺骨の兵士・カイトより年上だった。やっぱり違ったかー。でも万が一ってこともあるからなー。


 念のため、肉屋にもイザベラ・ニーナについて尋ねてみたが空振り。仕方がないので、そのままの足で俺は――この街のコルテラ商会支部に向かう。


「やあ。知り合いから手紙の配達を頼まれたんだが」


 俺は笑顔で、懐からの手紙を取り出しつつ用心棒に話しかける。


「『パウロ=ホインツ』って人に渡してくれるかな」


 正直、俺が手を下すまでもなくそのうち狩り出されそうだが、害虫駆除は早ければ早いほどいい……


「あ……パウロは今、いないんだよ。公都の方に出てて。悪いな」


 頭をかきながら、肩をすくめる用心棒。がーんだな、出鼻をくじかれた。


「それは……いつぐらいに帰ってくるんだろうか」

「支部長の定例会についてったからなぁ」

「いつもなら、あと1週間くらいで帰ってくるぞ」


 用心棒の二人組が教えてくれる。


「手紙なら預かっとくが……」

「いや、俺たちもこのあと公都に向かう予定だったから、直接届けるよ」

「そうか、ならそっちの方がいいだろうな」


 どうやらここの諜報員は、一時的に移動していたようだ。


 公都か……トリトス公国の中枢、他の夜エルフ諜報員複数潜伏している場所だからな、丁度いい。まとめて掃除してやるぜ……!




 そんなわけで、その日は暗くなるまでイザベラ・ニーナの捜索に費やしたが、収穫はなかった。地元住民はもとより、デフテロス難民コミュニティでも手応えなしとなると、この街にはいないみたいだな。


 聖教会に荷物を預けていた関係で、その日は宿屋ではなく聖教会で夜を明かすこととなった。


『まさか、魔王子が聖教会で世話になってるとは誰も思わんじゃろな……』


 現役時代の俺でも思わないだろうな!


 幸か不幸か、この街の聖教会関係者は色々と手一杯で、俺に根掘り葉掘り聞く余裕もなく、適度な距離感を保ててるんだよなぁ。


「おや、また会ったな」


 と、思っていたら、その数少ない例外であるエドガーと再会してしまった。


「人探しはどうだった?」

「ダメだったよ。この街にはいなさそうだ」


 俺は力なく首を振る。


「そうか……。残念だったな。他にアテはあるのか?」

「とりあえず、明日にでも公都へ向かおうと思ってる。向こうで無事に見つかることを祈るばかりさ。短い間だったけど、エドガーも案内してくれてありがとう」


 こいつ、妙に勘が鋭そうな気配があるだけじゃなく、俺やレイラの身の上にも興味を持ってそうで、地味に厄介なんだよな。


 決して悪いやつじゃないんだが……! とりあえず離脱できて一安心だぜ。


「ああ、公都に行くのか」


 ところが、何を思ったか、エドガーがニコッと笑ってうなずいた。


「――奇遇だな、私も明日から公都に向かう予定だったんだ。馬車には余裕があるし、よかったら一緒に乗っていくといい」



 あああああああッッ!



 そうして、俺たちはエドガーとともに、トリトス公国の首都――トドマールに向かうこととなった。


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