315.大公妃、動く
プラティフィアは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のネフラディアを除かねばならぬと決意した。プラティフィアには政治がわかる。プラティフィアは、大公妃である。武勲を上げ、他の妃たちとしのぎを削って暮らしてきた。その上、自分の息子のこととなるとヒト一倍に敏感であった。
愛する息子を追放に追いやったネフラディアを、それでも生かしておいたのは魔王の顔を立てるため、魔王の裁定を尊重するためだ。本来なら100回ブチ殺して角を粉微塵に折り砕いて部屋の前に首を晒してもまだ足らぬところ、顔を合わせれば散々バカにする程度で済ませてやったというのに。
今度という今度は、さすがに我慢ならぬ。プラティフィアは激怒した。堪忍袋の緒がブチ切れ散らかした。おそらく、これまでの魔生で最大級の怒りであった。息子の足を引っ張るため、同盟圏に情報を流すなど言語道断。もはや国賊と言っても過言ではない。
「あンのクソ女、ぶっ殺してやるぁぁぁぁ!!」
プラティフィアは誇り高き魔族の戦士である。戦装束に身を包み、槍を掲げ、正式な決闘で血祭りに上げるべく、イザニス族の居住区に突撃した。
が、当のイザニス族たちは、及び腰でこう言った。
「ネ、ネフラディアは今、魔王陛下のところに――」
「ふざけるなァァァ――ッ!」
「ひぃぃッ」
殺意全開で奥の手の悪魔の腕まで展開するプラティフィアに、木っ端イザニス族は今にも卒倒しかねない様子だった。
「この期に及んで陛下を頼るかッ! 見苦しい真似をッ!」
慈悲深くも降爵程度で許してくださった陛下に、後ろ足で砂をかけたくせに!
最大値と思われた怒りがさらに上限突破し、プラティフィアは鬼気迫る形相で魔王城の階段を駆け上がった。すれ違う魔族や使用人たちをギョッとさせながら、宮殿に突撃する。
なぜか陳情者の列もなく閑散としている廊下を駆け抜け、ノックもせずに執務室のドアに手をかけるプラティフィア。
「陛下ッ! ここに不届き者が――」
そしてドアを開け放ち、――硬直した。
執務室の中には、
まず、当然、部屋の主こと魔王ゴルドギアス。どこか虚脱した、ぼんやりと遠い目をしている。
次に、魔王の眼前、執務机の上に載せられて、カッと目を見開いたまま、正気とは思えぬ表情を晒しているネフラディア。
――の、生首。
「し……しんでる」
「ん、プラティか……」
思わず唖然とするプラティフィアに、初めて気づいたかのように、魔王が鈍い動きで首を巡らせた。
遅れて、ぶわっと鉄臭さにも似た匂いが吹き寄せてくる。執務室の中は血の海だ。魔族の血の青色。今更のように、執務机の前に、緑のドレスで着飾ったネフラディアの体も転がっていることにも気づく。
「我慢ならんかった。久々に激昂したわ」
魔王はぽつんとつぶやいた。その背後、槍掛け台の魔神の槍が、ぬらぬらと不気味な光沢を放っている。
「ジルバギアスに対する悪意ある情報流出のみならず、同盟圏に潜入した夜エルフの諜報員たちさえ危険に晒す愚行。国家反逆罪を適用した。……申し開きは、しようとさえしなかった」
それでブチ切れて殺した、と。
少なくとも、執務机の上から恨めしげにこちらを睨むネフラディアの顔には、反省の色は欠片も見当たらなかった。
「……この手で血祭りに上げとうございました」
怒りの矛先を失い、茫然と立ち尽くすことしかできないプラティフィア。
「……すまなかったな。望むならば、首などは持ち帰って晒しても構わない」
ネフラディアの後頭部を見つめながら、魔王は言う。
「――――」
はい、と答えようとして、プラティフィアは口をつぐんだ。
「……いえ、それは陛下の仕置きです。私の手出しは無用でしょう」
本音を言えば、こんな肉塊でも、ギタギタにして踏みにじり、どうにか溜飲を下げたいところだった。
だが、そうしてしまえば、イザニス族とはそれで手打ちになりかねない。プラティフィアの冷徹な部分が、一時の感情よりも利を優先しろとささやいていた。
「――このツケは、イザニス族に返させます。ネフラディアの暴走により、ジルバギアスに生じる不利益。それを止められなかった彼奴らに、責任を取らせます」
おそらく、魔王からも沙汰があるだろう。だがそれとは別に、レイジュ族として、落とし前をつけさせなければならない。
「そして、その暁に。あの子が帰ってきたとき、さらに有利になるような条件を、呑ませてやります……!」
ぎりりっ、と槍を握りしめる手に力がこもる。
「……プラティ」
険しい顔をしていた魔王が、物悲しげな表情に変わった。
「あの子は、大丈夫です」
うつむき加減にそう言うプラティフィアは、まるで、自分に言い聞かせているかのようで。
「人化の魔法だって使えます。死霊術だって、剣術だって使えます! 潜入に備えて人間社会も勉強して、色々と準備してきたんです……!」
「…………」
「それに、腕利きの夜エルフの工作員に、ドラゴンまでついてます。だから大丈夫。あの子は、絶対に、無事に帰ってきます……! 帰ってくるんです……!!」
「……そうだな」
席を立った魔王が、そっとプラティフィアの肩を抱いた。――震える肩を。
プラティフィアも、魔王も、理解していた。同盟圏で魔族が生き抜く難しさを。
地上最強の魔王でさえ、同盟圏で全く周囲を頼らずに生き延びようとすれば、不覚を取りかねない。それほどの難易度なのだ。休息も補給もままならず、波状攻撃に晒され続ければ、いつか限界は訪れる。
そして、ジルバギアスは、限りなくそれに近い状況に置かれようとしているのだ。
ひとたび正体が露見してしまえば、帰還はおろか――前線に首が晒されても、おかしくはない。
「……あの子は、きっとうまくやるだろう」
それでも、プラティフィアの髪を撫でながら、魔王は言う。
「我とそなたの血を継ぎ、特別な才覚を生まれ持った子だ。……普通の魔族とは何かが違うと、我の勘が告げている。あの子なら、大丈夫だ。きっと……」
正直なところ、魔王の理性は、ジルバギアスの特異性を鑑みてもなお生還は厳しいと告げている。だが同時に、何が起きてもおかしくないという予感も拭い去れないのだった。それは理屈によらない、戦場勘に似た感覚だった。
(ジルバギアスなら――あるいは)
そう、感じていた。
(だが、夜エルフたちは……厳しかろうな)
ジルバギアス探しの煽りを受けて、かなりの数の諜報員が命を落とすだろう。諜報網も使い物にならなくなる可能性が高い。
……まあ諜報網が壊滅したところで、魔王軍の戦力が低下するわけではないので、戦争における優位は覆らないだろうが。
それでも魔族の、しかもそれなりの立場にあった者の暴挙で、甚大なる被害を被ることになる夜エルフたちには、相応のフォローが必要だろう。現状、魔王国の内政は夜エルフたちに頼る部分も大きく、決して彼らを無碍にはできないのだ。考えるだけで頭が痛い――
(……ジルバギアスにも、何か報いてやらねばな)
ふと魔王は思う。
ジルバギアス本人もそうだし、愛息の生還を祈り、願い、咽び泣く妻も、励ましてあげねばならぬ。
「追放刑よりの生還ともなれば、魔王国史上に名を残す偉業となろう。これは、ジルバギアスが己の名誉を勝ち取るための試練であり、戦いでもある。……あやつが戻ってきた暁には、功績のひとつに数えてもよかろうな」
魔王の独り言じみた言葉に、プラティフィアがハッと顔を上げる。
「それは……あの子を、大公に……!?」
「その、大きな一歩となろう」
「……うぅっ。あの子は、帰ってきます! そして大公になるんです……!」
堪えきれず、再びブワッと涙を流しながらプラティフィア。
「絶対です、絶対ですよ……陛下……!!」
声を殺して、魔王の胸で咽び泣くプラティフィア。
その肩を抱き、優しく、ぽんぽんと背中を叩いてやる魔王。
――そしてそんなふたりを、ネフラディアの生首が、執務机の上から恨めしげに見つめていた。
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