312.突撃! 隣の工作員


 ――コルテラ商会、スグサール支部。


 朝を迎えて、商会員たちが続々と仕事場にやってくる。


「あれ? イクセルさんは?」


 事務員の若い娘は、事務室に入って目をぱちくりさせた。


 イクセルがいない。


 いつも、誰よりも早く顔を出して、書類と格闘していた仕事人間なのに。


「まだ来てないみたいッスよ」


 と、用心棒の男が答える。


「へー、珍しいね」


 事務娘が商会に入ってから、初めてのことだった。


(……今日は、来てもらえるかな)


 とっておきのビーフシチュー。


 昨夜は手を付けず、さらに煮込んでおいたので、もっと美味しくなっている。


(食べてもらえたらいいな。美味しいって言ってもらえるかな)


 事務娘は、イクセルの定席を見やる。


 誰もいない事務机が、やけにがらんとして見えた――。



          †††



 どうも、勇者アレックスです。


 俺たちは何事もなく、スグサールの街を出発した。


「よい旅をー」

「ありがとうー!」


 門番たちに手を振って歩いていく。入ったときとは反対側の門で出ていこうとしたら、「見ない顔だな」と再び聖検査されそうになってちょっと驚いた。


 もちろん、俺が聖属性を披露して事なきを得た。大多数の街では、入ってくる奴はチェックしても、出ていく奴はスルーってことが多いからな。


 前線に近いせいもあるだろうが、こんなにしっかり警戒している街に、10年近く潜伏していたイクセルは凄腕の諜報員だったと言ってもいい。


 イクセルいわく、数年前から警戒が厳しくなり、念のためほとんど街からは出なくなったとのこと。街の衛兵とは顔つなぎしていたらしいが、何かの気まぐれで神官が聖属性を飛ばしてきたら、一発でアウトだからな。


 俺のように、ピンポイントで正体を知っている奴でもいない限り、このままずっと商人のフリをし続けていたに違いない――


 さて、そんなイクセルの証言をもとに、俺たちはスグサールから歩いて数時間ほどの小さな集落へ向かった。


 集落そのものは、特筆すべきことも何もない農村だが、近くの森に狩人になりすました工作員どもが潜んでいるらしい。


 数は4名。人族の狩人とその妻のふたり暮らしに偽装しているそうだ。食糧は森で狩りをして賄っているとのこと。まあ、夜エルフの弓の腕なら、食っていくのは余裕だろう。


 イクセルが最後に連絡を取ったのは半年以上前らしく、今はどうしているかわからないが、基本的には数年後の隣国・トリトス公国侵攻に備えて待機中だそうだ。


「いやー……気が長えよな」

『まったくだねぇ』


 忍耐力という一点においては、敵ながら天晴と言わざるを得ない。てくてくと街道を歩きながら、呆れたように漏らす俺に、バルバラが念話で相槌を打った。


「危険ですもんね」

『人化の魔法なしでやるのは、骨が折れそうじゃの』


 ただ、年数に感銘を受けているのは元人族の俺とバルバラだけで、レイラとアンテはそのあたりピンと来ていないようで面白かった。


 アンテは言わずもがな、レイラもナチュラルボーン長命種だしね……




 ――途中でおやつ休憩などをはさみつつも、無事に集落までたどり着いた。


 のことも考えて、腹にはあまり物を入れないでおく。


 俺もレイラも水魔法が使えないから、人里での飲料水の補給は必須だ。水は重いしかさばるしで、荷物の中では一番厄介だ。森エルフが仲間にいたら楽なんだけどな、こういうとき。



 まあ今から会うのは――



 森エルフじゃなくて夜エルフなんだが。



「やあ、あんたが狩人の『ハントス』さんかい」


 集落から少し離れた森。木陰で弓の手入れをするヒゲもじゃの男に、俺は気さくに話しかけた。


 昼寝を邪魔された熊のように、のっそりと、胡散臭そうにこちらを見る男。いかにも人嫌いな、表情の変化が少ない顔つき。まるでドワーフのような毛むくじゃらの腕に、恰幅のいい体格。


 ……すげえな、夜エルフには全然見えない。


『ヒゲ面も、ゴツい体格も、一級の偽装じゃのぅ』


 イクセルもよくなりすましてたけど、体格とか顔つきとかは、言われてみれば夜エルフって感じだったのに。


「……誰だ」


 しわがれ声で、唸るようにして狩人――ハントスは問う。


「お届け物だよ。イクセルさんからの手紙を預かってる」


 俺は懐から封筒を取り出した。



 ――正真正銘、手紙を。



 首の骨が折れたせいで書きにくそうだったが、筆跡で怪しまれることはない。


 ムッスリとした表情のまま手紙を受け取り、サッと目を通すハントス。少しばかり驚いたように、俺と手紙を見比べた。何気ない近況報告と見せかけて、ところどころに仕込まれた符牒が『俺は関係者かつ重要人物』であると語っている。


 ニヤリと笑った俺は、手の内に、うっすらと闇の魔力を揺らめかせてみせた。


「……ウチで茶でも飲んでいくといい」


 のそりと腰を上げたハントスが、「ついてきな」と身振りで示した。レイラと一緒にあとに続く。


 森に少しだけ踏み入ったところに、こじんまりとログハウスが建っていた。そばには掘っ立て小屋もあり、イノシシのものと思しき肉が吊り下げられている。


「~~♪」


 鼻歌を歌いながら、のそのそと歩くハントス。これは――『家の者』に来客を知らせているな。


「……お客さん?」


 そう考えた矢先、ログハウスからやつれた雰囲気の、無表情の女がひょっこりと顔を出した。まさか一般人だろうか。いや、こいつが件の『妻』……?


「ああ、そうだよ。大事なお客さんだ」


 含みのある調子で、ハントスがうなずいた。


「狭い家だが、どうぞ」


 ドアを開けて、入るよう促される。コイツに背中を取られるのは少し嫌だったが、緊張を気取られる方がマズいので、「俺は魔王子。魔王子なんだ……!」と自分に言い聞かせながら、肩の力を抜いて踏み込む。


 ――雑然とした、手狭な家だ。雨戸が閉じられていて薄暗い。猟具や動物の毛皮などが壁にかけられており、夜エルフらしさは微塵も感じられなかった。


 壁際で、やつれた女が俺をじっと観察している――


 バタン、と背後でハントスが扉を閉めた。


「……その、魔法は使えるか。音を消すような……」


 ハントスがヒゲをもごもごさせて、ささやくように尋ねてくる。


 俺はパンと手を叩いて、防音の結界を無詠唱。


「これでいいか?」

「大変けっこう」


 途端、ハントスのしわがれ声が、張りのある若々しいものに戻って驚かされた。


「ふぅ。惰弱な人族の姿は肩が凝るな。変装を解いても構わないか?」

「どうぞ、ご自由に」


 俺は床に荷物を下ろし、周囲に自らの存在を発散させるようなイメージを思い描きながら、人化を解除。


 ヴィロッサが言っていた、魔力を感じ取られにくくするテクニックだ。まだ完璧とは程遠いが、大公級がいきなり出現する暴風じみた『圧』は、かなり低減できているはず。


 ――世界が魔力の『色』を取り戻す。身体に力が満ち満ちるのを感じる。


「……!」


 青肌、赤目、そして角を生やした俺の姿に、ハントスと妻役の女が目を見開いた。


 ……ん、上でも魔力がな。


「これで全員か?」


 俺が天井を見上げながら問うと、カタッと天井板の一部が外れて、銀髪赤目の夜エルフが顔を出した。


「バレましたか」

「敵いませんね」


 シュタッとふたりの夜エルフが床に降り立つ。なるほど、天井裏にも生活スペースがあるってワケか。狭いのにご苦労なこった。


「イクセルも『重要人物』とは書いていましたが、まさか魔族の方とは……失礼ながら、どちら様で?」

「第7魔王子ジルバギアス=レイジュである」


 俺が答えると、ハントスが「王族?!」と再び目を見開いた。にしても、目は動くけど全然表情が変わらねえなコイツ。


「悪いが、他に身分を証明するようなものは持ってない。まあこの魔力でだいたいの身分は予想がつくだろう」

「いや……これは失礼、しかし、まさか王族とは――」

「なぜ王子様がこのような場所に……?」


 壁際で腕組みしていた女――こちらも声が若々しく戻っている――が、訝しむ様子を見せた。半年前で情報が止まってるから、俺が追放されたことも知らないんだろうな。


「それが色々とあったんだ……兄エメルギアスに襲撃され、返り討ちにしたら兄殺しの咎で謹慎50年か追放刑のどちらかを選べと言われてな、追放されることにした。向こうが襲いかかってきたのに、いい迷惑だよ」

「エメルギアス殿下が……」


 夜エルフのひとりが茫然としている。お、イザニス派か?


「追放刑!? それならば我々との接触は――」

「ああ、まだ執行前だから安心して欲しい。法の抜け穴ってやつだ」


 慌てるハントスに、俺はニヤリと笑ってみせる。


「俺は人化の魔法を使えるし、執行前に同盟圏へ入って、人間社会を学んでおこうという流れでな」

「……なるほど、事情は把握いたしました」


 とりあえず俺のことは信じることにしたらしく、うなずくハントス。


「それにしても驚きました。まさか殿下が人化の魔法をお使いになられるとは」

「そういうお前こそ、素晴らしい偽装だな。とても夜エルフには見えんぞ、人化を使っているわけじゃないんだろう?」

「ああ、これはですね」


 ハントスが顎に手をかけて。



 ――



「!?」

「ひゃっ」


 思わずギョッとする俺たち。ハントスの顔の下には、髪と眉を剃り上げ、耳を丸く整形した夜エルフの若々しい顔が隠されていたのだ。


「よくできているでしょう? マスクですよ」


 顎ヒゲつきの、抜け殻のようになったハントスの顔面をひらひらさせて、ニヤリと笑う夜エルフ。


「これは……驚いたな。凄まじい精巧さだ、全然わからなかったぞ。まるで本物の顔のようだった」

「ええ、まあ、ですからね」


 なんでもないことのように言う――ハントスになりすます工作員。


「……ハントスから、剥いだ?」


 おい、まさかとは思うが。


「はい。ここにもともと住んでいた狩人ですよ。村の連中とも付き合いが悪く、最低限のやり取りしかしていなかったので、成り代わるのは簡単でした。……まあ、獲物の皮を村に売りに行ったら、自分の皮剥の腕が良すぎたようで、いきなり上達したのかと思われて訝しまれましたが」


 今では、わざと手抜きして皮なめししてるんですよ、と工作員は笑う。


「ちなみにこの腕も長手袋です。我ながらよくできているかと」


 田舎で世捨て人のように暮らしていた狩人を。


 ブチ殺して皮を剥ぎ、身分も家も、全て乗っ取った、と……。


「では、あちらも?」


 俺は、壁際の女――ハントスの『妻』に目を向ける。


「似たようなものです」


 女がゴソゴソと後頭部に手を回したかと思うと、ズルッと顔を。同じように髪を短く刈り込んだ、若々しい女夜エルフが顔を出す。


「こっちは、戦場で仕留めた女神官の皮ですけどね。ハントスが一目惚れして結婚を申し込んだ、商売女という設定です」


 顔面の皮を指で摘んでヒラヒラさせながら、女夜エルフが笑う。


「近頃は、『お前、結婚してから丸くなったよな……』だなんて、村に顔を出すたびに言われるんですよ」

「呑気な連中だよな」

「おかげで助かってるが」


 わっはっは、とにこやかに笑う夜エルフども。


 そうか、愉快だな。


「はっはっは」


 俺も合わせて笑いながら、そっとレイラの首に手を伸ばした。


 革紐チョーカーに――【キズーナ】に触れる。



 レイラ。



 さり気なく、家の外に出てくれ。



 



「あ、あの、すいません……」


 もじもじしながら、レイラが声を上げる。


「その……トイレって、どこにあります……?」


 レイラの問いに、「あー」とちょっと気の毒そうな顔をする偽ハントス。


「申し訳ないが、そんな上等なものはこの家には……そのへんの茂みで済ませていただけると」

「わかりましたっ」


 いかにも「我慢の限界です!」というノリでそそくさと出ていくレイラ。


『いつの間にやら、なかなかの役者ぶりじゃのぅ』


 ああ……助かるぜ。


 これで気兼ねなく、


 やれる。


「それで、殿下。手紙には、我らに何か御用がおありとのことでしたが……」


 ハントスの顔面マスクを机に置きながら、偽ハントス。


「ああ、それなんだがな、実は――」


 俺はリラックスした様子で腰のベルトから鞘を外し、剣を壁に立てかける――



 と、見せかけて、抜き放った。



 ――目覚めろ、アダマス。



 ギィンッ、と光り輝く聖剣。



「うわっ!」

「なにッ?」


 目を射られる夜エルフども。


 即座に眼前、偽ハントスの首を刎ねる。血飛沫を回避しながら踏み込み、最大限に魔力を込めた手刀で、もうひとりの首の骨を叩き折った。


「なぁッ!?」


 視界が回復し、突然の事態に、それでも腰のナイフに手を伸ばそうとする夜エルフの工作員。


「【光あれフラス】」


 聖属性の矢を放ち、ジャッとその顔面を焼いてやった。悲鳴がほとばしっても関係ない、防音の結界が全てを封じる。アダマスで心臓を一突きにした。


「なっなんで!? どうして!?」


 女夜エルフが、マスクも放り捨てて、泡を食って逃げようとするが。


「【逃走を禁忌とす】」


 ――制定。


 身体が強張り、その場で動けなくなる女夜エルフ。


「待っ」


 それ以上、何かを言う前に、その首を刎ね飛ばす。



「――お前たちを殺しに来たのさ」



 床に転がる偽ハントスの首に、答えた。



 おかげさまで、用事は片付いたよ。

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