311.芋づる式に


 ――宿屋『聖なる牡鹿』亭の主人は、夜明けとともに起き出して、手早く朝食の仕込みを始めていた。


 今日は宿泊客が少ないので、準備も楽なものだ。かまどのスープが温まるのを待ちつつ、軽く掃除しておこうと布巾を手に食堂に出たところ。


「おはよう」


 宿泊客のひとり、茶髪の青年が起き出してきていた。日に焼けた精悍な男で、腰のベルトには聖剣が吊り下げられている。


「おはようございます。よく眠れましたか?」

「……。ああ、とっても」


 なんだ、今の間は。


「ところで主人、ちょっと部屋を散らかしてしまったので、掃除したいんだが……」


 青年は、申し訳無さそうな顔で話を切り出した。


 たしかこの青年、可愛い銀髪の少女も連れていた。……「ゆうべはお楽しみでしたね」とでも言うべきだったかもしれない、などと一瞬、下世話なことを考える主人だったが、もちろんおくびにも出さない。


「掃除などせずとも、そのままでも構いませんよ」


 宿泊料はしっかりもらっているので、その程度ならサービスだ。


「いや……マナーの悪い客だと思われたくないんでね。ちりとりと箒、貸してもらえないだろうか」

「はぁ、そこまで仰るなら」


 変わった奴だな、と思いながらも、言われるがままに貸し出した。それにしても、ちりとりと箒? てっきりタオルや雑巾の類かと思ったのだが。


 ――そのまま食堂のテーブルを拭いていると、しばらくして青年が、灰を山盛りにしたちりとりを手に戻ってきた。


「お客さん……それは?」

「ちょっとした魔法の儀式で出た……残りカスというか。もちろん、火は使ってないから安心してほしい。どこに捨てようか」

「それ、ただの灰ですか? それとも何か、害があったりします?」

「いや、よ」


 やたらと爽やかな笑顔で、青年は答える。


「それなら、うちのかまどに放っておきましょうか」

「助かるな。ありがとう」


 青年からちりとりを受け取り、厨房に戻る主人。


「ふーむ」


 どこからどう見ても、ただの灰だった。変な色も、妙な匂いもなく。


 魔法の儀式で出た、とのことだったが……


「まあいいか」


 主人はそのまま、かまどの灰の中にパサッと放り捨てた。


 かまどの煮炊きで出る灰は、あとで業者がまとめて回収しに来るのだ。


 きっと、畑の肥やしにでもなるのだろう――



          †††



 どうも、勇者アレックスです。


 イクセルの野郎から色々と情報を抜き出したぜ。


 こいつ、トリトス公国の商会支部からの情報を中継するだけじゃなく、デフテロス王国戦においては、補給線の破壊工作まで支援していやがった。


 とりあえず、こいつが知る限りの機密情報、拠点、隠れ家、工作員の潜伏先や表向きの肩書、名前などを吐かせた。これで芋づる式に殲滅が可能になる。


 問題は、次にどこを優先して叩きに行くか。そしてイクセルの自宅に隠されている資料や変装道具などをどうするか、だが――


『イクセルの自宅は放置でいいじゃろ』


 アンテの意見。


『下手に資料が領主や聖教会に流れれば、摘発が始まりかねん。異変を察知した工作員どもが散り散りになるのが関の山じゃろ』


 そうなんだよな。下手に諜報網を刺激したら、どんな動きがあるか読めない。


 このまま、イクセルがただ失踪したように見せかけて俺が何もしなければ、イクセルが連絡を仲介していた工作員たちは、訝しく思いながらも即座に雲隠れまではしないはずだ。まずは、様子を見ると思う。


 が、そこで聖教会が摘発に動けば、あっという間にトンズラして、俺が手に入れた情報が役に立たなくなる可能性が高い。


『でも、全部をアレクだけで狩るのは現実的じゃないし、聖教会に手伝わせてもいいんじゃないかい? 匿名で手紙を送れば、イクセルの失踪も鑑みて調査くらいはするだろうさ。正確な情報さえあれば、聖教会も仕事をすると思うけど』


 今度はバルバラが指摘する。


 俺ひとりじゃ手が足りないってのは、その通りなんだよなぁ。


 イクセルが中継していた連絡先、北部のトリトス公国の商会支部か、それとも南部の支部か。今ここで俺が分裂して、それぞれ同時に潰しに行きたいくらいだ。


 さて、どうしたものか……


『――…………――』


 この間、レイラは黙って聞き役に徹している。俺たちの会話から色々と学ぼうと、やる気満々な構えだ。


 ちなみに俺がレイラの首の革紐チョーカー――【キズーナ】に触れているので、レイラにアンテ、念話のバルバラも含めて、全員が一切声を出すことなく話し合える。いつでも防音の結界を張れるとは限らないので、すごく便利だ。


「うーむ……」


 アンテとバルバラの議論を聞いて、俺は結論を出した。



 ――イクセルの自宅の資料は一旦放置して、先にトリトス公国のコルテラ商会支部を叩きに行こうと思う。



 旧デフテロス王国領に接していることもあり、トリトス公国の商会支部が東部線戦における諜報網の『付け根』と化している。ここを潰せば、続く東部の諜報網は情報の流れを絶たれて麻痺していくだろう。


 同時に、異変を察知した工作員どもが次々に雲隠れする恐れもあるので、トリトス公国のが終わり次第、レイラの全力で東進する。


『あはっ。なるほどね、異変が伝わる前に、虱潰しにしていこうってワケだ』


 バルバラが笑った。その通り。現状、ドラゴンの翼より速く、夜エルフたちが情報を伝達する手段はないからな。


『――頑張りますっ――』


 イクセルの自宅の資料について通報するのは、トリトス公国で用事を済ませてからでも遅くないだろう。


『そうじゃな。そのタイミングならば、イクセルが中継していた連中もざわつき出す頃合いじゃろうし、聖教会が動き出しても影響は少なかろう』


 ただ、イクセルが連絡を取っていた夜エルフのうち、デフテロス王国戦で補給線の妨害にも従事した連中が、人族の狩人に偽装して潜伏しているらしい。森エルフの哨戒がない、小さな森の隠れ家に住んでいるそうだ。こいつらはトリトス公国に向かう前に叩いておこう。


 工作員の中でも、破壊活動などを得意とする実働部隊らしいからな、自由にさせておくとあとあと厄介だ。


 他はひとまず放置でいい。イクセルが欠けた今、どのみち機能不全に陥る。


 イクセルが失踪したら、奴が最後に接触したであろう俺にも疑いの目が向けられるかもしれないが、その頃には俺は他国へ脱しているので問題ない――



 というわけで。



「さっさとこの、スグサールの街からおさらばしようか」



 ――そしてトリトス公国へ向かいがてら、実働部隊の隠れ家を潰す。

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