307.有効活用
「ん……ぅ、ここは……?」
――ヴィロッサは、目を覚ました。
薄暗い。頭上には星空と……木々? 森の中か。焚き火がぱちぱちと爆ぜる。
「目が覚めたか」
声。見れば、人族の若者がこちらを見ていた。
咄嗟に腰の剣に手を伸ばしかけたが、どことなく見覚えのある顔立ち。
「……殿下?」
「ああ。今は人化している」
若者――人化したジルバギアスがうつむく。焚き火の明かりが、その顔に濃い陰影を描いた。
「自分は、いったい……」
「雷に打たれたんだ。あの雲の中で……」
雷――あの輝き、そして全身の激痛は、そういうことだったのか。
「落ちたように、思えましたが」
「そうだ。レイラが急降下して、……どうにかお前を回収した」
言われて気づいたが、ジルバギアスの横の切り株には銀髪の少女が腰掛けていた。こちらは見慣れた顔で、頭の角がないレイラだ。完全に人化しているらしい。どこか申し訳無さそうに、会釈するレイラ。
「なるほど、そういうことでしたか……」
身体を起こそうとしたが、なぜか、うまくいかない。
「動かない方がいい。お前はまだ万全じゃないんだ。リリアナがいれば、一瞬だったんだろうけどな」
そう言って
「そのうち適当な人族を調達するから、それまで休んでいるといい」
――ヴィロッサは、己が情けなくなった。殿下をお助けするはずだったのに、出発早々この体たらく……
「申し訳――」
「お前は悪くない」
謝ろうとしたが、ジルバギアスが言葉をかぶせる。
「お前は悪くないんだ。全て……環境のせいだ」
痛恨の極みといった表情を見せる――
「今は【休め】。また……
一流の諜報員でもあるヴィロッサは、休息の重要性を理解している。
『はい……殿下……』
だから、ジルバギアスの命に従って、大人しく目を閉じ――
その意識は、不自然なほど安らかに、またたく間に闇に飲まれた。
†††
――俺の眼前、結界内に小さな骨片。
そこに、霊魂が吸い込まれていく。
ヴィロッサの、魂が。
「…………」
俺は、首から吊り下げていたロケットペンダントを開けて、拾い上げた骨片をその中に収めた。
……そう、これは【狩猟域】がエンチャントされている、バルバラのボディのコアにしていた、スピネズィアの魔法具だ。
バルバラボディが使えない今、他に利用方法があるかもしれないと思って、この旅にも持ってきていた。
そして、ここで役に立つ。
『これでヴィロッサは
アンテが薄く笑った。
――ヴィロッサを突き落としてすぐに。
俺たちは、遺体の確認に向かった。森に接した平野に落下していたヴィロッサは、比較的柔らかな草原に叩きつけられたせいか、ほぼ原型を保っていた。
その手にはしっかりと剣が握られたまま――剣聖の力でどうにか生き延びようと、最期まであがいたのかもしれない。……だが、どうにもならなかった。魔王をも殺す一撃は、当然のように、ヴィロッサの命も奪っていた。
俺はヴィロッサの死を確認して、アルバーたちのように、あるいはエメルギアスの部下たちのように、さっさと霊魂も滅ぼすつもりだった。
だが、それに待ったをかけたのが、アンテだ。
『この男が持つ情報の数々、ただ捨て置くには惜しいと思わんか?』
アンテは、俺に囁いた。
――ヴィロッサをアンデッド化し、手元に置いておけ、と。
だけど。それは、……それは、あまりにも……
『わかっておる。お主がそれを嫌うであろうことは。母の仇の種族でありながら、剣の師であり、まるで年の離れた友人のようにさえ感じていた男を、斯様に扱えば心は痛もう……じゃが』
――
『気づいておるか? お主、すでにかなりの力を得ておるぞ』
言われなくても……! わかってんだよ、そんなことは!
カッと目を見開いた、必死の形相のヴィロッサの遺体を前に……
俺は……! 自らに、膨大な力が流れ込んでくるのを感じた……!
……何よりも、許せなかったのは。
戦場で名も知らぬ人族の兵士を殺したときよりも。
遥かに多くの力を、得てしまったことだ。
……こいつは敵だ。敵なんだ!!
俺は……それを、わかっていたというのに……
『此度の、同盟圏での放浪の旅。お主の目的は何じゃ?』
……夜エルフの諜報網を、壊滅させること。
『ならば、この男の霊魂……どれほどの価値があると思う?』
…………。
わかってたさ。
アンテは正しい。俺は、まだヴィロッサが出し切っていない情報の存在に気づきながら、さっさとケリをつけようとしてたんだ。
だけど……
アンテの提案を切って捨てるには。
ヴィロッサは――有能すぎた。
「…………」
ロケットを、その中の白い骨片を。
じっと見つめた俺は、ぱちんと蓋を閉じて、首に下げ直した。
呼び出した直後に意識レベルを低下させたおかげで、ヴィロッサは、自分が間一髪で助かったのだと錯覚している。
今は霊魂を休眠させているため、本人は時間の経過を感じられないだろう。1回や2回なら、怪しまれずに情報を引き出せるはずだ。
剣聖は死せども、その魂は死なず! ってか。はっはっは。
はぁ……。
ちなみにヴィロッサの遺体だが、霊体を定着させる用の骨片を取ったあと、適当な霊魂を引っ張ってきてアンデッド化してある。
朝日を浴びたら灰になるはずだ。……死霊術さえあれば、死体の処理が馬鹿みたいに簡単だと気づけたのは、収穫だったかもしれない。
「…………」
焚き火の明かりが揺れる。羽虫がひらひらと舞い踊り、飛び込んで燃え尽きた。
申し訳ない、なんて……俺に感じる資格はない。そんなふうに思うくらいなら最初から殺さなきゃいいんだ。
俺のおふくろを殺した夜エルフや、エメルギアスの野郎が、「悪かった」って頭を下げに来たら俺は納得したか? って話だ。
許せねえだろ。
だから、意味はない。意味はないんだ。
俺は、ヴィロッサの忠節を踏みにじり、冒涜の限りを尽くし、夜エルフどもの諜報網を壊滅させるため、奴を利用する……!!
「……ッ」
それで、いいんだ。
握りしめていたペンダントを、シャツの下に仕舞う。
「……アレク」
と、レイラの声。顔を上げると、心配そうに、完全に人化した彼女が俺を見つめていた。
「レイラ」
彼女に再び乗るのが怖い。
ヴィロッサを突き落としたときも、レイラは――
緊張し、ヴィロッサに申し訳なく感じながらも。
欠片も俺を責めようとは考えていなかった。
仕方がないと嘆きつつ、俺を励まし、肯定してくれる。そんな彼女の心地よさが、ありがたくも、俺には恐ろしかった……
と、思っていたら。
「ごめんなさいっ」
突然、ペシッとレイラに頬をはたかれた。
「……え?」
全然痛くはなかったけど、びっくりっていうか……え?
「あっ、あのっ、ごめんなさい、でも……!」
泣きそうな顔をしながら、そっと手を見せてくるレイラ。
真っ白な手のひらに、赤い点。
……血?
「アレクの顔に……蚊が……!!」
……あ、ああ。
言われてみれば……なんか痒い……
というか、俺たちの回りをブンブン羽虫が飛び回ってる。リリアナがいない今、虫刺されも薬とかで対処するしかないんだよなぁ。
「ああ……ありがとう。死霊術はもういいし、虫除けしようか」
俺は肩の力を抜いて、霊界の門を閉じながらレイラに微笑みかけた。
万が一の遭遇に備えて、今の俺たちは人化している。当然、魔力も弱まっているので、ヴィロッサ呼び出し用の霊界の門に、諸々の死霊術、さらに防音の結界の維持に魔力を食われて、他の魔法まで併用できていないのだった。
ゆるい呪殺でもある虫除けの魔法は、便利だが地味に負担がデカい。あと、何気に闇の魔法なので同盟圏では使えない。バレたら面倒なことになる。
――なので、勇者らしく虫除けしよう。
「レイラ、ちょっとピリッとするかもだけど、害はないから安心してくれ」
「は、はいっ」
俺は焚き火を中心に、俺たちを囲むように地面を木の枝で引っ掻いて円を描く。
「【
そして聖属性の魔力を、薄く放った。
銀色の波動が広がっていき、パチッ、ピリッと音を立てて、俺たちの周りを飛び回っていた羽虫たちが一斉に燃え尽きる。
蚊や毒虫たちは、魔族や吸血鬼なんかよりよほど歴史ある人類の『敵』だ。当然、聖属性もめっちゃ効く。聖属性の正体が属性魔法なんかじゃなく、人類の集合意識からなる呪詛と知った今では、納得の効き具合だ。
「きゃっ」
レイラも一瞬、静電気みたいな聖属性にやられたらしく、ビクッとしていた。ドラゴンだから聖属性が効いちゃうんだよなぁ。銀色の輝きは地面の円に定着し、ドーム状になって俺たちを囲んだ。一度広げてしまえば、境界面に薄く聖属性の膜が展開しているだけなので、中のレイラが焼かれることはない。
「これ、聖属性の虫除けの魔法なんだ。夏場に虫に悩まされないのは、勇者と神官の特権だったよ……魔力に余裕があるときに限るけど」
今後、同盟圏を旅するにあたって、多用する魔法のひとつだろう。
『ま、実際、戦時はほとんど使う余裕なんてなさそうだったけどねぇ』
レイラの腰のレイピアから、バルバラがスッと霊体化して出てきた。同盟圏の旅では聖属性を頻繁に放つことになるので、ドワーフの業物の剣に本体が保護されている彼女と違い、ヴィロッサには【狩猟域】のペンダントが必須だったってワケだ。
「そうだな……戦場じゃ常にヘロヘロだったもんな……」
バルバラの言葉に思わず遠い目をしてしまう。リリアナの奇跡でさえ、体力は回復させられても、魔法の使いすぎによる精神力の消耗まではどうしようもなかった。
結局、よく食べてよく眠る以外に魔力を回復させる方法はなく、魔王軍相手の戦いじゃいつもギリギリだった……。
…………リリアナ、無事に帰れたかな。
「そうだったんですね……」
レイラが興味深げに、虫除け結界の銀色に手を伸ばして、パチッ「きゃっ」ビクンとしている。
パチッ。
「きゃっ」
ピリッ。
「あっ♡」
…………あの、なんでちょっと楽しそうなんですかね?
「今のうちに、慣れておかなきゃと思って……」
どこか恍惚とした顔で手を撫でながらレイラ。そ、そうか……。
「今夜はここで明かそうか。この結界、一応獣避けの効果もあるから、狼とかの心配はしなくていい。……魔獣は話が別だけど……」
『見張りはアタシがやっとくから、あんたたちは寝ておきなよ』
バルバラが微笑みながら言った。
「我も協力しよう。焚き火も見ておいてやるから安心するが良い」
アンテが実体化して、焚き火に木の枝を放り込んだ。そしてすぐに俺の中に戻る。
「ありがてえ」
ふたりには悪いけど、睡眠を必要としない同行者が見張り番してくれんの、クッソ助かるな……!!
俺はバルバラを拝んでから、近くに積み上げていた荷物のうち、野宿用の敷毛布を手に取る。
「……荷物、けっこう多いな……」
――3人分の荷物。
俺とヴィロッサが主に持ち運ぶことを想定してたから……。
「…………」
俺は、ぱしんと両頬を叩いて、気持ちを切り替えた。
今日はしっかり休む。そして明日から、本格的に行動開始だ。
まずは、当初向かう予定だった集落を訪ねよう。それから、夜エルフの拠点があるという街に行って、情報収集しつつ、可能であれば現地の諜報員を――
始末する。
気合を入れろ。俺は何のために同盟圏に来た? 諜報網を根こそぎ潰し、人類反撃の下地を作るためだろ。
そのための
誰がなんと言おうと、俺は人類を守る、人類のための――
勇者なのだから。
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