306.流星のごとく


 ――どうも、兄殺しの罪で国を追われることになった魔王子、ジルバギアスです。やったぜ!


 魔王城を発って、そのままぶっ通しで飛び続けるには国境が遠すぎたので、エヴァロティで一旦休憩した。


 ……ダイアギアス? リビディネとよろしくやってたよ。ただお取り込み中だったらしく、俺がエヴァロティ王宮で今年最後の魔王国の茶をキメてたら、腰布1枚の姿でやってきて「気をつけてね」と一言告げ、さっさと戻っていった。


 自由過ぎる。


 そしてクレアやヤヴカ、タヴォ゛ォ゛らにも別れを告げ、出立。


 エヴァロティ東部のサウロエ領上空を通過し――


「無事帰ってきたら、美味い飯でもごちそうしてあげるわよ」


 現在、ブルードラゴンにまたがり、りんごのタルトにかぶりつく第5魔王子スピネズィアことフードファイターに、空中でお見送りされているところだった。


「ええ、姉上もお元気で」

「がんばってねー」


 スピネズィアがひらひらと手を振ると、ブルードラゴンが翼を翻して、サウロエ領へ引き返していく。



 眼下――地上には、険しい山脈。



 俺たちはこの瞬間、国境を超えたのだ。



 ここからが、同盟圏だ。



 離れゆくスピネズィアとブルードラゴンを尻目に、俺は隠蔽の魔法を使い、レイラの姿を隠す。


 さらに高度を上げる。星々の輝く上空へ。


「……ふぅ」


 鞍の後ろで、俺にしがみついていたヴィロッサが緊張を解いた。


「何事もありませんでしたね」

「だから言ったろ? 姉上にその気はないって」


 同派閥のエメルギアスを殺られた報復に、見送りと見せかけてスピネズィアが何か仕掛けてくるんじゃないか、と警戒していたようだ。


 まあ、空中ここでヴィロッサが警戒しても、できることはタカが知れているが。



 ――高高度を行く。



 新月の夜、満天の星空に紛れるようにして、白銀の竜は飛ぶ。


 魔王国と違い、同盟圏の空はがら空きだ。ドラゴンの哨戒飛行なんてないし、それに相当する組織的な見張りもない。ましてや隠蔽の魔法まで使っている現状、発見される恐れはほぼ皆無だった。


 なぜ、同盟の空への警戒がザルなのかって? 予算や能力不足もあるが、魔王国は『そういう』ドラゴンの運用をしない、とわかっているからだ。


「素晴らしい……これならどこにでも行けます。文字通り、いかなる場所にも!」


 いつも冷静沈着なヴィロッサが、珍しく興奮気味だった。


 俺たちはこれから、旧デフテロス王国領を南下し、ヴィロッサが何度か訪れたことがあるという、田舎の集落を訪ねる


 近くの街に夜エルフの拠点がある関係で、その集落にも若干のつながりがあるのだとかなんとか……。そこで人族社会に触れ、諸々の準備を整えてから、(最前線近くに比べると)より警戒がゆるい大陸東部へ旅する予定だ。


「……ドラゴンでの潜入ってのは、なかったんだっけか」

「平時に、諜報のためドラゴンに乗せていただいたことはないですね」


 独り言じみた俺の問いに、ヴィロッサは几帳面に答えた。


「ドラゴンの空襲や布告にまぎれ、後方撹乱のため降下したことはありますが」


 布告ってのはアレだな、この街を何日後に攻め滅ぼすから覚悟しとけよって奴だ。エヴァロティ攻略戦でも同じようなことをやった――ドラゴンで空中からビラをバラまくんだよなぁ。


 あれがビラじゃなく油壷と松明だったら、魔王軍と激突する前に大打撃を与えられたんだろうが、魔王軍は滅多にそんなことをしない。魔族の手柄が減ったら困るからだ。やるとしたら、無駄に守りの固い辺境の砦くらいじゃないかな。


「お前たち夜エルフにもドラゴンの運用が許されていたら、諜報網はもっと凄いことになっていただろうな」

「そうかもしれませんが……」


 俺の皮肉げな言葉に、ヴィロッサが苦笑する。


「仮に魔族の方々がお許しになっても、当のドラゴンたちがそれを受け入れるかどうか。……レイラ殿のようなドラゴンは稀ですから」


 ――そういや、レイラがうちに来たばかりの頃は、ヴィロッサは警戒心の塊だったなぁ。ファラヴギに黒焦げにされた直後だったから、仕方ないが。


 白竜の娘がいつ俺に牙を剥くか、気が気でなかったのだろう。


 そして、しばらくは「レイラ」と呼び捨てにしていたが、レイラが俺の愛妾っぽいポジションに収まってからは、いつの間にか「レイラ殿」って呼び方に変わった。


 そんなヴィロッサが、今は俺と一緒に、レイラに乗って空を飛んでいる。


 あれだけ警戒していたヴィロッサが……。


 皮肉なもんだな。


「…………」


 思えば、色々あった。ヴィロッサを私兵に加えて早々、ファラヴギと鉢合わせて。


 当時の俺は、まだ子爵級にも満たない雑魚魔族だった。出会い頭のブレスで丸焼きにならないよう、ヴィロッサが身を挺して庇ってくれた。あのとき、こいつがいなかったらどうなっていただろう――


『――…………――』


 キズーナ越しに、レイラの複雑な感情が伝わってくる。……俺もだよ。


 結果的にファラヴギを殺めることになったが、俺の手下に死者が出なかったのは、ヴィロッサの貢献によるところが大きい。


 その後も、剣槍の運用法をああでもないこうでもないと議論したり、実戦さながらの稽古で練度を高めたり。


 同盟圏での活動について色々話を聞いたり、剣の良し悪しについて語り合ったり。

エヴァロティ攻略戦では、俺の天幕でずっと警備にあたってくれたっけ。


 もう、だいたい1年くらいの付き合いになるか。


 あっという間だったな――


「ヴィロッサ」

「はい、殿下」

「……すまないな、こんな旅路に付き合わせてしまって」

「何を仰います」


 ヴィロッサは笑った。


「殿下が『聖女』を手なづけなければ、自分は剣士としても諜報員としても死んでおりました。自分だけでなく、数多くの戦士が殿下に命を救われております。ここで、大恩のある殿下をお支えできなければ、一族の名がすたるというもの……」


 ……本当に。


「お前は、俺にはもったいないくらいの忠義者だよ」


 その言葉に、ヴィロッサは「光栄です」とまんざらでもなさそうに答えた。


 レイラ。


 もうちょっと、高度を上げてくれ。


『――はい――』


 緊張気味に、レイラが羽ばたいてさらに高みへ上がっていく。


「……?」

「下方に集落が見えるようだ。念のためさらに高度を上げよう」

「なるほど」


 レイラの挙動を訝しむ気配があったので、そう言っておく。



  ――ヴィロッサをどうするか。



 それが目下のところ最大の問題だった。



 コイツの忠誠心は本物だ。本物なのだ。救いがたいことに。


 俺が同盟圏に滞在する間、全力で俺をサポートしようとしてくれている。


 だけど、だからこそ、邪魔だった。その存在が。救いがたいほどに。



 ――ヴィロッサには、消えてもらわなければならない。



 しかしコイツは剣聖だ。ヘタに手を出して仕留め損なったら、面倒なことになる。


 だから。


 確実な方法で、殺る。


 ――レイラ、あの雲の中へ。


 ぐんっとさらに高度を上げたレイラが、羊雲の中に突っ込んだ。


 まるで濃霧だ。視界が真っ白に染め上げられる。


 すまん、ヴィロッサ。


聖なる輝きよヒ・イェリ・ランプスィ この手に来たれスト・ヒェリ・モ


 ――俺は全身に銀色の輝きをまとった。


 背後で、ジュッ、と肉が焼き焦げる音。


「ぐあっ!?」


 俺にしがみついていたヴィロッサが、突然の激痛に思わず手を離した。その隙に俺は、ナイフでヴィロッサの命綱を切断。


 痛みで仰け反るヴィロッサを、そのままドンと突き飛ばす。


「あ――」


 旅装を身にまとい、リュックを背負ったヴィロッサが、何もない空中に――


「ぁ――殿下!? ああああぁぁぁぁぁ――!?」


 あっという間に、その声が、眼下へ遠ざかっていく。



 これは――魔王さえ殺す一撃だ。



 いかに剣聖であろうとも、この高さから落ちて生き延びる術はない。


『……闇の輩といえども、さすがに哀れだね』


 俺の右腰の鞘で、ずっと大人しくしていたバルバラが口を開く。


『あいつも人族に生まれていれば、剣に生き、剣に死ねたろうに……』


 ……そうだな。


 遺体の確認に行こう、レイラ。


 まだ色々と、やらなきゃいけないも残ってる――


『――はい――』


 ……あいつ、最期まで俺のことを「殿下」って呼んでた。


 咄嗟にこちらに伸ばした手は、助けを求めていたんだろうか。


 いたんだろう、な……。



『ふふふ』



 アンテが、笑う。



『――出だしは上々じゃのぅ』



 ……ああ、全くだよ。



 俺の、鉛みたいに重い心とは裏腹に。



 真なる自由の旅が、ここに幕を開けたのだ。


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