304.帰郷と傷跡


 翌々日、リリアナはついに生まれ故郷にたどり着いた。


 サンクタ・シロ――母なる聖大樹がそびえる、森エルフの里。


 足を踏み入れた瞬間、清浄なる空気に身も心も癒やされるようだった。


 見上げるほどの大樹が、数え切れないほど並び生えている。樹々には大きなうろがいくつもあり、それがエルフたちの家屋も兼ねていた。


 エルフたちは、木や石を切り出して家を『建てる』必要がないのだ――ただ大きな木に『お願い』すればいい。そうすれば心優しい木々たちは、体の中にエルフたちを住まわせてくれるのだ。


 外界の街の塔なんて目じゃないほど巨大で、背の高い木には、数世帯の家族が住むこともある。上の洞にはツタのはしごで登り、また、それぞれの大樹が、蜘蛛の巣のようなツタの橋で接続されている。


 翻って地上には、至るところに果樹が生えており、ほぼ年中たわわに果物を実らせていた。日当たりの良い広場では、収穫された果物が天日干しにされている。保存食でもあるドライフルーツ。一方で、歌いながら壺に魔法の水を注ぎ入れ、果物を投じてかき混ぜている者もいる。こちらは果実酒造りだ。


 大人のエルフたちは、歌を歌ったり楽器を奏でたり、樹上で日向ぼっこをしながら思索にふけったり。


「そら、いくぞーっ!」

「あはは、こっちこっち!」

「わぁ、みんなまってよぉ!」


 そして子どもたちは早駆けの魔法を使い、とにかく元気に走り回っていた。エルフが里の外に出るのは、だいたい50歳を過ぎて独り立ちしてから。幼子を見かけるのは、それこそ里の中だけだ。


「みんな……」


 懐かしい。見知った顔ばかり。しかし里のみんなは、リリアナをチラッと一瞥しただけで、それほど気にしていないようだった。今のリリアナが、普通の森エルフそのものな姿をしているからだ。


 見ない顔だな、くらいは思ったかもしれないが、聖大樹連合の首都のような扱いであるサンクタ・シロには、よその里から頻繁に来客があるため見知らぬ森エルフなど珍しくもないのだろう。


 現に、リリアナの知らない森エルフ――服装や細かな装飾の違いで、別の里出身だとひと目でわかる――も、たくさんいた。


 知り合いに声をかけて回りたい気持ちをぐっと堪えて、リリアナはさらに里の中心へと歩いていく。懐かしくも、力強い気配のもとへ。


「ああ……」


 思わず、溜息が漏れた。


 周囲の大樹たちが遠慮するように、距離を置く里の中心部。



 あまりにも巨大な樹が、天をつくばかりにそびえ立っている。そのスケール感たるや、魔王城にも引けを取らぬほど。



 これこそが母なる聖大樹。光の神々がこの地に遺した生ける奇跡。森エルフの象徴にして精神的支柱。



 そして――ハイエルフの女王の居城。



 神性をまとい、昼間でもうっすらと輝いて見える聖大樹は、夜になるとそれはもう美しく光り、里を照らし続けてくれる。聖大樹もまた、寛大にも各所に洞を開けて、エルフたちを受け入れていた。


 巨大な幹ゆえ内部の空間も莫大で、森エルフという種族の宗教的・政治的な機能がこの大樹に集約されていると言っても過言ではない。


 しかし、そんな重要な施設であるからこそ、誰でも気軽に踏み入れるわけではないのだった。


「見ない顔だな」

「聖堂には許可のある者しか入れぬ」

「身分証を提示せよ」

「あるいは首長の推薦状を」


 門の役目を果たす、地上に接続した洞の前で、二人組に止められた


 魔法の儀式弓で武装した、瓜二つな顔立ちの森エルフ。


 数百年に渡り聖大樹の門番を務める、世にも珍しい森エルフ双子の兄弟、モーンとバーンだ。ハイエルフの血を引く、リリアナの親戚でもある。


 相変わらず堅物な兄貴分ふたりに、懐かしさのあまり、涙が滲んだ。そっとフードをかぶって周囲から顔を隠したリリアナは――人化の魔法を解除した。


「なっ……!?」

「ばっ……!?」


 がこん、と顎を落として絶句し、目が飛び出そうなほど驚くふたり。


「…………」


 リリアナは無言で、唇に人差し指を当ててみせ、騒がないよう制した。


「心配させちゃって、ごめんね。……ただいま」


 そう言いながら、森エルフの旅団にしたように、『タチアナの物語』の模様を魔力で描いてみせる。


「ひ、姫さま……!?」

「ほっ、本物……ッ?」


 動転しながら、何やら事情があるらしいと察したふたりは、上ずった声をどうにか抑えながらも、食い気味に尋ねてくる。


「……実は囚えられていたの。夜エルフに」


 リリアナの顔に影がさす。兄貴分ふたりを、再び絶句させるに足る情報。


「……でも、色々あって、どうにか脱出できたの。行方不明を装ったから、私が里に生還したことは伏せておきたいわ。その方が、魔王国を混乱させられる」


 無理に明るく表情を切り替え、リリアナはふたりを見つめた。


「一応、祓ったつもりだけど、私だけじゃ解呪できない呪詛が残ってるかもしれないし、身を清めてから母さまに会いたいんだけど……」

「「承知……!」」


 同時に答えたモーンとバーンだが、門番のふたりが揃ってこの場を空けるわけにはいかない。


 目配せしたふたりは、おもむろに魔力の模様を描いた。火、木、水、と三種の模様を次々に、そして同時に出していく。やがてモーンが水を、バーンが火を描いて決着がついた。「よし……!」と拳を握るモーン、悔しそうな顔をするバーン。


『火は木に強く、木は水に強く、水は火に強い』という三すくみで、模様を出し合って勝ち負けを決める方法だ。ちなみに同じ模様を出すとあいこになる。


「それでは、こちらに……私が案内してしんぜよう、旅の御方」


 まるで来訪客をもてなすかのように装ったモーンに連れられて、リリアナは聖大樹の中――聖堂に入った。気配で正体を悟られぬよう、再び人化の魔法も使っておく。


 懐かしい。リリアナにとっては実家そのものだ。ごつごつとした壁、逆にすべすべとした床、各所に灯る魔法の光。


 地上にほど近い階では、森の守護者たちが集まって、周囲一帯の森の状態や、環境変化について情報を交換している。里の一般エルフたちと違い、険しい顔をした者も多い。どこか殺伐とした空気も漂う――いくら平和に見えても、魔王軍の圧力からは無縁でいられないのだ、ここも。


 さらに中層部に上がっていけば、弓兵を束ねる旅団長や、導師たちの姿を見かけるようになった。旅団長たちは額を寄せ合ってボソボソと戦略的な会議をしているし、導師たちは精神修養で魔力を高めたり、書物を紐解いて魔法の研究に励んでいた。中層部の図書館では、リリアナも色んな書物を読み漁ったものだ――


 そして上層部。ここは、本当に限られた者しか立ち入れない領域だ。各里の首長や聖大樹連合議員、外交官、最高位の導師、ハイエルフの血族、そして女王そのひとが暮らす区画――


「こちらへ……姫さま」


 もはやほぼ関係者しかいないエリアに入ったため、モーンも案内のフリをやめた。リリアナは沐浴場に通される。日当たりの良い空間で、頭上の小さな洞から、聖大樹の樹液を含んだ清浄な水がこんこんと湧き出し、滝のように降り注いでいる。


「ありがとう」


 リリアナは人化を解除して、本来の姿に戻った。ここで身を清めれば、ただ単に体がきれいになるだけでなく、大抵の呪詛も祓われる。……というか、ここで祓えない呪いは、たぶん現世での解呪は不可能だ。


「いやはや、本当にご無事で何より。それにしても変わった魔法ですな……まさか、この目が欺かれようとは」


 門番として、来客の判別には一家言あるモーンが感心している。


「ドラゴンたちの【人化の魔法】よ。あれ、私たちでも習得できるみたいなの。おかげでここまで、正体を隠して移動できたわ」

「なんと、興味深い……! ああ失礼、横道に逸れましたな。私は女王陛下にお知らせして参ります」

「うん。母さまには、本当に……いっぱい、報告しなきゃいけないことがあるの。お願いね」

「承知」


 モーンが去ったところで、リリアナは服を脱ぎ、沐浴で体を清めた。


「あー……」


 ばしゃばしゃと清浄な水を全身に浴びて、あまりの心地よさに声が出る。強行軍で疲弊していた精神も軽やかになって、心の古傷さえ癒やされるようだった。


 呪詛を払い、魔力さえも回復させる奇跡の水。持ち出すと効能が長持ちしないのが玉に瑕。ここに暮らしていたときは、日常的に浴びたり飲んだりしていて、そこまでありがたみもわかっていなかったこの水だが、「売りに出したらとんでもない高値がつくぞ、それ」とびっくりされたこともある。



 そう――何気ない世間話で。



 リリアナが語り、アレクが驚いていた。



「…………」



 今ごろ、どうしてるのかな。



 水を浴びながら、リリアナはそっと胸に手を当てる。

 


 ――こんなに、母なる聖大樹の癒やしの力を浴びているのに。



「癒やせない痛みも、あるのね」



 清らかなしずくが、頬を伝って、流れ落ちていった。


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