299.代官の後任


「――えっ、エメルギアス死んだの!?」

「知らなかったんですか!?」


 エヴァロティ王城、最上部の展望台にて。


 とりあえず誤解というか早とちりを解き、ひとまずお茶でも……というところで、衝撃の事実が発覚した。


 なんとダイアギアス、エメルギアスの一件を全く把握していなかったのだ。


 前線で『俺がルビーフィアとお茶したらしい』という報告を受け、爆速で森エルフの守備軍を撃滅し、そのまま竜に飛び乗ってノンストップで戻ってきたらしい。


「途中でイザニス族の伝令っぽい飛竜は見かけたけど、そのまま無視して突き進んできたから……」


 すれちがい通信か……まさかアウロラ事変を知らないとはなぁ。


「そうか……エメルギアスがねえ……」


 茶を口に運びながら、しみじみとするダイアギアス。


 そういやエメルギアスを殺してから、魔王子と面と向かって話すのはコレが初めてだ。そこまで仲は良くなかったとはいえ、弟の死には、ダイアギアスもさすがに思うところがあるのか……


「まあ、それは置いといて」


 切り替え早。置いとくんだ。


「姉上の件、ホントにホントなんだね? 信じていいんだねジルバギアス?」


 本気マジな目で俺を覗き込んでくる。


「兄上……こう言っちゃなんですが、普通腹違いの姉に欲情しないんですよ。ルビーフィア姉上が、魔族として、類まれなる魅力をお持ちなことは否定しませんが」

「うぅむ……」


 口をへの字にして黙り込むダイアギアス。


「だからいったじゃないですかダイア♡ 弟さんにその気はないはずだって♡」


 と、ハーレムメンバーで唯一連れてきたらしい、【色欲の悪魔】リビディネが呆れたように口を挟んだ。相変わらず蠱惑的なボン=デージ姿で、目のやり場に困る。


「まあたしかに、色欲は微塵も感じられないけど……」


 ダイアギアスは俺を注視しながらうなずく。あ、権能で俺を見定めてたのね……


「ただジルバは、可愛がっていたリリアナにも、そこのレイラにも、結局色欲らしい色欲を抱いていないじゃないか。性欲が絡まない愛情だったらぼくでも検知できないし、油断ならないよ」


 ……俺がルビーフィアに、プラトニックな恋慕を抱いているとお疑いで……!?


 俺は、星空に放り出された猫みたいな顔をしてしまった。


「大丈夫ですよダイア♡」


 しかし、それでも自信満々なリビディネ。


「あまりにも微かでダイアには嗅ぎ取れてないだけで、ちゃんとジルバギアス殿下はレイラちゃんにも欲情してますよ♡」

「ッ!?」


 茶でむせそうになった。なんてこと言いやがる、この色ボケ悪魔!?


「それに対して、ルビーフィア殿下の名を出しても劣情は皆無♡ 皆無です♡ 定命の者である以上、恋慕と色欲が全くの無縁というのは、まずありえません♡」

「そうか、なら安心だ」


 いや、なら安心だじゃねえんだよ。恐る恐る、傍らのレイラに目を向けると、頬を染めてうつむいていた。


 おい……おい! どうすんだよ! 次乗るときクッソ気まずいじゃん!!


【キズーナ】のせいでダダ漏れなんだぞお互いに!!


『くふっ、ふふふっははははははっ、ふひゃはひひ!』


 アンテが爆笑している。


「疑ってすまなかったね、ジルバ」

「いや……いいんです……」


 もう好きにしてくれ……


「いやはや。さっきのホブゴブリンといい、先走って色々迷惑をかけてしまった」


 ちなみにタヴォーだが、超高速ダイアギアスに撥ね飛ばされて、骨が何本か折れていたので、ササッと書状をしたためておいた。


 この者を治療すれば、ご褒美に俺の血を一口! と書いたので、吸血鬼どもが先を争って治療するはずだ。リリアナの奇跡や転置呪には劣るが、今の自治区ではベストな処置を受けられるだろう。


「ああ見えて優秀な役人なんですよ。欠けたら困ります」

「ジルバしか見えてなかったんだ。悪いことしたな」


 俺が抗議すると、ダイアギアスはちょっとバツが悪そうに肩をすくめた。


「今度見舞いに何か包むから、きみから下賜してやってくれ」

「そうしましょう」


 はぁ、無駄に疲れた……。



 



「時に兄上、折り入ってお願いがあるんですが」


 俺は姿勢を正して、話を切り出した。


「なんだい? 可能な限り聞くよ」


 すまし顔で茶をすすりながら、安請け合いするダイアギアス。


「自治区の代官の後任についてです」

「あ、それはイヤ。面倒くさいもん」

「今、可能な限りって言いましたよね!?」


 たった今! 舌の根も乾かぬうちに! 話が早すぎるわ!!


「いや、だって不可能だから。ぼくは魔王城でみんなを愛し続けなきゃいけないし、こう見えて忙しいんだ」


 そろそろ御暇しようかな……とダイアギアスが腰を浮かせる。逃げるなァ!


「まあまあ、聞いてくださいよ。兄上が代官をやりたくなるように、俺も色々考えてきたんです」


 そう。俺が後任に推したい魔族第1位、それがダイアギアスだ。


 タヴォーへの対応でもわかるが(基本的に)(上位魔族にしては)他種族にも温厚であり、政治にもまったく興味がないので、下手に横槍を入れて情勢を掻き乱したりもしない。


 俺の方針さえ支持してくれれば、あとは自治区に築いた俺の官僚組織が、勝手に回してくれる。それでいてちゃんと力があり、権威もある。俺の知る限り、存命の魔族の中で、こいつ以上にエヴァロティ自治区代官に適した人材はいない。


 そして「面倒くさい」と断られるのも織り込み済みだったので、俺はダイアギアスをうなずかせるに足る、強力な交渉材料も用意しておいた……


「まず、俺の私室を含め、俺が不在の間はエヴァロティ王城を好きにしていただいて構いません。警備も万全、俺の手の者は口も固く、秘密も守ります。兄上のも、ご自由に増改築していただいて結構です」

「それなら魔王城にすでにあるからなぁ。あっちの方が色々便利だし」

「でしょうね。そこでさらにもうひとつ、提案があります」


 俺はピンと指を立ててダイアギアス――ではなく、傍らの色欲の悪魔リビディネを見やった。



「――兄上の子を産みたくはないか?」



 にこやかに笑って話を聞いていたリビディネが、スッと表情を消した。



 リビディネは色欲を司る悪魔であり、彼女自身も、それはもうお盛んにダイアギアスと楽しみまくっているのは、周知の事実だ。


 が、それでも彼女は。生物に限りなく近くとも、輪郭を持った魔力の塊で、疑似生命体なのだ。どれだけ行為に及ぼうと、子を孕むことはできない。


 果たしてリビディネは、それを「仕方がない」と割り切れているだろうか?


 ……俺とアンテの見立てでは、「否」だ。そしてこのリビディネの、全ての感情を押し殺したような無表情を見るに――



「ジルバギアス」


 ダイアギアスが静かに口を開く。


「冗談で言ってるわけじゃないんだろう?」


 ぴりぴりと帯電するような空気は、「冗談のつもりなら許さない」と告げていた。


「もちろん冗談ではありません。俺は悪魔でも、定命の者のように、子を産める身体になる方法を知っています」

「それを教える代わりに、代官の後任をやれと。……悪くない提案だけど、その情報の真偽が確かめられない限り、易々とうなずくわけにはいかない」

「いえ、方法は今この場でお教えします。その上で考えてくださって結構」

「……なんだって?」



 怪訝な顔をするダイアギアスの前で。



 ――俺は、人化の魔法を使ってみせた。



「……!?」


 ダイアギアスが、そしてその隣のリビディネが目を見開いた。比較的良好な関係とはいえ、潜在的な敵に違いなく、脆弱な姿を晒し続けるわけにはいかない。俺は即座に魔法を解除した。


「ドラゴンたちの【人化の魔法】です。実は魔族でも習得できるんですよ。もちろん悪魔でも」


 俺は茶で喉を潤しながら、言った。


「俺の側仕えの、知識の悪魔ソフィアも習得しましたが」


 リビディネを再び見やる、彼女らは互いに面識がある――


「定命の者さながらに、酒を飲めば酔っ払い、惰眠をむさぼることも可能です。人の身になって弱体化する代わりに、生理的な機能を獲得できるんですよ」


 言うまでもなく、生殖能力も。


「…………」


 ダイアギアスたちは、絶句していた。


「どう……」


 して、と問いかけて、ダイアギアスはめまいに襲われたようにかぶりを振る。


「……ドラゴンの魔法、か。言われてみれば、彼ら彼女らはいつも人化している」


 ワンピース姿のレイラを一瞥して、ダイアギアスは呻くように言った。


「ぼくたちはおろか、悪魔まで習得できるとは……わざわざ人になるなんて、そんなの、発想すらなかった。でも合点がいったよ。その魔法があるから、きみは追放刑を受けてもそんなに余裕なんだな」

「あまり、言いふらさないでもらえると助かりますがね」

「……どうして、そこまで教えるんだ。ここでぼくが断ったら、どうするつもりなんだい? ドラゴンの魔法とわかればあとは簡単だ。今しがた乗ってきたドラゴンに話を持ちかければ、きみの頼みを受けずとも、習得できてしまうかもしれないのに」

「たしかに、それはそうです」


 その疑問はもっともだ。しかし――


「それで魔法を習得したとして――いったいどこで子をなし、身ごもったリビディネを匿い、産んで、育てるつもりなんです?」



 今度こそ、ダイアギアスたちは雷に打たれたように固まった。



「身ごもっている間は人化を解除できません。解除すれば当然、お腹の子が消えてしまうからです」


 リビディネが顔をこわばらせ、まだいるわけでもないのに、お腹を押さえた。


「子を宿せば9ヶ月間、出産するまで人の姿でいる必要があります。そして、当然のことですが、産まれてくるのは人族の子です」


 魔族と人族は、一応、混血が可能らしい。ただし、俺が知る限り、現在の魔王国に混血児は存在しない。子ができる可能性が極端に低いこともあるが、何より――


「魔族と、惰弱な人族の混血なんて、存在が許されない」


 露見した時点で、処分されてしまう。悪ければ母体ごと――


 俺がレイラを際も、プラティをはじめ周囲の者たちから、その手の注意は受けた。レイラが頻繁にドラゴンの姿に戻るので心配ない、ということで解決したが……


「そもそも、兄上がそのままリビディネと交わっても、子がすぐにできるとは限りません。その場合は、兄上も人化すれば、ほぼ確実に子をなせるでしょう」


 実はダイアギアスには、すでに魔族の子が何人かいるって話だ。立場上、正式な跡継ぎとは認められないので私生児扱いらしい。――まあ、つまり、ダイアギアスが種無しでないことは証明されている。ふたりで人化して励めば、あっという間に子をなせるだろう。


 問題は、9ヶ月間、極めて無防備になるリビディネをどうやって匿い、無事に子を産ませ、しかもその子を育てるか、だ――


「そう、いうことか」


 ダイアギアスは、展望台から街を見下ろした。


 人族と獣人族のひしめく、自治区の街並みを。


 ああ、そうさ。


 魔王城じゃ、不可能だ。だがここなら。エヴァロティなら――


「魔王国内において唯一、人族が自由に生きられる街です」


 お前たちの子を紛れ込ませる程度、わけないぜ。


「魔王城からは遠く離れており、城の人員もほとんどが、俺の手の者です。あいつらは、口が堅いですよ。兄上の区画に関わる者を、俺の子飼いの部下で固めれば秘密は守られます」


 俺の私兵は、そのほとんどが最前線で危険な任務に従事してきた、生え抜きの精鋭たちだ。そこらの夜エルフとは心構えからして違う。


「官僚組織も、先ほどのタヴォーをはじめ優秀な人材が揃っています。兄上の手を煩わせるまでもなく、自治区の行政はつつがなく機能するでしょう。兄上はただ、君臨するだけでいい。それだけで自治区は安定します」

「…………」

「そして、俺の追放刑は1年ですが、きっかり1年後に戻るとは限りません。というか、永遠に戻らない可能性さえあります。兄上には充分な時間があるのです。ここを自らの城とするだけの時間が……」

「…………」


 どうだ? これだけの好条件。


 魔王国はおろか、大陸中を見渡したって、揃ってないぜ。


「――兄上。?」


 ダイアギアスは、まばたきさえ忘れて、俺をじっと見つめている――


「ダイア……私……」


 リビディネが、おずおずと口を開いた。


「私、あなたに迷惑は――」


 それ以上、何か言う前に、ガバッとリビディネを抱き寄せるダイア。


「んんっ……♡」


 おぉう……熱烈なキス……。


 いや……すごいな。そんな……うわ。おお……


 でも、情熱的なのは構わないんスけど、ピンク色のモヤを発散すんのはやめてくれませんかね……


 俺はそっと身を引いた。こいつら、一瞬でふたりの世界つくるじゃん……。


「…………」


 レイラも「わぁっ……」と口元を押さえて、圧倒されている。……いや、それだけじゃなくて、俺の方もチラチラ見てくる。



 レイラの視線がすごい。



 レイラの視線の圧がすごい。



 いや、マジでレイラの眼圧が半端ない。



 あとでどんな気持ちでレイラに乗ればいいの!? ねえ!!



「リビディネ」


 たじたじな俺をよそに、長い長いキスのあと、ダイアギアスが唇を離して言った。


「ぼくの子を、産んでくれるかい」

「……はい♡」



 腹をくくった漢の顔になったダイアギアスが、改めて俺を見る。



「その話、受けよう」



 ――そうして、エヴァロティ自治区代官の後任は内定した。

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