297.死者の想い


「聞いてよ! ジルくんが国外追放されるんだって!」

『はぁ』


 霊体化したクレアの眼前、エンマが憤慨している。


 魔王城地下最深部、いつものごとく定時連絡だ。何でも、ジルバギアスが兄エメルギアスに襲撃されて、反撃で勢い余って殺してしまい、追放処分を受けたらしい。


 一応1ヶ月の猶予期間があるそうだが、ハイエルフのペットも逃げ出したとかで、踏んだり蹴ったりな様子だ。


『1年間ですか……いくら人になりすませても、ちょっと厳しそうですね』

「うーん、そうだね。ただ人の姿になれるだけじゃ弱いよねえ」


 ジルバギアスは人化の魔法を習得しているが――以前、老獣人の拳聖を騙すため、人になりすましたことがあった――聖教会の闇の輩狩りは、容姿を変えるだけでやり過ごせるほど甘くはない。


「魔王ゴルドギアス、無能!」


 ダンッと会議机を叩きながらエンマが叫ぶ。


「魔族にしては話がわかると思ってたらコレ! 融通が利かない前例主義! 蛮族のくせに杓子定規! なまじ長生きだから脳みそにカビが生えている! とっとと肉体を乗り換えるべき!」


 防音・防諜が厳重に施された、最重要機密区画の会議室だからといって、言いたい放題なエンマだった。『そーですね』と相槌を打つクレア。


「ああ、ジルくんが心配だよぉ……」


 頬に手を当てて、エンマはクネクネと悶絶している。


『でもお師匠、これで王子さまが死んだら、晴れて同志にお迎えできますよ?』

「いやさ、死ぬのは構わないんだよ。問題は死に方さ」


 エンマは真顔で答えた。


「聖教会の連中にやられて、聖属性で魂を壊されちゃったらどうしよう……」

『……王子さま専用の呼び出し器、作っときます?』

「もう用意したよ! 地脈直結の最大出力で秒間20回呼び出し続けるやつ!」

『お師匠さまのより高性能じゃないですか!?』

「当たり前だよ、ボクと違ってジルくんは幽体離脱できないんだもの」


 早めに魂を確保しないと霊界で自我が摩耗しちゃう……! とエンマ。


「ジルくんの自我が、あのキレのある理性が失われちゃうなんて! ボク、耐えられないよぉ!」

『そうですねー』

「とりあえず、死んだ直後にはすぐ呼び出せると思うけど、激しく損壊しちゃったら元も子もないし……ジルくんがうまいこと死んでくれることを祈るばかりだよ」

『とんだとばっちりですねぇ、王子さまも』


 とばっちり――果たしてそれは、兄に反撃しただけで追放される羽目になったことか、それとも死後の運命がもう確定していることか……


 ひねくれた考えはおくびにも出さず、クレアは尋ねる。


『……で、実際のところどうだったんです? どうせエメルギアスも呼び出してみたんでしょ?』

「それがねえ。エメルギアスも、その部下も、ドラゴンたちさえも、一切反応がなかったんだよ」


 エンマがわざとらしく、眉をクイクイと動かした。


「これ……ジルくん、よね?」


 魔力強者の魔族やドラゴンの魂が、そう簡単に消滅するはずがない。


『……確保してそうですね、連中の魂』

「ボクを警戒したのか、それとも、ことがことだけに魔王がボクに依頼して、死霊術で証言させることを嫌ったのかな? いずれにせよ、どちらかによって話は変わってくるけど、まあここはそっとしておこうかな」


 にしし、と笑うエンマ。


「案外、ジルくんにも何か後ろめたいことがあったりして」

『ほほー。追放刑は妥当かもしれない、と?』

「いや、だからって国外追放はないでしょー。謹慎で上等だよー。ジルくんの魂が破損しちゃったらどうするんだよー!」


 同じ話題に戻ってしまった。


「くそぅ、日光耐性の研究さえ完成していれば、ボクもついていったのに……!」

『いくら日が平気でも、同盟圏じゃ臭いでバレてしまうのでは?』

「あっ。そうだった……! この世の全てがボクたちの邪魔をするぅ!」


 うわぁぁん、とわざとらしく泣き真似をするエンマだが、『ボクたち』=エンマとジルバギアスで、きっとその中に自分は入ってないんだろうな、と冷めた心で考えるクレアだった。


「はぁ~~~……」


 ひとしきり嘆き悲しみ、クソデカため息をつくエンマ。わざわざ胸いっぱいに空気を吸い込んでご苦労なことだ。アンデッドは意識しないと動作や表情が出力されないので、感情表現がつい大げさになりがちだ。


「なんかクレア、反応が冷めてない?」

『あ、すいません。生身の連中と話すとき、これくらいのノリなんで、つい』


 指摘されて、愛想笑いを浮かべるクレア。今は霊体なのでサクッと表情が出るが、自治区での人のフリが板についてきたこともあり、オーバーな感情表現がかなり自然な形に戻ったのだ。


 ……エンマの前で、あまり感情を表に出さないよう注意していることもあるが。


「ああ。キミにも苦労かけてすまないねえ。その後バレる気配はない?」

『お師匠さまのボディが完璧なんで大丈夫ですね、行きつけの酒場も香辛料たっぷりの料理がウリで犬獣人は近寄りませんし』

「それはよかった。そうか……同盟圏全域に香辛料どっさりの料理、流行らせる方法はないかなぁ?」

『さ、さすがに迂遠すぎませんかそれは……』


 いくら永遠に時間があるからといって、気が長すぎやしないか。


『同盟が滅ぶ方が先でしょ』

「それもそうか。まあクレアが不便してないなら、いいんだけどね。でも酔っ払いの相手なんて、大変だろう?」


 エンマは少しばかり嫌悪感を滲ませる。生前の経験ゆえか、下卑た連中が嫌いだという話だった。


『慣れましたよ』


 肩をすくめながら、こともなげにクレアは答えた。


 実際、酔っ払い――タフマンたちの相手は、割と楽しい。


 むしろ城に戻り、ひとりになったあとの虚しさが嫌だった。お腹のパーツを外し、胃袋を出して中身を捨て、水洗いするときが一番死を実感する。


 それからエンマと軽く世間話をし、定時連絡は終わった。


「あ、そうそう。ジルくんがエヴァロティに向かったそうだよ。たぶん自治区の諸々を処理するためだと思うけど、もし会ったらよろしく伝えといて。ボクも出発前に、ぜひ挨拶したいって!」

『はーい、わかりました。……それじゃあ、また明日』


 霊界の門に飛び込み、簡易呼び出し器のゆるゆるとした力に引っ張られて、エヴァロティに戻る。


「…………」


 自前のボディに憑依し直し、むくりとベッドから起き上がるクレア。枕元の、簡易呼び出しアンデッド――眼窩に青い魔力を灯したドクロを見つめる。


「……ただいま、アレク」


 ちょん、と指でつついて機能停止させた。


 ――たわむれだ。


『簡易呼び出し器』のままじゃ味気ないので、今は亡き故郷の、幼馴染の名前をつけてみただけ。


 もちろん、幼馴染とは全く別人の、名前も知らぬ人族の骨だが。


 ただいまを言う相手くらい、いてもいいんじゃないかと思った。


 さて、どうしようか。今日は飲み会もないし、とりあえず図書館で暇潰しに本でも読もうか、と部屋を出たところで。


「……あ」


 廊下、こちらに歩いてくる人影に気づく。


「よっ」


 ヒョイと気安く手を上げて挨拶してきたのは、ジルバギアスそのヒトだった。


 にこやかな笑顔は、とても追放刑を食らった悲劇の王子には見えなくて、クレアは思わず胸の内で笑ってしまう。


 後ろにはいつものように、ホワイトドラゴンのレイラも連れていたが、ハイエルフわんこの姿はない。いつもセットで行動していたので、違和感がすごかった。


「ごきげんよう、王子さま? 追放されるってどんな気分なの?」

「これが、意外と解放感がクセになりそうだ」


 不敵に笑うジルバギアス。これが他の魔王子だったら、無礼討ちされてもおかしくないくらい不敬な質問をしたのに、この対応。


 やっぱり他のヒトとは違うな、と思った。


「魔力補給がてら、おしゃべりしようぜ」


 断る理由もない。


「はーい」


 図書室に入りながら、クレアは差し出されるがままに、ジルバギアスの手を取るのだった。


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